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台湾で海外着物生活 長谷川普子さん 「WORLD KIMONO SNAPS」

ゆかたからはじめた海外着物生活 「WORLD KIMONO SNAPS」 – TAIWAN –

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着物を纏い、外に出る。 日常から着物が消えつつある今、その行為は日本でも世界のどこの国でも、平和で平時でなければできないことなのだと強く感じました。逆に言えば「着物は平和の象徴」なのだと。

台湾 行天宮にて
台湾 行天宮にて

台湾に住まいを移して2年目。
まだ自由に言葉は操れませんが、なんとなく一年を通じて、気候のことや行事のサイクルなど台湾らしい部分をつかみかけたところです。

今年は昨年とは違うはじまり方で幕をあけました。
中華圏の新年は旧正月。
新型ウィルスにまだ世界中が油断、軽視していたまさにその時、台湾は小さな自国を守るためいち早く海外からの門戸を閉じました。

日本のみならず、世界中から注目された台湾政府の先手を打つ細やかで誠実な対応のおかげで、現在、国内感染は2か月以上ゼロ。
ほぼ収束した状態です。

ただこの鎖国は永遠に続くものではなく、観光に頼っていた経済を建て直すリスクには慎重な判断が求められるところでもあります。

それでも日常生活はゆるやかに継続しており、外国人観光客の姿は見ないものの、街なかには明るい雰囲気が戻り、今は本来の台湾の姿を垣間見ることのできる貴重な時期なのかもしれません。

タイと台湾、着物姿への反応の違い

5年間のタイ・バンコクでの生活で、着物を本格的に着はじめました。
最初はゆかたから。

日本でも、夏祭り以外のシーン、例えば美術館やネイルサロンに行く時、カフェで過ごす時間や映画や飲み会に行く時などに、カジュアルな夏のワンピースの代わりにゆかたを愛用していました。

常夏のタイ・バンコクです。
当然のようにゆかたを持参して着はじめました。

バンコクでゆかた

ところが、その姿をSNSに上げたとたん…

「ゆかたを昼間に着るなんて」
「ゆかたは湯帷子、外出着ではない」
「ゆかたに襟をつけて足袋をはいたら?」
「ゆかたに足袋なんて野暮」

などなど『ゆかた大論争』に発展してしまったのです。

これは今でも意見が分かれるところかと思いますが、「ゆかた」は「着物」のなかのひとつの種類だと私は認識しており、普段着として誰かに迷惑をかけるわけではない限り、自由に楽しめば良いと結論づけています。
そしてそれぞれの思いは尊重しあい、ゆかたで外出はしないという方や、なんらかの条件付けをして着るという方はそのようにされたら良い、と思っています。

ただその『ゆかた大論争』のおかげで、私は「ゆかた」だけにこだわることなく、南国で楽しめる夏着物の扉を開き、そのまま着物沼に浸かることになったのでした(笑)。

タイ・スワンナプーム国際空港
タイ・スワンナプーム国際空港

そんな日本人の小さな?論争をよそに、海外で「着物」は「ゆかた」も含めて大人気です。

ひとくちに海外といっても、それぞれの国と地域によって「着物」の認知度はさまざま。

タイでは、ゆかたも袷の着物も同じ「キモノ」という認識でした。
せっかく袷の訪問着に袋帯を結んでも「ユカーター、キレイデスね」と言われてがっかりしたことも…

それでもタイでは、都市部のバンコクですら「着物(ゆかたを含みます)」を着ていると、まわりの空気が沸き立つのを感じました。
地方では一層で、「一緒に写真を撮ってくれ」と行列が出来ることも…
インドでもしかり、でしたね。

一方、ネパールでは、私が着ているものが日本の伝統文化の「着物」であるという認識がゼロ。
不思議な服を着ている人…という扱いだったことは衝撃的でした。
日本人が思うほど日本も着物もメジャーじゃないのかもしれない、と思った瞬間でした。

台湾にある日本風○○と日本文化の浸透率の高さ

では現在私が住んでいる台湾ではどうかというと…

一昨年、台湾に住まいを移してすぐのこと。
私は日本からのお客様を迎えるため、着物を着てMRT(日本でいう地下鉄)に乗りました。
視線はさほど刺さらず、街なかを歩いていても、写真をねだられることは皆無。
誰も「着物」に興味を示さない印象でした。少し寂しくもあり(笑)、一方、着物を着て歩くことのハードルはぐっと下がりました。

ほどなくして「台湾人は着物姿を見慣れている」「さほど特別なものではない」ということがわかりました。

その理由には、歴史的な背景がありました。
日清戦争の結果、下関条約によって、台湾は清朝から日本に割譲されました。
1895年4月17日から第二次世界大戦終結後の1945年10月25日までの日本統治時代、台湾はまさに日本だったのです。

かつての台湾:資料写真
※資料写真

当時は着物が日常にあふれていた時代。
台湾でも着物を日常に着る人の姿は、歴史の一部として写真に残っています。

台湾生活に少し慣れると、「日式」という日本風に台湾らしさをプラスした様々なものが目に入るようになりました。
日本語を話す台湾人も多く、日本の衣食住の文化が今もあちこちにみられます。

そして一番最初にできた台湾人の友人は、着物のレンタル会社を経営している人でした。
次に出逢った台湾人の友人は、茶道と日舞の師範の資格を持つ人でした。
さらに友人の友人ともなれば、弓道・尺八・琴をたしなむなど…日本に住んでいたころより着物を着る文化や伝統芸能が身近になっています。

最近の「着物でお出かけ@台湾」

私は毎日着物で生活しているわけではなく「着たい」時に着物を着ます。

なかでも、意識的に、洋服ではなく着物を選ぶ日があります。それは…

①夫のアーティスト活動のマネージメントや個展などへの参加時
②和服の似合う場所に行く時
③日本文化の発表の会に招かれた時
④着物好きの友人とご一緒する際

など。
つい先日もその機会がありましたので、その時の様子をご紹介します。

①夫のアーティスト活動のマネージメントや個展などへの参加時
 → 夫が主役ではない展覧会の場に顔を出す

ギャラリーにて
蛍の正絹絽の着物に露芝の帯
台北101

6月とはいえ、台湾は気温35度前後。
湿気も多く梅雨も1年に2回ありますので、着物には過酷な環境です。
この日は雨の心配がなかったので正絹を着ることができました。

南国で着物を着ているとよく「暑くないの?」と聞かれますが…
当然暑いですね。この話は次回にでも。

②和服の似合う場所に行く時
 → 今が盛りの紫陽花を見に

紫陽花と私
台湾の紫陽花畑

ゆかたに絽綴れの名古屋帯、足元は裸足に下駄です。

コーディネートの理由から写真を撮るコツなど、この時の様子はYouTube動画にありますのでぜひご覧ください。

着物の後ろ立ち姿
洗える紗の着物に夏塩瀬紫陽花柄の帯

③日本文化の発表の会に招かれた時
④着物好きの友人とご一緒する際
 →呈茶会(裏千家)に着物友達と参加

もはや、この写真だけでは台湾とは思えないですね。

北投文物館
紫陽花柄の帯で

日本と少し季節がズレる海外での着物
生活ですが、着物や帯柄に季節を模す時、日本の美しい四季を思い出します。

着物は平和の象徴

海外に住み、着物を纏う。

これはその国と日本との関係が良好であることが大前提です。

今回のコロナ禍では、2月3月の日本の防疫対策の遅れや感染者数の不透明さが台湾でも話題となり、一時は日本人観光客への警戒が高まり、在台日本人に向けられる目にも厳しさを感じることがありました。

誰もが外出を控えるなか、当然着物を着て外に出るなどもってのほか、日本語を話しているだけでも、ピリピリした緊張感を覚えました。

着物を纏い、外に出る。
日常から着物が消えつつある今、その行為は日本でも世界のどこの国でも、平和で平時でなければできないことなのだと強く感じました。逆に言えば「着物は平和の象徴」なのだと。

今の台湾、気温は36度と猛烈な暑気ですが、マスクをして人と会ったり、旅行に行ったりと、おだやかな日々と日常がそこにあります。

私も台北で、対面少人数制の着付け講座をはじめました。

世界中の人々が安心して暮らす日常で、ずっと着物が楽しめることを、また世界中自由に行き来できるようになることを心から望んでいます。

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