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着物にまつわるルールとは 「WORLD KIMONO SNAPS」 – TAIWAN –

着物にまつわるルールとは 「WORLD KIMONO SNAPS」 – TAIWAN –

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「ルール」は式典などでの装いには必要ですが、礼装ではない普段の着物では、コーディネートの幅や着物を着る楽しさが狭められるようなことを、あたかも「決まり」のように伝えてしまうことには気をつけたいと実感しました。

着物を着始めた頃と今とでは、少しずつ好みが変わってきたように思います。

洋服にも言えますが、たくさん着ることで、敬遠していたものを好きになったり、より自分らしい表現のできる、自分に似合うものがわかってくるのではないでしょうか。

10月の台湾とレースの羽織

雨が降る度に気温が下がり、「すっかり秋めいてきましたね」という一節が使えるうれしい日もあれば、30度を超える日もあり、汗がふきだす日の着物にはあいかわらず頭を悩ませています。

南国暮らしの中での気温の変化には、洋服の夏物は1年中しまうことはなく、下や上に重ね着をすることで対応しています。
一方着物となると、基本的に脱ぎ着はできません。
この時期には夏物ではない単衣着物が快適ですが、気温の高い日は暑さに耐えています(笑)

そして、気温が下がった日に重宝するのがレース羽織です。袷着物では暑すぎますから、軽く羽織れて暑苦しくも寒々しくも見えない質感のレース羽織はちょうど良いアイテムです。

残念なことに普通の羽織は南国では暑すぎて着る機会が訪れてはくれません。

「単衣着物では寒い」と感じるのは10月末か11月に入ってから。そうなれば袷着物が快適に楽しめます。3月あたりまでという短い冬ですから、今から待ち遠しいです。

気温が下がるといっても、10度以下になることは稀です。
ですから、もし袷着物でも寒さを感じた場合には、ストールやファーマフラーで首元をカバーするくらいで十分ですし、着物用コートを着たのは台湾ではたったの1度きり。しかもすぐに脱いで手に持ってしまいました。

羽織のおしゃれが楽しめる日本の気候はやはりうらやましいですね。

羽織といえば「帯付き」という言葉を聞いたことがありますでしょうか?

「帯付き」というのは、羽織などを着ていなくて、帯が丸見えな姿のこと。
私は普段ほとんどがこのスタイルです。

「帯付き姿は、はしたない」と教えるところもあるようですが、それは、その昔、水商売(玄人)の女性達がこのスタイルだったからという理由だそうです。忌憚なく言わせていただければ…時代錯誤的だと思いませんか。
またもうひとつには、呉服屋さんが羽織を購入させる営業文句でもあったようです。

私は、羽織は着ても着なくても良い、という考えです。
ですが羽織には、

・着物や帯を汚さないため「ちりよけ」として
・着付け(帯結び)のアラを隠すため
・羽織が紋付きの場合は羽織ることで装いの格を上げ、逆に、カジュアルな場面に着物の紋を隠すため(この時の羽織は紋なし)

といった役割があります。
ですから、用途と体感に合わせて活用されると良いと思います。

羽織もしかりですが、先日、日本で着付けを学んだ台湾人の先生に師事していた方が、頑なに「紬着物には紬帯」と言い張る場面に遭遇しました。

「染めの着物に織りの帯」もそうですが、それらはルールではなく、コーディネートの参考程度に受け止める内容です。
普段着る着物については、素材感や色柄が合えば何をどう合わせるのも自由。
最初に習う先生の言葉は、かなりのインパクトを持って刷り込まれるということがわかります。

「ルール」は式典などでの装いには必要ですが、礼装ではない普段の着物では、コーディネートの幅や着物を着る楽しさが狭められるようなことを、あたかも「決まり」のように伝えてしまうことには気をつけたいと実感しました。

中秋節という節目

今年の中秋節は10月1日でした。中華圏で中秋節(ちゅうしゅうせつ)は祝日となり、会社によっては4連休。家族が集まる大切な節目の日でした。
日本での「十五夜」にあたる中秋節の丸い月は「団欒」を象徴し、「団欒節」とも呼ばれています。

月の帯

そして台湾の中秋節に欠かせないものが、「月餅(げっぺい)」「文旦(ブンタン)」「バーベキュー」です。バーべキューはどうやら後付けのようですが…

月餅というお菓子には「みんなが集まる(團圓)」という意味があり、果物の文旦はこの時期が収穫全盛期。
月にちなみ、丸いものを食べて家庭円満を願うそうです。
日本ではあまり馴染みがなく、私は十五夜といえば、月見団子くらいしか思い出せませんでした。

でも月は見事で、しばらく眺めていました。

そして今年は、10月にもうひとつ「節」とつく日があります。
旧暦で、今年は10月25日が「重陽の節句」。

こちらは特に華やかな行事ではないそうですが、私は菊柄の着物や帯でのコーディネートを考え中です。
袷着物を着られるくらい気温が下がればいいなぁ、と期待しています。

季節の文様と柄

着物を着始めてから、南国ということもあり、なるべく季節を限定しない色柄を好んで着てきました。
染めのぼかしや織の縞・幾何学模様などは洋服感覚で着れますし、素材以外では季節も選ばず、ほどよくモダンな印象を作れます。

どこに行くにもどんなシーンでも使えますので、初心者に向いていたのかもしれないですね。

手持ちの着物や帯に花柄などが極端に少ないのは、どうしても日本とは季節も花の咲く時期もズレてしまうことや、袷着物を着れる機会が少ないことなどがその理由です。

特に桜・藤・紫陽花などが咲く時期は、台湾をはじめ、南国では1年で1番気温が高くなるため、着たくても袷着物は着るに至らず、数少ないその美しい着物の柄を眺めては、楽しむのみでした。

桜柄の帯と紫陽花柄のアンティーク着物

ところが、茶道のお稽古を始めたせいでしょうか?または年齢的なものなのでしょうか?

最近ではその、限られた時期にしか着れない、季節を感じさせる文様や色柄に強く心が惹かれるようになってきました。

日本への郷愁かもしれませんね。

かれこれ、7年となる日本を離れた海外暮らし。
とはいえ、3か月に一度のペースで日本に行き来していましたし、国外旅行にも出かけていましたので、ここまでひとつの国に留まり続けているのは日本在住時代以来です。

私だけでなく、どなたにおかれましても、今年は特別な1年となりましたね。
覚悟はしていましたが、とうとう年末の帰国の予定も立たないまま、今年が終わりそうです。

台湾の歴史とコロナと圓山ホテル

台湾からお送りしているこのコラム…
日本から近いのに、双方観光客が行き来出来ない状況が続いています。

そこでみなさまには、台湾をさらに知っていただくべく人気のスポットや歴史などもご紹介していこうと思います。

101タワー

台湾・台北のランドマークといえば、「101タワー」と「圓山ホテル」です。

今回は、圓山ホテルを訪れてみました。

今回は、圓山ホテルを訪れてみました。
圓山大飯店のフェイスブックより
出典:圓山大飯店のフェイスブックより

今年4月、世界に先駆けて台湾が「コロナ国内新規感染者ゼロ」を記録した日に、それに尽力した政府や関係者、そして協力し一致団結した国民に敬意と感謝、そのプライドをあらわし、圓山ホテル全体をライトアップしました。

皮肉にもコロナ禍は、その流行の抑え込みに成功したことで、台湾を世界にアピールする絶好の機会となりました。

日本でも、台湾のIT大臣オードリー・タン氏や、ウィルス対策を指揮する衛生福利部長(衛生相)の陳時中氏の活躍がニュースやワイドショーなどを賑わしたのは記憶に新しいところです。

ですが、残念ながら台湾は、国際的には未だに国として認められていません。
恥ずかしながら、私は台湾に来るまで、その歴史を知りませんでした。

壁画前

簡単に歴史をなぞると、中国大陸では清朝の時代から1911年の辛亥革命により、孫文によって「中華民国」が建国されました。台湾はその立地から、中国本土はもとより、オランダやスペインに支配された時代を経て、混沌とした状態が長く続きました。
1895年、日清戦争に勝利した日本の侵略を受けて中華民国の中の台湾は割譲され、日本統治時代はその後50年に及びました。日本語を話す人がいることや他国に比べて日本文化の浸透率が高いのはそういう歴史からです。

それを終わらせたのが、第二次世界大戦でした。日本は降伏し、台湾は中華民国へ復帰しました。

1945年以降、中華民国では孫文の後継者である蒋介石と中国共産党の毛沢東との対立が激しくなり、蒋介石率いる国民党は内戦に敗れ、首都・南京を制圧されその統治の地を台湾へ移したのです。
そして1949年、毛沢東により中華人民共和国が建国され、もともとひとつだった中華民国は中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)とに分断されました。

1971年、中国が国連に復帰し台湾が脱退したことから、台湾は国としてではなく、中国のひとつの地域という国際的な位置づけをされてしまいました。
1988年に、先日故人となった李登輝が総統に就任後、台湾の民主化・近代化は一気に推進され、現在では世界で最も自由な地域のひとつとして、事実上の先進国となっています。

つい先日10月10日には中華民国(台湾)の建国109年目をお祝いする国慶大会が開かれました。

桃園国際空港から台北市街地へ向かう途中、左手山並みの中にそびえる真っ赤な中国宮殿様式の建物。
それが、台北を代表するランドマーク、ザ・グランドホテル(圓山大飯店)です。
誰もが一度は目を奪われるほどの存在感を放っています。

圓山大飯店のフェイスブックより
出典:圓山大飯店のフェイスブックより
階段の天井

この建物は1952年、台湾初代大統領 蒋介石の妻・宋美齢によって建てられました。
創業当時から現在まで、各国元首・使節・政府要人・著名人など2000名以上を招待してきたそうです。

歴史を感じさせる圓山ホテルの本館ロビーには、龍のモチーフがふんだんに使われており、金運や幸福を招く、縁起のよい風水的パワースポットとしても有名です。

圓山ホテルの本館ロビー

知らずに目にするのと、歴史を学んでから訪れるのとでは、受ける印象も変わるものです。
小さな島国台湾の、大きな偉業と発展を更に願いつつ、日本や世界がこの国から学び、協力し、コロナ時代を共に乗り越えられますように。
そしてこのロビーにまた海外からたくさんのお客様が戻ってきますように。

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