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穀雨:温かい春の雨が穀物を潤し、春雨の降る日が増える時期 「二十四節気で楽しむ着物スタイル」(最終回)

穀雨:温かい春の雨が穀物を潤し、春雨の降る日が増える時期 「二十四節気で楽しむ着物スタイル」(最終回)

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さて、今回訪れる節気は「穀雨(こくう)」。二十四節気の六番目「暖かい春の雨が穀物を潤す」という意味で、春雨の降る日が増える時期です。そんな「穀雨」には、恵みの雨をイメージした、アンティーク着物のコーディネートで装いを楽しみます。毎月二度公開しておりました本連載も、一年が巡り今号にて最終回です!

(1) 二十四節気とは

「二十四節気」とは、旧暦(太陰太陽暦)における太陽暦であり、2月4日の「立春」を起点に1年を24等分し約15日ごとの季節に分けたもので、いわゆる「暦の上では…」のもとになっているものです。

どこかで見聞きしているものの、いまひとつなじみがないというあなたにこそ知ってほしい「二十四節気」。

いにしえの知恵「二十四節気」に親しむことで、

□ 季節を感じる感覚が豊かになる
□ 着物コーディネートが上手になる
□ 着物を着る機会が増える

こんなステキな毎日がはじまりますよ。
月2回アップするこちらの連載で「旧暦着物美人」をめざしてみませんか。

(2)「穀雨(こくう)」とは

さて、今回訪れる節気は「穀雨(こくう)」。
二十四節気の六番目、「暖かい春の雨が穀物を潤す」という意味で、春雨の降る日が増える時期です。

実際、春先は長雨が続くことが多いもの。
ちょうど菜の花が咲くことにちなんで「菜種梅雨(なたねづゆ)」と呼びます。
都会でも線路際などに黄色い菜の花が咲くころ。
みなさまも、近くに咲く菜の花を探してみてはいかがでしょうか。

また旧暦では、立春から穀雨までが「春」です。
新暦でいえば立春(2月3日頃)から立夏の前日(5月4日頃・夏の節分)までが「春」となりますね。

そう…春はあと約14日で終わりなのです!
もし「春」にやり残したと思うことがあれば、残り少ない「春」を大切に過ごしてみましょう。
巡りくる季節を味わうことは、日々を楽しむこと。
心の癒し、充実感となりますよ!

そんな「穀雨」には、恵みの雨をイメージしたアンティーク着物のコーディネートで、装いを楽しみます。

(3)「穀雨」のアンティーク着物コーディネート

穀雨のアンティーク着物コーディネート

◎ 着物…錦紗縮緬地 青色 花と蝶文様 小紋(袷)
◎ 帯…縮緬地 蝶文様 染め名古屋帯
◎ 半襟…揚柳地 流水に蝶文様 刺繍半襟
◎ 帯揚げ…縮緬地 菜種色 
◎ 履物…南部烏畳表(なんぶからすたたみおもて)菫文様 鼻緒
◎ 帯留…ミナ・ペルフォネン 蝶文様あくりるブローチ
◎ バッグ…花文様 撫松庵(現代物)

「穀雨」は文字どおり、穀物に降り注ぐ「恵みの雨」。

大地に萌え出た新芽を育てるために、時期にあわせて天が雨をもたらしてくれることにちなんでつけられました。

そこで今回のアンティーク着物コーディネートは、「春の青」のイメージでまとめてみました。

今回は、「春の青」のイメージでまとめてみました。
蝶の帯はアール・ヌーヴォー調の曲線が印象的です。

しっとりとした錦紗縮緬の青は青空か、それも春雨か。

影絵のような蝶と、その触角が花に変化していくような幻想的なデザイン。
数々の美人画で知られる東郷青児が蝶々を描いたら、きっとこんな蝶々になったのではないか…と思せられる、いかにも大正~昭和の、ロマンティックでモダンな雰囲気を伝えています。

帯の蝶は、着物に染められた蝶にパステルで色をのせたような、アール・ヌーヴォー調の曲線が印象的です。
かわいらしい蝶をあえて薄紫・抹茶色などの渋いトーンで描いたところが、大正ロマンの味わいと言えます。

中国では蝶を「ボウ」と読み、80歳を意味する語と同じ発音であるため「長寿」のシンボルとされています。

日本には奈良時代に伝えられた蝶文様は、卵から青虫、毛虫となり、脱皮を重ねて蛹(さなぎ)に、そしてやがて美しい蝶となり舞い上がることから「不死不滅」「立身出世」の吉祥文様として定着しました。

特にメスとオスの蝶が仲睦まじく二匹で舞っている「雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)」は、良縁・夫婦円満を願う文様として女性に好まれるようになりました。
和の婚礼の三々九度の盃にお酒を注ぐ役目のかわいらしい少年・少女や、盃事に使用する銚子につける飾りを「雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)」と呼ぶ起源もここにあります。

中国では蝶は長寿のシンボルとされています。

(4)「穀雨」の小物合わせ

半襟も流水に蝶が刺繍されたものを選んでみました。

着物にも帯にも蝶文様というとことで、半襟も流水に蝶が刺繍されたものを選んでみました。

現代物ではほとんど見かけなくってしまった、縦に凸凹を織り出した「揚柳縮緬」という生地は、胸元に密着せず、袷では汗ばむことのあるこの季節にぴったりな半襟素材です。
生成り色になった生地に、色褪せずに残っていてくれた淡い曙色と金銀の絹糸で刺繍された蝶が襟元にきらめきます。

帯揚には、菜の花色を持ってきてアクセントに。

着物と帯をつなぐ帯揚には、菜の花色を持ってきてアクセントに。

「菜の花色(なのはないろ)」とは、油菜の花色のような明るく鮮やかな黄色のことです。
別に「菜種色(なたねいろ)」とも呼ばれましたが、菜種油の色にちなんだ「菜種油色」も「菜種色」と呼ばれていたため、混乱を避けて「菜の花色」と呼ばれるようになったようです。

色名としては「菜種油色」のほうが古く「菜種色」も当然この色を指していました。

「菜種油色」が江戸中期に流行していたのに対し、「菜の花色」は近代になって登場した新しい色名。古来よりこの系統の色は「苅安」や「黄蘗(きはだ)」と呼ばれていました。

ちなみに、平安装束の合色目と織色目に「花葉色」という色がありますが、その色がこの「菜の花色」のような色目です。
驚くほど鮮やかな黄色ですが、 不思議と悪目立ちせずしっくりくるのは、季節の花の色だから。装いのヒントは常に、季節の色合いのなかに隠されています。

帯留には、ミナ・ペルホネンのアクリル細工のブローチを。

帯留には、ミナ・ペルホネンのアクリル細工のブローチを転用しました。
三分紐に通すと帯締めの色が蝶の羽根から透けて見える様子も…儚さの演出です。

足元は、畳表のなかでも烏表(からすおもて)と呼ばれる台の下駄です。

「畳表」というと和室に使われる畳を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、草履・雪駄における畳表の素材は、イ草ではなく、竹皮を使います。
そして今でこそ女性用の草履は牛革が主流ですが、革素材や芯に使うコルクが普及する前は、草履といえば竹皮を編んだ畳表でした。

留袖や訪問着などには、「茶竹」と呼ばれる白っぽい畳表の台に礼装用の鼻緒を。
小紋や紬などには、竹皮を黒っぽく染めた「烏表」や「茶竹」、またそれを脱色して白くした竹皮を交互に編み込んで横縞を織り出した「淡縞」という草履表を。三枚から八枚以上まで重ねて、おしゃれ用の鼻緒を合わせるのが装いのしきたりでした。

また、編み方や編み目の細かさにも名前があります。
編み目の目が細く詰まって横まっすぐに近い形、そしてカカト部分に丸い「ヘソ」のあるものを「南部表」、それ以外ものを「野崎表」と呼びます。

烏表(からすおもて)と呼ばれる台の下駄。

「南部表」の名前は、昔、南部藩の下級武士が内職仕事として編んでいた雪駄表の出来が良かったことからつけられ、現在では出来の良い表の代名詞としてその名前が残っているとのこと。南部で作られた物(=産地)を指すわけではないようです。

「野崎表」は、「南部表」にくらべて簡単な作りになっているものの総称で、歌舞伎の演目『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり』『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん』などの「野崎村の段」で知られる、野崎観音のある大阪の郊外、ひなびた村の手仕事として作られるイメージでつけられた名称かと思われます。

紫で菫を織り出した織地から仕立てた鼻緒。

畳表の中ではお洒落用にあたる「南部表」の草履には、薄紫で菫(すみれ)を織り出したヨーロッパの織地から仕立てた鼻緒を挿げてみました。

内側と鼻緒の前ツボも淡い菫色の本天(ビロードのこと)でそろえて、水を含んで生き生きとした大地に菫が咲き乱れる風景を作ってみました。

下を見れば薫と菜の花、上を見れば初夏へ向かう桜と舞い飛ぶ蝶々…

♪ 菜の花畑に 入日薄れ 見渡す 山の端 霞深かし ♪

唱歌『朧月夜』が似合うようなメルヘンチックなコーディネートに仕上がりました。

凛とした雰囲気の筥迫

その仕上げは、胸元に忍ばせた赤い筥迫(はこせこ)です。
寒色ばかりだとさみしい感じになってしまうところに、パンチの効いたアクセントカラーを。

筥迫はすっかり七五三の女児のアクセサリーと思われるようになり、大人の和装で見かけることはほぼなくなってしまいましたが、かつては財布や紙入れとともに「懐中物」と呼ばれる、お洒落のしどころの和装小物でした。
江戸時代の大奥や武家の女性が、打掛を着た時に懐中に入れた紙入れの一種を庶民も真似して持つようになった装身具で、鏡やお金・守り札、紅板(口紅)なども入れたりしたよう。ビラ簪(かんざし)や美しい絹糸の房などにも凝って、細工の贅を競い、胸元を飾りました。

「胴締め」といい、筥を締める紐がついていて、その先にぶら下がっているのが匂い袋でもある「落とし巾着」です。
かわいい形なので外に下げたくなりますが、これは帯にはさんで筥迫が落ちないようにする、ストッパーの役割をはたすものでなので、帯の中にしまうのが本来の使い方です。

和の美意識をぎゅっと封じ込めたかのような、こんな凛とした雰囲気の筥迫なら、大人の女性の和装のアクセサリーとしても楽しめそうです。

胸元に忍ばせた赤い筥迫

(5)「穀雨」のモチーフ

空気までもが春色に染まるような穀雨の頃。
歌舞伎では家屋の室内に「蕨(わらび)」文様の暖簾(のれん)がかかると、そこは「田舎の場面」という約束ごと。ちょうど和食の季節のものとして出されることの多くなる四月は、くるりと巻いた頭が大人かわいいい「蕨」モチーフの出番です。

同じく大地に芽吹くものでも、洋風なのが「クローバー」。
和名は「片喰み(かたばみ)」といって、家紋にも使われる日本古来の文様です。

「橘」は日本固有の柑橘類で『古事記』には、不老不死の理想郷である「常世(とこよ)の国」に自生する植物と記されており、つぼみと花・果実が同時になる尊い植物とされ、文様にも花と果実が一緒に描かれます。

「都忘れ」は、野菊の一種ですが、順徳天皇が都を離れるときに庭に咲いていた小さくかわいらしい花を見つけ、「いかにして 契りおけん 白菊を 都忘れと 名づけくるも憂し」という和歌を詠んだことにちなんでその名で呼ばれるようになりました。
「しばしの憩い」や「また会う日まで」という花言葉をイメージしたコーディネートにいかがでしょうか。

「牡丹」は、古くから「百花の王」とも称される花です。
日本では「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はユリの花」と昔から女性の美しさを表現してきました。花の盛りの少し前のこの時期ならば、写実的な牡丹を帯や着物で存分に楽しむことができます。

新しい意匠として大流行し、今もデザインとして和装に用いられます。

「雛罌粟(ひなげし)」は、ポピー(雛罌粟・ひなげし・虞美人草・コクリコ)などの名前を持つ可憐な花です。
夏目漱石が1907年に朝日新聞に小説「虞美人草」を発表、ヒロイン・藤尾をイメージし、紫色にポピーを染め出した「虞美人草浴衣」が三越から売り出されたことから、新しい和装の意匠として大流行し、今も洋花のデザインとして和装に用いられます。

「躑躅(つつじ)」は5月から初夏にかけて華やかに咲き続ける花木で、春から初夏に移り変わる時期を教えてくれる文様です。袷の最後の季節を楽しむ文様として、取り入れてみてはいかがでしょうか。

(6)「穀雨」の着物スタイルをイメージする

心に思い浮かんだイメージをカレンダーや手帳にメモしてみましょう

春雨が煙るように降り続き、樹木の目がその水気を含んで色鮮やかに映える季節。
着物の暦では立夏までは袷を着るのがルールですが、かつては「春袷」といって、表は「麻」、裏は「絹」で仕立てた軽やかな袷が存在しました。

着物を着る機会が減った現代はそこまで季節を限定した着物を持つことは難しいかもしれませんが、仕立ての知恵として、「胴抜き(=袖口・裾回り・袖の振りにだけ裏地をつけて胴裏を省いた仕立て)」はわりと普及しているようです。
袷の着物を着ているように見せながら、着ている方は軽やかなこの仕立て。四月中旬にはとても重宝します。

立夏に解禁となる単衣の季節まで…
体温調整の工夫をしながら、残りわずかな春にどんな着物スタイルで楽しみたいか、心に思い浮かんだイメージを、カレンダーや手帳にメモしてみましょう。

無地や縞・格子の着物に節気のモチーフをひとつ取り入れるだけで、自然と調和した素敵なコーディネートになりますよ。
一年で二十四回、二週間ごとに着物に親しむ、あなただけの「二十四節気の着物スタイル」をお楽しみください。

最終回によせて

一年間ご紹介してきたアンティーク着物コーディネートは、いかがでしたでしょうか。

「温故知新」

かつては十四日ごとに移り変わる小さな季節「二十四節気」にあわせた装いがあったことを知っていただき、新たな着物スタイルのヒントとなりましたら幸甚です。
5月からは、アンティークの半襟に注目した新たな連載がスタートいたします。どうぞこちらもご期待くださいませ!

『旧暦で楽しむ着物スタイル』河出書房新社
 

※写真はさとうめぐみ著『旧暦で楽しむ着物スタイル』(河出書房新社)より。

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