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美しい手の引力 〜小説の中の着物〜 蜂谷涼『雪えくぼ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十三夜

美しい手の引力 〜小説の中の着物〜 蜂谷涼『雪えくぼ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十三夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、蜂谷涼著『雪えくぼ』。じわじわと身を蝕む逃れられない麻薬のような恋を、仕掛ける男と溺れていく女。どちらもが底知れない闇を抱え、頭で、理性でわかっていてもどうにもならないーそれは、“業”としか言いようのないものなのかもしれません。

2023.12.28

まなぶ

徒花は咲き誇り、我が道をゆく 〜小説の中の着物〜 山崎豊子『ぼんち』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十二夜

今宵の一冊
『雪えくぼ』

蜂谷涼『雪えくぼ』新潮文庫

 丑之助の楽屋で、初めて千吉に会ったときに受けた感じは、やはり間違ってはいなかった。千吉の持つ華は、桜にたとえられるそれでもなければ、まして牡丹や芍薬の派手やかさではない。北風にさらされ、身をこわばらせながら花芯を守る、抱え咲きの白梅だ。その心象は、五日に一度は観る舞台でも、こうして寝床で見ても変わらない。
「なに見てんだよ」
千吉が瞼を閉じたまま、ふいに言った。
 ぎくりとしたものの、すずは「別に」とぶっきらぼうに返す。
「嘘をかすな。さっきから、うっとり俺に見入ってたじゃねえか」
「好い気なものだわ」
「でなけりゃ、こんな商売やってられんないぜ」
 千吉は、にたりと笑って、枕もとの懐中時計に目を投げた。
「いけねえ。そろそろ時間だ」
 飛び起きた千吉が、そそくさと着物に袖を通す。褄の下前に相良縫の小さな鈴を忍ばせた、羽二重地に手描きの縞小紋は、すずがひそかに贈ったものだ。

蜂谷涼『雪えくぼ』新潮文庫

今宵の一冊は、蜂谷涼著『雪えくぼ』。

時代は明治後期、日清(明治27年)日露(明治37年)戦争前後。

第1話「かわうそ二匹」の主人公は、北海道の小さな港町五勝手の診療所で女医として奮闘するいち子。流れものの年下の男との関係を、ずるずると断ち切れないでいるうちに……

第2話「藤かずら」の舞台は会津。嫁して間もないうちに日露戦争において夫を亡くした後、婚家で因習と理不尽な思惑に取り巻かれ息苦しい日々に耐えるりつと、そこに訪れた戦死した夫の戦友を名乗る男。

そして抜粋した冒頭部分は、第3話「抱え咲き」より。

東京木挽町に店を構える老舗呉服屋の養女となり、義父母から惜しみない愛情を注がれ裕福な暮らしを送りながらも心に闇を抱えるすずは、すんなりと長くしなやかな手を持つ歌舞伎役者の千吉に溺れていく。美しく驕慢で、そして哀しいほど愚かなすずの姿が描かれます。

最後の第4話「名残闇」で語られるのは、かつては東京で左褄を取り、現在は小樽で居酒屋を営むお六の、いつまでも瘡蓋が塞がらず血を流し続けているような、その仄暗い胸のうち……

※左褄を取る……芸者勤めをする。歩く際に左手で褄をとることから

この4編からなる連作小説『雪えくぼ』は、その構成上あまり詳しく内容を語ることができないのですが、ただひとつ言えるのは、どこか可愛らしい響きのこのタイトルをあっさりと裏切る、誰しもが抱える底知れない闇を抉り出すような作品であるということ。

頭で、理性でわかっていても、どうにもならない。

それは、“業”としか言いようのないものなのかもしれません。

2022.11.03

よみもの

筆一本で魅せる線のぬくもり 「古谷尚子がみつけた素敵なもの」vol.11

今宵の一冊より
〜鈴と白梅〜

作中ですずが千吉に贈った着物のように、恋をすると、人は誰しもどこかに自分の証を刻み付けたくなるのでしょうか。

指輪やアクセサリーに刻むイニシャルやメッセージ、タトゥーなど、さりげなくであれあからさまであれ、形も方法もさまざまあれど、それは、洋の東西も時代も問わず変わることのない欲求なのかもしれません。

牡丹雪を思わせるような、大小の丸紋が織り出された大島紬。
八掛には、泥染め特有の深い黒茶色に白が映える鈴の小紋柄が付けられています。

すずが千吉に贈ったような、縞の小紋を羽織にして。

モノトーンの組み合わせに漂う早春の気配。

小物:スタイリスト私物

散らつく雪に、少し歪な墨描きの梅。大胆でしなやか、わずかの毒を含んだその癖のある存在感には妙に惹きつけられる魅力があり、どこか千吉のイメージに重なります。

梅と鶯が彫り込まれたアンティークの帯留には、鶯色の三分紐を添えて。
羽織の鶯色とも響き合い、モノトーンの組み合わせに漂う早春の気配。

牛首紬は紬地でもさらりとしているので、小紋や洒落味の強い付下げや軽めの訪問着など、染めの着物にも合わせやすくこの時期に活躍してくれそうです。

2021.08.19

よみもの

千差万別、縞の魅力を味わう。 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.9

小抽斗こひきだし
〜帯留収納〜

 螺鈿で小菊を表した蒔絵の櫛にしようか、それとも、芝山細工で薄紅色の牡丹を浮き上がらせた黒鼈甲の帯留にしようか。さんざん迷った挙句に、すずは帯留を袱紗に包んだ。
  小抽斗こひきだし の中の小物は、近頃めっきり減っている。隙間の多さは、千吉との逢瀬の数を物語っていた。
 白梅を思わせるひとの姉さんに挨拶するなら、やはりこれ。
 今度は迷わずに、銀細工の梅の簪を髪に挿した。鏡に映る自分が、まばゆいばかりに輝いていた。

蜂谷涼『雪えくぼ』新潮文庫

芝山細工とは、芝山象嵌とも呼ばれ、象牙や紫檀、鼈甲など様々な素材に浮き彫りを施し、螺鈿や珊瑚などの素材を象嵌したもの。蒔絵なども施され、華やかで手の込んだ工芸品です。池田重子コレクションなどで、ご覧になったことのある方も多いでしょう。

江戸後期に考案されて以来、帯留や簪などの小物のみならず、衝立や文箱などの調度品なども作られ、幕末、明治期を中心に海外にもさかんに輸出されましたが、現代では手がけられる作家さんもかなり少なくなってしまいました。

老舗呉服店「鶴丸屋」の跡取り娘として、養女に迎えられたすず。

作中のそこかしこにちりばめられた、こういったその裕福な暮らしぶりを示す衣裳や小物の描写。義父母からの愛情の証でもある贅沢な品々と、それらを大した罪悪感も抱かず千吉に渡すための金に変えてしまう、恋に目が眩み浮かれるすずの姿。程度の差こそあれ、誰だって若気の至りの1つや2つ身に覚えがあることと思いますが、その気持ちも理解できるだけに胸が痛みます。

じわじわと身を蝕む、麻薬のような“恋”に絡め取られていく、それはすずが胸の内に抱える闇の深さとも比例するだけに、何とも言えない気持ちに苛まれるシーン。

寄木細工のアンティークの小引出し。

寄木細工のアンティークの小引出し

すずの豪華な引き出しやその中身には及びもつきませんが、私が帯留の収納に使用しているのは、こちら。

15、6年前だったでしょうか、帯留のより良い収納方法は……と考えていたときに見つけた寄木細工のアンティークの小引出し。もともとはレコードの収納用に作られたものですので引出しが3㎝ほどと浅く、これが帯留にちょうど良くて。

こまこまと際限なく増えていくであろうことが容易に想像できたので、あえて中は仕切らずフェルトを敷き、並べて収納しています。

引出しが13杯あるので、それぞれ素材別に分けられ、見やすく取り出しやすい。しっかりした作りのコンパクトな大きさで状態も良く、私にとっては最適解と言える出会いでした。

2022.04.27

よみもの

帯留めは、くちほどにモノを言い… 「古谷尚子がみつけた素敵なもの」vol.6

2021.12.11

インタビュー

“グルーピング”がキーポイント 「ご自宅訪問!みずのの着物収納」vol.2

季節のコーディネート
〜襲の色目/雪の下〜

冬のかさね(襲)の色目のひとつ「雪の下」。

雪に覆われた真っ白な世界で、寒中に耐え百花に先駆けて開く梅の花。まさに、その生命力を写し取ったような配色です。

長崎盛輝著『新版 かさねの色目ー平安の配色美ー』青幻舎

長崎盛輝著『新版 かさねの色目ー平安の配色美ー』青幻舎

雅やかで風情ある名称ばかりの『かさね(襲)の色目』ですが、中でもこの「雪の下」は、特にその季節ならではの風景を強く感じさせる絶妙なネーミングと言えますね。

表裏の組み合わせ「かさねの色目」で言えば、表が白、裏が紅梅。

装束の名称である「襲の色目」なら、青(鮮やかなグリーン)の単衣に、ごく淡い紅梅色、淡紅梅、紅梅、白、白と重ねる五衣。

どちらも同じ「雪の下」と呼ばれる組み合わせですが、ここでは『襲の色目』にちなんだ組み合わせに。

ごく細い縞が織り出された無地感覚の結城紬に、繊細な色遣いが印象的な塩沢紬の八寸帯。

真綿ならではのほっこりとした質感に、胸元にはふっくらと温かみを添える縮緬の帯揚げを添えて。

目に鮮やかな青は、撚り房で小さくアクセントに。草履の鼻緒や、簪、バッグなどで散らしたり、羽織もので色を添えてもきっと素敵でしょうね。

ここでは「雪の下」の配色をイメージしましたが、もう少し季節が進んだら、次は桃や桜のイメージで。

無地感覚ながら、帯には多彩な色が織り込まれているので小物合わせもしやすく、少しずつアレンジしながら長く楽しめそうな組み合わせです。

2022.06.24

まなぶ

ダイナミックな平安ファッション 「のんびり楽しむイラスト服飾史」vol.3

袖口に、そっと梅の花をのぞかせて。

手元は意外と目につくところ。
案外、主役はここなのかもしれません。

本作において何よりも印象に残るのが、繰り返し描写される手の美しさ。

単に向かい合って話している間だけでも、意外と相手の手の動きというのは無意識のうちに目に入っており、その相手の印象を確定する大きな要素となっているもの。

しなやかで美しい手の動きには目を奪われ、囚われ、惹き込まれていく。

和洋を問わず演技や舞踊においてはもちろんのこと、見せる(魅せる)べきパフォーマンスと呼ばれるすべてにおいて(例えば歌手や、フィギュアスケートや体操といったスポーツにおける演技なども含め)手の所作はとても重要で、それが全体の美しさを決定づける最大の要素と言っても過言ではない気がします(身体の動きがどれほど綺麗でも、指先が疎かであれば美しくは見えないから)。

そしてそれは、茶道や武道といった“型”のある動きにおいても同じことが言えますし、華道や書道など、“型”という厳密なものではないけれども手を使って行う動作、また、細工物や工芸品の制作、染織、仕立て、料理、着付け、結髪や化粧(ヘアメイク)といった、手を使う技術全般においても通じるものがあります。

何かに秀でた人の手の動きは、大抵の場合無駄なく美しく、他者の目を惹きつける力を持っている。

通常であればただ見惚れるだけで済むけれど、そんな美しい手を持った千吉のような男が目の前に現れてしまったら……。その魔力と言っても良い力に引き摺り込まれてしまうのも、わからなくもないなと思ってしまいました。

今宵のもう一冊
『蛍火』

今宵のもう一冊は、同著者の『蛍火』。

『雪えくぼ』とほぼ同じ時代、明治の終わりから大正時代にかけての小樽を舞台に、染み抜きを生業として生きる主人公のつると、彼女を取り巻く、それぞれの傷や痛みを抱えた人々の物語です。

蜂谷涼『蛍火』文春文庫

「新しい草履なものだから、鼻緒が擦れちゃって」
 ハツノが悪いほうの左足を少し前に出した。
「ちょっと待ってて」
つるは、懐から出したちり紙を手に、腰を屈めた。畳んだちり紙をハツノの足袋と草履の鼻緒の間に挟んでやる。
「どう、これで少しは痛くない」
「ええ。大丈夫みたい。調子に乗るからよね」
 ハツノは小菊が散った羽織の裾をちょっと持ち上げた。
 今日のハツノは、飛び矢絣の銘仙に柄羽織。つるはつるで、万筋の銘仙に更紗柄ふうの絵羽羽織と、二人していつになく着飾っている。

〜中略〜

 久々にきちんと化粧をし、質素な着物なりにも装えば、浮き立つような気分が足の裏から這い上がってくる。ハツノも似たようなものとみえて、二人は、ずいぶん早くに長屋を出て、住吉座にせかせかと足を運んでいるところだった。
「ゆっくり行きましょうよ。まだ、時間はたっぷりあるんだから」

蜂谷涼『蛍火』文春文庫

現代から見ると“レトロ”な雰囲気……と言いたくなりますが、作中の時代で考えると、まさにリアルクローズ。ハツノが着ていたのも、大きめの柄が織り出された、こんな雰囲気の銘仙だったのではないかと思います。

カラフルな3色の縞に大きな矢羽柄が織り出された久留米絣に、小菊と梅の帯、そして更紗文様が織り出された御召の羽織を合わせたら、ハツノとつるの装いをミックスしたようなイメージのコーディネートに。

足元はカジュアルに下駄でも良いし、ぽってりとした小判型の草履も似合います。

実際にはティッシュを挟んだくらいでは対処できないので、鼻緒ずれを防ぐためには、まずはあたりの良い太めの鼻緒を選び、新しい履物を下ろすときは室内で少し歩いて慣らしておいたり、寒さ対策も兼ねて裏がネルの足袋などを履いたりしておくと良いかと。

普段はなかなか出番のない絞りの帯揚げは投入のチャンス

箪笥に眠っていて、普段はなかなか出番のない絞りの帯揚げ。お手元にお持ちの方も多いのではないでしょうか。

祖母や母の箪笥で発見したレトロ感強めの帯などには、すっきりした現代の帯揚げを合わせた方が……と言われることも多い(私もそうおすすめします)ですが、“レトロ”を楽しむこういったコーディネートにこそ、投入のチャンス。よりいっそう、その雰囲気が高まります。

柄と柄のコーディネート、がちゃがちゃしているようで意外とまとまっているのは、小物(半衿、羽織、帯揚げ、羽織紐、三分紐)に共通させた色(ここでは濃紫系)の効果。

これらがまったくの同じ色で、しかも無地だったりするとちょっとつまらなくなってしまうのですが、それぞれに柄やアクセント、素材感があり、分量や濃度を調整しつつリンクさせると、その時代の空気感を漂わせつつ品良くおしゃれな雰囲気に仕上がります。

この羽織を、すっきりとした無地感覚の装いにプラスすると、ぐっとモダンなイメージに。

帯と響き合い、羽織の織柄のピンクが際立って目に映ります。

同じ羽織でも、組み合わせによってまったく違う表情を見せてくれますね。

染み抜きを生業とするつるのもとには、さまざまな要因によりできた染みが持ち込まれます。物語の冒頭で、あちこちで「手に負えない、諦めろ」と断られた挙句、最後の頼みの綱という状態でやってきたのは、黒紅梅と呼ばれるごく暗い紫色の綸子地に伸びやかな御所解模様が染められ、ところどころに箔や刺繍が施された豪華な東京友禅。そこに盛大に散った墨や絵の具、無理に染み抜きすれば地色も抜けてしまう、さてどうすれば……

知恵を絞り、持てる技術を駆使して必死に立ち向かうつると、その際の厳しくも温かいお師匠さまの姿には胸を打たれるものがありました。

このエピソードを読んだ際に、思い出したこと。

日常に着物を着ていれば、どうにもならないシミや汚れを付けてしまうことはやはりあります。

とある会食の席で、真正面に座っていた方が、ビールを結構な勢いで私に向けて倒してしまったことがありました。それほど広いテーブルでなく、しかもちょうど羽織を脱いで軽く畳みながら膝に抱えたタイミングだったため、乾杯前でなみなみと入っていたグラス満杯のビールをほぼすべて羽織で受け止めることに(おかげで着物にはほぼ被害がなかったのが不幸中の幸いでしたが……)。ビールのアルコール?発泡?部分の作用が、たまたまその羽織の地色を染めてあった墨黒の染料と相性が悪かったようで、あちこち色が抜けてむらになってしまい、羽織は修復不可能(というか、ゼロから作った方がよほど安く済むというくらい費用がかかるというので修復は諦めました)。

刺繍をオーダーして作ったお気に入りの羽織だったのでかなり涙目でしたが、起きてしまったことは仕方ない。とりあえず洗い張りだけはして、とっておいた生地を、数年後に状態の良いところだけ利用して舞台衣裳の一部に使ったり自作の書作品の額装に使ったりしたので、まぁ何とか活かしきれたかな……?と。なんとなく気が済みました。

ここまでの大惨事だと、もうどうにも手の打ち用がないのですが、例えば食事の席などで着物に液体をこぼしてしまった場合、慌ててごしごしこするのだけは絶対にやめましょう。生地を傷めたり、汚れを奥に染み込ませることになってしまいます。その場ではティッシュやナプキンなどで、範囲を広げないように水分を吸い取るだけにとどめ、なるべく早く専門家の手に委ねるのが得策です。

2023.09.18

よみもの

【Q9】食事中にきものを汚してしまったら? 「いまさんの着物お悩み相談室」

季節のコーディネート
〜節分〜

まもなく迎える2月3日、節分の日。

平安時代の宮中行事のひとつ、太陰暦の立春の前日である大晦日に行われていた『 追儺ついな 』(陰陽師の祈祷によって鬼や災厄を祓い、一年の無病息災を祈る行事)に由来すると言われます。

澄んだ音が邪気を祓い、福を招くとされる鈴。

神様に呼びかけるため神社で鳴らしたり、簪などの装身具や子どもの履物などに付けたり。また、意匠として子どもの着物や背守りなどにもよく用いられます。

そんな鈴の柄を“内”側に付けた先程の大島に、大津絵の『鬼の太鼓釣り』が織り出された帯を合わせて節分のコーディネートに。

相良刺繍で霞があしらわれた半衿に、帯留には彫金の雲を添え、まるで芝居の 書割かきわり のように背景をお膳立て。

帯揚げの霰は雪のイメージ? それとも“豆”ということにしましょうか。

胸元にも古代文字の「福」の一字が書かれた扇子を忍ばせて。

小物:スタイリスト私物

「福は内」ということで、胸元にも古代文字の「福」の一字が書かれた扇子を忍ばせて。

ちなみにこの「福」という字は、神に捧げる祭壇に酒樽を置いた形から生まれたもの。

2020.11.09

まなぶ

京都・京菓子司 亀屋良長『宮参り』 鈴の音に祝意を込める 「和菓子のデザインから」vol.1

今回ご紹介した『雪えくぼ』は、普段はなるべく目を背けている、自らも内包する醜い部分や弱さ、どこか後ろ暗いような罪悪感……そういった諸々を剥き出しにして眼前に突きつけてくるような物語。

爽やかな読後感とは言い難いですし(かと言って読後感が良くないというわけでもなく。表現の難しい複雑な感覚)、めっちゃ面白いからぜひ!と軽々しく誰にでもお勧めできるような感じでもない(笑)。合う合わないのある、かなり好き嫌いの分かれる作品かもしれません(ついでにもうひとつ注意喚起しておくと、少々痛い描写や凄惨なシーンも登場するので、苦手な方はご注意を)。

最後のコーディネートでご紹介した“大津絵”は、江戸時代に人気を博した風刺画。素朴で愛嬌のある一見のどかな画風に、さまざまな人間の愚かさや滑稽さがちくりと鋭く表現されていて何とも言えない味わいがあります。

商売道具の大事な太鼓をうっかり落としてしまい、慌てて吊り上げようとする鬼(雷さま)を描いたこの『鬼の太鼓釣り』の絵は、『大津絵十種』と呼ばれる代表的な題材のひとつでもあり、「どんな名人にも失敗はある」という戒めの意が込められています。後には、雷避けのお札にもなりました(『大津絵十種』は、それぞれ異なる効能を謳い護符として販売されたそう)。

どうせ鬼を内に抱えるならば、こんな可愛げのある鬼が良いなと思います。それなら、節分だからって躍起になって退治する必要もないですし。

福も鬼も、どちらも懐に抱えて、ゆるゆると宥めながら生きていきたいものです。

さて次回、第三十四夜は…

嫁入りに、送る衣裳に、人生の節目節目で自ら織った白羽二重を纏う一
白絹の里で生きる女性の物語。

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