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女たちは、それぞれの生を生きた 〜小説の中の着物〜 松井今朝子『円朝の女』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十四夜

女たちは、それぞれの生を生きた 〜小説の中の着物〜 松井今朝子『円朝の女』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十四夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、松井今朝子著『円朝の女』。幕末から明治にかけての激動の時代を生きた、不世出の噺家三遊亭円朝を愛した5人の女たち。ひとは皆、それぞれの痛みを抱えて生きている。

2023.03.29

まなぶ

蒐集という甘い毒 〜小説の中の着物〜 芝木好子『光琳の櫛』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十三夜

今宵の一冊
『円朝の女』

松井今朝子『円朝の女』文春文庫

松井今朝子『円朝の女』文春文庫

 お里さんは当時すでに流行っていた西洋の白い日傘をさして橋の袂にあらわれました。茶屋辻の晴れ着を身にまとい、白い傘の下から覗いた顔はいつもよりも一段ときれいに輝いております。恋人と連れだってその生き人形を見に行くという女の晴れがましさは格別だろうと想像はつく。人は気持ちが昂ぶれば昂ぶるほど落ち込みようも激しいが、お里さんはもともとその手の浮き沈みが大きいひとだ。
 円朝が一向にあらわれず、きれいに化粧した顔にじわじわと汗が噴きだして筋を描くようになると、案のじょう焦れだします。
「いくらなんでも遅いじゃないか。ああ、もう帰っちゃおうかしら」

〜中略〜

生き人形の前に佇んだお里さんが日傘を閉じると、茶屋辻の総模様があらわれる。白く晒した麻に川の流れや水車小屋を藍で細かに手描きした、そりゃみごとな衣裳で、気の入れようがわかるだけに可哀想だった。

松井今朝子『円朝の女』文春文庫

今宵の一冊は、松井今朝子著『円朝の女』。

不世出の名噺家であり、“近代落語の祖”とされる三遊亭円(圓)朝。その生涯に深く関わった、幕末から明治にかけての激動の時代を生きた5人の女を描いた物語です。

まるで実際に噺を聞いているかのような気分になる、無理のない語り口によるさりげなく濃密な描写は、京都・祇園に生まれ、歌舞伎の脚本や演出に長らく関わっていた著者ならでは。

当代一の噺家として名を馳せ、庶民のみならず上流階級にも多くの贔屓を持ち、時代の要人たちとの関わりも深かった円朝の、その前半生は幕末。

若き日の円朝が武家屋敷に出入りし、たったひとりのお殿さまやお嬢さまを前にその話芸を披露するさまや、まだまだ活気があって敷居の高かった吉原の風習などの描写(馴染みとなった男に他の女が用意した着物を着させるなど沽券に関わると、履物から何からすべてまるっと用意して着替えさせるといった花魁と芸者の達引きなど)。

そして後半生。明治の世となり、その名を極めさまざまな政財界の要人との付き合いの中、開かれた鹿鳴館での舞踏会の様子。その後の日清戦争へ向かう世相、煽り立てる新聞とそれを疑いもなく信じた庶民、知らされなかった戦争の現実。養女の嫁入りの際に用意した、その頃流行り始めたという黒の裾模様の婚礼衣裳…

そんな興味深いエピソードの数々が、ちゃきちゃきの江戸言葉で事細かに語られ、本作中の言葉を借りれば“猫の目のようにくるくると”目まぐるしく変わっていった世の中の記録映像を観ているような、そんな感覚すら覚えます。

円朝の元弟子であり、のちに“五厘”(付き人、番頭)を勤めた男・円八のひとり語りによって描かれる5人の女の人生は、誰ひとりとして、何の瑕瑾(かきん)もなく幸せ…とはとても言えない、それぞれがそれぞれの痛みを抱えたものでした。

そしてそれによって自然と浮き彫りになるのは、その功績の偉大さゆえに“大円朝”とも呼ばれる円朝の、その響きからイメージする偉大なる名人といった印象とはかなり違う、人間らしく、弱さも情けないところもある素のままの姿。

巻末に収められた、著者と春風亭小朝さんとの対談の中の、

「円朝師匠は、たぶん落語以外のことはどうでもよかったんでしょう」

という小朝さんの言葉が、すとんと腑に落ちました。

どの分野においても、もちろん稀有な才能があることが大前提ではあるのですが、その“何か”以外への余計な執着を持たず、唯ひとつのことに全精力を傾け、揺るぎなく努力し続けられる人を“天才”と呼ぶのだと思います。

それ故にいろいろ不器用だったり人付き合いが上手くなかったりもするけれど、だからこそ魅力的で、人は惹きつけられる。そんな気がするのです。

今宵の一冊より
〜茶屋辻/皐月〜

四季折々の、水辺の風景が細やかに描かれた茶屋辻文様。

“茶屋辻”という名称は、元禄時代、友禅染めが発明される以前に当時の呉服商、茶屋四郎次郎により発案されたと言われる「茶屋染め(防染の技法を用いて主に藍の濃淡で細かな模様を染めた)」に由来します。

そして“辻”は、夏の衣類として着用された麻の帷子(単衣の着物)を指し、主に中流以上の武家の子女が着用しました。

従って、冒頭でご紹介したお里の装いが、まさに本来の“茶屋辻”の姿。

もとは「茶屋染めの麻の帷子」という “モノ”自体を指す名称であった“茶屋辻”ですが、麻だけでなく絹にも染められるようになり、現代では文様の名称として使われています。

実家の箪笥をのぞいてみたらそれらしきものが大抵一枚はあるような、なんとなく古くさい…と敬遠されがちな柄(確かにそういう印象になってしまうものも多いのは事実)ですが、本来の茶屋辻に近い色遣いを抑えたワントーンのものなら、クラシカルで落ち着いた中に適度な華やぎもあり、素材や仕立て方によって季節を問わず着用できますし、帯合わせによっては茶席などのセミフォーマルな場や遊びのシーンにも対応できる、意外と活用範囲の広い文様ではないかと思います。

あらためてその存在を見直し、新鮮な表情を引き出すコーディネートを試してみる価値アリかもしれません。

しなやかなぜんまい紬に、墨で描かれた茶屋辻の単衣。

現代ではもう初夏と言っても良い4月半ばあたりから、先取りの単衣として活躍してくれそうな一枚です。

クラシカルで優美な印象のパゴダシルエットの日傘を片手に、街歩きや観劇に。

ベージュ系のワントーンのコーディネートなので、小物の色遣いや日傘の素材感、シルエットなどで着姿にアクセントを。

涼やかな水辺の風景を描いた茶屋辻文様に大胆な八橋が描かれた染め帯を合わせたら、そのなかのひとつの季節をクローズアップしたようなドラマティックなコーディネートに。

あえて花を描かず八橋のみという潔さが新鮮で、物語を感じさせる後ろ姿です。

八ッ橋とくれば、杜若。

※小物はスタイリスト私物

八橋とくれば、燕子花(かきつばた)。

帯揚げには燕子花の花と葉の色を。そして、花と花芯部分を思わせる鮮やかな紫〜クリームの帯締めを添えて。

茶屋辻の中に小さく描かれた燕子花だけが鮮やかに色づくような、そんな小物遣い。

今宵の一冊より
〜茶屋辻/長月・神無月〜

茶屋辻には四季折々の草花が描かれているので、季節を限定せず秋の単衣としても。

現代の気温では、9月半ば過ぎまではまだまだ夏物の出番の方が多くなりがち。透け感のない単衣が活躍するのは、9月後半〜10月くらいになりそうです。

もちろん気温や個人の体感によっては、もっと長く、11月に入ってからも単衣を着用する場合もあるでしょう。

この春先、3月半ばにはもう20度を越える日があり、早々に単衣に手を通しました…

現代では、単衣の時期は相当長いです。

ほわほわと秋風に揺れる狗尾草(エノコログサ)。

そんな長閑な趣きの染め帯に秋色の小物を添えれば、描かれた風景もすっかり初秋の気配に。

秋の一夜を思わせるシックな墨色に、月光に照らされたような狗尾草。

9月の「十五夜」に10月の「十三夜(後の月)」、お月見のイメージでも楽しめそう。

やはりここは栗の帯留でしょうか。

※小物はスタイリスト私物

秋の実りを寿ぐようなアンティークの箕と雀踊りの帯留で、帯周りにささやかな物語を。

別名“栗名月”とも呼ばれる「十三夜」なら、やはりここは栗の帯留でしょうか。

それぞれの生を生きる

 向こうから歩いてくるご婦人にふと目が行ったのは、かなり大きめの洋傘が一瞬宙に浮いて見えたからだといいます。よく見れば、後ろから手を伸ばして傘を差しかける女中の姿がある。ご婦人が胸をそらして周囲を見まわしながらゆるゆると足を進めるさまは実に堂々として、まるで花魁道中を見るようだと思いながら互いにどんどんと近づいたら、ハハハ、そう見えたのは無理もないとわかったわけで。
 長門太夫、いや、そのときはもうそうは呼べない、一応は堅気ななりをした素人でしたが、黒い絽の着物に博多帯をゆったりと巻いて、水浅葱の半襟と紅色の帯揚げをちらりと覗かせた出で立ちは、やっぱりそんじょそこらの女とはずいぶんちがって粋なもんだ。顔は相変わらず白くてつるんとして、目鼻立ちの美しさも飛びきりだから、すれちがう男どもはつい足を止め、振り返ってしまいます。

〜中略〜

 片や長門太夫は涼しい顔で扇子を使ってました。扇を持つ手は相変わらずきれいで、水仕事をしない手でした。白魚のような指にはでかい紅玉の指輪がはめられています。珊瑚なんかじゃない、血の色をした本物のルビイというやつで、羽振りの良さが窺えます。

松井今朝子『円朝の女』文春文庫

若き日の円朝と縁のあった、長門太夫との再会のシーンです。

かつては吉原でお職を張り、現在は銀座で指折りの唐物屋(洋品店)の主人に落籍されて何不自由なく贅沢な暮らしをしている長門太夫ですが、思い出話が進むにつれ滲み出す、彼女が心の奥底に抱えるやるせなく深い哀しみ…

それを象徴するのが、真紅の小物。

紅玉の指輪から一瞬パッと鮮血が吹きだすように見えたのは、長門太夫の口調が驚くほど激しかったせいかもしれない。黒い絽の着物と白い帯の間にちらつく真紅の帯揚げが、腹に脈打つ生々しい女の血潮を感じさせました。

松井今朝子『円朝の女』文春文庫

心のうちはともかく、表面上は何不自由なく幸せな身の上に思える長門太夫に対し、裕福な武家の娘で、日傘を手に茶屋辻の着物を纏っていたお里は、次に再会したときには“露草色の単衣に、鵜飼舟の篝火を描いた染め帯を柳に締めた”ひと目でわかる芸者姿でした。

そして、さらに数年ののち…“珊瑚珠の簪をさした結兵庫の髷に、赤い襦袢へ紫の繻子襟を重ねた裲襠(しかけ)”という花魁の姿に。

かつて関わりのあった相手と再会するならば、別れた時より良い状態で(せめて見た目だけでも)幸せそうな姿で会いたい、落魄れた姿はなるべくなら見せたくないと願うのはいつの世であろうとも誰しも同じだと思うのですが、この時代においては、見た目や装いで一瞬にしてその時々の身の上が悟られてしまう。それはとても切なく、シビアな世界。

それまでの価値観が一変した明治維新を境に―武家社会においては特に―こういう運命を辿った女性は多かったと思われます。

ただ現代の私たちから見て、そういう境遇にあった女性たちの皆が皆不幸であったと思うのは、少し傲慢な見方であるような気がします。

どの時代においても、ひとは皆それぞれがそれぞれの痛みを抱えながら(時には血を流し、もしかしたら心のうちに癒えぬ傷を抱え血を流し続けながらも)懸命に生き、その生を全うしたのではないかと思うから。

この小説に描かれた、激動の時代を円朝とともに生きた5人の女たちも同じく。

その最後の女は、娘分として円朝を最期まで大切に看取った「せつ」でした。
彼女もまた時代の波に翻弄され辛い思いをしますが、いっときは栄華を極めながらも芸人としての矜持を失わずその意地を立て通し、それ故に悠々自適とはいかない不遇の晩年を過ごした円朝の傍らに最期まで寄り添ったその存在に、どこか救われる思いがします。

季節のコーディネート
〜紺と白と赤〜

藍のグラデーションがモダンな鰹縞にも思える、縞の博多帯が主役のコーディネート。

深みのある綺麗な青藍の地色に浮かぶ小さな白の水玉は、ボタン絞りと呼ばれる技法によるもの。カジュアルな印象ながら、適度な艶のある市松状の縞の地紋と絞り染めならではのニュアンスのあるドットが、平坦ではない奥行きと上質感を感じさせます。

海の青に水飛沫、そして鰹縞。

初夏の陽射しに映える、爽やかな夏単衣の着こなし。

銀鼠×水色の紋紗の帯揚げに鮮やかな瑠璃色のガラスの帯留と、同系色のグラデーションでまとめた中に天紅の扇子でぽつりと赤を。

白地に紺(あるいは紺地に白)。真紅の帯揚げや赤い蛇の目傘。

そんなふうに、紺・白・赤といえば、とてもクラシカルで日本的な美しさを醸し出す配色なのですが、このコーディネートにおいては、どちらかというと“トリコロールカラー”といった方が似合いそう。

フレンチマリンスタイル、といったところでしょうか。

本作中の長門大夫の装いにおける真紅がもたらす印象とは正反対の、からりと爽やかな赤のアクセント。

今宵のもう一冊
『つゆのあとさき』

永井荷風『つゆのあとさき』岩波文庫

永井荷風『つゆのあとさき』岩波文庫

 初夏の日かげは真直まつすぐに門内なる栗やおうちこずえに照渡っているので、垣外の路に横たわる若葉の影もまだ短く縮んでいて、にわとりの声のみ勇ましくあちこちに聞える真昼時。じみな焦茶こげちやの日傘をつぼめて、年の頃は三十近い奥様らしい品のいい婦人が門の戸を明けて内に這入はいった。髪は無造作に首筋へ落ちかかるように結び、井の字がすり金紗きんしやあわせに、黒一ツ紋の夏羽織。白い肩掛を引掛ひつかけたせいのすらりとした痩立やせだちの姿は、うなじの長い目鼻立のあざやかな色白の細面ほそおもて相俟あいまって、いかにもさびし気に沈着おちついた様子である。携えていた風呂敷包ふろしきづつみを持替えて、門の戸をしめると、日の照りつけた路端みちばたとはちがって、しずかな夏樹の蔭から流れてくる薇風そよかぜに、婦人は吹き乱されるおくれ毛をでながら、しばしあたりを見廻した。

永井荷風『つゆのあとさき』岩波文庫

今宵のもう一冊は、永井荷風著『つゆのあとさき』。

舞台は昭和初期、主人公は銀座のカフェーの女給である君江。彼女を取り巻く男たちとの、奔放で浅薄な関係を描いた物語です。

この“三十近い奥様らしい品のいい婦人”は、もちろん君江ではなく、君江のパトロンのひとりである作家清岡の“内縁の”妻、鶴子。

旧華族の妻でありながら、清岡との道ならぬ恋により離別され、現在は清岡の内縁の妻となっている鶴子。しかし、そうまでして貫いた清岡との間の恋情も1年もしないうちに始まった清岡の放蕩の前にあえなく霧散し、空虚な思いを抱えて日々を過ごしています。

抜粋したのは、鶴子が清岡の老父(元教育者でもある彼は、本来はしとやかで聡明な鶴子が、自分の息子に欺かれ道を誤ったのではないかと気の毒に思っている鶴子の良き理解者)を訪ねるシーン。

ここで鶴子が着ている金紗(錦紗とも)とは、現代ではもう生産されていない金(錦)紗縮緬、あるいは金(錦)紗御召のこと。

アンティークのもので羽織ってみたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、かなり細い糸で織られているため現代の縮緬や御召とは風合いが違って、薄くてしなやか、そして軽い。

この時代の金紗のイメージからして、井の字絣(井桁絣、井桁柄とも)はかなり大きめだったのではないかと思いますが、それに重ねた黒紋付の薄羽織に白い肩掛けがいかにもこの時代らしい組み合わせ。

埃除けの意味もあったのでしょう、その頃の風俗を描いた絵や銀座を歩く人々の写真などを見ても、両家の子女らしきお出かけ姿には必ずといっても良いほどの必須アイテムでした(現代では、日傘が必要な陽射しの下で袷+薄羽織+肩掛けなんて、考えただけで熱中症になりそうです…)。

【粋渋庵】 柿渋染生つむぎ着尺「井桁絣」+​​​​​​​​すくい織九寸帯 「勝虫」+​​​​​​​​紋紗着尺「流線」
※小物はスタイリスト私物

細かい井の字絣が織り出された柿渋染めの生紬。

軽やかなハリとほんのり透け感があり、6〜9月の夏場を通して着用できる素材です。

焦茶の日傘と帯に、よろけ縞が織り出された深みのある黒緑の薄羽織を重ねて、濃色の透け感が涼やかなナチュラルカラーの夏の装い。

蜻蛉が織り出された、すくい織の名古屋帯。

※小物はスタイリスト私物

ガレの作品に見られるような印象的な蜻蛉が織り出された、すくい織の名古屋帯。

虚しく移ろいはしたものの、鶴子が旧華族の妻という立場を捨て清岡との恋にその身を投じたのも、文学者として高みを目指す(とその時は見えていた)清岡に惹かれたからでした。その根底には、無意識に身の内で燻っていた、かつて身につけた学問と素養を活かす生き方への渇望があったように感じます。

前にしか進まないことから「勝虫」とも呼ばれ、武具などにあしらわれることも多かった蜻蛉。そのモチーフに、訪れた機会を逃さず真っ直ぐにその道を見据えて渡仏を決断する鶴子のイメージを重ねて。

小物遣いで涼やかさを。

※小物はスタイリスト私物

夏の濃色には、色数を抑え素材感を活かした小物遣いで涼やかさを。

帯締めは夏冬なく使えますが、少し細みのものを選ぶと着姿がすっきりとした印象に。

『つゆのあとさき』の後書きによると、荷風がこの小説を書いたのが1931(昭和6)年。

その当時においての“今”を描き出したとされるこの小説ですが、刹那的な男たちとの関係を奔放に楽しむ君江のその姿は、現代で言ういわゆる“パパ活”(まあもともとあったスタイルが、イマドキな名称に変わっただけと言えばそうなのですが)。何者かからの“ストーカー”被害に怯え、個人情報を新聞(今ならSNS?)に流されたり適当にあしらった相手から逆恨みされ襲われたり…と、現代において問題となっていることとそう変わりはありません。

また、愛人関係である清岡を挟んで対照的に描かれる鶴子は、その身に備えた知性や教養を活かす道を無意識のうちに渇望し自らの生き方を模索する。それもまた、現代の女性たちにおいても大きくは変わらぬ悩み。

これは、この一世紀弱の間、社会が何も進歩していないということなのか、それとも人間の本質は変わらないということなのか…正直、なんとも言えない複雑な気分になる本作なのですが、ちょこちょこ出てくる君江と男たちとの逢引きのシーンで、会話しながら君江が身につけたものをひとつひとつ外していく様子や寝起きの君江が細い赤襟の肌襦袢を脱いで晒す奔放な姿、慌ただしい逢引きのあとに相手の男が彼女の帯を結んでやる様子などの描写が妙にリアルで、荷風の実体験なのだろうなと思うと、なんだかちょっと笑ってしまいます。

さて次回、第二十五夜は…

5月の浅草の三社祭など、お祭りを境に晴れてゆかた解禁!という地域も。
各地の夏祭りや花火大会もようやく復活、この夏はゆかた三昧といきたいものですね。

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