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浮世絵はどうやって作られる? 「浮世絵きほんのき!」vol.3

浮世絵はどうやって作られる? 「浮世絵きほんのき!」vol.3

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”浮世絵コンシェルジュ”の畑江麻里さんが解説する「浮世絵きほんのき!」。今回は、そもそも浮世絵ってどうやってつくられるの?について。概略から細部まで丁寧にご紹介いただきます!

2022.09.30

まなぶ

黒一色からフルカラーへ 「浮世絵きほんのき!」vol.2

絵師、彫師、摺師による分業

前回は、浮世絵版画が黒一色の墨摺絵(すみずりえ)に始まり、色彩豊かな錦絵(にしきえ)誕生に至るまでの過程をご説明しましたが、今回は、浮世絵版画がどのようにして作られるのかという制作過程をご紹介したいと思います。

まずはじめに、浮世絵版画は一人の作者によって作られるものではありません。

絵師(えし)
彫師(ほりし)
摺師(すりし)

という3種類の職人が分業して作り上げる、共同作品でした。

こちらの歌川国貞(三代豊国)の作品は、浮世絵版画制作の一連の工程を一枚の画面に収めた錦絵です。

歌川国貞 《今様見立 士農工商 職人》 安政4年(1858)、 大判錦絵三枚続、 町田市立国際版画美術館蔵

歌川国貞 《今様見立 士農工商 職人》 安政4年(1858) 大判錦絵三枚続 町田市立国際版画美術館蔵

絵の中では職人が一堂に集って作業していますが、実際は職人たちがこのようにひとつの空間に集まることはなく、それぞれの作業場所で、作業工程の間に時間も置きながら連携して制作していました。

またこの作品では女性たちが浮世絵を制作していますが、実際の彫師や摺師はすべて男性。

喜多川歌麿 《江戸名物鶴崎耕作 画師・板木師・どうさ引》 享和3年(1803) 頃 大判錦絵三枚続 シカゴ美術館蔵

喜多川歌麿《江戸名物鶴崎耕作 画師・板木師・どうさ引》 享和3年(1803) 頃 大判錦絵三枚続 シカゴ美術館蔵

あえて女性に置き換えて描くことで、作業の様子をわかりやすく、かつ華やかに描き出しているのです。

他にもこちらの喜多川歌麿の作品のように、男性の職人を女性に置き換えて描く手法は、当時多く用いられました。浮世絵師にとっても、自分たちが働く現実としては男臭く殺風景な仕事場を、人々が憧れを抱くような世界として理想化して見せたかったのかもしれません。

実際には、最初に作品の企画を立てる版元の存在があるので、浮世絵版画の制作手順の概略は次のようになります。

1 版元が企画を立てる
2 絵師が企画を絵にする
3 彫師が絵を元に版木を彫る
4 摺師が版木を紙に摺る

この4つの過程をすべて終えることで、ようやく浮世絵版画が完成します。

最初に登場する版元(はんもと)とは現代の出版社のような存在であり、浮世絵版画としてどんな作品を制作するかを構想して企画を立てます。

喜多川歌麿 《江戸名物鶴崎耕作 画師・板木師・どうさ引》 享和3年(1803) 頃 大判錦絵三枚続 シカゴ美術館蔵

版元から指名され依頼を受けた絵師は、企画内容を理解した上で直筆で絵に起こしますが、このような版画になる前段階の絵のことを「下絵」や「版下絵」と呼びます。

その下絵をもとに彫師が色を分解し、色数に応じてときには十数枚に及ぶ版木を彫っていきます。

最後に摺師がその版木を受け取り、一枚ごとに色を付け、紙の上にピタリと重なるように摺っていく…という流れです。

着物ファンのみなさまには、どこか着物の制作工程に通じるものを感じられるのではないでしょうか!?

版元の企画から、絵師の版下絵まで

ここからは、制作過程をもう少し具体的にご紹介いたします。

まずは、版元が企画を立てて絵師に描画を依頼するまで。

版元は世相や流行に感度高くアンテナを張り、「今人々はどんな作品を求めているのか」「どのようなものを作ったら売れるのか」ということを考えながら、浮世絵に描く題材や登場人物、場面などを構想します。

そして「これならいけるだろう」という内容が固まった段階で、その企画を描くのに長けた絵師をセレクト。

その後に続く彫師と摺師も版元が決めますが、最初は絵師だけに依頼を行い、企画を説明します。

※ちなみに、すべての工程を終えて完成した浮世絵を広告したり、販売を行ったりするのも版元の役割でした。このことも現代の出版社に通じています。こうして売り出された浮世絵版画を、人々は絵草紙屋(えぞうしや)などで購入することができました。

そして、版元から依頼を受けた絵師は、筆で紙に、最初はラフなスケッチである「下絵」を描きます。

前章最後の図は喜多川歌麿が、絵師と版元の連携作業を、現実にはあり得ない艶やかな着物姿の美女たちにデフォルメして描いた作品ですが、絵師が描いた下絵を版元が自分の企画意図通りに描けているか、入念に確認している様子が活き活きと描写されています。

「下絵」が現代に残る例は滅多にないのですが、奈良県立美術館が所蔵する下の図は、その「ラフ加減」が分かる貴重な資料です。

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

下絵の段階では、絵師が墨一色でこのようにおおまかな内容を描き、版元にこれでよいか意見を聞いてOKが出れば完了となりますが、そうでない場合は、版元の意図を満たし、絵師本人も納得する下絵が出来上がるまで修正を繰り返します。

ちなみにこの下絵は、江戸後期に絶大な人気を誇った歌川国貞(三代豊国)が実際に描いた下絵。

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

あくまでラフなスケッチではありますが、拡大してみるとさすがは熟達した線で描かれていることがわかります。

下絵が出来上がると、絵師は別の薄い紙に下絵を写し取るようにして墨の線を入れつつ精度を上げて描いていき、下図のような、最終的な版画の線をすべて描いた墨の絵を完成させます。

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

この絵師としての最終制作物は「版下絵」と呼ばれ、彫師が彫るときの重要な原画になりますが、この段階では色が付いていないことに注目してください。

この版下絵は当時人気の歌川国貞が描いたものですが、実際には国貞本人が描いたのは人物だけで、背景は弟子に描かせた可能性があると言われています。

有名な絵師になると、このように弟子に版下絵の一部を手伝わせることもよくありました。

歌川国貞(三代豊国) 「観月」下絵 部分図 奈良県立美術館蔵

下絵と版下絵を比べてみれば、一目瞭然。

版下絵では下絵の時より要素が詳細に描かれて画面が埋まっていっていることはもちろん、人物などを描く線の一本一本が洗練され、明瞭でありながら繊細で完成度の高い線に仕上がっていることが分かります。

このようにして絵師が丹精を込めて描いた版下絵は、直接彫師に渡るのではなく一度版元に戻されます。

江戸幕府の法令によって、版元がこの版下絵を「地本問屋行事(じほんどいやぎょうじ)」という役人に見せ、発行許可の印をもらわなくてはならなかったからです。

当時浮世絵は大衆に対して大きな影響力を持っていたため、公序良俗を乱す絵ではないか、幕府を批判する内容ではないか、ということがチェックされたのです。

彫師が版木を彫る工程

=版下絵は、版元の手で彫師に渡されます。

当局の許可を受けた版下絵は、版元の手で彫師に渡されます。

「主版」

主版

浮世絵版画の版木に使用される木は、均等に彫り安く、かつ適度な硬さを持つ「山桜(ヤマザクラ)」。彫師は版下絵を版木の上に裏返しにして貼りつけ、墨の線の部分を残すような「主版」を作ります。

この時、熟練した彫師は小刀を使って実に器用に、緻密な線を彫り上げていきます。

※ちなみにこの山桜の木は、素人には硬すぎてとても彫ることはできません。私も以前実際に彫ってみようと試みましたが、小刀が全く言うことをききませんでした。

輪郭線が彫られた「主版」が出来上がると、彫師はそれに墨の絵具をのせて紙に摺ります。これを「校合摺(きょうごうずり)」と呼びます。

校合摺は、絵師がそれを見ながら色の指定をするためのもの。そのため、絵に使用される色数分(十数枚程度)、同じ図柄が摺られます。

校合摺を受け取った絵師は、一枚につき一色ずつ色を指定します。これを「色さし」といいます。

絵師が色を選ぶ色さしが完了すると、彫師は色ごとに下図のような「色版」を彫っていきます。

「色版」
「色版」
「色版」
「色版」
「色版」
「色版」
色版

そして彫師は、主版と色版を含むすべての版木に「見当(けんとう)」と呼ばれるマークを彫ります。

このマークをつけることで、この後の摺りの工程において、ずれずに色を重ねることができるようになります。

「見当違い」という言葉がありますが、これはこの浮世絵から来ていると言われているんですよ。

ちなみに版木に貼りつけられた版下絵は、彫によって失われます。

そして色版用の版木は本来、版画に用いられる色の数だけ必要になりますが、ひとつの面に離れている2色以上を彫ることもあり、また版木の両面にも彫ったりすることで、枚数を極力節約しながら制作されました。

彫師が人物を彫るとき、特に難しかった部分はどこだと思いますか?

一番難しいのは、髪の生え際の部分だったといわれています。そのため、生え際を細かくリアルに彫る技は特に「毛割(けわり)」と呼ばれ、特に腕の良い彫師が任される高度な彫りの作業でした。

高度な彫りの作業

そして「主版」と「すべての色版」が出来上がると…

いよいよ、摺師の出番です!

摺師の匠技による彩色

「礬水引き(どうさびき)」

主版と色版を受け取ると、摺師は丈夫な奉書紙(ほうしょがみ)という和紙の全面に、刷毛(ハケ)で絵具のにじみを防ぐための液「礬水(どうさ)」を塗ります。

この準備作業を「礬水引き(どうさびき)」といいます。

歌川国貞(三代豐国) 《今様見立 士農工 商職人》 安政4年(1858) 大判錦絵三 枚続、 町田市立国際版画美術館蔵 部分図

歌川国貞(三代豐国) 《今様見立 士農工 商職人》 安政4年(1858) 大判錦絵三枚続 町田市立国際版画美術館蔵 部分図

礬水(どうさ)で塗れた紙を干して乾燥させ、摺りやすいように適度に湿らせたら、いよいよ、馬連と呼ばれる道具で摺っていきます。

歌川国貞(三代豐国) 《今様見立 士農工 商職人》 安政4年(1858) 大判錦絵三 枚続、 町田市立国際版画美術館蔵 部分図

歌川国貞(三代豐国) 《今様見立 士農工 商職人》 安政4年(1858) 大判錦絵三枚続 町田市立国際版画美術館蔵 部分図

では葛飾北斎の代表作《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》が、どのように摺られていくのか見ていきましょう。

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

摺・朝香元晴氏 葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

最初に「主版」から摺り、「色版」は薄めの色から順に摺り重ねるのがポイントになります。

まず輪郭線を摺って船の色を足すと…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

このように黄色が足されます。

今度は船の部分に鼠色を足すと…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

先ほどの黄色に、鼠色が足されます。

次に空の色を、また薄い色から足していきます。黄色を重ねると…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

このようになります。

富士山をくっきり見せるために、色を重ね…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

さらに黒色を重ねると…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

富士山がくっきり浮かび上がり、空に立体感がでます。

最後に波の色を薄い色から順に重ねると…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

手前から奥まで、引き込まれるような奥行きが。

波に色がつき、さらに濃い色を重ねると…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

波が二色になり、荒々しい波模様がうねるように。

最後にこちらの色を重ねると…

《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
矢印「下」
《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》

波に陰影が出て、ようやく完成です!!

このように一枚の浮世絵は、一人の絵師だけでできるものではなく、職人たちの高度な技によってはじめてできるものなのです。

今回ご紹介した浮世絵版画の版木の画像は、現代浮世絵彫師の朝香元晴氏にご許可をいただき掲載いたしました。

朝香氏の木版画教室では、彫りや摺りを実際に体験することができるのでぜひ行かれてみてください。

匠木版画工房:ふれあい館 朝香伝統木版画教室 (takumihanga.com)

香氏が手掛けた木版画

以前開催した「畑江麻里の初心者でも楽しめる浮世絵講座」でも、朝香氏が手掛けた木版画を展示させていただきました。

この時は私も、このような着物を着て臨みました。

畑江麻里さん
講座のようす

山形県を旅をした際に偶然みつけた薄藤色の着物に、扇や牡丹、菖蒲などの花意匠が刺繍された唐織の名古屋帯をあわせ、佐賀錦の帯締めをコーディネートしています。

次回予告

さて全5回の「浮世絵きほんのき!」、次回vol.4では…

浮世絵に描かれる題材にどのような種類があるのか?その幅広さを詳しくご紹介したいと思います。

どうぞお楽しみに!

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記事に登場するアイテム

【有名工芸染匠】 本手描京友禅塩瀬九寸名古屋帯 <河藤縮緬・駒塩瀬地> 「大はしあたけの夕立」

【有名工芸染匠】 本手描京友禅塩瀬九寸名古屋帯 <河藤縮緬・駒塩瀬地> 「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

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