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袖についての、ちょっとした考察 〜小説の中の着物〜 河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十九夜

袖についての、ちょっとした考察 〜小説の中の着物〜 河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十九夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『国芳一門浮世絵草紙』シリーズより『鬼振袖』。ひらひらと揺れる長い袖は、現代生活では時々扱いに困るけど、でも無いとそれはそれで味気ない。そんな存在。

今宵の一冊
『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』

河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』小学館文庫

河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』小学館文庫

「めぇたちよぉ……」
 国芳は絵筆も取らず、目の前に突っ立っている振袖姿の二人を、ぼんやりと見上げた。
 ついこの間まで、二人並べて晴れ着を着せると、若やいだ可愛らしさが匂い立っていたのに、さすがに芳藤はヒョロリと背が伸びて、肩もゴツゴツとんがり、いかにも男の仮装姿になってしまっている。
 それよりも問題なのは登鯉の方だった。
 なんだか妙に似合わなくなっている。
「登鯉の奴、なんだか急にえずらしくなってきやがったなぁ」
 実は、登鯉も薄々は気付いていた。
 髪を結っても、赤い手絡が似合わなくなってきたような気がする。別にどこが変わったとも思えないのに、何かが違ってきている。その理由がわからないだけに、気になると、ものすごく気になった。
 それを父親に指摘されると、自分ではどうしようもないことだけに、登鯉は、妙に気持ちが落ち込んできてしまう。
「……鬼振袖だね」
 登鯉は、いじけたようにヒラヒラと長い袖を振ってみた。
 薹のたった娘の振袖姿を、世間ではそんなふうに言うらしい。
 長い袖を揺らしてふわふわ生きることが許される時代は、案外短いものなのかもしれなかった。いつの間にか娘時代は、通り過ぎようとしているのだろうか。
 季節はずれの蝉の声を聞きながら、登鯉は筆を走らせる国芳の前にじっと立っている。胸高に締めた帯が苦しかった。

河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』小学館文庫

今宵の一冊は、河治和香著『国芳一門浮世絵草紙3』より『鬼振袖』。

その素顔は、単純でやんちゃで気が良くて、血の気の多い江戸っ子そのもの。奇想天外な発想力で描かれた、頓智(とんち)と風刺の効いた生き生きと今にも動き出しそうな作品を次々と発表し、庶民はもちろん武家などにも隠れファンが多かったと言われる唯一無二の浮世絵師、歌川国芳。

そして、国芳の美人画から抜け出してきたようだと言われるほどの器量良しで、お侠な跳ねっ返りの愛娘、登鯉(とり)。

実在の国芳の娘も〈一燕斎芳鳥〉の名を持つ絵師として10代の頃に描いた作品が残っているようですが(早世したため数は少ない)、本作の登鯉も、豪快な襖絵から背の彫りものの下絵、玩具絵に絵馬に凧絵、ワ印と呼ばれる春画まで絵なら何でも片っ端から引き受けて、来るもの拒まずで弟子が多く、江戸っ子の常で“宵越しの金は持たねぇ”を地でいく国芳一家の生活を支える働き手のひとりです。

破天荒でおおらかな師匠の元に集う、ひと癖もふた癖もある(良く言えば個性的、率直に言うといろいろ問題アリな)面々が次から次へと引き起こす騒動に、何かというと「早く嫁に行け」と父国芳から急かされつつも、笑ったり怒ったり泣いたり慌てたりしながら過ぎてゆく日々。

その背後にじわじわと迫ってくる、時代の変わり目の殺伐と荒んだ気配。江戸の華と言われた頻繁な火事、庶民の生活を締め付け脅かす禁令、生も死も、シビアな現実として間近にありながら、ほのぼのと、どこか切ないようなおかしみと覚悟を抱えて、国芳も登鯉も、その周囲の人々も生きています。

毎日のように追加令が出されたというこの時代の禁令は、前回でも触れた江戸中期の、豪商たちの天井知らずの贅沢を抑えるためというようなものではなく、庶民のささやかな楽しみさえも奪うものでした。

衣類調度における素材はもちろん、浮世絵に使われる画材や紙の質、色の数、菓子などの嗜好品、歌舞音曲、花火や祭りといった催し…果ては街角で将棋を指すことすら禁止となるなど、まさしく重箱の隅をつつくようなものだったと言われます。そして、ただあれがダメこれがダメというだけではなく、見つかれば手鎖100日だとか、入牢、遠島、最悪死罪もありえた厳しいもの。

そんな禁令飛び交う中、掻い潜るように風刺の効いた筆を奔らせ、華やかな祭り衣裳はダメと言われたら、ならばと白の晒木綿で着物を作らせて一門それぞれが思い思いのモチーフを墨で描き、下手な祭り衣裳などよりよっぽど豪勢なひと揃いに仕上げてしまったり、登鯉が白絹に描いたワ印は、実はこっそり賄賂として贈られ、どこぞの殿さまの羽裏になったり。

また、実際にその頃入ってきたのであろう西洋の絵を参考にしたと思われる作品も残している国芳らしく、写真機などの西洋文化におっかなびっくり触れる様子など、章ごとに挟まれる世相を映した浮世絵と相まって、それこそ国芳描く浮世絵のキャラクターたちが生き生きと動いているかのような錯覚を覚えます。

賭場に出入りしたり行きずりの恋に身をやつしたりと、自由気ままに生きているようで、理由の判然としない焦燥を抱えた登鯉のやるせない心情。ただ呑気に生きていられないことは頭ではわかっている、でももう少しの間、直視せず心地良いぬるま湯に浸っていたい…そんな少女時代の終わりを目前にした葛藤は、誰しも少しは覚えのある感情かもしれません(10代で“薹の立った”と言われてしまうのも、成人も、当然結婚も早かった江戸時代ならではですが…笑)。

さて、冒頭に取り上げたように、この時代においても若さの象徴として描かれている「振袖」ですが、現代でもそれは同じ。袖の長い「振袖」は未婚女性の第一礼装とされていますし、小紋や訪問着などでも、若いうちは袖を少し長めに仕立てるという方も。

”動いたり揺れたりする長いもの”は若さや初々しさを示すものであり、若い女性にのみ許される特権でした。その感覚は簪(かんざし)なども同じで、髪を大振りに結い、通称“びら簪(かん)”などと呼ばれる顔まわりに揺れる下りのある簪を挿し、長い袖の着物を着て、華やかにその若さと適齢期であることを周囲にアピールする意味もあったのでしょう(現代では少々語弊のある表現ですが)。

ざっくりとした“印象”のようなものですが、受ける感覚として、こんな傾向があります。

  若い 年配
髪型や柄、帯幅、お太鼓、簪など 大きい 小さい
長い 短い
帯位置、簪を挿す位置 高い 低い

現代においては多少曖昧になっている部分もありますし、絶対にこうでなければならないということではないのですが、着るものや着こなしでその人の社会的な在り方がはっきり示されていた時代においては暗黙の了解として認識されていた感覚(ちなみに、この“若い/年配”という分類は、“フォーマル/カジュアル”とも言い換えることができます)。

そもそも、万葉集に歌われた額田王の、

あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき
野守は見ずや 君が袖振る

にあるように、古来より“袖を振る”という表現は愛情(ときには悲しみ)を示すものとされました。

恋人の訪れのない独り寝の夜に、涙で濡らすのも“袖”。
恋を成就させ婚姻が整った証に贈り合うのも、互いの“袖”。

“袖を絞る”と言えば、絞らねばならないほど泣き濡れた、という意味ですし、見知らぬもの同士すれ違いざまに袖が触れ合う程度の縁でも、それは前世からの宿縁によるものという意味の”袖擦り(振り)合うも多生の縁”。言い寄られてつれない態度を取ることは“袖にする”、叶えてあげたくともどうにもならない、そんなときに使うのは“ない袖は振れない”。そして、先ほど触れた登鯉のワ印は“袖の下”(賄賂)。

何かと含みのある感情を表すことの多い、この「袖」というパーツ。

現代生活においては、例え振袖でなくてもシャツなどの洋服よりは確実に長さがあるので、鉤型のドアフックに引っ掛けて袖口がぴりっといった…なんて話は良く耳にします。着付けの際に、後ろ手で帯を結びながら「この袖が邪魔…!」と思ったことのある方も多いでしょう。

着物の形状において、この袖の長さが保たれていることに合理的な必然性があるかと問われると、あるとは言い切れないのにも関わらず、結局なくなっていないのは、この揺れる部分に古来よりさまざまに想いをこめてきた日本人特有の美意識の表れと言えるのかもしれません。

何かと扱いに困る、でも無いとそれはそれで味気ない。そんな存在。

時代ものの小説や映画の中で、つと流れる涙に袖口から長襦袢を引き出し目元を押さえるとか(現代では汚れるからあまりやらないでしょうけど)、手を上げたり何かを取ったりする際にそっと袂(たもと)に手を添えるとか。そんな動きが生み出す優美さや風情は、“ただ便利であること”には換えられないものがある気がします。

腕にくっついている部分ですから、当然自らの動きに連れてではあるのだけれど、長さがある分その動きはまったく同時ではなく、ほんの一瞬遅れて揺れたり意図せぬ動きをしたりもする。

その僅かなズレが生む、余白というか余韻というか…ふとした溜めというか。着物を着て動いている間中常に身に伴う、その何とも言えない“間(ま)”を惜しむが故に、“袖(袂)”というものを失えなかったのではないかとも思えるのです。

今宵の一冊
〜振袖にお太鼓のすすめ〜

ミルクティーみたいな甘いベージュに紅型風の槍梅が染められ、裾に配された焦茶のぼかしが大人っぽさを醸し出しながらも、胸周りに散らされた梅や桜の小花が愛らしさを添えています。コーディネート次第で、さまざまに着こなせそうなこの振袖。

ちょっとレトロなニュアンスを活かして、重厚な松の帯、アンティークの竹の半衿を合わせて、ノスタルジックな雰囲気が魅力的な松竹梅の組み合わせに。

袖を切って訪問着としても使えるよう、ちょうど袖の中央部分に空きのある柄付けがされており、例えば、このままのコーディネートで袖が短くなったとしても訪問着の装いとして違和感がありません。

振袖としての着こなしを十分堪能したなら、その後は訪問着として。
見るからに振袖と言った感じの柄や配色ではないので、長く楽しむことができそうです。

昭和初期頃までは、二重太鼓が主流

昭和初期頃までは、二重太鼓が主流 ※小物はスタイリスト私物

振袖には必ず飾り結びをしないといけないような昨今ですが、実はそんな風潮が定着したのはわりと近年のこと。

昭和初期頃までは、振袖にも二重太鼓が主流でした。
戦後、手頃なお値段で薄くて軽い袋帯が多くなり、そういう帯はひだも取りやすく(というか、ひだで誤魔化さないとペラペラだったりするので)、また着付学院などでさまざまな新しい結び方のコンテストなどが盛んに行われて、華やかさや技術、スピードなどを競うようになったため、振袖=飾り結びという風潮に。

でも…個人的に、私は好きなのですよね。振袖にお太鼓結び。
上品で、初々しい可愛らしさもあって。現代においては、袂が長いというだけで十分な若々しさと華やかさがあるので、それ以上ごてごて飾り立てなくても良いのではないかと感じることも多くて。

上質な帯ほど、余計なひだを入れず面を見せた方が美しいと思うので、良い帯の場合は特に、お太鼓かシンプルな文庫結びくらいが綺麗だなと思います。
必要以上にひだを取るのは、帯を傷めることにもなりますし。

20代後半〜30代で、せっかくだから振袖を着たいけれど、成人式のきゃぴきゃぴした(笑)振袖姿とは一線を画しておきたいという方は、振袖にお太鼓、試してみてはいかがでしょうか。

赤や綺麗な水色で初々しく華やかに。

手毬と独楽(コマ)を象った、アンティークの彫金の帯留。袂の長い振袖には、やはりこのくらいのボリューム感が似合います。

帯揚げと三分紐に、それぞれ着物の柄から色をピックアップ。
ここではシックな老松色や鮮やかな江戸紫をチョイスしましたが、着物にこれだけ多くの色が使われているので、さまざまな組み合わせが楽しめそうです。

いかにも可愛らしく、振袖感たっぷりに着こなすなら赤や綺麗な水色で初々しく華やかに。

草履

※スタイリスト私物

アンティークな雰囲気を楽しむコーディネートなら、足元にはこんな草履が似合いそう。

最近では見かけなくなってしまった畳表に別珍の天と鼻緒。ぽってりとした形が、いっそうその世界観を高めてくれます。

母娘で共有

先ほど振袖に合わせた、クラシックな重厚さとともにどこかモダンな印象もある松の袋帯。

こんな帯なら、母娘での共有も叶います。

成人式用には、ひだをたくさん取って華やかな飾り結びをするために振袖専用の帯を。
そして数年後、お友だちの結婚式に参列する際には、お母さまがお持ちのものの中から帯を借りてお太鼓結びに。

そんな着こなしも素敵ではないでしょうか。

顔映りの良い藍地に、すっきりとしたラインで描かれた波に奔る(はしる)兎の訪問着は、甘すぎず、大人の女性にも似合いそう。新春を前に、飛躍の年となるであろう兎年を“待つ”思いを込めて。

年の瀬の観劇や茶席、もちろんお正月にかけてもぴったりな組み合わせです。

他者の目を惹く、印象的なアクセントに。

他者の目を惹く、印象的なアクセントに

白一色でも、立体的で、どこか華やかな存在感のある観世組の帯締めできりりと引き締めて。

色変わりの房は、斜め後ろや横から見た着姿を意外なほど鮮やかに彩ってくれます。身体を前に倒し、手を伸ばす姿勢になることの多い茶席などは特にそれが顕著。他者の目を惹く、印象的なアクセントに。

帯締めの房は、適当に収納してしまうとぐちゃぐちゃにもつれていざ使う際に慌てることになりかねません。身に付けてしまうと自分自身からはほとんど見えないので、つい気にならないと思ってしまいがちですが、これが困ったことに他者からは結構目につく部分。もつれたままで身につけていると、着姿が全体的にくたびれた印象になってしまいます。

撚り房(よりぶさ)なら、いちいち巻いたりしなくても綺麗に保てますし、付けた際の広がり方も綺麗なのでおすすめです。

“袖”と言えば

数年前、とあるドラマで袖を破り取るというシーンがありました(あ、あのドラマ!と、すぐに思い浮かぶ方もいらっしゃると思いますが)。

乱暴された体を装うために自分で袖を破り取るという設定だったので、芝居の流れの中で簡単に、かつ着物自体の生地を傷めず取れるようにする工夫が必要でした(着物本体の生地が破れさえしなければ、撮影後に袖を付け直して元に戻すことができますから)。

もちろん、その直前までは普通に着た状態で演技をしているわけですから、縫い目が荒くて袖付けがふにゃふにゃしているようでは不自然ですし、かといって何度も引っ張らないと取れない、と言うのでは演出的にそれも困る(監督サイドからは一度で取れるようにしたいとの要望もあり…)。

どのくらいの加減で付けるとちょうど良いのか、とりあえず自宅にある着物の袖を解いてみて、何度もシミュレーション(笑)。袖が破れた後のほつれた糸の見え方、また、普通に考えたら着物の袖が取れても襦袢の袖が残るのですけれど、腕を見せたいというドラマならではのフィクションということで長襦袢の袖も一緒に取れるように、などなど…いろいろな要望を叶えるため頭を悩ませました(夏ものだったのでまだ助かったのですけれど。しっかりした生地の着物の表と裏、あげくに袷の襦袢となるとさすがに難しかったかな…)。

ドラマの撮影というのは、実際に本番を撮るまでに何度もリハーサルをするため、どんなに綺麗に着付けをしていてもリハ終了時点でその動きによってぐだぐだになっていたりする場合が往々にしてあります(襲われたり暴れたりするシーンは、動きのリハも入念にやりますから余計に)。

その都度整え直しては本番に臨むわけなのですが、このときは、動きは実際にやるけれど袖を破り取るのだけは本番のみで、ということになっていました(リハでやってしまうと、また付けるのに時間が取られるので)。

しかしながら、破れやすいようにしつけ糸で袖を付けているため、ちょっとした動きでもぴりっといきそうに。数度のリハーサルをひやひやしながら見守り、実際1ヶ所切れた部分もありましたので、慌ててひと目ふた目だけ着たまま縫い止めて…と、そんな対処をしながら本番に臨み、見事に一発で袖が取れたときにはほっと胸を撫で下ろしました。

生地も傷めてはいなかったので、その後ちゃんと袖を付け直して無事ご返却。撮影協力という形でお貸し出しいただいた着物でしたので、その点においてもひと安心。袖の真ん中を破ってくれとかいう、無茶なリクエストじゃなくて良かったです(笑)。

そして、襦袢と言えば。

着物の裄より、襦袢の裄を2分(約7.5㎜)ほど控えて仕立てるのが現代では一般的です。

そうしておけば、着付けの際に背中心がずれさえしなければ着物の袖口から長襦袢がはみ出ることはないのですが、単純に着物と襦袢の袖巾が合っていなかったり、着物と襦袢の素材の相性が悪かったりすると、袖口から襦袢がはみ出てしまうことがあります。

現代では、それはちょっと格好悪いことと認識されているのですが、本来の目的を考えたら襦袢の方が出ているべきなんですよね。身体と直接触れて着物が汚れるのを防ぐために襦袢があるので、着物の袖口から襦袢の袖が出ているべきだし、衣紋も、襦袢(半衿)の方が着物の衣紋よりも高く出ているべきなんです、本当は(男性のスーツのカフスや後ろ衿のように)。

実際、浮世絵ではほとんどそのように描かれています。大きく髪を結っていたこの時代、髪油による襟の汚れなどは切実な問題でしたので、後ろの髱(つと/たぼ)が衿に触れないようしっかりと衣紋を抜いて着るのが普通でした(黒の掛け衿なども汚れ防止)。

そういった現実に即した構造や工夫が廃れてしまったのは、日本髪を結わなくなったことも理由のひとつだとは思いますが、着物が日常着ではなくなり、特別な日にだけ着るものになってしまったことが大きな要因であることは確かでしょう。

近年でこそ、木綿など日常着としての着物も復活してきていますが、いったん普段着として着物を着る文化がほぼ途絶えてしまった時期があったのは事実なので、それがなかったら、もしかしたら今でも長襦袢は着物より少し長めに仕立てましょう、衣紋は襦袢の衿が少し高く、着物は少し控えて着るように…というのが当たり前だったかもしれません(…と言いつつも、私自身もなんとなく着物の袖口の内側に、衣紋も半襟が着物よりわずかに控えて添っているのが綺麗だと認識してしまっているので、その概念を今からひっくり返すのはなかなか難しいものがありますが…)。

例えば、コートや羽織りは防寒のため男仕立て(袂が開いていない)にしているという方もいらっしゃいますし、そういった現実に即した自分なりの工夫というのは柔軟に考えていきたいものですね。

季節のコーディネート
〜竹に雪〜

ひんやりと冷たい素材感の紬地に、吹雪のような叩き染めが施された訪問着。しんしんと音もなく降る雪の夜…そんな景色を彷彿とさせます。

クールな印象のこの着物、無地感覚の帯ですっきりと粋にまとめるのもきっと素敵だけれど、ここはあえて踊り出しそうな型染めの竹がインパクトのある、大胆な染め帯を。

半襟には、深い臙脂色(えんじいろ)の雪華模様の刺繍半襟。

地色の濃い半襟を合わせる際、帯に使われた印象的な色をピックアップすると違和感なくなじみます。その場合、帯揚げはあまり印象を強くしすぎず、着物と帯をつなぐ存在にしておくと品よくまとまります。

翌年の豊穣を約束するという雪、雪中でもしなやかさを失わず瑞々しい緑を保つ竹はどちらも縁起もの。年末から年始にかけて、カジュアルなお出かけにもお家で過ごすお正月にも似合う装いに。

竹の枝でひと休みする雀を添えて。

※小物はスタイリスト私物

竹の枝でひと休みする雀を添えて。

二分半紐は、帯の柄と同配色のバイカラー。
こういった、柄の強さと同じベクトルで引き合う”ひと癖ある小物”が、帯まわりのバランスを取りつつモダンな印象にまとめてくれます。

この季節、寒さを凌ぐため羽根を膨らませた“ふくら雀”は、その丸っこいシルエットの愛らしさや、“福良(ふくら)雀”と字を当てる響きのおめでたさからも、着物や帯、小物の意匠としても好まれます。

雀は年中身近にいますし、文様化された“ふくら雀”は季節を問わず楽しめる意匠ですが、今の季節なら雪や吹き寄せ、秋には稲穂と。また、春には小雀のイメージで…とそれぞれの季節の組み合わせも楽しいですね。

竹の枝でひと休みする雀を添えて。

※小物はスタイリスト私物

ちょっとやそっとの雪では折れそうにない、しなやかで生命力あふれる竹が印象的な後ろ姿。

竹のモチーフというと、すっきりと伸びた直線的な印象のものが多いのですが、この帯はとても個性的で存在感たっぷり。

この時期、羽織ものを着ていることが多いと思いますが、隠しておくのがちょっともったないような。こんな帯なら、脱いでご披露したくなりそうです。

今宵の一冊より
『女経』

村松梢風『女経』中公文庫

河治和香『国芳一門浮世絵草紙3ー鬼振袖ー』小学館文庫

私がおもに行く店にも、一人いい女がいた。髪は島田か銀杏返しで、一の字眉の薄化粧、唐桟縞の襟付きの着物を着て紅いたすきをかけ、白い腕を露わに見せている。年はよく分らないが二十一二か。伝法というほどではないが一見してお侠といった風の面白そうな女だ。

村松梢風『女経』中公文庫

今宵のもう一冊、村松梢風著『女経』。

これは、小説というより、私小説、もしくはエッセイといった方が良いのかもしれません(後書きによると『著者の体験的女性物語とでもいうべき作品』とのこと)。

裕福な家に生まれ、明治末期から大正初期の学生時代、学業より吉原通いに精を出し当時まだ色濃く残っていた江戸文化や情緒を存分に吸収したという著者。冒頭の抜粋部分はその頃のエピソードのようですが、江戸の頃の、まさしく登鯉のような女性が実際にまだまだいた時代だったのでしょう。

ここでいう“襟付き”は、今でいう半衿のことではなく、先ほど襦袢の話でも少し触れた”黒の掛け衿”のこと。着物の汚れを防ぐために、黒の繻子などを掛けて使われていました。時代劇などで良く見かけますよね。

“島田”とは、未婚女性の代表的な髪型である島田髷。現代でも花嫁さんが結う“文金高島田”にその形が残ります。この形自体はずっと以前からあり、日本髪の形としては、かなりベーシック。

“島田髷”と呼ばれるようになったのが江戸初期のころで、その後“◯◯島田”と呼ばれる、各時代で流行ったさまざまな派生形ができました。なかでも、江戸後期以降、若い女性に大流行し浮世絵にも多く描かれているのが“潰し島田”で、後ろに張り出した髷の中央を結び、高さを抑えた形からこう呼ばれます。明治以降は、主に粋筋の女性が好んで結ったと言われますので、きっとここで描かれた女性も潰し島田だったのではないでしょうか。

“銀杏返し”は、根でまとめた髷をふたつに分け、左右に輪を作って止めた形。輪の中央に、根掛けと呼ばれる珊瑚や翡翠、生地などを使った装飾がのぞくのが特徴です。明治以降、未婚既婚を問わず幅広い年代の普段の髪型として結われました。若い女性はふたつの輪を大きくたっぷりと、年配になるほど小さめに。

しかしながら、ここで描かれた女性…21~22歳か?という年齢を聞くと、今の感覚からは若!としかいいようがないですが、この文章の響きからは若いお嬢さんという感じがまったくしないので、仮に銀杏返しを結っていたとしても小振りに作っていたのではという気がします。

登鯉と本作に登場するお新という名の女性に共通する、江戸のお侠な娘のイメージで小粋なモノトーンの滝縞の小紋に合わせたのは、まさにお七の衣裳そのもののようなイメージの黒と真紅に麻の葉の絞りの帯(『国芳一門浮世絵草紙』にも登場する、国芳の最後の弟子と言われる月岡芳年が描いた『松竹梅湯嶋掛額』という浮世絵でも、お七はこんな帯を締めています)。

思う相手に再び会いたいがゆえ、降り頻る雪の中、振袖を翻して櫓に登り半鐘を鳴らす…恋に狂い放火の罪を犯した実在の少女をモデルにした八百屋お七の物語は、歌舞伎や浄瑠璃で繰り返し上演される現代でも人気の演目です。

五代 岩井半四郎がお七を演じた際、浅葱色と真紅の大胆な斜め縞に鹿子絞りの襦袢を衣裳として着てみせたことで、若い娘の着物や帯、年配の女性でも袋ものなどにこぞって取り入れ、その“半四郎鹿子”が江戸の町に溢れたと言われるほどの爆発的な人気となったのだとか。

ちなみに、黒繻子を裏にして、表の中央に華やかな友禅と、その左右3分の1ずつくらいに黒繻子を用いた仕立て方の帯は、“お七帯”あるいは“お七仕立て”と呼ばれます。長く垂らした文庫結びは“お七結び”。

半四郎のお七の衣装は、現代まで続くさまざまな流行を生み出しました。

夕涼みの夏の浴衣に、また、怪談話の観劇のお供にも。

※小物はスタイリスト私物

背の“紋紋(彫りもの)”の図柄を思わせるような雲龍紋の半襟に、国芳の代名詞のような髑髏(しゃれこうべ)の帯飾り。作中でも、押し入れを開けるとデッサンの稽古用に拾ってきた(!)野晒とも呼ばれる髑髏がごろごろ転がり出てくる…というような描写があります。

アンティークでよく見かける、魔除けや御守りとして身につけていたという象牙や鹿角、牛骨、木などで彫られた髑髏を繋いだ数珠。これは、それをばらして根付に仕立てられたもの。

こういった細工は、ひとつひとつ手彫りのため、それぞれ表情がまったく違うのが面白いところ。整った顔のイケメン(笑)もいれば、すっとぼけたちょっと間抜けな表情の子もいたり。

夕涼みの夏の浴衣に、また、怪談話の観劇のお供にも似合う小物です。

本書の後書きにおいて、息子である作家の村松喬から「梢風という人は、人生を楽しみ、書くことを楽しんだ人であった。明治の生まれであるが、明治時代の人間というよりは、現代人であると同時に江戸時代的な人間であった」と言われた著者。

本作は、彼がこれまでに関わりを持った12人の女性について綴られた作品。
現代ではまず考えられないような、諸方面に対してかなり問題のある内容ではあるのですが、それも許された時代だったということなのでしょう。

本作を原案としたオムニバス映画『女経』がとても面白かったので読んでみたのですが、“原案”というだけあって内容にはほぼ関連はなく、スタイルを踏襲したというくらい。でも、違う発見がいろいろとあり興味深い内容でした。

小説はちょっと好き嫌いがわかれると思いますので、強くおすすめはしません(笑)。

が…映画の『女経』は本当におすすめ!ネタバレになるので内容には詳しくは触れずにおきますが(若尾文子さんがめちゃくちゃ可愛くて、山本富士子さんがおそろしく魅力的で、京マチ子さんがとにかくかっこいい)、アマプラだったかU-NEXTだったか…探してでも観る価値アリな1本です。

今回ご紹介した『国芳一門浮世絵草紙』。

冒頭の書籍の画像でお分かりのように、各巻の表紙には国芳の代表的な作品が使われており、また各章の初めにも、物語の進行に沿う時期の作品が掲載されています。描かれた背景や世相を読み解く解説も添えられていて、それらを追っていくだけでもかなり読み応えのある贅沢な構成。

常々『浮世絵』って本当に言い得て妙な名称だなと思っていましたが、国芳ほどリアルに“浮世”を切り取って見せた絵師はいないのではないでしょうか。

もちろん多少の誇張はしてあるでしょうけれど、その時代の人々の生き方や考え方、何を面白がるかといった精神性というような部分が、かなり忠実に炙り出されているように思います。

本人は、ただ彼自身の目に面白く映り描きたいと思ったものを描いただけで、時代を写すとか後世に描き残すとか、そんな大層なことは考えていなかったのかもしれません。

しかし、本作中でも、

『浮世絵ってぇのは、この浮世をそっくり絵にしたものさ。だからじっくり浮世の苦労をしたものじゃねぇと、いい絵は描けっこねぇんだ。ただ筆を握ってばかりいたってダメってことよ』

と語る国芳。

さまざまなことにつまづきもし痛みも知り、それゆえに懐深く、“許す”ということを知っている。おおらかで飄々としたところが、彼の作品のいちばんの魅力のような気がします。

さて次回、第二十夜で取り上げるのは。

着物好きにとっては王道中の王道と言っても過言ではない…そんな一冊。

まなぶ

「浮世絵きほんのき!」

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