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愛おしき小さなものたち 〜小説の中の着物〜 畠中恵著『つくもがみ貸します』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十八夜

愛おしき小さなものたち 〜小説の中の着物〜 畠中恵著『つくもがみ貸します』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十八夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、畠中恵著『つくもがみ貸します』。誰かが思いを込めて制作した品が、誰かの手に渡って長年愛用され、持つ人が変わってもまた大切に愛でられて…そうして100年もの年月が過ぎたなら、生命を、そして自ら意思なり力なりを持っても不思議ではないかもしれません。

2023.07.29

まなぶ

雪が模様になった日 〜小説の中の着物〜 葉室麟著『オランダ宿の娘』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十七夜

今宵の一冊
『つくもがみ貸します』

畠中恵著『つくもがみ貸します』角川文庫

畠中恵著『つくもがみ貸します』角川文庫

 清次はお紅に向き合うと、その肩に手を掛けた。頼み込む。
「今日は店にいてくれ。そしてもし私の身も危なくなったら、助けに来てくれ」
 そのためにも残って欲しいと言った。だが、お紅の顔はむくれたままだ。ちょいと困っているようでもあった。
「清次が危ないかどうかなんて、この出雲屋にいちゃ、分からないわよ。側にいなけりゃ駄目だと思わない?」
「うーん、そうだよねぇ。でも……私が拙いことになったら、この根付けの野鉄が、店に飛んで帰るかもしれないよ」
 野鉄は蝙蝠の形をした付喪神であった。
「こいつは気が向くと、蝙蝠の姿で、店の中を飛んだりしてるから」

畠中恵著『つくもがみ貸します』角川文庫

今宵の一冊は、畠中恵著『つくもがみ貸します』。

ドラマ化され舞台にもなった『しゃばけ』シリーズ、ご存じの方も多いと思います。私もとても好きな作品です。

……が、今回ご紹介するのは同作者のこちら。

いろんな個性あふれる妖怪たちが仲良しの若旦那と協力して大活躍するほのぼのファンタジーな世界観が心地良い『しゃばけ』とは少々趣を変え、本作に登場するのは、気位が高く人間たちなど歯牙にも掛けない、あまり可愛げのない(でも、なんだかんだ好奇心旺盛で、いたずら好きで噂好き。暇を持て余し、人にちょっかいを出したくてうずうずしている)“つくもがみ”たち。

この付喪神(つくもがみ)とは、この世に生まれ100年を経た古い道具たちが“妖”となったもの。

誰かが思いを込めて制作した品が、誰かの手に渡って長年愛用され、持つ人が変わってもまた大切に愛でられて……そうして100年もの年月が過ぎたなら、まぁ自ら意思なり力なりを持っても、そう不思議でもないかもしれません。

舞台は、江戸深川でお紅と清次の血のつながらない姉弟が営む古道具屋兼損料屋“出雲屋”。

損料屋(そんりょうや)とは、さまざまな家財道具を安価に貸し出す店のこと。出雲屋は古道具屋兼なので、現代で言えばレンタル&リサイクルショップというところでしょうか。

狭い長屋にひとり暮らしの男性(その数自体が、女性より圧倒的に多かった)も多く、また、火事が多かった江戸では家財を多く持たず、必要な時に借りて済ませるというシステムがうまく機能していたと言われます。その日暮らしの庶民は、例えば夏が終われば蚊帳を持っていって代わりに火鉢を借りてきて、暖かくなれば火鉢や綿入れを持っていき……と、季節ごとのサイクルができていたのだとか。ある意味、有機的で合理的なシステムと言えますね。

布団だとか鍋だとかいう庶民的な品だけでなく、出雲屋で扱う品は、骨董品扱いのなかなかの高級品も多いよう。

蝙蝠の形をした根付、野鉄。美しい月が描かれた掛軸の月夜見。鷺の絵が描かれた煙管の五位。琥珀の帯留、黄君……などなど。

その存在をごく自然に受け入れ彼らの勝手気ままなおしゃべりを聞き流す姉弟と、遠慮会釈なく言いたい放題の付喪神たち。意を通じ合っているわけではないのに、調子良く利用したりされたり、その微妙な関係がなんだかおもしろく、本当にこんな妖たちがいそうな気がしてきます。

ふと立ち寄ったアンティークショップの片隅や骨董市などの雑多な中から、まるで呼ばれるように目が引き寄せられることがあります。そんな出会いは嬉しく、そうやってぽつりぽつりとささやかなコレクションが増えていくわけですが、やはり誰かの念のようなものがこもってるなーと感じるものも、たまにあったりします。櫛や簪などの髪のもの、また、半衿は肌に直接付くものだからなのか……以前、隅に名前が書かれている(微妙な色合いのシミなんかもあったりして)ものがあり、手に取った瞬間ちょっとぞくっとしたことが。まぁ“古いもの”あるある、とでも言いましょうか。

ちなみに書影に添えたのは、本体はしなやかな革でできており、象牙に螺鈿が施された傘の根付、紅葉が描かれた緒締め、波と千鳥が掘り込まれた前金具が付いたアンティークの小ぶりな煙草入れ。

小物たち

隣の蝙蝠は実は帯留なのですが、表情が可愛いなと思いネットで求めたところ、想像以上に大きく(ちゃんとサイズは書かれてあったのですけどね)、根付にした方が良さそうだなと思っていたもの。もしかしたら、野鉄はこんな感じだったかもしれないな、と。

こういった煙草入れや袋もの、刀の拵え。文箱や硯、水滴などの文具、引き出しや襖の引き手といった調度品……などなど、帯留や簪など着物に関わる小物だけでなく、和の世界には小さな愛すべきものたちが本当にたくさんあって、そのひとつひとつが組み上げる世界観に惹かれてやみません。

今宵の一冊より
〜月に蝙蝠〜

異国渡りの更紗も、やはり珍重され、小さな端裂であっても高値で取り引きされました。茶籠や煙草入れ、財布といった小物の内側に貼られたり、掛軸などの装丁に使われたり。きっと、出雲屋のような店でも貴重品として扱われていたことでしょう。

現代においては、東京都の伝統工芸のひとつとして指定されている江戸更紗。その独特のエキゾチックな雰囲気が魅力です。

さまざまな更紗文様が短冊取りに染められた縮緬の単衣。しっかりした素材なので登場は9月も後半になってからかなと思いますが、だからこそ、逆に10月以降の袷の季節に入ってからも活躍してくれそうです。

絽縮緬の半衿には、薄の刺繍。まだまだ暑さの残る時期なので、寒色の小物遣いで初秋のひんやりと冷たい空気を漂わせて。

月に見立てた鼈甲の帯留を。

月に見立てた鼈甲の帯留を

月に蝙蝠は相性の良い組み合わせなので、月に見立てた鼈甲の帯留を。

白萩が描かれた竹の骨の扇子と虫籠の帯飾り。

そして胸元には、白萩が描かれた竹の骨の扇子と虫籠の帯飾り。

虫の音が聞こえてきそうな、初秋の風情漂う小物遣いです。

蝙蝠は、その文字が「福」という字に通じることから東洋では吉報を運ぶ縁起の良い動物とされています(でも、西洋では悪魔の使いであったりドラキュラの僕であったりと、真逆の扱いなのが面白いところ)。

実物にはあまり近付きたくはないけれど、着物におけるモチーフとしては、どこか愛嬌があって遊び心をくすぐる楽しい存在だなと思います(写真などで見ると、実物も結構可愛い顔しているんですよね)。

薄手の紬地に、臈纈のニュアンスのあるタッチで染められた鱗と蝙蝠。
夏の終わりの単衣から、袷の時期を通じて使えます。

すっかり定着した10月のハロウィンにも良さそう。また、鱗もやはり厄除けの縁起物なので、お正月などの普段着にも。特に来年は辰年ですので鱗はぴったりですね。

落とすことはまずないので安心。

帯揚げに通せば、落とすことがないので安心

帯飾りを付ける際には、専用のへらやプレートのようなものも販売されていますが、そういったものがなくてもヘアピンなどでも代用できます。

ただ、私は画像のように、帯揚げに通してしまうことが多いです。へらやプレートは(滑りやすい素材の帯の場合は特に)何かの拍子にするっと抜けてしまうこともありますし、抜けないまでも、いつのまにやら脇の方にいってしまっていて「え、なくした!?」と慌てることもあるので。

帯揚げの、帯の中に押し込む方に通しておけば、落とすことはまずないので安心です。

季節のコーディネート
〜重陽の節句〜

9月9日は“重陽”の節句(菊の節句とも)。

1月7日“人日(七草)”、3月3日“上巳(雛祭り)”、5月5日“端午”、7月7日“七夕”に続く、五節句のうちのひとつです。

陰陽思想においては、奇数=陽数、偶数=陰数と考えられており、陽数が重なる日は吉日であるとともに、奇数+奇数=偶数となることで陽→陰に転じやすいとされたことから、邪気を祓い、身を清めるなどの行事を行ったと言われています。

その最大の陽数である“9”が重なる日でありながら、何故だか現代ではいちばん影の薄い“重陽”の節句。

前夜に菊の花に綿を被せておき、夜露を含んだその「被綿(きせわた)」で体を清めることで穢れを祓ったり、それで顔を拭い永遠の若さ、美しさを祈願したり。また、その露を酒に混ぜて飲んだり、菊の花を浮かべて香りを移したりした“菊酒”を飲むと延命長寿の効果がある、とも。

その祈りは、今で言うならばアンチエイジング。しかし現代と違って、短命であった時代においてはより切実な願いだったことでしょう。

2021.09.07

まなぶ

菊花を満喫する”重陽の節句” – 嵯峨御流「はじめましょう 花であそぶ節句」vol.4

2022.08.26

まなぶ

テーマは菊!9月のお節句って? 「3兄弟母、時々きもの」vol.11

旧暦の9月9日は、現代でいえば10月半ば。栗の収穫時期でもあることから、栗ごはんなどでお祝いをしていたとも言われます。

年に5回ある節句の最後の締めくくりでもありますから、その年の実りを感謝する意味もあり大切な行事とされていたようです。

現代の暦では季節が完全にずれてしまっている(暑くてそれどころではない)こともあり、すっかり忘れられているのがちょっと切ないのですが、せめて着物の装いに取り入れたいもの。

菊尽くしの単衣の訪問着に、露芝と瓢が描かれた名古屋帯を合わせて“菊酒”のイメージで。

御召の訪問着なので、こんなふうに軽やかに紬の名古屋帯を合わせれば観劇やお食事などの普段遣いに。格のある袋帯を合わせれば、茶席やお呼ばれなどのきちんとした席にも対応できます。

亀甲の陶器の帯留を添えて。

亀甲の陶器の帯留を添えて

永遠、長寿の象徴でもある亀甲の陶器の帯留を添えて。
扇面は瓢尽くしの小紋柄。

目上の方の、喜寿や傘寿などといったお祝いの席などにも、さりげなく思いを込めた装いになりそうです。

今宵のもう一冊
『アイスクリン強し』

畠中恵著『アイスクリン強し』講談社文庫

畠中恵著『アイスクリン強し』講談社文庫

 屋敷の縁側に日が注ぐ、明るい午後であった。
 庭には築山があり、手入れの良い松や躑躅が並んでいる。手前にある池を囲むようにして建つ左側の離れからは、水面を望むことが出来るようになっている。母屋は流行の洋館などではなかったが、広い室内には敷物が敷かれており、その上に猫足の椅子とテーブルが置かれていた。
 沙羅の気が変わらぬ内にと、小泉琢磨は娘を早々に、根岸の知人宅まで納涼に連れ出したのだ。
「お父様ったら、とっくにお膳立てをしてたのね」
 わずかな風が涼を運んできて、戸を開け放った部屋はなかなかに涼やかであった。しかし着慣れぬ大振り袖を着た沙羅は、髪をがっちりとした日本髪に結い上げられ不機嫌だ。
(腕一本動かすのにも、重いったらありゃしないわ)
 金蘭の丸帯に締め付けられた身には、普段馴染みの袴が懐かしい。しかし今日の納涼は、実質親に仕組まれた見合いであるからして、かくも大仰な格好も仕方のないところだ。

畠中恵著『アイスクリン強し』講談社文庫

今宵のもう一冊は、同著者の『アイスクリン強し』。

立秋、処暑を過ぎ、暦の上では暑さの峠を越えたとはいえ、まだまだしばらくはつい手に取りたくなるであろう甘くて冷たいお菓子の名前がタイトルについた物語です。

時は明治23年。

お江戸が東京と名を変えて、たった20数年。その間に電報が登場し、電話の実験、郵便事業の開始。鉄道が開通し、銀座には街灯がともる。太陰暦から太陽暦に変わり、通貨も、姓も髪型も、何もかもがもの凄い勢いで変わった……そんな時代に、それぞれの生き方を模索する青年たちが主人公です。

幼くして両親を亡くし、居留地で育ったため英吉利イギリス語が堪能な皆川真次郎。黒のインバネスにブーツ、という出で立ちで“風琴屋”という西洋菓子屋を開業したばかりの彼を取り巻く、紺地に袖章の入った洋装の制服にサーベルを下げた警察官(元士族の若様方)や『マガレイト』という流行の束髪に、淡萌黄の着物に臙脂の袴、ブーツを履き、(喋らなければ)麗しくも花のごとき女学生、沙羅など、全ての価値観ががらりと変わった明治維新後の新しい世の中を自らの力で生き抜いていこうとする若者たちが描かれています。

怖いものなしで、これだと信じたものに突き進める若さっていいなぁとあらためて。どうにかなる、どうにかする!と無謀にも思っていた若き日の自分をちょっと思い出したり。

チョコレイト、シュウクリーム、アイスクリン、ゼリケーキ、ワッフルス。
ビスキットにスコットランドショルドプレッケーキ……

なんだかとても美味しそうなイメージを増幅させる……やっぱり、表記ってとても大事。

さらりと軽い気持ちで読めるので、寝苦しい夏の夜のお供にぜひ(危険な時間にお菓子が食べたくなってしまうかもしれませんが)。

今宵のもう一冊より
〜茜染めの振袖〜

一代で財を成した(いわゆる成金の)小泉商会のひとり娘、沙羅。

彼女は真次郎にもらった安物のリボンを大切に髪に結んでいるなど、贅沢をひけらかすようなタイプではないけれど、抜粋部分のようにお見合いの席などではやはり豪華な装いに身を包んでいます(嫌々ではあるけれど)。

納涼とありますから、季節はたぶん夏。本作中では描写はありませんが、絽などの薄い素材の振袖だったのではないかと思われます。

現代のように着る機会が限定されておらず、沙羅のように富豪の令嬢とまでいかなくても、そこそこの生活状況の若い女性であれば日常でも振袖を着る機会のあった時代には、季節ごとの素材や、紬や小紋の振袖などいろいろな種類の振袖が作られていました。

総絞りで表された大輪の菊がくっきりと浮かび上がる、茜染めの鮮やかな振袖。天然素材の染色技法は、写真に撮った際に肉眼で見るよりもひと際鮮やかに映し出されることが多く(肉眼には落ち着いて見えると言いますか……ひと色柔らかく映る)、その力強く深みのある色合いに驚くことがあります。

この振袖は、絞りが施されている分より立体的で鮮やかな印象に。

紬地の茜染めの総絞り、となかなか現代では見かけることの少ない手の込んだ貴重な振袖。新たに作るとなると、金額的にも技術的にもかなり難しいであろうこういったものと出会えるのが、リサイクルの良さでもあります。

誰かがこだわって作ったのであろうものが、また違う誰かのもとで活かされる。今の時点ではまだ違っていても、新たな持ち主のもとで大切に愛され、いずれ100年を超えてアンティークと呼ばれるようになるに違いない品(この振袖は、きっとそう)と巡り会えることも。

袖丈約2尺5寸(94㎝)と振袖にしては少し短めなので、あまり気負わず日常のお出かけに着てみるのも素敵ではないでしょうか。

海外でのパーティーや、決まり事に縛られない華やかな集まりなどでも楽しめそうです。

西洋の文化に触れて育ち、活発で、しっかりと自分の意思を持って臆せず物事に臨む。

そんな沙羅のイメージに合わせて選んだのは、油絵のようなタッチで大胆に織り出された、秋の深まりを感じさせる蔦葡萄の帯。

ステンドグラスのような柄が描かれた染めの半衿に、螺鈿細工の大ぶりの蔦の葉の帯留を。柄の一部をピックアップして立体的に重ねることで、帯周りにいっそうの奥行きを感じさせてくれます。

20数年前の私が初めて自分で着物を着たいと思ったときに、何故だか惹かれたのが半衿と帯留でした。

何がきっかけだったのかははっきり覚えていないのですが、わりと最初から白じゃない半衿に惹かれていた気がします。

着付けもできず半衿の付け方も分からないくせに、旅行先の金沢で柄半衿を買い(確か紫の小桜)、着たときに見える部分の量とあまりに長さが違うから、これはきっと切るに違いないとハサミで短く切っちゃったのも、今となっては良い笑い話のネタとなっています(切った瞬間、あ、ヤバい……間違えた気がする……としゅんとなりました。切る前に調べろよ私、って話なのですが笑)。

着物と帯がないと着られないのは当然なので、もちろんそちらにも興味は広がりましたが、結局今でも、どちらかというと小物が先にくることが多いかもしれません。

アンティークの繊細な帯留や簪、半衿など、私自身が特に古いものに惹かれる傾向があるのは事実ですが、かと言って今生産されているものがダメということではまったくなく、現代においても、100年後にアンティークと呼ばれ、もしかしたら付喪神にもなれちゃうくらいに愛されるであろう品が少なからず生み出されていると思いますし、私がプロデュースしている小物も、願わくはそうあって欲しいと思いながら作っています。

この夏のあまりの暑さにぐったりしていたけれど、ほんの少し過ごしやすくなってきたから、この秋身につけたい小物を眺めて、モチベーションを上げておくとしましょうか。

さて次回、第二十九夜は……

主人公は、江戸いちばんのきりょうし。

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