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宵闇に、白地のゆかた 〜小説の中の着物〜 宇野千代著『おはん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十五夜

宵闇に、白地のゆかた 〜小説の中の着物〜 宇野千代著『おはん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十五夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、宇野千代著『おはん』。宵闇に浮かぶ白地のゆかた。着こなしに少し気を遣う部分はあるけれど、だからこそ白地のゆかたは美しい。

2023.04.29

まなぶ

女たちは、それぞれの生を生きた 〜小説の中の着物〜 松井今朝子『円朝の女』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十四夜

2021.07.29

まなぶ

浴衣の着こなし 〜半衿とか名古屋帯とか足袋とか〜 「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三夜

今宵の一冊
『おはん』

宇野千代著『おはん』中央公論社

宇野千代著『おはん』中央公論社

 あれは去年の夏、盆も間近かの或る晩のことでござりました。
 町の寄合ひのくづれで、よそのお人と二三人あの臥龍橋ぐわりょうばしの橋の上でええ心持になって風にふかれてゐたのでござります。すると誰やら、白い浴衣きたをなごがすうっと私のすぐねきをすりよって通るのでござります。この廣い橋の上をあなに近うに人のねきを通らいでもと、さう思うて顔みますと、別れた女房のおはんでござります。

〜中略〜

 おはんは白い浴衣きて、見覺えのある手織縞の帯をしめてをりました。どこというて男の心ひくやうなをなごではござりませねど、いつでも髪の毛のねっとりと汗かいてゐますやうな、顔の肌理きめこまこいのが取り柄でござりましたが、そこの板塀にはりつくやうな格好かつかうして横向いてゐるのでござります。

〜中略〜

 ほんに人の心ほど浅墓あさはかなものはござりませぬ。いうたらほんのその場きりの、阿呆あほうなてんごうでござりますのに、「分ったな、」と私はおはんの肩を押すやうにして低い聲して申しました。「誰やら向こうからきよる。早う行き、」と申しますと、おはんははじめて顔あげて何やらものいひたさうな眼をしてちらっと私をみましたが、それなり、あとも見んと駆けていてしまうたのでござります。
 そのおはんの白い浴衣きた後姿が薮堤の一本道をずうっと向こうの方へだんだんと小さうなって、たうとう曲尺町さしものちやう露路ろオぢの方へ見えんやうになっていてしまふまで、私はそこにたってゐたのでござります。
 あと追ひかけていこか、いやいかんとこ、とその間中あひだぢゅう、迷うてゐたのでござりますが、まァいうたら私の、これが心の迷ひのはじまりでござりました。

宇野千代著『おはん』中央公論社

今宵の一冊は、宇野千代著『おはん』。

先月に引き続き、ひとり語りで進む物語。語るのは、前妻であるおはんと、現在ともに暮らす(というより養ってもらっている)芸者おかよとの間で揺れ動く幸吉です。

先月取り上げた『円朝の女』の、切れ味の良いちゃきちゃきの江戸言葉とは打って変わり、はんなり…というよりも少々湿度の高いねっとりした関西言葉(著者のあとがきによると「阿波の徳島あたりの方言を主として、それに關西訛りと私の田舎の岩國訛りとまぜ合した、言はば作りものの方言」とのこと)で語られる本作ですが、おかよのいわゆるヒモ状態である幸吉の、言い訳がましく、やたらと自分を卑下する自虐的な口調にちょっとイラッとすることも(笑)。

冒頭で取り上げたのは、幸吉がおかよと関係を持つようになり、おはんが身を引いてから7年後の再会のシーン。

宵闇にぼんやりと浮かび上がる、おはんの姿。

幸吉が再びぐらりときてしまったのは、この白地のゆかたのせいもあったかもしれません(まぁもともとそういう人だった、というのは置いといて)。

夜の白地のゆかたは、実際の寝巻きを連想させるものでもあり、色っぽさや触れなば落ちんといった風情を感じさせる心許なさを表す衣裳として、これほどに効果的なものはなかったのではないでしょうか。

木村壯八による挿絵

この、木村壯八による挿絵がまた良いんですよね。

硬筆によるカリカリした独特のタッチが醸し出す、どこかぎこちないような空気感。それが何だか、不思議にリアルで。粗いと言っても良いくらいのラフな線で、例えば写真のように緻密であったり実像を捉えたりしているわけでは決してないのに、その身体の動きや心情による微妙な陰影までもが描き出されていて、体積を持った存在として浮かび上がってくる。

つるりとどこにも引っ掛かりのない、滑らかで綺麗な線からはたぶん感じられない、熱、あるいは温度。シーンによっては湿度や揺れ動く気配。ねっとりと絡みつくような語り口とも相まって、その世界観が構築されています。

大正から昭和にかけて、洋画家、随筆家、そして挿絵画家として活躍した木村壯八は、樋口一葉の『にごりえ』や永井荷風の『濹東綺譚』でも挿絵を手がけており、そちらには白地や藍地のゆかた姿の女性も多く描かれています。

正直、この冒頭部分だけでもう、うだうだうっとおしい男やなぁ!と言いたくなってしまうのですが(この調子で物語は続きますが、小説自体はそこまで長くないのでわりとすぐ読み終えられます)、ここまでですでに耐えられないと思う方も、この挿絵を見るだけでも価値があるかも。

しかし、何故におはん、おかよの2人がこれほどまでに幸吉に愛情を注ぐのか…最後まで読んでも結局、腑に落ちぬまま。女心は摩訶不思議と言うしかないですね(笑)。

現代における白地の着こなし

白か紺のゆかたしかなかった時代には、透けない紺地は昼間に、白地は日に透けることと暗い中でも目立つので夜に、という不文律がありました(現代と違い電灯などが完備されていない時代の夜は本当に暗かったので、紺地だと闇に溶け込んでしまうでしょうから)。

現代では昼夜を厳密に分ける必要はありませんが、白地が透けやすいのは事実(昼間は日光に、夜は夜で照明に)ですので、透け対策には気を配りたいところ。また、下手をすると温泉ゆかたに見えたり寝巻きっぽくなってしまったりしがちなので、白地のゆかたを現代において素敵に着こなすには、まず素材や柄を吟味し、体にぴったりした真っ白なタイトなワンピースを着るつもりで下着を選ぶなど、その着こなしには少々工夫や気配りが必要です。

『おはん』という作品世界においては効果的な舞台装置であったかもしれませんが、現代においては寝巻きっぽさはだらしなさにも通じかねないので、そこは気を遣って凛と涼やかに着こなしたいもの。

白という色はやはり独特の華やかさがありますし、顔映りの良さという意味でも着映えのする白地のゆかたは、ちょっと気を遣う部分もあるけれど、だからこそ隙なく着こなせた際の素敵さが際立つ気がします。

NHKのアーカイブ映像で見た、『おはん』が世に出る3年ほど前の昭和29年に開かれたゆかたコンクール(ちなみに、審査員は著者とかつて深い関係のあった東郷青児)で、発表されていた大きなドットや四角柄などのモダンなゆかたの数々も、紺地よりも白地の方が多い印象でした。

しかし…そのことよりもこの様子を伝えるニュースで、アナウンサーが、

「ゆかたコンクールといっても、これはゆかたを着たお嬢さんたちの美人コンテスト(これ、審査対象はゆかたではないってことですかね?笑)。お嬢さん方はゆかたではなく御召か錦紗クラス」(要するに、ゆかたみたいな日常着レベルじゃなく上等な絹ものクラスですよ、ということかと)

…って堂々と言っちゃってるのが、いかにもこの時代ならではといった感じでおもしろいんですけれど。

今宵の一冊より
〜白地に薊〜

レトロモダンな印象の薊が大胆に染められた白地のゆかた。

白地でも、こんな風に柄が大きく配されていると白場が少なくなるので着こなしやすく、また、墨色と深い臙脂の配色が大きな花柄でも大人っぽい印象に。

合わせた麻の八寸名古屋帯は、墨色に暖色系の縞と、いわゆる涼やかな配色ではありませんが、それがかえって大柄によるゆかた感を控えめにしてくれてちょっと着物っぽい雰囲気に。ゆかたの柄とほぼ同じ配色で全体の色数を抑えていることもあり、暑苦しさを感じさせません。

麻素材がおすすめ。

※小物はスタイリスト私物

紐や布が重なる胸元には、麻素材がおすすめ。麻はあまりぎゅうぎゅう引いて結ぶと細ーーーくなってしまうので、なるべく力を入れすぎず畳んだ面を活かしながら結ぶと綺麗に収まります。

夏の装いは特に胸元がもっさりしていると見た目の暑苦しさが増すので、帯揚げはあまりたっぷり見せず少し控えめな方が涼しげな印象に。

扇子を開くと、ひっそりとてんとう虫。

すっきりとした後ろ姿に。

しっかり目の積んだ織りでシックな色遣いなので、ゆかただけでなく、夏単衣から麻や紗紬といった夏着物、秋の単衣にもフル活用できそう。

細い臙脂の縞が効いて、すっきりとした後ろ姿に。

その愛らしい見た目に反して葉や茎には棘が多く、手折ろうとすると手を傷つけることから「あざむ(意外なことに驚く、興醒めする)」にその名が由来するという説もある薊。

わかりやすく気の強いおかよだけではなく、男の言いなりに流されているかのようなおはんにも、やはりこんな棘がしっかりとあるように思います。でもそれは、この2人だけではなく…すべての女性において言えることかもしれません。

今宵の一冊より
〜“スタイル”風〜

昭和11年に創刊された、日本初のファッション誌『スタイル』。

それは、女性たちに“お洒落であること”“お洒落を楽しむこと”を是として追求し提示するという、それまでの日本には存在しなかった価値観をもたらした画期的な活動でした。

『スタイル』での掲載に続き『きもの読本』を発行するなど、着物デザイナーとしても活躍した著者ですが、今もよく使われている横波縞の着物姿のプロフィール写真が有名です。

これは『スタイル』が創刊される前の昭和7年頃に撮られた写真とのことですが、その時代の著者を象徴するようなモダンさで、宇野千代と言えば桜か横縞、どちらかの柄を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

鮮やかなビタミンカラーの横段は、いかにも夏らしい雰囲気。

洋の小物との組み合わせにはセンスと説得力が必要なので、いざチャレンジするとなると躊躇してしまう方も多いと思いますが、落ち着いた榀布のナチュラルな色合いと上質感のあるこんな組み合わせなら大人の女性でも違和感なく着こなせそうです(帯結びに自信がなくても安心ですね)。

ヘアやネイル、バッグやパラソルなどの小物にもこだわりたくなります。

長襦袢を合わせて単衣の着物として、盛夏にはさらりと一枚でゆかたとして。初夏から夏いっぱい楽しめそうです。

【誉田屋源兵衛]】浴衣着尺 熨斗目「 黄緑/萌黄/橙」+博多織両面紋半巾帯 「海底の世界・白色」
※小物はスタイリスト私物

鯨にエイ、海月、マンボウと、さまざまな海中生物を織り出した博多帯を合わせて。

子どもっぽくなり過ぎないようにワントーンでまとめて、夏らしい遊び心のある組み合わせに。

透明感のある樹脂素材のタツノオトシゴ

※小物はスタイリスト私物

透明感のある樹脂素材のタツノオトシゴは、ヴィンテージのブローチ。
よく見ると、愛嬌のある表情をしています。

今宵のもう一冊
紫陽花舎随筆ーあぢさゐのやずいひつー

鏑木清方『紫陽花舎随筆ーゆかたー』講談社文芸文庫

鏑木清方『紫陽花舎随筆ーゆかたー』講談社文芸文庫

 …染くさのその藍花の香り立つが好ましく、浅草堀田原の「竺仙」のが、水にはいるたびに染めた藍の色がさえたとまでいわれた。
 ここのうちの染型の下絵には、江戸から持ち越した生粋の筋のいい意匠に恵まれた柴田是真が自分で筆を執ったものも少くなかった。

 〜中略〜

 …春信以後の浮世絵を通覧すれば、浮世絵師がどんなにこの浴衣の魅力にひかれ、美女のからだにまとうた加賀木綿の単衣を、まるでその玉なす肌のつづきでもあるかのように息をつめて写している。歌麿を見よ。清長を見よ、栄泉となり、国貞となれば、鳴海しぼりのしぼの立った鉄火な好みに頽廃期に入るを知る。

鏑木清方『紫陽花舎随筆ーゆかたー』講談社文芸文庫

今宵のもう一冊は、鏑木清方著『紫陽花舎随筆あぢさゐのやずいひつ』。

これは小説ではなく随筆なので少々イレギュラーではありますが、ちょうど今の季節、街の其処彼処に美しい彩りを添える紫陽花を冠したタイトルに惹かれて。

リアリティという意味では、当然小説に勝る随筆。
清方の思うゆかたの魅力が流麗な文章で綴られています。

昭和25年に書かれたこの小文の中で、清方は「ゆかたとは本来湯上がりに体の水気をとるために素肌に着るものであったが、今は生活がすっかり変わってしまい、その呼名もそぐわなくなっているのではないか」と綴ります。

今でもゆかたの説明をする際に枕詞のように冠される内容ですが、70年以上前からまったく同じことが言われていたようですね。そしてそのまま、現代に至る…と。

【竺仙鑑製】 浴衣 「瓢箪蔦葉」+博多織 紗名古屋帯 「浮遊 白」
※小物はスタイリスト私物

きっぱりと潔い藍と白の対比がいかにも浴衣らしく魅力的な瓢柄のゆかたは、清方も賛美した「竺仙」のもの。大胆な瓢は、柴田是真の蒔絵作品にもよく見られるモチーフです。

「竺仙」のゆかたは、現代においてもやはり高い人気を誇り、その魅力はこの随筆が書かれて後70年を経ても変わることはありません。逆に、いっそう磨かれていると言っても過言ではないでしょう。

いわゆる古典柄と言われるものが主流ではありますが、毎年発表されるそれらが決して古臭くはなく必ず新鮮さを感じさせるのが「竺仙」の特筆すべきところ。配色や素材感など、常に時代の空気を捉えアップデートを繰り返し、現代いまに映える古典を作り出し続けています。

くつろいだ気軽なおでかけにぴったり。

※小物はスタイリスト私物

衿は付けず、一枚でさらりと着るのが最も似合う素材である平織の木綿ゆかたですが、その着こなしに上質感を添えるのが変わり織の博多帯。

足袋を履いて夏草履を合わせれば優しく落ち着いた雰囲気に、素足に下駄ならきりりと軽快な着こなしに。よりゆかたらしさを極めるなら帯は半巾、もちろんその場合は素足に下駄が似合いますね。夏祭りや花火大会、ビアガーデンなど、くつろいだ気軽なおでかけにぴったり。

着物を選ばない柔らかな白、うっすらと透ける絡み織の風合いが涼やかで、ゆかただけでなく絽や紗の軽めの付下げや小紋、夏紬などにも幅広く合わせられますので、困ったらとりあえずこれ!といった感じで出番が多くなりそうなひと筋です。

2020.06.19

よみもの

浴衣のイメージが覆った”奥州小紋”との出合い 「つむぎみち」 vol.4

イレギュラーついでに、こちらのご紹介も。

『鏑木清方原寸美術館 100%KIYOKATA!』小学館

『鏑木清方原寸美術館 100%KIYOKATA!』小学館

清方といえば誰しもが思い浮かべるであろう『築地明石町』。

表紙の、そのアップからも窺えるように、烟るような額の生え際や睫毛をはじめ、素足の爪先や耳たぶの赤み、おそろしいほど緻密に描き込まれた着物や帯の柄、背景の小道具といった細部を、手元でじっくりと見られる清方の代表作が原寸で掲載された作品集です。

本書に掲載されている、12幅の軸に描かれた『明治風俗十二ヶ月』のうち5〜8月はゆかた姿。

湯上がりに身支度をする女性を描いた5月の「菖蒲湯」は藍地の紫陽花柄、6月「金魚屋」の店番の女性は縫い締めに蜘蛛絞り(唐松かも?)。7月は白と薄藍の横段の若い娘と、藍地に小さな蝶が散らされた大人の女性の2人が並ぶ「盆灯籠」。8月の「氷店」では、白地に藍のむじな菊のゆかたに、朱赤のたすきと前掛け姿で氷を削る女性の姿が描かれています。

衣紋の内側や裾にちらりとのぞく肌着や蹴出しの紅、帯揚げや帯締め、鼻緒などの細部に至るまで濃やかに描き込まれた小紋柄。また、この頃の常でゆかたであっても帯は袷の昼夜帯、それに対して薄さを感じさせるゆかた地の肌付きの軽やかさ。

当然印刷なので、さすがに絹本の質感まで完璧にとはいきませんが、たとえ博物館で実物を見てもガラス越しですし、そこまで近くで見ることはまずできませんから、ここはこういう柄だったのか…と新たな発見が多々あり、とても見応えのある一冊です。

ちなみに…
この中に、先月取り上げた三遊亭円朝の肖像画もあったりします。

江戸小紋らしき細かい柄の藍の着物に茶の重ね、紋付の黒羽織。身につけた着物も脇に置かれた懐紙入れなどの品々も、写生を重ねた上で描かれたという高座の円朝の姿はほぼ実物に近いのではと思われますので、もし『円朝の女』を読まれた方がいらっしゃったら、合わせてご覧になるとおもしろいかもしれません。

2023.04.29

まなぶ

女たちは、それぞれの生を生きた 〜小説の中の着物〜 松井今朝子『円朝の女』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十四夜

季節のコーディネート
〜絞りのゆかた〜

絞りは、白地でも着こなしやすい素材のひとつ。

生地の凹凸が体との間に隙間を作ってくれる分、少し透けやすさも弱まりますし、肌に付かないので目の詰んだ木綿地より涼しく着ていられます。

鮮やかな藍で大胆な幾何学柄が表された柄はかなり個性強めに思えますが、こんな風に全体的に繋がっている柄だと、絞りの素材感も相まって普段あまり大柄を選ばない人でも意外と着こなしてしまえるので、ぜひチャレンジしてみていただきたいですね。

足元は足袋(麻でもキャラコでも)に草履でも、素足に下駄でもどちらでもお好みで。

帯留には、今が旬の天豆を。

※小物はスタイリスト私物

帯留には今が旬の天豆を。木彫の素朴さが、絞りのプリミティブな雰囲気に似合います。

“麦秋”も、ちょうど今頃の季語。少し先取りのゆかたに、麦と露草が描かれた扇子を添えて。

旬のモチーフを散りばめて、清方の愛した紫陽花を愛でに鎌倉散策といきましょうか。

何にでも合わせやすく使い勝手の良い帯。

繊細な透け感の美しい手織りの麻の八寸は、何にでも合わせやすく使い勝手の良い帯。

軽くて締めていても涼しく、麻や紗紬などの夏着物にも活躍します。

絞りは凹凸があるため衿が開きにくく、またシワにもなりにくいので、長時間着ていても見苦しく着崩れすることがあまりありません。太って見えると敬遠している方もいらっしゃるかもしれませんが、逆に体のラインを拾いにくいので、実はかえってすっきりした着姿に。

一枚で着るゆかたは素材選びが大切になりますが、そういう意味でも、絞りは大人の女性にはとてもおすすめの素材です。

反物の状態だと縮んでいるので出来上がりがイメージしにくく躊躇されていた方も、仕立て上がりであればチャレンジしやすいのではないでしょうか。

…と、これだけ清方を取り上げておいて何なんですが。

実は、私がいちばん好きなゆかた姿の絵は、清方の愛弟子である伊東深水の『宵』。(もちろんすべての作品において清方より深水というわけではなく、あくまでも“ゆかた”という括りにおいて)

簾越しに、白地に青紅葉のゆかたをまとい片肘をついて横たわる女性。

柔らかくまとめられた豊かな黒髪には翡翠の玉簪。呼応する黒白の縞の伊達締めにちらりとのぞく赤い絞りの腰紐、後ろ腰にほのかに透ける蹴出しの紅。ゆったりとたぐまったおはしょり、素足に絡む裾。

これほどにくつろいだ姿でありながら、だらしなさや崩れがまったくなく、その後ろ姿は何とも言えぬ端正で上品な色香に満ちていて。

清方譲りの細部までのこだわりと、それがいっそう研ぎ澄まされたような、簾と無地の団扇以外の小道具を一切廃した潔さも含めて、これこそがゆかたの究極の美しさと言っても過言ではない…そんな気がします。

さて次回、第二十六夜は。

そのおおらかな粗さが涼を呼ぶ。自然布の帯。

2023.05.15

よみもの

浴衣を着よう!大人の女性ならではのカッコいい着こなし術 「大久保信子さんのきもの練習帖」vol.1

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