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蒐集という甘い毒 〜小説の中の着物〜 芝木好子『光琳の櫛』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十三夜

蒐集という甘い毒 〜小説の中の着物〜 芝木好子『光琳の櫛』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十三夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、芝木好子著『光琳の櫛』。凄まじいほどの執着、その果てには何が残る…?こだわりと執着は紙一重。欲しいものは何としても手に入れる、そのエネルギーに圧倒されます。

2023.02.28

まなぶ

滅びの夢の、その先の 〜小説の中の着物〜 久世光彦『雛の家』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十二夜

今宵の一冊
『光琳の櫛』

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫

「香気の立ってくる櫛でした。枯れた金地に、うるし錆の鷺一羽、一幅の絵よね。櫛も小ぶりで、やわらかい曲線がいいわね。櫛というのは、髪に挿してなかば見えなくなるから、挿しているひとの思いが一層こもるようね。光琳の櫛を挿したひとは、美しかったでしょうねえ」

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫

今宵の一冊は、芝木好子著『光琳の櫛』。

小さな料亭の女主人、園。

かつて長年かけて集めた2万点もの櫛や簪を一夜で手放し、そしてまた新たに集めた数が5千点を超えるという…その数を聞くだけでもその執心ぶりが空恐ろしいほどですが、何かに対する蒐集という欲の際限のなさは、理解できる方も多いかと思います。

いわゆるコレクターと言われる人は、その規模の大小はともかく現代でも多くいて、そのターゲットも、絵画などのアート作品、工芸品や宝飾品、ジーンズやフィギュア、コイン、切手、玩具といったものまでさまざまですが、園の場合は櫛や簪という“髪のもの”。

後ろ姿を彩る櫛や簪。コーディネートのアクセントとしても単純にモノとしても私もとても好きなアイテムなので、その気持ちはわかります。…が、深夜に入手したばかりの汚れた櫛や簪の手入れをする園の儀式めいた様子や、部屋中に簪の箱を広げて眺めたり、それらと語り合ったり…という本作中にときどき描かれる光景は、客観的に見たらちょっと怖いかも(笑)。

簪や櫛は、古代中国において神に対する祈りを増幅させるため巫女が身につけた装飾品がはじまりとも言われますから、もともと念のこもりやすいアイテムと言えるでしょうか。

原羊遊斎(はら ようゆうさい)や山本春正(やまもと しゅんしょう)など江戸時代を代表する蒔絵師の作であったり、タイトルにもなっている尾形光琳や酒井芳一が描いた下絵を元に蒔絵が施されたものなど、現代であれば美術館の展示でお目にかかれるかな…?というような品々をめぐって繰り広げられる、これと思ったら何としてでも手に入れたい園と、その持ち主や骨董屋の主人との間の駆け引きや腹の探り合い。

膨大なコレクションを一夜で手放すという激情も、女手ひとつで料亭を切り盛りしながら櫛に関する耳寄りな話を聞けばすぐに地方へでも飛んで行く行動力も、欲しいものをその持ち主ごと引き寄せ取り込む、そんな生命力というかエネルギーというか…そのパワーには圧倒されてしまいます。

「迷いこむおそろしさ、深淵とすれすれのよろこびには魔がひそむ」

すべてを言い表している、この一文。

何かひとつのものを追い求める情熱やこだわりは、とくに芸術などの創作活動においては、新たな価値あるものや美しい作品を生み出す原動力となる必要不可欠なものです。これ無くしては、何も生まれない。

ただ、こだわりと執着は紙一重でもある。

私自身は、こだわりを持ち続けたくはあるけれど、執着はなるべくしたくないなぁと思うのです。

どろどろと渦巻くような執着や情念は、自らをも蝕む“魔”であるような気がして。

今宵の一冊より
〜光琳の鷺〜

水辺に佇む鷺が描かれた紬地の訪問着。

光琳水が織り出された帯に、白の冠組みの帯締めを効かせて。

鷺は繁殖期が初夏であることから俳句の世界では主に夏の季語とされますが、種類によっては一年中見かける身近な鳥でもあり、春には“鷺の巣”、冬には“残り鷺”など、各季節ごとに“鷺”にまつわる季語があります。

伸びやかにすっと立つ、その凛とした佇まいが好まれたのでしょう。
日本画や調度品などの題材としてもよく描かれているモチーフ。

この着物を真冬に着るなら、雪の結晶や雪輪などの帯を合わせて雪中の白鷺のイメージで。まさに『鷺娘』の世界観になりそうです。

鉄線が描かれた蒔絵の櫛

※小物はスタイリスト私物

添えたのは、鉄線が描かれた蒔絵の櫛。

晩春から初夏にかけて花を咲かせる鉄線は、鉄でできているかのような強靭な蔓を持つことからその名が付きました。そしてそこから、決して切れない絆を意味し婚礼衣裳や調度品などに描かれることも。

花言葉は『甘い束縛』『縛りつける』『たくらみ』。

鉄線を選んだのは、私が持っている蒔絵の櫛でちょうど季節的に合う(少し先取りですが)のがこれしかなかっただけなのですが、あらためて花言葉を調べてみて、櫛に対する執着の強さのみならず花言葉まであまりにも園のイメージにぴったりで笑ってしまいました。

小さな美の世界

 「その前に、折角ですからこちらのお好きそうな物をお目にかけましょう」
 仲子は手伝いの女の運んできた細長く深い桐の箱を引寄せた。一目で半襟箱と分ると、園は期待で目を凝した。蓋をあけると、ぎっしり詰った半襟類は今どき見ることのできない品揃いで、一番上は赤地縮緬に白梅の刺繍の、舞妓のしそうなあでやかさである。園は顔を寄せて見た。仲子が一枚めくると、その下は水色地に紫小菊の縫いとりの明治の時代もの。次は金地の佐賀錦織り、次は鴇色総絞り鹿子が現れた。一掛け、一掛け、どれといって手に入れ難い年代物の高雅な品がおよそ数十枚重ねてある。園は取出されるさまざまな色の華やぎにつつまれ、ここにも女の蒐集の艶冶な世界を見出すと、お見事、としか言いようがなかった。

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫
半襟箱

仲子の半襟箱の中身の見事さには及ぶべくもないですが、私のささやかな蒐集欲を刺激する幾つかのアイテムのうちのひとつ、半襟。

ここに写っているのはそのうちの一部ですが、自分自身が使うもの以外にスタイリング用のものもあるので、アンティークや現代ものも含めると結構な枚数になりそうです。

やはり襟は肌に触れて使われているので傷みが激しいものも多く、アンティークのもののなかには、使用には耐えられないけれどデザインが気に入っているからただ持っているというものも。

朱塗りの半襟箱は、20年以上前にたまたま立ち寄った古道具店で入手したもの。その時点ですでにかなり年季が入っていたのですが、使っているうちにいっそうの味(?)が……

なるべく長く現役でいてもらえるよう、これからはより丁寧に扱わなくてはいけませんね。

半襟は小さな面積ですが、やはり顔にいちばん近い場所なので、与えるイメージに対する影響力がとても大きい。

藤、文目、柳に躑躅…咲き誇る春の花々を襟元に添えると、シックなコーディネートも一気に華やいだ印象になります。

40代の園よりふた回りほど年長で、懐が深く、こだわりはあれど執着はなさそうな軽やかな精神を持った魅力的な女性、仲子。

“光琳の櫛”が存在するという情報を園にもたらしたのは、この仲子。彼女自身が所有する櫛を見せてもらうために訪ねた際、遊び心のある仲子が目的の品を見せる前に園を少し焦らす、そんなシーンです。

実家が呉服商であった著者らしく、本作の主題である櫛や簪などの“髪のもの”だけでなく着物や小物にまつわる描写もとても細やか。

趣味の良い仲子と園のやりとりも、脳裏に色鮮やかな映像が浮かぶようです。

まなぶ

十二ヵ月のアンティーク半襟

「香気の立ってくる櫛でした。枯れた金地に、うるし錆の鷺一羽、一幅の絵よね。櫛も小ぶりでやわらかい曲線がいいわね。櫛というのは、髪に挿してなかば見えなくなるから、挿している人の思いが一層こもるようね。光琳の櫛を挿したひとは、美しかったでしょうねえ」

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫

本稿の冒頭で抜粋したのは、園が殊に執着し、どうしても手に入れたいと願った“光琳の櫛”を実際に見た仲子の言葉。この部分を読んだときに思い出したのは、以前、象牙や鼈甲などの上質な簪や櫛を取り扱う専門店の店主と交わした会話です。

「昔のものは(挿した姿はもちろんだけど)置いてある姿そのものが美しい」

仲子が語るように、櫛や簪の足部分は挿すと髪に隠れてしまいます。ですから、極端なことを言ってしまえば足部分は丈夫でさえあればよく、そこに凝る必要はない。

しかしながら、アンティークの品や本当に腕の良い職人が作ったものは、その見えなくなる部分までが繊細で美しいものが多いんですね。

生産効率(そこにこだわって、値段が高くなってしまったら売れないため)や壊れないこと(すぐにクレームが来るから)が重要視される現代では、足も太くて不格好だったり味気のない金具だったりになりがちで、挿した姿は悪くはないが、置いてあるときがあまり美しくないんだよなぁ…という店主のぼやきに、私も思いっきり首肯しました。

簪に限らず、帯留も、帯も、半衿もそう。着たら見えなくなってしまうところまで趣向が凝らされ、物語が繰り広げられている。

本作中に櫛と同じ光琳作の印籠が出てきますが、印籠や煙草入れなども、本体の柄、添えられた根付けや前金具の素材や柄、施された細工、裏地、紐の組み方…などなど、ひとつの世界として、とことんまでこだわって手をかけることができ、そしてそれを喜んで依頼したり入手したりする人がいて、それで生活することが可能だった時代の職人は幸せだっただろうなと思います。さぞかし腕の振るい甲斐があったであろうと。

現代ではなかなかそうもいかないことは重々承知していますが、今でもそういう作品を作り続けている作家の方も少なからずいらっしゃるので、もしそんな作品に触れられる機会があれば、ぜひ細かいところまで目に留めてみていただけたらと思います。

今宵の一冊より
〜春衣〜

 梅塚から電話があったのはそれから四、五日あとであった。園が外出から帰ってくると、明日梅塚が相客と来るという。相客はいつも老人である。櫛の返事がようやく聞ける。梅塚の好むのは離れの茶室で、その日は軸物から座蒲団まで特別のものを用意する。板前が気を遣って春先の献立を作って、どうでしょうかと聞きにくる。月に一度ずつ、何年と続く客に飽かれぬためには好みに合わせた工夫をしなければならない。彼は特別鮎好きだから、若鮎の味噌仕立てにしては、と彼女も吟味する。若い板前もこんな客は一つの張合といった顔をする。彼女自身当夜は仕立下しのきものを着る。二度繰返すと梅塚は意地悪い目でじろっと見るのだった。仕立下しは白結城に春の野草を裾や肩においた、和らいだ春衣である。黒髪の簪は珊瑚の細工物をえらんでみた。梅塚の目が止まればこちらの勝ということになる。

芝木好子『光琳の櫛』新潮文庫

単衣に仕立てて、気温が上がりはじめたちょうど今頃から着はじめるのにもぴったりの、柔らかい配色でモダンな流れのある縞を染めた白地の結城紬。

あるいは、胴裏を付けず八掛のみを付けて仕立てる“胴抜き”と呼ばれる仕立て方にしても使い勝手が良さそう。

帯で季節感を。

※小物はスタイリスト私物

作中で園が纏った結城紬には早春の柄が描かれていましたが、ここでは帯で季節感を。

合わせたのは、銀鼠の縮緬地に華やかな満開の藤が描かれた染め帯。まだ少し肌寒さの残る春先にぴったりの素材感です。深い黒緑の冠組みの帯締めで、きりりと引き締めて。

このコーディネートなら、髪には珊瑚の細工物ではなく、他のシーンで園が挿している“目立たないように銀の細工がしてある紫水晶の簪”が似合いそうです。

今宵のもう一冊
『隅田川暮色』

芝木好子『隅田川暮色』文春文庫

芝木好子『隅田川暮色』文春文庫

 ある日学校帰りに直子の家へゆき、土蔵の前の渡り廊下へくると、蔵の戸が明いていて大きなガラス戸棚にたくさんの色糸が納めてあるのを見た。彼女は吸い込まれるようにそばへ寄っていった。おびただしい絹糸は赤や朱や褪紅色や紅色や、紫は濃紫から中紫から薄藤へ、青も、黄も、紺も、濃淡をそろえて、百花を見るようにひしめいていた。絹糸は光沢と張りがあって、さまざまの色と色は惹きあいながら競い合っていた。冴子は驚嘆した。

〜中略〜

「私は瑠璃色と白がいい」
「白って、色なの」
「決まっているじゃない。白は色よ。白い花があるように」
 夢中で喋っていて、ようやく気がつくと、通りがかりに足を止めた直子の兄の大学生の悠がこちらを見ていた。制服の女学生と色糸を見比べている。
「悠兄さん、白は色かしら。冴子さんがそういうのよ」
 冴子は子供っぽく大声で喋っていたのに気付いたのだった。悠はそばへきて瑠璃色と白が離れて納まっているのを確かめた。
「白が好きかい」
「ええ。白は瑠璃色がくると白色になるし、紫がきても、紅がきても、うつるし」

芝木好子『隅田川暮色』文芸春秋

今宵のもう一冊は、同著者の『隅田川暮色』。

平安時代後期に、平清盛が一門の繁栄を祈って厳島神社に奉納した平家納経。
その経巻に付いていた、複雑に組まれた紐の復元に取り組む冴子を主人公とする物語です。

時代は昭和35年。
個々にはまだ戦争の傷跡を抱えつつも、社会は高度成長期に入って間もない頃。

帯締めや羽織紐などの組紐を取り扱う老舗である「香月」において、長男である悠と長年連れ添いながら、正式な嫁としては扱われない日陰の身、しかしながら優秀な紐の組み手としてその技量と色彩感覚が認められ重用されている…という、かなり微妙な立場の冴子。

そして、その複雑な組み方と並んで重要な課題である約800年前に染められた色の復元を、冴子とともに目指すのは紺屋である幼馴染の俊男。

ふたりの間で揺れ動く冴子の行動にも心情にも全面的に賛成はしかねるのですが(まぁわからないでもないけれど、ちょっと突っ込みたくもなる)、呉服商に育った著者の豊富な知識に加え、実際に『道明』の山岡一晴氏の教えを乞うた上で書かれた本作は、復元に至る試行錯誤の過程や色に関する描写などもリアリティがあり読み応えがあります。

そして、ここでもやはり、香月のおばあさまのキャラがめちゃくちゃ濃いです(実際に身近にいられるのは勘弁していただきたいけど、読者としてはとてもおもしろい笑)。

京都のとある機屋さんの棚

これは、京都のとある機屋さんの棚。

これらはいずれ帯として織られるための糸だけれど、たくさんの色糸が納められた香月の土蔵のガラス棚もこんな雰囲気だったかもしれません。

今宵のもう一冊より
〜縁結び〜

「(略)おやじのあとを継いで紺屋になって、大したこともない一生だったが、山藤さんの仕事をさしてもらって良かったと思っています。実に我儘なひとで、鶸色と萌黄色とも違う、薄い翡翠色を染めてこい、と目に見えない色の難題をふっかけるからね。口惜しいが色は出ない。切羽詰って萌黄の若い色を裾と肩と二段に染め分けて仕上げた時は、たいそう気に入ってもらった。ふいに色がわかった気がした。自分の色が見えてきた。一生かかって幾百枚きものを染めたところで紺屋のまんまだが、それでも色が見えた、と思っただけ良かったね」

芝木好子『隅田川暮色』文芸春秋

呉服商であった冴子の父との思い出を語る、俊男の父元吉。

冴子の揺らぐ心をぴしりと制するのは、“まっとうに仕事をし、けじめのある暮らし”を貫いてきた、この老職人の静かな強さでした。

ニュアンスのある柳色、薄青丹、藤色のぼかしで染められた、ほんのりと透け感のある紋紗の着物。

若苗色の総裏がわずかに表に影響し、より色に奥行きが感じられます。

ここでは、縁を結ぶという意味もある紐が描かれた塩瀬の染め帯を合わせてクラシカルな雰囲気のコーディネートにしましたが、モダンな帯を合わせてドレス感覚でも着こなせそうな個性的な一枚です。

【道明]】帯締め 変り厳島組 緑/茶 ※帯揚げはスタイリスト私物

象牙色の地に結び紐が描かれた塩瀬の染め帯。
この地色も白の一種と言える色ですが、硬質な白とは違い柔らかい印象になります。

何にでも合わせやすい白ベースの帯、という立ち位置でありつつ、黒や焦茶などの濃色の着物に合わせたなら茶系統のシックなコーディネートにも。

帯揚げも帯締めも、着物や帯の柄に使われている色のグラデーション。
艶のある白や色の濃淡、素材の違いによりリズム感が生まれ、メリハリのある帯まわりに。

冴子が復元を目指した厳島組に、少しアレンジを加えた『変り厳島組』と名付けられた帯締め。

柔らかい印象のコーディネートを引き締める、さすがの存在感です。

実は先月の時点では違う作品を取り上げるつもりだったのですが、それをあらためて読み返そうと本棚を覗いたとき、ふと目に入ったのが、このかなり年季の入った芝木好子作品の塊でした。

これは、祖父の遺品を整理する際に祖父の本棚からごっそり頂戴してきたうちの一部。

そう言えば…と思い出し久しぶりに読んでみると、大正末年に生まれ、昭和35年に35歳であった『隅田川暮色』の主人公冴子は、祖母と同じ歳。

ちょうどこの頃病を得て療養生活をしていた祖父と離れ、私の母と母の兄のまだ幼い子どもふたりを抱え、会社勤めをしながら日々奮闘していたであろう祖母には、同じ年という以外冴子と共通する部分はまるでないけれど、何だか祖父に呼ばれたような気がして、告知とはちょっとずれてしまうけれど今回はこの2作を取り上げることにしました。

先に挙げた『光琳の櫛』に《美に酔う》という言葉があります。

櫛に簪、そして組紐の他にも、型染めや貝紫、陶芸、日本画、芸事など日本特有の《美》を主題とした、まさに《美に酔う》ことのできる作品が多いので、ぜひお手に取ってみてください。

さて次回、第二十四夜は…

そろそろ、陽射しは初夏の気配。

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