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徒花は咲き誇り、我が道をゆく 〜小説の中の着物〜 山崎豊子『ぼんち』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十二夜

徒花は咲き誇り、我が道をゆく 〜小説の中の着物〜 山崎豊子『ぼんち』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十二夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、山崎豊子著『ぼんち』。“ぼんぼん”ではなく“ぼんち”であろうとする喜久治と、彼を取り巻く女たち。大阪船場の老舗の商家、その特殊な土地柄における独特なしきたりの数々が毒々しいほどの色彩で描かれた一大絵巻のような物語、その歪で濃密な世界と対峙するにはかなりの気合いが必要かもしれません。

2023.11.29

まなぶ

働くことは生きること 〜小説の中の着物〜 朝井まかて『残り者』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十一夜

今宵の一冊
『ぼんち』

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

 月の朔日ついたち、十五日になると、きまって、着物の上から下まで、すっぽりさらに着替える。大島紬に羽二重の長襦袢はむろんのこと、肌襦袢、下履きまでである。このために、三人の針女おはりが、小暗い六畳の縫物部屋で一日中、針を運んでいる。
 喜久治は、眼の前の乱れ籠に重ねられた仕立おろしの大島紬を見ながら、生ぬくい欠伸をした。宿酔のせいである。五尺六寸の大柄な体を、怠そうにだらりと支え、上女中のするままに任せている。上女中のお時は、出戻りの年嵩女中だけあって、喜久治が風呂上がりの素っ裸のままでいても、瞬き一つしない。手馴れた具合に前へ廻って、一番下のものを履かせ、次に晒の肌襦袢を着せ、蝉羽のように軽い絹の長襦袢を、ふわっと肩にかけると、ここで一服、煙草を差し出す。

~ 中略 ~

 広縁づたいに、白い絹足袋が四つ、もつれ合いながら、音もたてずに歩いて来る。どちらも九文足らずの、小さい華奢な足もとである。祖母のきのと、母の勢以であった。離れの隠居部屋から、喜久治の部屋へ連れそって来るのであることは、その足もとからして、一目で解った。
 お時が、うしろにまわって大島紬の着物を着せかけ、腰骨の上のあたりでしゅっと、しごくように細帯を締め、手早く博多独鈷の角帯を結びにかかった。その手早さで、お時も、きのと勢以の気配を見て取っているらしい。ちょうど角帯を貝口かいぐちに、ぴしっと結び終えた時、喜久治の背後で、硝子障子が開いた。
「あ、おはん、御寮人ごりょうはんもお揃いでー」

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

今宵の一冊は、山崎豊子著『ぼんち』。

大阪船場の老舗足袋問屋、河内屋。その5代目の跡取りである喜久治と、その人生に関わる女たちの物語です。

抜粋したのは、本作の第1章のまさに冒頭部分。たったこれだけ……中略部分を含めたわずか30行足らずで、主要登場人物の背景や関係性を浮き彫りにさせてしまうこの描写は、お見事としか言いようがありません。

タイトルの“ぼんち”とは、作者によると、船場の商家特有の跡取り息子を指す呼び方で、ただの甘やかされた“ぼんぼん”とは違い「根性がすわり、地に足がついたスケールの大きなぼんぼんーたとえ放蕩を重ねても、ぴしりと帳尻の合った遊び方をするー」そんな有能な商人としての才覚も持ち合わせた人物を意味するのだとか。

本作に登場する女たちの中で最も強烈なのは(まぁ冒頭からその気配を存分に振り撒く登場の仕方で、容易に想像がつきますが)、この河内屋において絶大な権力を振るう、“おはん”と呼ばれる喜久治の祖母きのと“御寮人ごりょうはん”と呼ばれる母勢以の2人。

この2人の(特に“おはん”きのの)、二言めには「船場のしきたり」を振り翳すやりたい放題振りがなかなかに凄まじく、そのこてこての船場言葉も相まって、ちょっと辟易するほど。

直系の跡継ぎである喜久治への態度はまだかなりマシな方で、養子婿である喜久治の父四代目喜兵衛は、まるで人にあらずというような、かなりひどい扱いを受けていて、さすがに同情の念を禁じ得ないものが……。そして喜久治の唯一の正妻となる弘子に対しての、子どもを産んだ後はまるで用済みとばかりの扱いは、同性同士であるが故に、よりその醜悪さにぞっと鳥肌がたつような思いがします。

しかし、そんな我が物顔で君臨する女たちをのらりくらりと躱しつつ、ここぞというところはきっちり抑え込んでこその“ぼんち”と言えるのかもしれないなとも思ったり(とは言え“おはん”“御寮人ごりょうはん”の2人も、そう簡単に抑え込まれてはくれませんが)。

その強烈な本宅の女たちに負けず劣らず濃いキャラなのが、喜久治が世話をするぽん太、幾子、お福、比佐子、小りんの5人の女たち。

そして、やられてばかりではない弘子に、主家にただ黙々と仕える古参女中のお時、密かに喜兵衛の世話を受けていた芸者の君香など、登場するすべてのどの女性もが皆、なんだかとても強靭つよい(それぞれ、ベクトルは違うけれど)。この時代の関西の女たちって、皆こんな強いの……?と、そのタフさにある意味感心します。

え、それで商売本当に大丈夫?と心配になるほど派手な散財をし続けながら、自らの襲名披露の内祝の品を、足袋一足……と見せかけて純金作りの小鉤こはぜにしておき「しみったれた土産ものやな」と侮りかけた同業者を唸らせたり、絹寒冷紗の夏足袋や色足袋といった、それまでの世の中にはない新しい商品を開発し、花街での遊びをうまく利用してお披露目や宣伝に繋げたり……と、なかなかの商才を発揮してみせ、次から次へと女たちに手をつけながらも、なんだかんだ最後までちゃんと全員の面倒を見続ける喜久治。空襲で財産を失っても女たちを見捨てることなく仕送りを続け、商売においても新たな展開を図り、しっかりと軌道に乗せ……と、いやいや喜久治さん、実はとてもできる男じゃない?しっかり“ぼんち”しているじゃないですか、と思うのですが、それすら、どうも有り難みが薄れがちというか(笑)。あまりに周りの女たちが、皆良くも悪くもマイペースで自分勝手、妙な生命力に溢れすぎているんですよね。そういう意味では、ちょっと喜久治が気の毒に思えるくらいです。

“おはん”きのと“御寮人ごりょうはん”勢以の、贅を尽くした装いや季節の行事、そしてさまざまな立場の女たちの身の回りの事ごと、カフェーや競馬といった当時の新しい風俗の様子……それらももちろんですが、主人公の喜久治ー昭和初期という、この時代における富裕な男性の季節ごとーの装いという観点だけを取り上げても、かなり綿密な描写が散りばめられています。足袋問屋の主人ということもあり、喜久治は結構足周りに対するこだわりも強いため、他の作品ではそれほどクローズアップされることのない足袋や履物に触れた描写も多く、見どころ(読みどころ?)をピックアップしていくと、本当にきりがないほど。

現代の感覚では少々理解しがたいところもありますが、喜久治の世話を受けることになったぽん太や幾子が本宅に挨拶に出向く“本宅伺い”のシーンを筆頭に(特にぽん太の本宅伺いは真夏なので、そのときの装いや気遣いの仕方、待ち構える本宅の女たちの様子などもとても面白いんですよね。まぁリアルには絶対に遭遇したくない場面ですが笑)、花街ならではのすいな遊びの数々、老舗であるがゆえの約束事ー例えば、絶対に遅れを取ってはならぬ“火事見舞”などー、船場という特殊な地域における独特なしきたりが息つく間もなく次々に描かれる、毒々しいほどの色彩に満ちた一大絵巻のような物語。

これまでにも幾度か取り上げてきましたが、いわゆる“女系”と言われるような、女性(大抵はお婆さま)が絶大な権力を持って君臨するお家を舞台に物語が繰り広げられる小説は数多くあります。それは、そうして血筋や権威を保ってきた(保つ必要がある時代もあった)歴史上の事実でもあるので、その是非をここで問うつもりはないのですが、ただ……結局“極端な”ソレ(女尊男卑も、男尊女卑も)は、やはりあまり良くない“歪み”を生むんだと思うのです。

どちらかだけ・・が尊い、それはやはり健全ではないんですよ。単純に。

(男女に限ったことではなく)当たり前に“個”が尊重される、それが普通。
それはとてもとてもシンプルなことだと思うのだけど、現代においてさえ、そのシンプルなことがなかなかに難しいのもまた現実なんですよね……

今宵の一冊より
〜正月支度・お福〜

 宗右衛門町の浜ゆうへ上がると、大分前から、火桶を置いていたのか、埋み火になっているのに、部屋全体がこんもりと温かい。
 お福は、普段の揚げ巻に、正月らしく毛髱けたぼを入れてびんを張らせ、古代紫の鮫小紋に黒繻子の帯を締めている。格別の正月衣裳など要りまへんというのを、喜久治が四人ともに公平にと無理に作らせた衣裳であるが、お福らしい渋い好みであった。座敷机の前にきちんと坐り、
「新年おめでとうさんでございます。本年もお蔭を蒙らせていただきます」
と型通りの挨拶をすませると、三重みかさねの屠蘇盃をさした。本宅へ年始に来ることもなく、また持家で会うこともない二人であったから、正月三日の、お茶屋の座敷で、はじめて新年の挨拶を交わすよりほか仕方がなかった。喜久治は、ふと、よそよそしい心さびしさを感じたが、お福は、別に気にする様子もなく、ゆっくりとしたもの云いで、
「さあ、お一つ、おいきやして――」
とお銚子を取り上げた。喜久治は最初の一杯を空けると、自分よりお福の方に酒を注いだ。お福は、何時ものように、きれいな手つきで盃を受け、盃のふちへ唇をあてると、ふうっと一息に、酒を含んだ。

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

本作で、幾度か描かれる正月支度。

喜久治が20代の初めから40代に至るまでの20余年の間の物語なので当然ではあるのですが、その都度喜久治を取り巻く状況(世話をする女の数も、商売の状況も、社会情勢も)は変化を遂げており、ある意味、それを如実に感じさせるシーンでもあります。

深みのある古代紫の万筋の江戸小紋に、黒地に流水と松が織り出された袋帯を合わせて。

西陣の老舗機屋『白綾苑大庭』の、ひと目でそうとわかる独特の味のある意匠や色彩は、ゆったりと大らかで確固たる強靭さがあり、しかしどこか捉えどころのない不思議な魅力を持つお福のイメージに重なります。

作中でお福が纏うのは鮫小紋。
この反物のもう片面には一般的なものより少し大きめの青海波が染められていますので、そちらを表にしても。せっかくの両面染めですので、単衣にして裏の翻りを楽しんでも良いですね。

帯揚げは白地に焦茶の梅の輪出し、帯締めは濃紫の菊房の白の冠組み。シックな配色ながらどことなく艶やかで、目に鮮やかな白がお正月らしい改まった雰囲気をもたらします。

扇面には、ひと筋の鮮やかな紫。

小物:スタイリスト私物

吸い込むように酒をあおる見事な飲み振りのお福にちなみ、瓢箪を象った骨が味わいのある扇子を添えて。

2023.04.29

まなぶ

女たちは、それぞれの生を生きた 〜小説の中の着物〜 松井今朝子『円朝の女』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十四夜

今宵の一冊より
〜厄除け・幾子〜

 幾子が、ものねだりするのは、始めてのことであった。しかもそれが幾子らしく古めかしい迷信を担いだものであった。大阪の花街いろまちでは、何時の頃からか、女が三十三歳の大厄を迎えるとその年の年越しに、七色の腰紐を調えて、厄年の不浄を払う風習があり、その厄払いが派手なほど、厄落ちすると云い伝えられ、旦那持ちの厄女は、七色の腰紐を自分だけではなく、朋輩や知り合いの女にまで配って厄払いをしたがった。

~ 中略 ~

 年越しの日になると、喜久治は、昼過ぎから幾子の家に出かけて行った。
 表格子を開けるなり、家の中がぱあっと明るく色づいた。七色の腰紐が、あがかまち一杯に拡がり、つる八が小間物屋のようにせっせと、熨斗紙をかけている。
「ご苦労はんやなぁ」
 下駄を脱ぎながら、声をかけると、
「あ、旦那はんでっか、えらい取りちらかしまして――、なんし、日日ひにちがないうえに、近ごろ少ない別染めでっさかい、今朝、染め上がって来ましてん、へい、これがおなごはんの厄除けのまじないでおます」
 畳の上の腰紐を一本取って、喜久治の前へぶら下げた。
 白地の紋綸子に、赤、桃色、本紫、肉色、空色、鼠色を、だんだら縞のぼかし染めにした幅広の腰紐が喜久治の眼先で、びらびらと華やかにしなった。

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

大人しく慎ましやかで、本宅の女たちから「(費用がかからず)為のええ女」(この言い方……)と言われる幾子が、珍しく喜久治にねだったのは厄除けの七色の腰紐。

現代でも、紐や着付け小物、襦袢など肌身に近いところに用いるものに七色をあしらい厄除けとして身につけたり、また、地方によっては厄年に“長いもの”(紐でも帯でも)を新調すると厄除けになるという風習が残っていたりします。

楊柳(絹)の腰紐は、とても締め心地が良いので私自身愛用しているのですが、このところすっかり入手しづらくなってしまいました。七色に染められた楊柳の腰紐も、10年くらい前まではまだ結構店頭にも置いてあったのですが、近年ではほとんど見なくなってしまいましたね(そういったものを扱う小物屋さん自体が減ってもいるのですが)。本作中でつる八が言うように、昭和初期のこの頃でさえ少なくなっていたのではそれも当然かもしれません。このまま、なくなってしまうのはとてもかなしいのですが……

厄除けは重ねるほど効く、だから「七色の足袋があったら履きたいくらいだ」という幾子の言葉が、これと思う新商品が浮かばず頭を悩ませていた喜久治に閃きをもたらし、色足袋の誕生に繋がります。

素朴で働きもの、地味な拵えのうちに控えめに滲む女らしさを持つ幾子のイメージと重なるような、小豆茶色に竹よろけ縞を染めた牛首紬に、お正月らしい松竹梅の帯を合わせて。

厄除けの七色で紐の柄が染められた帯揚げを胸元に忍ばせ、新たな年のご縁結びを願いつつ、足元にはほっこり暖かい雰囲気のベロアの色足袋を。

のんびりと自宅で過ごすお正月にぴったりの装い。割烹着も似合いそう。

程良い甘さが魅力的な塩瀬の染め帯。

小物:スタイリスト私物

疋田で表された梅に、松竹梅の刺繍をさりげなく散らした程良い甘さが魅力的な塩瀬の染め帯。

こういった柔らかな白地の帯を合わせると、普段着の紬にも新春のハレ感が漂います。

帯留にはアンティークの彫金の鯛を添え、めでた尽くしに。

2021.12.29

まなぶ

めでた尽くしで、歳神さまをお出迎え 〜モチーフで遊ぶ〜 「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第八夜

今宵の一冊より
〜縞お召・喜久治〜

 一行は、女の世話で最初に風呂へ入り、持参した風呂敷包みを開いて、国民服を和服に着替えた。招待主の十河屋は紬の着物に対の茶羽織、佐野屋は唐桟縞、呉服屋の染市は大島の対、木綿問屋の近江屋は結城絣、喜久治は縞お召の対と、各々の好みで寛ぎ、海に面した二十畳の座敷に坐ると、久しぶりにお茶屋にあがったような華やいだ気分になった。

山崎豊子『ぼんち』新潮文庫

国民服と描写があることからもわかる通り、ときは昭和19年の太平洋戦争下。
男性はもちろんのこと無職の女性たちも徴用され、度重なる深夜の空襲警報に夜間の灯火管制は当然のこと。

贅沢の限りを尽くしていた河内屋の女たちも田舎へ疎開し、喜久治も、のんびり妾宅を訪ねるなどもってのほか……というご時世。

しかしそんな中でもこういった機会を持とうというのは、ある意味立派というか何というか。どこかゆとりがあるというのか、一般庶民からすれば反感を買うのも無理はない気がするなと正直思いますが、それが“ぼんち”の矜持というものなのかもしれません。

焦茶に白の子持ち縞が織り出された縞お召。
撚りのかかった糸で織られたお召には独特の艶があり、どことなく華やぎを感じさせます。どちらかというと派手好みな、喜久治らしいセレクト。

男性の場合、白足袋は主にフォーマルに用い、日常遣いには関東は紺、関西は黒。紺は洗うとすぐに色が褪せるので、倹約しまつを美徳とする関西は洗っても色が変わらない黒繻子地を好んだと言われます。

手前が紺足袋、奥が黒繻子の足袋。

手前が紺足袋、奥が黒繻子の足袋。

奥が木綿、手前が繻子の足袋。

奥が木綿、手前が繻子。
同じ黒でも、艶の有無で印象が変わりますね。

柄足袋を合わせると、ぐっと遊び着っぽいニュアンスに。

柄足袋を合わせると、ぐっと遊び着っぽいニュアンスに。

足袋問屋の主人である喜久治は、冒頭の抜粋部分からもわかる通り、日常から白足袋を毎日(!)履き捨てていました。もったいないと繕って履いていた幾子を、足袋屋の主人の女がみっともないことをするなと叱りつけるほど(戦時下においては、当然そのようなことは言っていられなくなりますが)。色足袋を開発する前の喜久治なら、きっとこういう日常の着物にも白足袋だっただろうと思いますが、現代では、普段着に白足袋を合わせるとお茶や踊りなどをしている方かな……?というイメージになるかもしれません。

もちろんそれがNGというわけではないのですが、印象がきちんとして見えるというか、真面目な着こなしになるというか……洋服の際の、白ソックスをイメージしていただくとわかりやすいでしょうか。

紺や黒の足袋はベーシック、着物と同系色だとすっきり洗練された印象に。
白だと生真面目な印象、柄ものや派手な色を合わせると遊びが強く個性的な装いに。

足袋ひとつでも、ずいぶん印象が変わります。見える分量が多いせいか、洋服よりもそれは顕著かもしれませんね。

鳥獣戯画が織り出された博多の角帯を合わせて。
跳躍力、繁殖力の強い兎も、“無事帰る”や“(遣った金が)返る”にかけた蛙も縁起物。

お金にまつわる縁起物といえば、変わりどころではムカデなども。

おアシ(=お金)がいっぱい、ということで(笑)アンティークの帯留や簪などでも見かけることがあります(結構リアルだったりすることが多く、あまり身に付けたくはならないですけれど)。

金の小鉤こはぜ、もしかしたらこんな感じだったかも。

今宵の一冊より
〜縞お召・女ものに〜

本作中の描写では“縞お召の対”となっていますので、きっと喜久治は羽織も同じもので誂えていたのでしょう。他の方々も皆そう書かれているように、この頃は同素材で対(アンサンブル)にすることがほとんどでしたが、現代では必ずしもそうとは限りません。

最初からそれ用に1疋(いっぴき:2反分/約24m)で織られているものもありますが、通常の反物であれば違う種類のものを2反使って着物と羽織にしても。

洋服で言えば、上下揃いのスーツにするか、ジャケットとパンツを違うものにするか……といった感覚でしょうか。揃いであればベーシックな雰囲気、違うもので組み合わせれば少しお洒落な雰囲気に。

同じ生地でお対にすると、無難ではありますが少し野暮ったい感じになってしまう場合もあるので、もし1疋あるならば、半分ずつパートナーや仲の良い友人と分けて仕立てるのも楽しそう。

先ほどと同じ縞お召ですが、女性用に仕立てるとマニッシュで素敵。
こんなふうに抑えめの表地ならば、柄八掛で楽しむのも良いですね。

やはり厄除けの意のある鱗文様と、龍の丸紋が織り出された織り名古屋帯を合わせて、来たる新年の干支“辰”にちなんだ装い。

鮮やかな常緑の松の緑を差し色に。

水を司る神獣である“龍(辰)”にちなんだコーディネート

小物:スタイリスト私物

小舟に宝珠を乗せた、さりげない宝舟の帯留に、舟の櫂を模した骨が印象的なアンティークの扇子を添えて。

帯揚げの地紋は流水。帯周りを、水を司る神獣である“龍(辰)”にちなんだモチーフでまとめたコーディネートです。

季節のコーディネート
〜総絞り〜

ふわりと身を包んでくれる柔らかな絞りの素材感は、真冬の冷たい空気にとてもよく似合う。

仰々しくない適度な華やぎと上質感、品の良い落ち着いた佇まい。白っぽい色味も、どことなく改まった雰囲気を醸し出してくれる総絞りの小紋は、お正月に手を通したくなる着物ではないでしょうか。

衿元には南天の刺繍。帯留には鼈甲の六瓢むびょう

難を転じ、無病息災。
縁起物は、これでもかと重ねて新春を寿ぎましょう。

市松に宝尽くしが染められた名古屋帯

市松に宝尽くしが染められた名古屋帯を、ゆったりとした角出しに結んで。

あえてぼってりとした縮緬地の帯を合わせて、大らかでどっしりと構えた関西の女将さんのイメージに。

胸元に忍ばせた、扇面に描かれた水仙。

小物:スタイリスト私物

胸元に忍ばせた、淡く澄んだ黄色にリンクするのは扇面に描かれた水仙。

一面の雪景色を思わせる、ふくふくと柔らかい絞りの着物。
加賀千代女の“水仙の 香やこぼれても雪の上”の句を彷彿とさせる小物遣いです。

白昼夢のようなラストシーンが印象的なこの物語は、市川崑監督により映画化もされていますが、原作のイメージに合っている部分とちょっと違う部分とがあります(作者が監督に制作中止を申し入れるなど、かなり不穏なやりとりがあったようですが)。

ただ、キャスティングはかなりイメージに合っていると思うので(山田五十鈴さんの勢以とか!京マチ子さんのお福とか!!︎)、ついつい原作を読みながらも頭の中で映像化されてしまうんですよね。

肌に吸い付くよう、と表現されることも多い、皺ひとつない白足袋にぴっちりと包まれた足もとのクローズアップが象徴的に何度も登場するので、観終わる頃にはぴっちぴちの白足袋を誂える気満々になっていることと思います。

喜久治を演じる市川雷蔵さんの着こなしはさすがですし、ぽん太(若尾文子さんが可愛い)が本宅伺いに行くシーンなどはかなり原作に忠実ですので、ぜひ映画も合わせてご覧になると楽しいと思います。まぁまずはこの原作がなかなかの長さではありますけれど……(この分厚さをご覧いただけたらお分かりかと思いますが笑)。

気軽に読める、とは決して言えない、対峙するには結構な気合いが必要な濃厚な作品ではありますが、このお正月、じっくりと取り組むお時間がある方はぜひチャレンジしてみてください。

古書の面白いところ。

私の手元にある文庫のカバー袖部分には、ドラマ版の場面写真が。
こういうのが、古書の面白いところ。

さて次回、第三十三夜は。

“白梅を思わせるひと”という描写から、思い浮かぶのは……?

◆ 連載30回記念!読者プレゼント ◆

「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」連載30回記念!秋月洋子さんプロデュース『誰が袖 -tagasode-』より、着物生地を用いた”スキヤクラッチ”をプレゼント!

きものと読者の方より抽選で1名様にお届けいたします。

数寄屋袋

第三十二夜では梅柄の作品をプレゼント

『誰が袖 -tagasode-』

『誰が袖 -tagasode-』

ヨーロッパのインテリアに使われる魅力的なマテリアルを用いて美しいバッグを生み出すJOJO reticule』とのコラボモデルはすべてが1点もの。手の込んだ手仕事の反物を余すところなく使い尽くす、というサスティナブルの精神のもと、上質を極めたディティールに、秋月洋子さんならではの生地セレクトが光ります。

「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十夜、第三十一夜、第三十二夜公開にあわせて3ヶ月連続、ひと柄ずつお贈りいたします。

数寄屋袋梅柄01
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数寄屋袋梅柄03
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第三十二夜では、梅柄のものを。下記リンクより、お使いのSNS経由にてご応募くださいませ。

インスタグラム
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※応募期間:2024年1月10日(水)まで

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