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インスピレーションソース 〜小説の中の着物〜 北原亞以子『慶次郎縁側日記』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十八夜

インスピレーションソース 〜小説の中の着物〜 北原亞以子『慶次郎縁側日記』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十八夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『慶次郎縁側日記ー再会ー』。深まる秋、彩りと実りの季節。世界は、インスピレーションソースに満ちている。

今宵の一冊
『慶次郎縁側日記ー再会ー』

北原亞以子『慶次郎縁側日記ー再会ー』新潮文庫

北原亞以子『慶次郎縁側日記ー再会ー』新潮文庫

 こんな色の小紋を誂えたいと思いながら、お登世は、おすみの買ってきた栗の籠を引き寄せた。
 つややかで大きなのを一つ、てのひらにのせて、栗のいがの小紋も面白いかもしれないと思う。金物屋に嫁いだ妹は、「着物ばっかり拵えて。少しはためることを考えたら?」と、眉を吊り上げるにちがいないが、うるさい後見人の意見をはねのけながら料理屋をつづけているお登世にとって、今のところ、気晴らしは着物を作ることだけだった。

  〜中略〜

「面白い柄だね」
と、慶次郎は、お登世の小紋を褒めた。
 お登世は、嬉しそうに顔を赤くする。お登世は、十人ずつの男女が背を向けている凝った図柄の小紋を着ていて、自分が考えた紋様だと言った。十人の背で、十背(とせ)というしゃれなのだという。
「よく似合うよ」と慶次郎は言い、お登世は、さらに顔を赤くした。

北原亞以子『慶次郎縁側日記-再会-』新潮文庫

今宵の一冊は、北原亞以子著『慶次郎縁側日記-再会-』。

主人公は、元南町奉行同心である森口慶次郎。

現在は隠居して根岸の寮番を務めながら、市井の人々と気さくに交わり、持ち込まれるさまざまな厄介ごとや相談ごとを引き受けたり自ら首を突っ込んだりしながら過ぎていく日々が、穏やかな筆致で描かれた連作短編集です。

語り過ぎず、いわゆるわかりやすい勧善懲悪ではない独特の視点が心地良く、余韻の残る作品(著者の、これ以外のシリーズや作品にも共通して言えることですが)なのですが、この物語の始まりは涙無しでは読めないので、未読の方はそのことだけ覚悟してお手に取ってくださいませ。

江戸時代の女性は家庭に入って家事育児のみと思われがちですが、意外と働いて自分で自分の身を養っていた女性も結構いたようです。着物の仕立てや髪結い、料理屋の仲居に女中奉公。また、三味線や小唄、踊りなどの芸事が身についているなら弟子を取って教えるなど、都会である江戸においては特に、ひとり暮らしの女性が自立して生きていける仕事もかなりあったよう(と言ってもお登世のように新しい着物を次々に…というのは相当にゆとりのある経営状態でしょうし、長屋でひとり暮らしの女性とはまったく違うでしょうけど)。

まぁ…お登世の「気晴らしは着物を作ることくらい」というのは、ちょっとわかる気がします。買い物ってストレス発散になりますしね。

とは言え、ただ無闇に散財するという意味ではなく、気に入ったものやいつかはと狙っていたものを、えいっと買って、よしまた働くぞ!と。そんな感覚。

私も着物業界の経済回すのに貢献してるなぁなんて、自分に都合良く解釈してみたり(笑)。

文中で、このときお登世が着ている“十背”の柄は、江戸小紋に通じる(そう言えば、江戸小紋を取り上げた第十五夜の『夜の小紋』も料理屋の女主人でしたね。私の好みなのか、題材になりやすいのか笑)洒落の効いた柄ですが、よっぽど腕の良い職人に手掛けてもらわないとなかなかセンス良く仕上げるのは難しそうな意匠だなと。

2022.07.29

まなぶ

創る悦び、着る悦び 〜小説の中の着物〜 乙川優三郎『夜の小紋』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十五夜

この“十背”はまだ背を向けているから良いのですが、染めでも刺繍でも、人や動物…いわゆる“顔”のあるものは本当に難しい。なかでも特に難しいのは目の表情(アンティークなどでも、この目さえなければ良いのに…と思ってしまうものもよくあります)。

目の表情によってすべてが台無しになってしまうことも多いので、私は、良い“顔(表情)”が描けるとわかっている人にしか、そういった意匠はお願いしないことにしているのですが、以前、たまたま見かけた狛犬の表情がとても愛嬌があっておもしろ可愛いかったので、どうしてもその表情を再現してほしく、信頼する江戸友禅の作家さんに無理をお願いしたことがありました。

ちょっと怖可愛く(笑)仕上がったその狛犬くん(の帯)は、すぐにひと目惚れされて私の手元にとどまることなくお客さまの元へ。可愛がられていると良いなぁ…。

今宵の一冊より
〜主役は栗〜

深みのある臙脂、墨茶、留紺の個性的な配色が印象的な紬の着物。

ちょうどこれからの季節に手を通したくなるような、ざっくりとした風合いが魅力。デニムやニットのような感覚で、気軽な普段着として楽しめそうな一枚です。

柔らかな象牙色の縮緬地に藍の濃淡で栗が描かれた名古屋帯を合わせて、全身で深まる秋を表現した装いに。

帯前に素朴な木彫の栗の実を。

お太鼓には少し栗の実が顔を出しているけれど、前柄はいがに包まれたままなので、帯前に素朴な木彫の栗の実を。

ほっこりと暖かみのある紬と相性の良い絞りの半衿は、着物と同系色の藍鼠と臙脂。着物との馴染みも良く、胸元に立体感が生まれます。

ぼかしの帯揚げは、白の部分が効いて胸元に明るさを。

帯や着物に使われた中から、共通する色をフックにして小物を合わせていくと、全体をまとめつつ効果的なアクセントになってくれます。

個性あふれる印象的な後ろ姿に。

よくある平凡な季節の染め帯とは一線を画す、モダンなタッチと配色で描かれた存在感のある栗が、紬の配色と相まって、個性あふれる印象的な後ろ姿に。

足元は軽やかに下駄でしょうか。濃紺の別珍の色足袋なども似合いそう。

お登世が作中で注文した、栗のいがの小紋。

栗の柄なんて季節限定の最たるものではありますが、いがの柄ならいろいろと他のものにも見立てられそう。

現代においても、素敵なものになりそうな気がします。

10年近く前に制作した刺繍の小紋。

10年近く前に、深海に発光しながら浮遊する微生物(…だったかな?)の写真から想を得て制作した刺繍の小紋。

例えばこれが栗皮茶の地色に茶系統の刺繍だったら、本作中でお登世が思い浮かべる毬栗(いがぐり)模様に近いイメージになりそうだな…と、ふと思い出しました。

インスピレーションソース

何年か前に、「夜」をテーマに帯を制作したことがあります。

例えば…

春の夜は花闇。ほんのりと桜の色を含んだ、深い黒紫。

短い夏の夜、その最も深い一瞬の色。底に青を感じる黒、あるいは限りなく黒に近い濃紺。

深まる秋の夜は、凍月夜。銀通しの生地で、雪や氷の煌めきを含んだ濃い茶色。

夜の色だけでなく、空気の色も、太陽の光の色も、季節によって違う。それはもしかしたら、漠然と持っている勝手なイメージかもしれないけれど、その繊細なニュアンスをも身にまとうもので表現できて味わうことのできる着物って、つくづくおもしろいアイテムだなと思います。

新たに作品を作るとき、よし作るぞ、と机に向かって考え始めることはほとんどなく、全然関係ない仕事をしているときにふと思いついたり(そんなときは、とりあえず携帯にメモ)、上で挙げたように写真や絵などからインスピレーションを受けてデザインが浮かんだり。

今の季節であれば、たまたま通りがかった壁を這う蔦紅葉の微妙な色合いだったり、足元に吹き寄せられた中にひと際映える、一枚だけ綺麗に色づいた紅葉だったり。

お正月の旅先で見た餅花飾りの配色とか。夏の陽に光る水の流れとか。

闇に浮かぶ紫陽花が幻想的で美しかったから黒地の帯に染めたり(夜の帯のうちの1本)、上野の蓮池の密集具合がおもしろかったから、そのまま写し取るようなイメージで浴衣にしてみたり。

自然界は、インスピレーションソースに満ちている。

もちろんこんなことは、デザインに関わる人ならば誰しもが当たり前に感じていることだとは思うのですが、あらためて実感します。

『闇夜の烏』

夜つながりで。
これは、つい最近制作したばかりの刺繍の付下げ。

雨縞を織り出したオリジナルの地紋の生地を、深い青を下染めしたクールな強い黒に染めたのですが、その色を見て、ふと浮かんだのが『闇夜の烏』という言葉でした。

目から受けるイメージと同じくらい、言葉からのイメージも大切。
日本語には響きの美しい言葉や受ける人によって異なる印象を受ける多様な意味を含んだ言葉も多いので、そこから広がるイメージを形にするのもとても心躍る楽しい作業です。

季節のコーディネート
〜吹き寄せ〜

柔らかな白茶地に、石板染と呼ばれる技法で染められた、さまざまな葉が舞い散る付け下げ。

「吹き寄せ」と呼ばれる意匠は、その名の通り、落ち葉が秋風に吹き寄せられた情景を写し取ったものですが、リアルな葉を用いて作られた型で染められたこの付け下げは、まさに目に映る晩秋の景色そのままのような印象。

甘さのあるピンクベージュの縮緬に銀杏の葉が刺繍された半衿を合わせて、顔まわりに暖かみと奥行きを。

帯留には、シンプルながらリアルな彫りが存在感のある象牙の銀杏をひと粒。

この季節に存分に楽しみたい意匠。

最初は染め帯によく描かれていることの多い山帰来?と思いましたが、葉の雰囲気が違うので、これは藪手毬、かな…??

まぁこういう場合、完全なる写実というわけでもないですし、多少アレンジされていることも多いですので突き詰めて限定する必要もないですね。

紅葉し赤い実の生る植物ということで明らかに秋のモチーフですし、この季節に存分に楽しみたい意匠です。

絵画的で軽やかなモダンさのあるコーディネート。

※小物はスタイリスト私物

帯揚げを、実の部分にほんのわずかだけ使われている深い紫から、メインに使われている鮮やかな橙色に変えてみると、ぐっと明るい印象に。

絵画的で軽やかなモダンさのあるコーディネート。

最初の紫のように、帯や着物に使われている中から最も小さく使われた色をピックアップすると、個性的なコーディネートに。
しっとりとした秋の風情も感じられる、大人っぽい雰囲気に仕上がります。

帯揚げ一枚で雰囲気を変えて着こなせるのも、着物のおもしろいところです。

季節のコーディネート
〜ボジョレー・ヌーボー解禁〜

深い地色に、モダンな色遣いで葡萄が描かれた染めの袋帯は、エレガントな大人の甘さに加えてどこかポップなニュアンスもあり、シックな着物に合わせても主役として際立ちそうな存在感。

ここでは、ロゼとボルドーを縦に染め分けたようなシンプルながら華やぎのある小紋に合わせて、帯に使われた澄んだ綺麗な色の小物を添え、ドレッシーな雰囲気に。

ボジョレー・ヌーボーの解禁(今年は11月17日だそう)に合わせて、ホテルやちょっとドレスアップして出かけたいクラスのレストランなどにも似合いそうな装いです。

季節のコーディネート
〜こっそりと果実尽くし〜

柿渋染紬着物「かすれ間道」 +【白根澤】米沢紬名古屋帯「縞に段ぼかし」 ※小物はスタイリスト私物

柿渋で染められた深みのある黒褐色の手織紬に合わせたのは、栗繭糸のほこほことした柔らかい風合いが魅力的な八寸名古屋帯。

栗繭とは、その名の通り栗を食べて育った蚕の繭から取れる糸のこと。栗皮色というイメージそのままの、茶がかった糸が特徴です。

烏瓜や葡萄が刺繍された半衿、艶やかに実った陶器の柿の帯留。

帯揚げにちょっとだけ赤みを添えて、着物や帯には具体的な柄はないけれど、実は果物尽くし…という、ひとり心密かに楽しむ秋の装い。

今宵の一冊
『江戸風狂伝-伊達くらべ-』

北原亞以子『江戸風狂伝』中公文庫

北原亞以子『江戸風狂伝』中公文庫

 およしは、京での伊達くらべに勝って戻ってきた。
 相手は、那波屋十右衛門の妻で、十右衛門の妻は、洛中の名勝を金糸で刺繍した緋の繻子の小袖を着てあらわれた。ほっそりとした軀つきの十右衛門の妻に、緋の色がよく似合って、美しい人形のようだったという。
 およしは、約束の場所へ、南天を染め出した黒の羽二重を着て行った。一見したところでは地味で、伊達くらべを見ようと集まっていた人々は、こんな衣装を見せるためにわざわざ江戸から出てきたのかと、首をひねったそうだ。
 が、およしの着物の南天は、珊瑚の玉を一つづつ縫いつけたものだった。しかも、透き通るように白いおよしの肌に黒が映えて、神々しいくらいの美しさだった。人々は、迷わずおよしに軍配を上げた。

北原亞以子『江戸風狂伝』中公文庫

今宵のもう一冊、北原亞以子著『江戸風狂伝』は、実在する人物を著者ならではの視点で描いた七篇の短編集。

その中でも、この『伊達くらべ』の石川屋六兵衛とおよしの夫婦の逸話は特に有名。元禄時代に権勢を誇った豪商ですが、この時代を舞台にした小説ならば、必ずと言っていいくらい描かれる人物です。

本文中にも登場しますが、ギヤマン張りの天井に金魚を泳がせ鑑賞するなどの贅を極め、その驕り高ぶった振る舞いがついには時の将軍綱吉の逆鱗に触れ、家財没収、江戸からも追放、遠島の沙汰となった…というエピソードは史実として残されており、さまざまに脚色され小説の題材ともなっています。

戦乱の世が終わり、戦がなくなって社会が落ち着き、都市を構え、その経済が発展していくにつれ、武力ではなく経済力が世を動かす力となります。

芸術や文化における技術の発展が促進されるのも、そういう平和で豊かな時代だからこそ。最高級の素材を用い、職人の技を駆使し、これまでにはない趣向を凝らし…と、費用に糸目を付けず、それを求めて作らせるものがいて初めて、いわゆる“贅を尽くした”と言われるような作品が生まれるわけですから。

天下泰平の世となった江戸時代、時代を経るに従って強くなるばかりの町人の力を抑えるために幕府は倹約令や奢侈禁止令などで締め付け、町人はそれに抗し潜り抜ける新たな技法や趣向を考案し…といういたちごっこが繰り返され、そのたびに芸術や文化がより発展、深化していったというのが、歴史における人の営みのおもしろさでもあります。

とはいえ士農工商の時代、将軍や幕府が町人の命や財産を簡単に奪える強大な権力を持っていたことは紛れもない事実。そんな時代に、身代と命をかけて仕掛けた『伊達くらべ』は、ある意味痛快でもあり、その貫くさまは側から見れば信じられないほどに馬鹿げた行為かもしれないけれど、どこか羨ましいような無邪気さでもあり(あくまでも本作におけるおよしについて、ですが)。

身分というものに縛られることなく生きている現代の私たちの想像が及ぶほどそれは甘いものではなく、実際は本当に過酷だったことだろうと理解してはいますが(七篇の中には、容赦のない年貢に苦しみ一揆に至る農民の物語も)、ただ無心に仕掛けを考えているおよしは本当に楽しそうで、ちょっとだけ…味わってみたいような気分になります。

作中のおよしの着物は素材が「羽二重」ですから、すべすべした艶のある硬めの素材感で、かつ黒の色合いも、先程の烏の着物のようなきりっと強い黒だったでしょう。

対してこちらは、軽めのしぼのある一越縮緬を柔らかな墨黒に染め、さりげなく金銀の小さな霰を散らした上品な大人の可愛らしさのある小紋。

およしのいかにも江戸好みな黒に対し、京風の黒といったところでしょうか。

黒地の着物って喪服みたいにならない…?と心配される声をよくお聞きしますが、こんな優しい黒地なら、黒の分量の多いものでも着こなしやすいかと思います。

南天が染められた薄樺色の縮緬の帯を合わせて、柔らかく甘いニュアンスを。
輪出しの絞りをあしらった白の帯揚げで胸元に明るさを添えて。

小さな霰が降りかかる雪のようにも見え、晩秋から冬にかけて長く楽しめそうなコーディネートに。

コーディネートに奥行きや立体感を感じさせる。

※小物はスタイリスト私物

着物にびっしりと縫い付けるのはさすがに難しいけれど、作中のおよしの着物をイメージしながらまさしく南天の実そのもののような深紅の珊瑚玉を、帯留にぽつりとひと粒。

帯の柄が浮き出てきたようなモチーフの重ね遣いが、コーディネートに奥行きや立体感を感じさせてくれます。

栗だの柿だの、洋服では絶対に身に付けようなんて思いもしない(シャツやスカートの柄にしてもそうですし、ブローチなどのアクセサリーでさえ、まずありえない)ものなのに、着物だと喜び勇んで取り入れてしまう…これはいったい、どうしてなんでしょうね。

あらためて考えてみると、ほんと不思議…とときどき思うのですが、それが着物のおもしろさ(ざっくりですみません笑)としか言いようがないので仕方ない。

自然界はもちろん、以前にも取り上げた江戸小紋のように、無機物だろうが何だろうが五感が捉えるすべてのものがインスピレーションソース。

これからも楽しんでものづくりができるように、感度を研ぎ澄ませていたいと思います。

さて次回、第十九夜は…

その動きと扱いがさりげなく優雅、でも現代の生活様式においては、ときどきちょっとだけ邪魔だったりもする。

そんな、良くも悪くも着物“らしさ”を生む存在、“袖(袂)”に注目します。

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