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玉那覇紅型工房(沖縄県那覇市・琉球紅型)「バイヤー野瀬の、きもの産地巡り」vol.1

玉那覇紅型工房(沖縄県那覇市・琉球紅型)「バイヤー野瀬の、きもの産地巡り」vol.1

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京都きもの市場のバイヤー野瀬が、きものの産地を巡り買い付けをしている現場に密着。みなさまにお届けしている作品の背景をお伝えします!まずは沖縄から。『玉那覇紅型工房』を訪ねました。

買い付けの現場から

日本全国にある染め織りの産地、そしてその地で真摯にものづくりを続ける人たちー

それはこの先もずっと受け継がれるべき日本の文化であり、私たちの誇りです。

京都きもの市場 野瀬

このすばらしき伝統文化から生まれる作品をみつめ続けているのが、京都きもの市場のバイイングを務める野瀬達朗。

朗らかな人柄と誰からも愛される笑顔の裏側には、「多くの生産者の努力とこだわりの逸品をきものを愛するお客さまに届けたい」という真摯な想いがあります。

本連載では、野瀬が実際に買い付けをしている現場に密着。みなさまにお届けしている作品の背景をお伝えします。

まずは、沖縄から。

他に類を見ない美が宿る、琉球王朝から続く染織の世界へとご案内いたします。

色鮮やかな大自然と交易から

本州を南下し、東シナ海に位置する沖縄県。

200種以上もの珊瑚礁のあい間を色鮮やかな熱帯魚が悠々と泳ぐ、エメラルドグリーンに輝く海。道端にはハイビスカスや蘇鉄、デイゴなどの植物を見ることもでき、トロピカルムード満点です。

那覇

加えて、隣接する中国や台湾、アジア各国との盛んな交易により、独自の文化を築き上げた琉球王国という歴史。本州とは異なる発展を遂げてきたこの地には、すばらしい染め織りの文化が生まれました。

そして今なお、それを守り大切に受け継ぐ人たちがいます。

バイヤー野瀬とともに一路、沖縄へ。今回の買い付けでは、琉球紅型や首里織などの工房を訪ねました。

緻密で鮮やかな世界を創造する『玉那覇紅型工房』

玉那覇紅型工房入口

玉那覇紅型工房入口にて、バイヤー野瀬(左)と玉那覇有勝さん(右)

那覇空港から車で約30分。小高い丘の中腹にある『玉那覇紅型工房』へ伺いました。

工房では現在6名の方々が作品づくりを担っています。

「みんなには日々感謝しています。彼らが一人でも欠けてしまったら大変。自分の代になって、彼らの存在がどれだけかけがえなく、大切なことかを実感しています」

玉那覇紅型工房作業風景
玉那覇紅型工房作業風景

穏やかな笑みを浮かべ、そう話してくれたのは玉那覇有勝(たまなはゆうしょう)さん。

今年、お父さまである国の重要無形文化財指定技術「紅型」保持者・玉那覇有公(たまなはゆうこう)さんから工房を継承したばかりです。

玉那覇有公氏作品

資料として、過去の作品の裂(きれ)が保管されている

「琉球紅型」の起源は諸説あるようですが、14〜15世紀ごろの琉球王朝時代に生まれたと言われています。中国や台湾、日本本土などとの交易によって、美しい織物や工芸品の数々が持ち込まれました。

沖縄唯一の染め物であり、染料ではなく顔料が用いられます。

型紙の上に糊を置いて柄部分を防染し、染色。その後、糊を落とし、白場の模様部分に色を挿す「型附き(カタチキ)」と呼ばれる糊置防染手法によって手がけられます(他に筒描きという技法も)。

作業風景

琉球紅型は、土地のもつ風土や文明に加え、近隣諸国の文化にも影響を受けたことで、鮮明な色彩、大胆な配色、素朴な図案といった、他に類を見ない世界観を持つようになりました。

非常に高価なものだったために、庶民にまでは手が届かず、主に王族や士族が着用したようです。その後、琉球王国が失われると、琉球紅型も一時は衰退しますが、第二次世界大戦後に復興。この色鮮やかな世界は代々受け継がれ、現在に至ります。

玉那覇紅型工房は、城間栄喜氏の元で琉球紅型の修行を積んだ玉那覇有公氏によって1962年に設立。他の追随を許さない緻密な図案に、妥協なく細部に至るまで丁寧に隈取りを施す技術によってその世界観を確立。1996年には玉那覇有公氏が国指定の重要無形文化財指定技術「紅型」保持者(人間国宝)に認定されます。

そして2022年、息子である玉那覇有勝さんがお父さまから工房を継承されたばかりです。

工房内には無数の作品が

今回は、野瀬があらかじめオーダーしていた作品の進捗確認も兼ねて工房へ伺いました。同品が有名きもの専門誌の表紙も飾った逸品で、夏向けの着尺地です。

玉那覇有勝さん(以下、有勝さん):先週、出来上がったのでお送りしておきましたよ。

バイヤー野瀬達朗(以下、野瀬):そうでしたか!入れ違いでしたね。ありがとうございます。僕、あの作品を見てすぐにお願いの連絡をしたんですよ。紅型の力強さと、清涼感のどちらもある、有勝さんらしい図柄と色彩だなと思いました。

有勝さん:水面に花が映っている情景をイメージして作りました。これが型紙です。

型紙

野瀬:うわあ…型紙で見ても柄の細かさが伝わりますね。京都に帰ってから作品を拝見するのがますます楽しみになってきました。

下絵と型紙

有勝さん:こちらが図案です。この下絵を型紙に彫ります。最後に紗張りして完成ですね。

野瀬:江戸小紋や京都やったら染める色ごとに型紙を作るけれど、琉球紅型の型紙は、基本的に一枚ですよね。

有勝さん:琉球紅型は色ではなく、防染糊をつけます。その後に糊を落とし、すべて手挿しで色をつけていくんですよ。

野瀬:ひとがらごとに色を挿して隈取り(くまどり)をして… 細かな柄にもしっかり隈取りが入っているのが、玉那覇さんの工房のすばらしいところだと思っています。真似をしようとしてもなかなかできることではないと。

※琉球紅型独特の技法。文様部分に暈し染めを施すことで、立体感や遠近感、透明感を表現する。

工房の歴史が詰まった宝箱

玉那覇紅型工房にて

野瀬:お父様の有公先生の作品は、どれも柄の細かさに存在感があって圧倒されます。そしてその妥協を許さないものづくりの姿勢を、有勝さんもしっかりと受け継いでいらっしゃいますよね。

有勝さん:例えばどこかで手を抜くとしますよね。後から見るとそこがわかるんですよ。色挿しが甘かったなとか。それをずっと引きずってしまう。だから最初から最後まで絶対に気を抜かない、ということは心がけていますね。

玉那覇有公氏作品の数々

そう言いながら、有勝さんは隣の部屋から小包サイズの段ボールを運んできてくれました。
中に入っていたのは、これまでに手がけてきた作品の裂(きれ)。
どれも80センチ以上の長さで残されており、作品の世界観をしっかりと感じ取ることができます。

玉那覇紅型工房

有勝さん:過去のものは、こうして染めおき(色見本)があります。”柄”は写真で分かっても、”色”は写真だとまったく参考になりませんからね。
ときどきこれらの裂で確認をするんですよ。具体的な配色はもちろん、縮緬でこのくらいの色が出ているんだったら夏物はもう少し濃い色にしておこう、とかね。生地との相性もわかる。宝物ですね。

玉那覇紅型工房作品の数々

野瀬:これらの型紙はまだ残っています?制作をお願いすることはできますか。

玉那覇紅型工房型紙から剥がれた図柄

有勝さん:はい、工房の引き出しに入っていますよ。昔の柄が欲しいと注文をいただいた時に「もう染められない」なんてことがないように守っていかないと。型紙は破れても、見本さえ残っていたら彫り直しができますからね。

那覇紅型工房型紙を見つめる有勝氏

型紙をみつめる玉那覇有勝氏

すばらしい作品の数々を目の当たりにして、野瀬の眼差しはすっかりバイヤーとしての真剣モードに。数ある中からいくつかの作品の制作をお願いすることができました。

さていつごろ、みなさまのもとに届きますでしょうか。

玉那覇紅型工房にてバイヤー野瀬

父と母の琉球紅型を守り、受け継いでいく

玉那覇紅型工房作品

野瀬:工房を受け継いで、大変なことはありますか?

有勝さん:色出しについてですね。うちの工房では母がずっと手がけていました。
父は、母の出す色を信頼しきっていたんです。だから正式に工房を受け継ぐ前に、母にはきちんと習っておきたかったという想いはありますね。
今は習ったことでやるしかありません。そして経験を積むしかないと思っています。

玉那覇紅型工房

有勝さん:「”玉那覇の色”というのがあるから、それを崩さないように」
この母の言葉は忘れません。父と母で作った世界を、私が継いでいかなくては。

裂を見つめながらそう話す有勝さん。まるでお母さまと対話をしているかのようでした。

有勝さんによる新たなる旅

野瀬:有勝さんの作品は、色柄や技術を受け継ぎながらも、有公先生より明るいイメージがあります。ご自身の世界をしっかりとお持ちですよね。図案はいつ考えているのですか?

玉那覇紅型工房作業部屋

有勝さん:ずっと頭の片隅に図案のことがありますね。普段の散歩でも、旅先でも、気になった被写体は必ず写真を撮っています。沖縄の自然の情景だけでなく、出張先で見た建造物もあれば、食べ物も。とにかく目に留まったものすべてです。

野瀬:琉球紅型は写実ではなく抽象的。あらゆることがデザインソースになっているのですね。沖縄以外の題材もありますよね。

玉那覇有勝氏作業風景

有勝さん:琉球紅型の図案には雪輪模様や松竹梅もあります。内地の街並みなど、”憧れ”のモチーフも模様になっているんです。

野瀬:ところでお父さまはお元気ですか? 今日は工房に降りてこられないのかな。

玉那覇紅型工房

2階には有公さんのお住まいがあることは野瀬もよく知っています。実はご挨拶ができたらと思っていたようですが…

有勝さん:いますよ。でも降りてくるとやっぱり、あれはどうだとか、これはどうなったんだとか本人も気になってしまうようですから…今日はこのままで(笑)

玉那覇紅型工房

そして真剣な表情で、有勝さんがお話しをしてくれました。

有勝さん:これからも工芸展には積極的に挑戦していこうと思っています。また一方で、野瀬さんたちから、お求めくださったお客さまが喜んでいたという話を伺うと、作り手として本当にすごくうれしいです。

父のように、そのどちらも大切にしていきたいと思います。

玉那覇紅型工房

撮影/田里弐裸衣 @niraiphotostudio

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