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寂聴さんとの出会いに導かれて 瀬尾まなほさん(インタビュー前編)「きもの、着てみませんか?」vol.4-2

寂聴さんとの出会いに導かれて 瀬尾まなほさん(インタビュー前編)「きもの、着てみませんか?」vol.4-2

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昨年永眠された瀬戸内寂聴さんの秘書を10年前よりつとめる瀬尾まなほさん。スタイリング編では、与那国花織と琉球紅型のコーディネートをしなやかに着こなしてくださいました。今回は、寂聴さんと瀬尾さんの出会い、そしておふたりの関係性について伺います。

2022.10.07

よみもの

寂聴さんに見せたかった着物姿 feat. 瀬尾まなほ「きもの、着てみませんか?」 vol.4-1

作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさん。前回は与那国花織を軽快に着こなすお姿と、薬真寺さんによるスタイリング解説をお届けしました。

そもそも、薬真寺さんが瀬尾さんをお招きしたいと思ったのはなぜだったのでしょう。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

「まなほさんの姿勢や考え方は、シンプルだけどなかなか真似できることじゃないと思います。

”先生(寂聴さん)のことが好きだから、どうしたら役に立てるのか、自分にできることは何かその都度一生懸命考えて手探りでやってきた”

ほんのひと時ならまだしも、長い間気持ちの濃度を薄めず維持し続けるのは相当難しい。それを気負いなく、さらっとやってのけている(ように見える)ところに強く興味を持っていました。

年の差や立場を越え、まったくオリジナルな関係性を生み出したお二人を形作るムードにも触れてみたかった。

また、出会いのバリエーションの一つとして、”その方が亡くなってから出会うこともある”というのも重要なテーマでした。

私自身、生前はお会いしたことのない方に、その方の近親者から話を聞いたり着物や帯を受け継いだりしたことで、”亡くなってから出会った”という経験があります。困ったときやうれしいときにその方の顔が浮かんだり、素敵だなと感じた習慣を真似したりして、”会ったことはないけれど出会っている”方から影響を受けているなと感じる場面も多くて。

そんな経験から、”亡くなってからの出会い”も大事な縁だと感じている私にとって、瀬戸内寂聴さんの言葉や考え方を自分のやり方で伝えようとなさっている瀬尾まなほさんは、そうした”出会い”を紡いでいる方なんだなと」

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさんと、着物スタイリスト薬真寺香さん。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさんと、着物スタイリスト・薬真寺 香さん

インタビュー編は、寂聴さんが開いた寺院であり、寂聴さんの住まいでもあった「寂庵」にて。たっぷりとお話を伺っていきます。

就職活動に苦戦していたから出会えた寂聴さん

寂庵にて

寂庵にて

薬真寺 香(以下、薬真寺):妙な言い方かもしれないんですが、今日は、まなほさんと、まなほさん越しの寂聴さん、お二人に出会いたい、という気持ちで参りました。

お話、いろいろ聞かせてください。まずは最初の出会い、初対面のときはどんな感じだったのでしょうか?

瀬尾まなほさん(以下、瀬尾さん):出会いは大学4年生の時です。当時、就職活動をしていたのですが全然うまくいかなくて。

特別やりたいと思えることもなくて、京都市内の事務の仕事を探していたんです。そんなとき友人の伝手で「寂庵が事務の採用をしている」と聞き、応募してみたのがきっかけです。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

瀬尾さん:面接のとき、瀬戸内は机の上のゴディバのチョコレートを指して『これ、あなたと食べようと思って置いておいたの』と言ってくれたんです。

なんて優しい人なんだ、とものすごく感激したんですが、後になってそれは瀬戸内のおちゃめな部分というかリップサービスというか……実際には誰かが置いていたものを、たまたま目にした瞬間にそう言っただけなんですよね(笑)。

だけど私はすごくうれしかったし、瞬間で心を持ってかれました。そういう、相手を気持ちよくさせることが、ものすごく上手な人でした。

薬真寺:最高ですね、それ(笑)。たしかに心持ってかれそうです。

瀬尾さん:めでたく採用していただき働き始めてからは、瀬戸内は私のことを「頭良くて、優しくて、すごく頼りになるのよ」と毎日のように人前で褒めてはいろんな方に紹介してくれて。就職活動ですっかり自信を失い、なんの目標もなく心細かった私には、本当にありがたかった。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん
寂庵にて

薬真寺:ご著書のなかにも、”気難しい方だと聞いていたけどいざ会ってみると温かく迎えてくれて、”とか、”こちらが何も言わないうちから聞きたいことを進んで喋ってくれて”というような展開がたくさん出てくるので、どれだけコミュニケーション能力の高い方なんだろう……と気になっていました。

人の警戒心を解くのが得意で、人を喜ばせることが好きな方だったんですね。

瀬尾さん:コミュニケーション能力はものすごく高かったと思います。きっと生まれつき”根アカ”な人なんです。

裏表のない人だから、そして清廉潔白でないからこそ『この人ならわかってくれる』と感じ瀬戸内に悩みを打ち明ける方が多かったのだと思います。

寂聴さんは「私が守らないと」

着物姿の、瀬尾まなほさん

薬真寺:お二人の仲の良さというか、遠慮せず言いたいこと言い合う、みたいな感じは最初からだったんですか?

瀬尾さん:いえ、最初は全然。働き始めた当初は20年、30年レベルのベテランの先輩方が何人もいらっしゃったのですが、みなさん適度な距離感を保ってらしたので、私もそれに倣うという感じで。しばらくの間は瀬戸内とは朝と夕のご挨拶を交わす程度でほとんど接点がなかったです。

先輩方が退職され、秘書としていろんなところに同行するようになり距離感を試行錯誤しているうちにいつのまにか図々しくなっていきました(笑)。

薬真寺:怖くはなかったですか?

瀬尾さん:怖い、っていうのは全然なかったですね。瀬戸内は言葉や態度で私に自信や力を与えてくれたありがたい人、という存在なので、恩返しというか自分もできる限り役に立ちたかった。

あと、私、瀬戸内の笑った顔がすごく好きなんですよね。ほんっとに可愛くって、あの笑顔が見たい!と思ってしまう。笑ってほしいという一心でいろいろなことをやってました。

二人で過ごす時間が長くなるにつれ、笑うポイントが徐々にわかってきて。イジられると喜んで笑ってくれるんだ!って(笑)。瀬戸内はゲラなんですよね。

薬真寺:実際にまなほさんにイジられて嬉しそうにしてらっしゃるお姿を何度も見た気がします(笑)。

瀬尾さん:口先だけのお世辞を言う人はいくらでもいるから、私はそのままでぶつかっていこうと思っていました。

瀬戸内が私のことを、下心というか、変な野心のようなものはない、と理解し認めてくれたからこそ、良い関係性が築けたのかなと思っています。もちろん衝突することもあったし、常に手探りで悩みながらではありましたが、瀬戸内のために良いと思うことをやるしかない、と。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

薬真寺:まるで家族のような気持ちで向き合ってるところが本当にすごいなと感じます。

瀬尾さん:単純に、私が瀬戸内のことをすごく好きなんですよね。瀬戸内は親類と一緒に暮らしていない、一人で生きてきた人だから、私が守らなきゃと思っていました。何かあったら一番に連絡してもらえるような存在に私がなりたかった。

薬真寺:「好き」という気持ちを持ち続けられたのは何故だと思いますか?

瀬尾さん:それは、瀬戸内が大きな愛をくれたからですね。

自分がしてあげていることよりも、瀬戸内からしてもらっていることの方が大きかった。

例えば分刻みで一日何件も回らなければならないような、ハードスケジュールな出張の時でも「まなほ、疲れたでしょ。早く寝なさいね」って声をかけてくれたりするんですよね。

ただついて行っている私より、実際に講演や対談をしている瀬戸内の方が絶対疲れているだろうに。そうやって私を先に休ませて、自分はその後ホテルの部屋で執筆したりしていました。

あと、私はエビが好物なんですが、一緒に食事に行った時メニューにエビを見つけると瀬戸内はいつも「まなほエビが好きでしょ、エビ食べなよ。」って言ってくれたり。ほんと優しいんですよね。

京都で大雨が降ったときに、川の増水を心配して電話をかけてきて「今すぐ寂庵においで」と言ってくれたこともありました。当時私は寂庵の近くに住んでいたのでほとんど変わらないんですけどね(笑)。とにかく、いつも気にかけて労ってくださいました。

もしも自分の思いが一方通行だったとしたら、私も虚しくなってたかもしれないですが、それ以上にいろんなものをもらっていたんです。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

寂聴さんにしたためた手紙

薬真寺:エッセイを拝読していて、時々寂聴さんに向けてお手紙を書いていて、その文章が素直で良いと褒められ、それがきっかけで出版に結びついたというエピソードが印象的でした。

瀬尾さん:距離が縮まるにつれ、なかなか言えない感謝の想いだったり、逆に瀬戸内に思っていることが伝わらないな、誤解されてしまったなと思った時に手紙を書いていました。自分の本意ではないのに、誤解されたままにはしたくなかったんです。

私は意地っ張りで、口で説明をする前に感情があふれてしまうタイプなので、手紙じゃないと本当の思いが伝えられないと思いました。瀬戸内は作家で、書くこと読むことのプロだから、書いたものはわかってもらえるんじゃないかと。

返事をもらったことはありませんが、読んでもらった形跡が残っていたので、私の言いたいことは伝わっていたんじゃないかなと思います。それがきっかけで本を出すことになるなんて考えてもいませんでしたが。

薬真寺:お二人が良い関係性を保っていた秘訣が、少しわかったような気がします。

人生は「何も間違ってない」

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

薬真寺:いろいろお話を伺っていると、こんな人にそばにいてもらえて、寂聴さんはお幸せだっただろうなとしみじみ感じます。まなほさんにとっても寂聴さんとの出会いはかけがえのないもので、寂庵は最高の職場なんだろうな、とも。

瀬尾さん:瀬戸内がそう思ってくれていたかどうかは分からないですが、私に関しては、そうですね。

もともと私は瀬戸内の本を読んだこともなく、作家であることもよく分かってなかったくらい、何も知らなかった。「瀬戸内寂聴のもとで働きたい!」と願ってたどり着いたわけではなかったので、本当に運が良かったなと思います。

瀬尾さん:大学では英米語学科だったんですが、もっと幅広く学べる複合型の大学にしておけば良かったと後悔したことも。でも、それがなかったらきっと瀬戸内にも出会えていなかった。

一時は失敗したかもと悔やんだ道でも、時が経てばあれでよかったと思えることもあるんだなと知って、生きていて間違ったことなんて何もないんだなと思うようになりました。

私は、来年はこう、再来年はこう、って計画を立てるのが苦手なんです。人生はその時その時に得られた縁や運によって導かれていくものなんじゃないかと思っています。川の中を泳ぐ魚のように生きていけたらいいな、って。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

「若き日にバラを摘め」

薬真寺:運に飛びこめたのは、まなほさんの力だと思います。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

瀬尾さん:それは瀬戸内からもよく言われましたね。チャンスの波はいつでもくるわけじゃない。チャンスがきたら逃さないこと、波がきたらそれに乗ること、って。

寂庵に入って間もない頃は、よく「私なんか」って言葉を使ってたんですよね。それを瀬戸内にものすごく叱られて。「『私なんか』と言うような子は、ここ(寂庵)にはいらない。この世で一人しかいない自分に失礼よ。そんなこと二度と言うな』と。叱られたのにうれかったのは、生まれてはじめてでした。

そんな自己否定を続けていた時期もあったくらいなので、自分に出版や講演のお話をいただいた時はさんざん悩みました。自分にできるのかなと不安も大きかったし、秘書なのにしゃしゃり出るなと言われたりもしたので。だけどその時、瀬戸内が「まなほならできる。大丈夫だよ」と背中を押してくれたんです。

私は自分が傷つかないように、できない理由を探すタイプだったけれど、自分以上に私の可能性や能力を信じてくれた人がいた。私の大事な人がそう言ってくれるなら、やってみようと。「私には瀬戸内寂聴がいる」と思えたら無敵に感じましたね。

薬真寺:寂聴さんは最強のメンターですね。

瀬戸内寂聴さん秘書・瀬尾まなほさん

瀬尾さん:私が好きな瀬戸内の言葉で「若き日にバラを摘め」というのがあるんです。美しいバラには刺があるから摘むと傷つき血が出ることもあるけど、若いうちは治りが早いから、傷つくことを恐れず何でもチャレンジしてほしい、という。

その言葉の影響もあって、学生さんに向けて講演をさせていただく時には、自分の可能性は無限大なんだよ、とお伝えしています。私のように、自分自身も知らない可能性を人によって見出されることもあるんだから、と。

私にとっては瀬戸内寂聴という人でしたけど、有名無名に関わらず、この人の生き方いいなと思える人、自分の可能性を自分以上に信じてくれる人に出会えたら、それだけで人生を変えるインパクトのある、幸せなことだと思います。

~ インタビュー後編(11月公開予定)につづく ~

※半衿、帯揚げ、帯留めはスタイリスト私物

構成・文/青葉鈴 greenery_aoba
撮影/坂本陽 minami.camera
ディレクション・スタイリング・着付け・ヘアメイク/薬真寺 香 ___mameka_

取材協力

曼陀羅山 寂庵 
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本仏餉田町7-1
定例行事の日以外は閉門
https://www.jakuan.jp/

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