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歌舞伎と俳諧の深い関係 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.21

歌舞伎と俳諧の深い関係 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.21

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江戸時代、歌舞伎の発展とともに俳諧との関わりができ、句をヒントにした衣裳が生まれたり、セリフに組み込まれたりもしました。現代の歌舞伎俳優たちも俳名を持ち、多くの句を詠んでいます。

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2022.07.15

よみもの

涼を感じる水の文様で夏を過ごす「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.20

吉右衛門をしのんで

立秋も過ぎましたがまだまだ暑く、また、大雨の地方の皆さまの身も案じられます。ことしの暑さは尋常でなく、身にこたえます。

歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』(9月4日~27日、12日・21日休演)を楽しみに、暑さが過ぎるのをじっと待つばかりです。

秀山祭は、初代中村吉右衛門の舞台に対する姿勢や歌舞伎への思い、役者の魂を受け継ごうと2006年に始まりました。

今年は二世中村吉右衛門一周忌追善の興行でもあります。

戦後の混乱が落ち着いてきた昭和20年代後半から30年代、初代吉右衛門率いる「吉右衛門劇団」や六代目尾上菊五郎の名を冠した「菊五郎劇団」など、歌舞伎の興行は劇団制でした。吉右衛門劇団は重厚な時代物、菊五郎劇団は粋な世話物と、それぞれ得意の演目で人気を集めたものです。

史実と異なったり、話のつじつまが多少合わなかったりしても、勧善懲悪の歌舞伎の楽しさは、人々の心を大いに慰めたことでしょう。

ひと味違う〝忠臣蔵〟

秀山祭から第二部『松浦の太鼓(まつうらのたいこ)』はいかがでしょうか。赤穂事件の外伝です。

吉良上野介と屋敷が近い松浦鎮信(松本白鸚)という殿さまは文化人として知られており、俳人・宝井其角(中村歌六)の弟子で、軍学者・山鹿素行のもと大石内蔵助とも同門でした。密かに大石たちの仇討ちを期待しているのですが、なかなか実行されないのでイライラが募っています。

年の瀬に、雪降る両国橋で其角は、弟子の大高源吾(中村梅玉)と出会います。源吾は赤穂浪士のひとりで、大掃除で使う煤竹売りをしながら吉良邸付近を偵察していました。

其角は「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠みかけ、源吾は「明日待たるるその宝船」と続けます。正月を控えた暮れらしい句です。

殿さまは、其角から、源吾の詠んだ「宝船」の句を聞きます。やがて、山鹿流陣太鼓の音が耳に入りました。

その音に、殿さまははたと膝を打ち、「討ち入りだ!」と身を乗り出します。
源吾のいう「宝船」が正月の縁起ものとしてだけでなく、〝よいこと(討ち入り)〟を示していることに気づいたのです。

【宮野勇造】加賀友禅名古屋帯「宝船」

【宮野勇造】加賀友禅名古屋帯「宝船」

京友禅名古屋帯「宝船」

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西陣織袋帯「慶長宝船文」

西陣織袋帯「慶長宝船文」

切っても切れない歌舞伎と俳諧の関係

このように俳諧は物語の要ともなり、歌舞伎とは深いつながりがあります。

江戸時代、歌舞伎の発展とともに俳諧との関わりができ、句をヒントにした衣裳が生まれたり、セリフに組み込まれたりもしました。

また、役者たちも俳諧を嗜むようになりました。多くの役者が俳名を持ち、やがて「梅幸(ばいこう)」「芝翫(しかん)」「梅玉(ばいぎょく)」などの俳名は名跡にもなったのです。

『秀山祭九月大歌舞伎』の「秀山(しゅうざん)」も初代吉右衛門の俳名でした。

現代の歌舞伎俳優たちも俳名を持ち、多くの句を詠んでいます。初芝居、顔見世、大石忌など歌舞伎にまつわる季語も数多くあります。

夏にこそ楽しむ雪の文様

さて、この物語は討ち入り間近の12月、「雪降る両国橋」が舞台のひとつです。今月は、雪の文様についてご紹介しましょう。

夏なのに雪? いえいえ、夏こその雪です。

もちろん、寒い季節のものとして雪の文様は多く見られますが、暑い季節に雪を見て涼やかな気持ちを味わおう、という趣向です。冷房のなかった頃は、いま以上に、いろいろなもので涼もうと工夫したのでしょう。

雪を表現する手法は2つに分かれます。

ひとつは、雪の降り積もった情景を描く「雪景文」です。

かつてはスキーをする少女を描いた帯が、現代でも雪原をゆくトナカイとサンタクロースの帯、雪だるまを刺繍した半衿などがあります。

刺繍半衿「雪だるまのスキー*」

刺繍半衿「雪だるまのスキー*」

それぞれ冬らしい装いですが、雪だるまを描いた竪絽(たてろ)の夏きものもありました。これなどはまさに、冬の景色で涼を演出するものです。

竪絽のきものは大正時代に流行したそうです。

雪景色のなかでも植物に焦点を当てたのが「雪持ち文」。

笹や柳、葦などに雪が積もった様子をあらわしたものです。なかには、実際の景色としては見られそうにない、南国の植物・芭蕉に降る雪も。

以前、博物館で天璋院篤姫所用の小袖を見たことがあります。竹に降り積もった雪が刺繍で立体的に表現されていました。ふっくらとして、本当に雪が積もっているようで見事でした。

「雪華文」は殿さまのおかげ?

そして雪を表現するもうひとつの手法が、雪そのものを意匠化した「雪輪文」と「雪華文」です。

「雪輪文」については以前ご紹介しました。今も人気の雪輪文は、江戸中期には極端に様式化され、町方で大流行したようです。

2021.07.16

よみもの

夏は、目にも心にも〝ひんやり〟を 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.8

そして「雪華文」。こちらは雪の結晶をあらわしたものです。

【西陣まいづる】袋帯「静麗雪華文(グレー)」

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 【龍村美術織物】絽九寸名古屋帯「雪の華」

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これには、ある殿さまが関係しています。

光学機器で雪の結晶を観察・写生し、『雪華図説』(1832年)という書物にまとめたのが下総・古河藩主の土井利位(どいとしつら)でした。

雪の本当の姿を知った人々は瞬く間にその美しさに魅了され、結晶の文様は世に広まっていきました。六角形の幾何学模様は今も、帯やきものに大いに用いられています。

「六出(りくしゅつ)」「六花(りっか)」という言葉を耳にしたことはおありでしょうか?

ともに雪のことをいい、古くは中国で、平安時代には日本でも使われるようになりました。

雪の結晶が六角形であることが分かったのは顕微鏡のような機器ができてからなのに、昔の人はどうして「六」という数字を用いたのでしょう。出来すぎの偶然なのか、何か観察する手法があったのか、つい想像をたくましくしてしまいます。

こうして雪の文様は、景色という大きなものと、結晶という極小なものとに二極分化していきました。

夏に雪の文様をまとうー

それはきものならではの面白さです。「想像力」を働かせることこそ、きものの世界の奥深さを楽しむコツとも申せましょう。

監修:大久保信子
文:時田綾子

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