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香る余韻 「自分らしさを解き放つ、シーン別着物コーディネート」vol.6

香る余韻 「自分らしさを解き放つ、シーン別着物コーディネート」vol.6

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白昼の暑さの中にほのかに漂う秋の香り、暮夜の涼しさの中に凛々しく響く虫の音色。軽やかで透明感ある風に柔らかに触れられて、夏の余韻に浸りながら秋に誘われます。身体で心で感じるそれはなんと心地良いのでしょう。そのような余韻を人として残せるとしたら…?心に伝わるコーディネートを再現してみましょう。

秋な空

とうとうお別れの時が近づいてきました。

露わなあなたは、何も無くて何者でもなくて、ただただ何かを発していて、私は感じることしかできませんでした。
気づくと身体も心も浮かんでいて、肌の隙間に誘われて、空っぽになった心にさらに余白ができて、私はただ感じ、一層感じ、溶けてなくなりそうでした。

甘く刹那的な幻想に抱かれるだけでよかったのに、遊戯がいつしか”無為”になることを知ってしまいました。

”無為”とは、あるがままにして作為しないこと(さま)を意味します。
”無為自然”という言葉もあり、人為的な行為を排し、宇宙のあり方に従って自然のままであることを示します。(大辞林より抜粋)

情報過多な時代に生きる私たちは、常に大量の情報を浴び、脳がフル稼働しています。
少し頭を休ませて、感性や感覚を呼び覚まし、心を解き放ちましょう。
それにはただ自然を感じる、ただ季節を感じるという”無為”の時間を持つことがいいようです。

今年はイベントがなくなった分、五感でそのままの季節を感じる絶好な機会になりました。心を空っぽにして、身も心も自然に委ねるように、季節の移ろいをただただ感じてみましょう。

「夏の余韻」と「秋の誘い」の間に。
印象や記憶に残る、心に何かしら感じてもらえるコーディネートをしてみましょう。
コーディネート以上に、纏う空気感や雰囲気かもしれません。

余韻を感じるコーディネートのコツ

”余韻”とは、鐘などを鳴らした時、音の消えたあとまで残るひびきであったり、事が終わったあとに残る風情であったり、詩や文章などで言外に感じさせる趣や情緒であったり(大辞林より抜粋)、直接的ではなく、後に心で感じるような感覚のようです。

毎回その時のご自身の感性で”いい”加減なコーディネートをおすすめしていますので、いつもの感じで表現してみてください。一方、やはり頭で考えてしまう方は、自然や季節をぼーっと感じる”無為”の時間を過ごしてみて、より感じ、心を解き放って、お召しなりたいものでご自身を表現してみてください。

”余韻”は心で感じる感性や感覚なので、”心”をテーマにしてみました。

”ささる” では、すっと 心に刺さるような雰囲気を
”ひびく” では、ずーんと 心に響くような雰囲気を
”しみる” では、すぅーと 心に沁みるような雰囲気を

みなさま自由に想像して、楽しく表現してみてください。
着物3枚に帯3本で3パターンご紹介します。お好みに近い感じはありますでしょうか。

着物コーディネート ささる

ささる前後横

・横段柄の単衣の小紋
・黒地にペイズリー柄の染帯
・黄緑の縮緬の帯揚げ
・薄いグレーの冠組の帯締め

心に刺さる

着物コーディネート ひびく

ひびく前後横

・真綿紬の鳥獣戯画柄の単衣の小紋
・ストライプ柄の博多帯
・黒の縮緬の帯揚げ
・黒の三分紐
・黒の光沢がある帯留め

心に響く

着物コーディネート しみる

・東レシルックの青の小紋
・本藍染の芭蕉柄の袋帯
・灰茶の縮緬の帯揚げ
・青緑に茶の帯締め

心に沁みる

忘れえぬ人

忘れえぬ人

忘れえぬ余韻が残るような人とは、どのような方でしょうか。
理由はわからないけれど、何か気になる、興味引かれる感じでしょうか。

どのような方か想像している際にふと思い出したのは、マリー・ローランサンの「鎮痛剤」という詩でした。
ご存知の方も多くいらっしゃると思います。

マリー・ローランサンは、20世紀前半に活躍したフランスの女性画家であり、彫刻家です。女優であり歌手である夏木マリも同じ名前の曲として、この詩を歌っています。

こちらでは、一番哀れなのは”忘れられた女”だと。
もしそうであれば、記憶に残る忘れられない人が一番幸せなのかもしれません。

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

記憶や印象に残る、余韻を感じる人とは、受け手によリますが、おそらくその人自身が誰かになろうとせず、その人らしくあることではないでしょうか。

誰しもが常に社会的身分や立場があり、それにふさわしい役割をまっとうして生きています。それらを全部置いておいても、性別や年齢も関係なく、ひとりの人間としてその人らしさに興味が惹かれれば、記憶に残ると感じています。

茶の湯の世界で、茶室に続く道のことを「露地」と言い、「露地」は心を裸にするために、しつらえられているようです。忘れえぬ人になるには、「露地」が誘う感覚は大切かもしれません。

裸の心を露わにして 思いを包み隠さず 素のあなたを見せて

センスを磨くには Part.8

センスを磨くには

以前「センスを磨くには」の初回において(『口説かれ着物の纏い方』参照)、コツはないけれど、3つのおすすめをしました。

1.想像力を養うこと
2.一般的な概念や型に囚われないこと
3.自分を知ること

今回はその中の2においての”自由”という視点で、最近読んだ本で心に響いたことがあり、ぜひ共有させてください。

昨年出版され「ニューヨークタイムズ」でベストセラーになった本の中で、ある女性が言っていることがとても印象的で、まさしく着物においてもそうだと妙に腑に落ちました。

”In the company of woman” Grace Bonney著
                   
究極の贅沢 とは 選ぶ自由 である。
無難でない選択をする自由があることが 上質な人生 である。

着付けを習いはじめた頃を振り返ると、色々な敷居の高さを感じたり、普段の延長線上でいられない窮屈さを感じたり、少し不自由な感覚を持っていました。

衣装として古く長い歴史があり、当然基本は大事、型も大切です。
重んじることもひとつ、しかし囚われすぎないこともひとつです。
着物をすでにお召しの方も、これからの方も、着物をもっと自由に、もっと柔軟に、和ダンスではなくクローゼットに入るワードローブのひとつとして見てみるのはいかがでしょうか。

これからの方で以前の私のように感じる方もいらっしゃるかと思いますが、その先を体験したいと思えば、その入口すら楽しめるかもしれません。

自分自身を表現する衣装のひとつとして、洋服だけでなく着物も選択できる自由を手にすることは、あなたにとって究極の贅沢になるかもしれません。

以前、”無難”の反対として”有難”に関してお伝えしました(『陽満ちる向暑』参照)が、
自分自分にとって特別感ある(有難)着物や帯などと出会い、身に纏えば、いつもより上質な時間を過ごすことができるかもしれません。

着物も他と同様です。

選ぶ自由を満喫し、選ぶことを謳歌し、いざ究極の贅沢へ。

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選ぶことを謳歌する
いざ、究極の贅沢へ

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