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御菓子司 塩芳軒 5代目当主・高家 啓太さん

御菓子司 塩芳軒 5代目当主・高家 啓太さん

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幼い頃より美術に親しみ、若い頃はデザイン会社で働いていたという「御菓子司 塩芳軒」5代目当主・高家 啓太さん。菓子づくりにも活きる「引き算の美学」やトータル的なモノづくりに携わることへの想いを伺いました。

塩芳軒『聚楽』

室町時代より織物のまちとして栄えてきた西陣に店を構える「御菓子司 塩芳軒」。この辺り一帯は豊臣秀吉が築いた絢爛豪華な城郭・聚楽第跡でもあります。創業以来つくり続けている代表銘菓「聚楽」をご紹介いたします。

生菓子「雪餅」、干菓子「雪まろげ」、薯蕷饅頭

旬の食材を取り入れるだけでなく、見た目の季節感も大切にする和菓子の世界。季節を少しだけ先取りするところも、きものと通ずる心があります。共通する意匠やモチーフを通して、昔から大切にされてきた人々の想いに触れてみませんか。今回は五穀の精といわれその年が豊作になる吉兆とされる雪輪文様について「塩芳軒」の雪を題材にしたお菓子と共にご紹介します。

和菓子屋はあんこが命、ときっぱり言い切る御菓子司 塩芳軒 5代目当主の高家 啓太さん。

豆から餡を炊いて、菓子をつくり、パッケージ、販売までを1軒の菓子屋の主人として手掛けることを「モノづくりとしてとても面白い」ことだと捉えておられます。

きものに置き換えると、糸を選び、白生地をつくり、染めや加工を施し、縫製をして、オリジナルのたとう紙に包み、販売をするところまでを1人で手がけているようなものですから、確かにこんなに面白いモノづくりはないのかも。

店を構える西陣は、古くから織物の町。
氏神様である今宮神社の織姫祭にういろう製の「索餅(さくへい)」(捻った縄のような見た目の菓子)を献菓するなど、きものと縁深い行事へも関わる塩芳軒のモノづくりについて、話を伺いました。

ダメと言われることも大切

塩芳軒店内

「いつかは(家業に)戻るんだろうな、とは思っていましたが、その節目は自分では決めてなくて…」

20代半ばで家業に入ることになったのは、お祖母様が体調を崩し、人手が足りなくなったのがきっかけだったと振り返ります。

3人兄弟の長男でもある啓太さん。誰が家業を継ぐか、兄弟間での話し合いはあったのでしょうか。

「家業をどうするかという話し合いは特になかったんですが、弟2人は長男の僕が継ぐものやと思っていたでしょうね」

現在は、なんと兄弟3人ともが菓子職人。

「末の弟は、塩芳軒で一緒に働いています。1コ下の弟は、僕が働くよりも前に修行にでて、菓子屋になろうと決めていたみたいですね。違いは塩芳軒でやるのかどこか別のところでやるのか、というだけなんです」。

職住一体の町家で育った啓太少年はどんな幼少期を過ごしたのでしょうか。

塩芳軒店内

モノづくりの楽しさの基礎となったのは、3歳の頃から通った「こどもアトリエ」での経験。

「親からすると店をうろちょろされても困るからという理由だったのだろうと思いますが、上京児童美術研究所に10年間通っていました。中学に入ってサッカーや陸上競技をやるようになってやめてしまうのですが、アトリエでは陶芸や油絵、水彩画、工作とジャンルを問わず、いろんな美術に自由に触れさせてもらいました」

高校卒業後は美大へ進学。大阪でグラフィックデザインの仕事に就いていましたが、25歳のときに実家に戻ります。

最初のうちは、デッキブラシと雑巾を持って掃除ばかり。毎日これが続くのかと、嫌で仕方なかったそうです。

「菓子づくりをさせてもらえるようになっても、当時は教わるというより見て覚えろの世界でしたから、父親からは何も具体的には教わってないんです。ひとまずやってみて、それではあかんって言われ続けながら試行錯誤していく感じでした」

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

ときには、つくった菓子が店頭には並べてもらえないという形で無言の「あかん」を突きつけられることもあったのだとか。

「褒められることはほとんどなかったけれど、次第に『あかん』が減ってきたので、ね…」

と穏やかな表情を浮かべる啓太さん。

「今、ウチで修行している若い子たちには、『こうした方がいいよ』と具体的なことも説明していますし、褒めたいと思ったときには褒めるようにしています。でも、『あかん』も必要なんですよね。一旦その人の中で定着したパーツというのは取り替えが難しいんです。一回出来上がった技術を後から修正するとなると、相当苦労するので、ダメなものは早いうちにダメだと伝えてあげた方がいいのかなと思います」

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

京都のデザインは「引き算の美学」

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

「僕が最近思うのは、仕事の場でこれまで勉強してきたことを尋ねるときに、理系や文系、体育系に加えて美術系という分野がもっと一般的になってもいいのではないかということなんです。そのくらい美術やデザインというジャンルはいろんなことに活かせると思っています」

例えばパッケージのリニューアル。
デザインから紙の材質まで、最適なものを選ぶことができるのは啓太さんの強み。

塩芳軒紙箱
塩芳軒紙箱

和菓子は包装の美しさも楽しみの一つではありますが、贈答用はともかく、自分用に1、2個買いたいときに過剰包装だなと思ってしまうことも多々…。
塩芳軒さんのこのパッケージはきちんとお菓子を守りながらも、とても軽やかな仕立て。
「おひとつからでもお気軽にどうぞ!」と言われているようでうれしくなります。

お菓子のデザインに関して言えば、「虫の眼」と「鳥の眼」があり、鳥の眼で見る方が抽象的でぼやけた世界観を表現しやすいのだそう。

虫の眼でグッと寄ると、写実的な表現に近づきます。ただし、過剰にデコレーションをしてしまうことにもつながるので、京菓子の世界では、できるだけ引いた視点を持つようにしているのだと教えてくれました。

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

「京都のジュエリーブランド『俄 NIWAKA』の青木社長が仰る『二減一加(にげんいちか)』という言葉は、まさしく京都のデザインを表象しているのではないかと思います」

京都のデザインは琳派をはじめ、引き算の美にあると啓太さんは言います。

「引いて引いて…その先にあるのが、和菓子の場合は白い薯蕷饅頭とかになるのでしょうけど、そこにどんなアクセントを加えるか。季節であったり、菓銘であったり、その席にふさわしいものにしていくことが、一つ加えるということなのかな、と思います。引いていくこと自体は意外と難しくはないんですが、最後に何を加えるかが難しいんですよね、実は」

成長の鍵は「ちょっとの無理」にアリ

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

お茶会のお菓子の注文一つとっても、見本帖から選んで帰る先生もいれば、「こんなんできるか?」とちょっと無茶振りをする先生まで要望はさまざま。

「中にはどうしたってでけへんもんもあったとは思いますけど(笑)、ちょっとぐらい無理を言うてもらって、それに応えられるように試行錯誤をすることで菓子屋の技術は上がってきたのではないでしょうか。ですから、今までの当たり前以外のことを求められることで、育てていただける環境はとてもありがたいことやと思ってます」

塩芳軒5代目当主・高家啓太さん

「主客対等」の目線を大切に、心地の良い店づくりを目指す啓太さん。

客がお店に対して期待をし、敬意を抱くのと同じように、
お店も客に対して期待をし、敬意を抱く。

この店に流れる心地よい緊張感は、西陣で百有余年、紡がれてきたもてなしの姿なのかもしれないと思ったのでした。

撮影/スタジオヒサフジ

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