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鈴と源氏香〜小説の中の着物〜竹田真砂子『鏡花幻想』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十六夜

鈴と源氏香〜小説の中の着物〜竹田真砂子『鏡花幻想』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十六夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、竹田真砂子著『鏡花幻想』。日本近代文学史において、信者と言われるほどに心酔する読者を得、一大潮流を創り上げた幻想耽美小説の祖泉鏡花。本名泉鏡太郎が己の美学を徹して貫き“泉鏡花”で在り続けるために、何よりも必要としたのは妻すゞの存在でした。運命を決定付けた出逢い、そして絶対的権力者である師の猛反対にも耐え抜き、支え、ともに生きた生涯の物語。

2026.02.28

コーディネート

ただ佳(よ)き物を〜小説の中の着物〜玉岡かおる『花になるらんー明治おんな繁盛記ー』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十五夜

今宵の一冊
『鏡花幻想』

竹田真砂子『鏡花幻想』/講談社文庫

竹田真砂子『鏡花幻想』/講談社文庫

 家から散歩がてらにゆっくり歩いて、三十分ほどの道程。春の一日、夫婦は遠足に出掛ける小学生のようにはしゃぎながら、一面の菜の花に腰から下を埋もれて歩いた。
「あ、蝶々」
 すゞが白い蝶を見つけて追い駆ける。
「まるで保名やすなだね」
 鏡太郎は杖ステッキを振りながら後に続く。
〽菜種の畑はたに狂う蝶。翼交してうらやまし。
 すゞ得意の清元である。
 初めて鏡太郎に会った明治三十二年正月、硯友社新年会の席で尾崎紅葉の求めに応じて歌ったのがこの『保名』だった。
〽野辺の陽炎かげろう、春草を素襖袴に踏みしだき、狂い狂いて来りける。
 鏡太郎が兵児帯の間にさしている扇子を抜き取って、すゞは歌いながら菜の花の中を踊り廻った。
「こんな広い舞台で本式に『保名』が踊れたら、どんなにいい気分でしょう」
 水浅黄の衣裳を片肌ぬぎに着て、紫地に蔦の縫がある長袴。頭には紫の鉢巻を締て、恋人を失った保名は菜の花の中を狂い歩く。

 竹田真砂子『鏡花幻想』/講談社文庫

今宵の一冊は、竹田真砂子著『鏡花幻想』。

前々回、前回に引き続き、舞台は明治。外国へ、新しい世界へと目を向け飛び出していった同時代の彼女らとは逆に、江戸の情緒や文化を愛し、その心意気に浸り続けることを望んだふたりが主人公です。

ちょうど一年前の第四十五夜で取り上げましたが、日本近代文学史において、鏡花宗信者と言われるほどに心酔する読者を得、一大潮流を創り上げた幻想耽美小説の祖、泉鏡花。そして、その妻となるすゞ。

『明治三十二年一月、伊藤すゞと相識る。』

26歳、新進気鋭の作家であった泉鏡花が、師尾崎紅葉主催の宴席で17歳の神楽坂芸者桃太郎(本名伊藤すゞ)と出逢う。自筆の年譜に記したこの1行が、後の彼の作品世界を決定づけることになります。

生まれ故郷の金沢から17歳で上京し、憧れの尾崎紅葉に師事し小説家への道を歩み始める鏡太郎。住み込みの書生として、小説に関わる指導のみならず、衣食住その生活のすべてを丸抱えで引き受け、小遣いまでも与えて面倒を見てくれた師匠には絶対服従。言うなれば、“信仰”に近いほど崇め奉り、従順。抗うことなど考えられない。

己の手のうちにあると思っている弟子に、良い家のお嬢さんを世話するつもりでいた紅葉は、勝手に芸者と恋仲になった鏡花に怒り狂います。

破門を匂わせるなど、強硬手段で猛反対。何かと邪魔をしてくる紅葉に、板挟みとなった鏡花はついに、苦渋の決断をせざるを得なくなる。一時的にせよすゞとの別れを選びますが、この経緯いきさつを主人公ふたりにそのまま投影して描かれたのが、鏡花の代表作と言える『婦系図おんなけいず』。(小説家は転んでもタダでは起きないというか、物書きの業というか……)

10歳で失った江戸生まれの母への思慕の表れか、終生江戸前を好み、江戸児えどっこを敬慕し、自らもそうありたがった鏡花の最高の手本であったのが、吉原で育ち、江戸の下町情緒や人情を身につけていたすゞであったようです。奇しくも母と同じ名前でもあり、ある意味運命的であったと言えるふたり。

泉鏡太郎が、己の美学を徹して貫き“泉鏡花”で在り続けるために何よりも必要としたのは、妻すゞの存在でした。絶対的権力者である師の猛反対にも耐え抜き、支え、ともに生きた生涯の物語。

2025.07.28

エッセイ

紫色の白昼夢 〜小説の中の着物〜 泉鏡花『艶書』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十五夜

今宵の一冊より
〜菜の花と水浅黄〜

許嫁を失った安倍保名あべのやすな(安倍晴明の伝説上の父)が、形見の着物を纏い菜の花が咲き乱れる春の野を狂い歩く姿を歌った『保名』。清元の代表的な曲であり、歌舞伎の舞踊曲として上演されることもあります。

このシーンに続いて、すゞは参詣客に芸を見せていた角兵衛獅子(新潟健月潟村を発祥とする郷土芸能で、子どもが演じる獅子舞の大道芸)の子どもたちに厳しい懐事情の中から駄賃をはずみます。

瑞々しい新緑の景色の中、太鼓に合わせて跳んだりはねたりする獅子頭の赤い布が風をはらんで舞う様や、芸を終えて麦畑の中を遠のき消えていく様子などは、まさに舞台上の色鮮やかな書き割りのようで、とても印象的なシーンです。

『保名』の舞台背景となる“菜の花色”と、その衣裳の色であり、また作中ですゞが好きだと語る色でもある“水浅黄”が横段状に織り出された上田紬。艶やかに匂うような藤の花と蝶が描かれた塩瀬の染め帯を合わせて、まさに春爛漫と言った風情のコーディネートです。

この上田紬は単衣〜夏向きの軽やかな風合いですが、現代の気候ならば4月くらいから着始めても良いのではないでしょうか。早めの時期なら長襦袢を袷や単衣や麻でもしっかりと地色のあるものにして、夏に近づくにつれて薄手のものや白っぽいものにしていくと良いと思います。

また、今のうちはここでご紹介したように帯や半衿は袷用のものにしておき、徐々に単や自然布などの軽い素材感のものにしていくと言った感じで微調整していくと、真夏日が珍しくなくなってしまった4月から本格的な夏まで、フル活用できるのではないかと思います。

帯周り

小物:スタイリスト私物

帯揚げ帯締めには、藤の花の美しいグラデーションから濃紫、白〜藤紫をピックアップ。少ない色数でまとめつつ、帯周りにメリハリと奥行きを。

黄色と紫は、補色の関係でもともと相性の良い組み合わせですが、帯揚げの濃紫は、抜粋部分中の描写にもある“病鉢巻”にも通じる色。

こういった濃色を差す場合、あまりたっぷり出すとちょっと野暮ったくなってしまうことも多いため、すっきりと細めに見せると粋で洗練された印象に仕上がります。

扇子を装いのアクセントに。

小物:スタイリスト私物

胸元に挿したときの胸元に、ぽつりとひとしずく落ちた色。扇子を開いたときに、目を奪われる鮮やかなライン。

くっきりと濃い水浅黄のぼかしが印象的な、“天水てんみず”と呼ばれる扇子を装いのアクセントに。
 
 
 
4月下旬には見頃を迎える藤、うっかりすると“着どき・・・”を逃してしまうから、もういっそ4月前半の2週間は、この帯しか締めない!と決めてしまうのも良いかも知れません。

例えば白や藍の大島紬。縞や格子の紬や御召、小紋に上質な木綿。優しい綺麗色や渋くて粋な江戸小紋は言うまでもなく、飛び柄の小紋や色無地、付け下げや軽めの訪問着まで。

こういった黒地の塩瀬の染め帯は合わない色柄が少なく、年齢的にも長く楽しめますので、とても重宝。

これから季節限定柄の帯を入手したいと考えている方は、手持ちの着物の大部分に合うであろうものを厳選し、旬の時期に、とにかく締め倒す(笑)。そんな楽しみ方もおすすめです。

今宵の一冊より
〜源氏香〜

もともと泉家の紋所は笹竜胆ささりんどうだった。しかし生家はなくなり、鏡太郎が東京に出て、文字通り腕一本で支える家は新しい、鏡太郎の泉家である。なんの役にも立たない生家より、恩師尾崎紅葉の威徳を称たたえる証あかしを用いる方が鏡太郎の意に適う。鏡太郎は紋帳を繰り、好みに合った紋所を探し出して、初めて誂えた紋付に用いた。源氏香、五十四種あるうち、紅葉こうようの名にちなんで紅葉もみじの賀の印である。弟の豊春にもこの紋をつけさせた。
すゞも今年のお正月の晴着には鏡太郎と同じ紋をつけた。
「あら、桃ちゃん、珍しい紋をつけているのね」
小えんに見咎められた時はどきっとしたが、なに喰わぬ顔で笑ってすました。小えんは恐らく、源氏香の紋が鏡太郎の紋だということを知っていたに違いない。

 竹田真砂子『鏡花幻想』/講談社文庫

細かい唐草紋が全体に織り出され、ほのかに甘さを含んだ春の朧夜のような墨色の付け下げ。

繊細な枝垂れ柳と源氏香図、江戸の空気を湛えた王道とも言える古典柄でありつつも、すっきりと洗練された印象で、どこかモダンな趣も感じられます。

帯は、水浅黄を中心に深川鼠、薄藤、薄雲鼠など爽やかな配色の霞を織り出した爪掻き綴れ。柳に燕の扇子を添えたら、古典とモダンが程よく調和した小粋な装いに。

  

ちなみに、描かれた源氏香図は……

胸と左後ろ裾(鈴の帯と並んだ冒頭の画像をご参照ください)には紅梅と胡蝶。

上前に藤袴、胡蝶、賢木、紅梅。そして、右後ろ裾に薄雲、須磨。

残念ながら鏡太郎が選んだ紅葉賀はなかったのですが、どうせなら背に刺繍の一つ紋でも入れておきましょうか。

帯周り

小物:スタイリスト私物

白と水浅黄でまとめることで、帯に使われたわずかな金の霞が際立つ小物遣い。

色数を抑えシンプルであるほどに、合わせる小物ひとつひとつの存在感が重要。小物遣いで奥行きを演出すると、帯周りの洗練度がアップします。

ともすれば極妻や銀座のお姉さん風になりがちな黒の付け下げや訪問着ですが、こんなコーディネートなら、玄人風になりすぎず、小粋でクールな江戸前の女ひとを気取れそうです(ヘアメイクがかなり重要ですが)。

今宵の一冊より
〜江戸好み〜

四日後には座敷へ出る気になり、波どんに着物を着せてもらう。痩せて帯が長くなった。
「座敷へ出なすった方が気が晴れやしょう」
波どんは帯を柳に締めながらお愛想をいった。

「思い出し笑いかいの」
縁側に並んで座って、足袋継ぎをしている祖母が手をとめずにいった。
「あらいやだ。分りまして?」
すゞも祖母の手つきをまねながら、鏡太郎の足袋のほころびを繕っていた。

  竹田真砂子『鏡花幻想』/講談社文庫

本稿の冒頭で抜粋した中の「鏡太郎が兵児帯の間にさしている扇子を抜きとって〜」という一文もそうなのですが、ここでご紹介した鏡太郎の祖母と並んで足袋継ぎに精を出す様子や、男衆はこや(三味線箱を抱えて、芸者の共をしたことから付いた呼び名。付き人のような存在で、道中の護衛も兼ねていた)の波どんに帯を締めてもらいながらの「痩せて帯が長くなった」の一言など、さらりと触れられる描写がなんとも言えないじんわりとした重みを感じさせる本作。決して事細かに説明するわけではないのだけれど、神楽坂の生まれ育ちで歌舞伎通でもある作者ならではの、それらの本当にさりげない描写が本作のリアリティを裏打ちしているように感じます。

明治の半ばから、大正〜昭和初期。江戸児えどっこであった母への思慕から、江戸の風情を好み、その当時でさえ周囲から“古風”と見られていたらしい鏡花の暮らし。鏡花にとって好ましい江戸下町の風情を体現し、快適なその日々を維持していたのは、もちろんすゞ。

体調を崩し神経を病んで、生来の繊細さに加えて、いっそうの衣食住の細部に渡っての病的なまでのこだわりを発揮した鏡花のそばで、心を尽くして身の回りを整え、支え続けたすゞの存在がなければ、それは叶えられることはなかったでしょう。

紺と白茶の縞が織り出された、しゃらりと軽やかな御召の単衣。その色遣いにも、唐桟を思わせる縞の調子にも江戸の名残りを感じます。粋筋の女性らしい風情を湛えたこんな縞の御召、すゞもよそゆきの着物として大切に着ていたかもしれません。

合わせたのは、瑠璃紺に銀鼠、白鼠と、江戸好みの配色で、浮世絵のような大胆さで瑞雲らしき文様を織り出した名古屋帯。

胸元には、手染めの更紗半衿を合わせて。江戸の気配を纏いながらも、現代の街並みにも新鮮に映る……そんなコーディネートになりました。

帯周り

小物:スタイリスト私物

白地の更紗の半衿、紋紗の帯揚げの白が、程良い抜け感として顔周りに明るさを。

象牙の桜の花びらをひらりと添えて、さて、軽やかにどこにお出かけしましょうか。

こんな小粋な着こなしには、気軽な街歩きならば駒下駄も似合いそう。余計な皺ひとつない、吸い付くような誂えの白足袋(そろそろ麻でも良さそうな……)で足元をきりっと引き締めて。

観劇や美術館など、音の気になる場所にはもちろん草履で。畳表の草履ならクラシカルな印象に。紅つぼの効いた、すっきりと細みの草履ならばレトロモダンな雰囲気になりそうです。

季節のコーディネート
〜旬の愉しみ〜

気候の変動が激しく、いったい何をどう着ればいいのやらと悩ましい昨今ではありますが、それでもやっぱり捨て難いのが本稿の冒頭でもご紹介した“季節限定のお愉しみ”。こればかりは、着物でしか味わえない悦びではないかと思いますので、なるべくなら手放さずにいたいもの。

ご紹介するのは、季節限定の贅沢な装いが楽しめそうな、色とりどりの花菖蒲はなしょうぶが描かれた着物。

文目あやめや杜若かきつばたに続き、5月末〜6月初め頃に開花を迎える花菖蒲は、園芸文化が発展した江戸時代、朝顔などとともにさまざまに品種改良が施されて多くの新種が生まれ、人々に愛好されたと言われます(現代でもその名所として残るのが、東京都葛飾区の「堀切菖蒲園」。200種以上と言われる、さまざまな花菖蒲が咲き誇る6月上旬頃から、毎年“葛飾菖蒲まつり”が開催され賑わいます)。

青、白、紫の鮮やかな花菖蒲が描かれた訪問着。

季節の花や旬の実りは生命力の象徴。邪気を払う力があるとされることから、その加護を願って身につけたり、室内に飾ったり。

“尚武しょうぶ”にかけて、男児の健やかな成長と災いからの守護を願って、“端午の節句”には武具や鯉のぼりなどに添えて飾られますね。

また“菖蒲湯”として用いられるのは、薬効のある菖蒲の葉。花菖蒲は、それとは葉が似ているだけのまったく別の植物です。

帯周り

小物:スタイリスト私物

帯揚げには、青、白、紫の澄んだ花の色。永遠や繁栄、浄化を意味する青海波の刺繍半衿を胸元に。

扇子には、枝垂れ柳。

帯留には武具つながりで刀や鍔のモチーフかな…?とも思いましたが、子の逞しい成長を願って……彫金の親子獅子を。

4月の歌舞伎座では、連獅子の演目もあるよう。こんな装いで観に行けたら素敵ですね。

2026.03.24

カルチャー

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この着物……かつて、晩春〜初夏の気候が普通(笑)だった頃に仕立てられたものだと思いますので、少し先取りの4月から5月にかけて着たいと思ってのことでしょう。袷仕立てになっています。

こんな柄ゆきのお着物は、いっそ単衣に仕立て直した方が、現代の気候であれば活用の機会が多くなりそうな気がします。

楊柳のような縦しぼのある軽やかな縮緬なので、単衣にしてしまった方が、4月下旬のGW頃から5月、そして6月梅雨寒の頃まで、着用機会が広がりそうです。

作品世界も生き方も、自身の美学を貫いた鏡花らしい“紋”のエピソード。

現代でも、実はそれで良いのではないかと思っています。「家」というものの存在意義が薄れ、紋を目にする機会も減り、気にしたこともないという方も多い“家紋”。

もちろん、結婚という制度によって婚家との関係もありますので、何もかも勝手にすればいいじゃないと言うつもりもありません。

受け継いだ紋を大切にするのも良し、新たに自分自身が背負う紋を自分で決めるも良し。ちなみに私は、大好きだった母方の祖父が大切にしていた紋を付けた着物もあるし、自分でデザインした紋を付けた着物もあり、どの紋もとても気に入っています。

大事にしたいものを、自分で選んで生きていけたらいいなと思います。

さて次回、第五十七夜は……

働く、女性たち。

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