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つながる縁(えにし)と紋の話〜小説の中の着物〜藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十二夜

つながる縁(えにし)と紋の話 〜小説の中の着物〜 藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十二夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、藤沢周平著『よろずや平四郎活人剣』。老中水野忠邦による過酷な奢侈禁令にあえぐ江戸市中を舞台に、神名平四郎は「世に揉めごとの種は尽きまじ」と“よろず屋”稼業に精を出す。兄から押し付けられた紋付袴とただ働きに多少の不満はありつつも、市井の人々のよろず揉め事に首を突っ込みながら飄々と日々を生きる平四郎の、縁(えにし)の糸がつながる先は―――

2025.09.29

コーディネート

紅をさす〜小説の中の着物〜水上勉『紅花物語』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十一夜

今宵の一冊
『よろずや平四郎活人剣』

藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』/文春文庫

藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』/文春文庫

「よし、万事相わかった」
 と平四郎は言った。
「あとはわしにまかせてもらおう。じつを申すと、わしは仲裁という仕事をやっておる」
 平四郎は長長と仲裁仕事の披露目を言った。くみはぽかんとした表情で平四郎の顔をみている。
「つまりだ。そなたたち親子のように、進退に窮した人間を救って、何がしかの口銭を頂くのがわしの仕事でな。わしが赤ん坊を拾ったのは、双方にとって好都合だったというものだ」
「………」
「安心していいぞ。小谷との話は、わしがきっぱりとつけてやる」
「でも、わたくしはいまのところ、お払いする金の持ち合わせがありません」
「そんなことは心配するな」
 平四郎はほがらかに言った。
「そういう口銭などというものは、誰かが払ってくれるものでな。なに、誰も払わんというならそれでもけっこう。赤ん坊のために、この際は手間賃を無視してひと肌脱ごう」

〜中略〜

「ここに五十両ある。これをくみに渡してくだされ」
 小谷外記は、手文庫から出した金包みを、平四郎の前に置いた。そしてほかに懐紙に金をつつんだ。平四郎が横目で見ていると、それは五両である。小谷家は裕福な屋敷のようだった。
「これは些少ながら、赤子が世話になった礼じゃ。おさめてもらいたい」
「いや、いや、さようにご斟酌をいただいておそれいります。これはいただくわけには参りませぬ」
 喉から手が出るような礼金だが、兄から借りてきた紋つき羽織の手前もある。平四郎は辞退した。

 藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』/文春文庫

今宵の一冊は、藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』。

ときは江戸後期。主人公は、老中水野忠邦による過酷な奢侈禁令にあえぐ江戸市中を舞台に、「世に揉めごとの種は尽きまじ」と市井の片隅で始めた“よろず屋”稼業に精を出す神名平四郎。

当時の武家においては、そこそこに立場も経済的な余裕もある旗本であろうとも、家を継ぐ長男以外は俗に“冷飯喰い”と言われ肩身の狭い厄介者(しかも妾腹しょうふくの身であれば尚更)扱い。

許嫁の家の取り潰しにより唯一の希望だった婿養子の口が潰えたため、磨いた剣の腕を活かし道場を起こそうと生家を出る平四郎ですが、何かと庇ってくれるあによめの口添えにより、ようやく口煩く厳しい兄を説得しせしめた餞別の貴重な軍資金を仲間に持ち逃げされてしまいます。

お世辞にも綺麗とは言えない裏店に住まいながら、冒頭の抜粋部分で描かれたような赤子の世話に夫婦喧嘩の仲裁、勘当息子を連れ戻し不毛な敵討を諦めさせ、大店の道楽息子に弄ばれ結婚の約束をあっさり反故にされかけた煮豆屋の娘の恋愛話にカタを付け(その御礼は煮豆を丼一杯。なんだかんだでお人好し笑)……と、日々奮闘する平四郎。

もちろん剣の腕はあるけれど、颯爽と現れバッタバッタと敵を切って倒すわかりやすい時代劇ヒーローとはひと味違う(そういうシーンもないではないけれど)。ちょっとぐうたらなところがあったりズルしたり抜けてて失敗したりもする。お人好しで金儲けが下手で、飄々として、でもいざとなると漢気のある気のいい若者。その人物像が、とても魅力的。

家督を継ぎ目付となった兄に何かとこき使われつつも、市井の人々の困りごとを解決するために文句を言いながらも奔走する平四郎と、家の没落に伴い心ならずも他家に嫁ぎ幸せとは言えない日々を送る、かつての許嫁早苗の縁が、再び絡み合う―――さまざまなしがらみに縛られながらも、つながるえにしになんだかほっとする……そんな物語。

今宵の一冊より
〜紋付きの着物・染め抜き紋〜

「お殿さまのお言いつけで、おとどけ物を持って参じました」
「どれ、見せろ」
 手伝って風呂敷をほどいてみると、中身は真新しい紋つきの羽織と袴である。ほかに襦袢が二、三枚に足袋、扇子が添えてある。ひもで縛った紙包みもあって、開いてみると中には干鱈とゴマ塩、梅干しが入っている。
 判じ物を見たようで、平四郎はあっけにとられた顔で嘉助を見た。
「これは何だ?」
「こちらの羽織、袴はお殿さまのお言いつけで揃えましたものだそうで……」
 嘉助は羽織、袴とそのほかの物を分けた。
「またこちらの品品は、ついでだからと奥さまが添えてよこされたものでござります」
「そうか」
平四郎は首をひねった。
「喰い物も肌着もわかるが、兄上が寄越された羽織、袴がわからんなあ、ここでは、こういうものは要らんぞ」
「それが、ナニでござります」
 嘉助は口上を伝える顔つきになった。
「近ぢかに、お殿さまが小坊ちゃまをどこぞかへお連れなさる用がおありなのだそうで。その時の用意にとどけておけと、かようなお言いつけでござりました。はい。あ、それから質に入れたりなさることは罷りならぬと、きつい仰せでござりました」

 藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』/文春文庫

普段は気楽な着流しやせいぜいくたびれた袴姿の平四郎ですが、一応武家の身分である旗本の子弟、やはり出るところに出る際にはそうそうみっともない格好ではいられない。そういった場で身につけるのは、やはり紋付。

とは言え、なかなかに厳しい日々の暮らしの中、兄のきつい言いつけにも関わらず結局この羽織袴は質に入れられてしまうのですが、この時代、生活に困窮したり急な金子が必要になったりした際に武家が紋付(や家紋のついた道具類など)を質に入れるのはよくあったことのようです。出所の明確な品であり万が一流れたら責任問題となるがゆえに、決して流すわけにはいかず必ず請け出しにくるため、確かな質種としての意味があったのだとか(でも平四郎の場合、これを請け出せなかったから、冒頭の抜粋部分にあるように再度兄に借りる羽目になったのですが笑)。

平安時代の公家社会においては、牛車や調度品などに所有を示すために好みの文様などを付けた目印(マーク)、また後の武家社会においては戦場における敵味方の判別を目的とした旗指物はたさしものや武具、武装(チームロゴやユニフォーム的な役割)に付けた印を起源として発展したとされる日本独特の家紋文化。

江戸時代に入り、社会の安定と経済の著しい成長により、平民の力が増すにつれ、家紋は公家と武家だけのものではなくなります。商家や職人にとっては扱う品物の価値を示すブランドロゴであり、豪農などその土地の有力者にとっては、その権力を保証するもの。そして時代が下がるに従って、デザインにも大きな広がりを見せた家紋は、丸の有無や植物であれば枝葉の数、左右のバランスの違いなど、極細かな差異も厳密に分類すると現代まで残るもので数万種に及ぶとか。

本作の舞台である江戸後期においては、武家における家紋と言えば身分証明を常にしながら行動しているようなもの。さすがに江戸の街を行き交うすべての武士の紋をひとめで判別できるとまではいかないでしょうが(登城の際には、必ず通過する場所で裃に付けられた紋をチェックし判別するお役目もあったとか)ある程度の要職にあるものなら、主要な家の紋は把握されていたようです。それにより、町の治安を守る相互警戒の任ともなり、抜粋部分の平四郎のように、迂闊なことはできないと抑止力の役目も果たしていたのでしょう。

現代の歌舞伎や能、邦楽、茶道や香道など伝統芸能関係者以外の一般社会においては、さすがにそこまでの認知度は薄くなっており、実際に紋付を身に付ける機会があるのは結婚式の新郎や新郎新婦の父、くらいかもしれません。女性で言うと、最上級のフォーマル仕様である留袖や喪服などで、その場合は「五つ紋/染め抜き」となりますが、やはりそれはかなり限られたシーンでの着用になります。

2025.07.05

エッセイ

ちらり、秘かな愉しみ 〜裏とか紋とか〜 「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第六夜

もう少し普段よりで、着用機会が多くありそうなのは、軽めの訪問着や付下げ、色無地、江戸小紋といったセミフォーマルの紋付ではないでしょうか。

立体感のある金の組み紐と結び目を、横段風に裾にあしらった訪問着。ニュアンスのある色が繊細な裾ぼかしと相まって、個性的でありつつも上品な着こなしが叶いそうな一枚。

帯合わせによってさまざまなシーンに対応できそうですが、例えば、こんな更紗風の鳥間道文が織り出された袋帯を合わせたら。

新たな世界への飛翔、縁結び……ということで、お友だちの結婚式や披露宴のパーティーに。また、入卒式や七五三など、子どもの成長に関わるさまざまなお祝いの席にもぴったり。

大きく、自由に羽ばたいていけますように。
たくさんのご縁に恵まれますように。

そんな願いを込めて。

小物:スタイリスト私物

小物:スタイリスト私物

澄んだ白緑の地色、艶やかな華唐草の地紋が品良く華やか。裾のぼかしにリンクした小物遣いで、着こなしにリズムが生まれます。

澄んだ白緑の地色、艶やかな華唐草の地紋が品良く華やか。

さまざまに繋がり、広がってゆく“えにし”の糸を、しっかりと紡ぎ、そして結んでいけますように。

結び紐の意匠には、そんな“縁を結ぶ”という願いを込めて。

あるいはもっと日常遣いで、歌舞伎など舞台の演目に合わせて装うなら、帯や小物につづみなど楽器の意匠を選べば調緒しらべおとして。檜扇や御簾、文箱といった器物文ならば飾り紐、刀の文様と合わせて下緒さげおとしても。

そんな着こなしも楽しそう。

八掛には、ひっそり糸巻きや羽子板など玩具の柄。

八掛には、ひっそり糸巻きや羽子板など玩具の柄。

人生のどんなときにも、小さな楽しみや喜びがありますように。そんな願いを託して。

八掛には、ひっそり糸巻きや羽子板など玩具の柄。

背には「丸に三つ柏」の抜き紋が一つ。

この着物の種類としては、趣味性の高い裾模様の訪問着という扱いになるかと思いますが、紋の入れ方の中でも最も正式な染め抜きの日向(陽)紋が入っていますので、結婚式の参列など、きちんとした席にも着用可能です。

リサイクルで紋付の着物を入手する場合は、その紋をどう捉えるかは人それぞれ。レンタルなどでもつけられていることの多い「丸に違い鷹の羽」や「丸に五三桐」などの“通紋(つうもん、とおしもんとも)”ならば、誰でも使用できます。この着物に付けられている「丸に三つ柏」も代表的な通紋のひとつ。

(確率はそう高くはないかもしれませんが)通紋ではない自分のうちの紋で、たまたま同じものを発見したからそのまま使う、というのもアリ。また、例え違っていても、親族が集まる場などではなく、友人の結婚式に参列するというような場合は、その紋がその人の家紋かどうかは見る人にはわからないわけですから、自分が気にならないならそのまま着用しても問題ありません。

でも、もともと家紋はひとつに限らず、家一族を象徴する家紋とは別に個人が自分の好みの紋を使用することもありました。細い丸に半分ほど覗かせたり、霞などの意匠と組み合わせたりと元の家紋を少しアレンジするなどして、“伊達紋”として使用することも。地方によっては、女性だけに伝わる“女紋”というものもありますから、違っていてもそうおかしなことではないのです。

着物は気に入ったのに家紋が気になる……という場合は、色や素材によっては抜くことができる場合もあります。また、セミフォーマルの装いならば、好きなデザインを“洒落紋”として用いるのも素敵ですので、入っている紋よりひと回り大きく(例えばこの着物であれば、裾の結び目の形をイメージしたデザインにするとか)刺繍などで紋が隠れるように洒落紋を入れるというのも一案。

こういった珍しい加工の着物に出会えるのもリサイクルの良さですから、気に入ったものに出会えたら、少し手を加えて自分だけのものにするのも楽しみ方のひとつです。

今宵の一冊より
〜紋付きの着物・縫い紋〜

染め抜き紋は白でくっきりと入るため、いかにも“紋が入ってます!フォーマルです!”という主張が強くなりがち(笑)ですが、無地紬やお召など、織の着物には縫い紋を入れますので、そこまで格式ばった感じにはなりません。

ほぼ同化させるように、共色で。あるいは共薄色、共濃色などが一般的ですが、銀糸などでアクセントにする場合も。

薄霞のような綺麗な枯野色に、ごく淡い水柿色がほんのりとぼかし状に織り出された、ニュアンスのある無地紬。

洗練されたシックさとほのかな甘さが感じられ、帯合わせでさまざまな着こなしが楽しめそうな一枚です。

ゆるいタッチが個性的で味わい深い宝尽くし文の袋帯を合わせた、お祝いモードのコーディネートに。

小物:スタイリスト私物

小物:スタイリスト私物

帯留には、象牙の兎。

半衿の雪華文と合わせて雪兎という季節的なイメージもありますが、雪も兎も、豊穣や繁栄など吉祥を意味する文様でもありますのでお正月の装いにもぴったり。

また、ちょうど今秋、七五三を祝う三歳のお子さまたちは干支が卯のようだったので、お子さまの干支をお母さまの着こなしに取り入れて…というのも素敵かなと。

兎に限らず干支のモチーフは、その年のお正月はもちろんのこと、ラッキーアイテムとして一年中楽しむのも良いですね。

フォーマルな装いにおける上着は、道行や道中着など、羽織ではなくコートの方が一般的にはふさわしいとされます(移動の間だけと割り切れば、絵羽の羽織や無地羽織でも問題ないですが)

繻子しゅす地のような程良く華やかな艶のある白橡しろつるばみ地に、モダンなアレンジの梅ヶ枝が描かれた道行。

吉祥紋である松竹梅のひとつ、“梅”。慶事の装いには季節を問わず着用できますし、描かれた梅のタッチが愛らしく、遊び心も感じさせるので堅苦しくなく楽しめそう。お正月の装いとしても素敵です。

背には、“抱き茗荷”の縫い紋がひとつ。

背には、“抱き茗荷”の縫い紋がひとつ。

紬ですし、ほぼ同色であしらわれた紋はそれほど目立たないため、季節の染め帯などを合わせてカジュアルな装いも楽しめます。

共色の家紋も良いですが、こういった無地紬には特に、少し大きめの洒落紋を入れても素敵。

季節のコーディネート
〜慶事の着物〜

ふっくらと柔らかなしぼのある薄藤色の縮緬地に、若松や松葉、松毱まつぼっくりなど、松尽くしの意匠を金銀糸で散らした付下げ。

立体的で厚みのある手刺繍が、控えめな地色に華やぎを添えています。

紫鼠の地色に波濤文を織り出した綴れの帯を合わせて。力強い波が同系色で落ち着いた配色ながら存在感があり、結婚式の参列や七五三、入卒式などの、お祝いごとのシーンにふさわしい装いに。

帯留には、象牙の兎。

スタイリスト私物

“波に乗る”、あるいは寄せては返すことから繁栄や成功、永遠、浄化など吉祥の意味を持つ波濤文。

神の宿る木とされ、常緑であることから、清浄や永遠の象徴である“松”とともに、季節を問わず使える意匠です。

松の刺繍にぽつりと差された、鮮やかな翡翠色ひすいいろを拾って帯揚げに。クラシカルな意匠にモダンな雰囲気が漂います。

菊水の一つ紋。

着物に散らされた金銀糸の松葉と合わせて、金糸で刺繍された「菊水」の一つ紋。

後ろ姿を華やかに彩ります。

今宵のもう一冊
『木綿触れ』

藤沢周平『木綿触れー闇の穴ー』/新潮文庫

藤沢周平『木綿触れー闇の穴ー』/新潮文庫

「あわてんでもいいぞ」
 友助が着替えながら声をかけると、台所からはなえが、申しわけありません、いそいで支度しますから、と詫びた。茶の間と寝部屋と、それに納戸がくっついているだけの、せまい家である。どこで声を出しても、相手が家の中にいる限り、声はとどく。
「着る物は、だいぶ出来たのか」

〜中略〜

「おかげさまで、今夜には出来上がります。でもつい気をとられて、夕飯の支度がおくれました。ごめんなさい」
「気にするな。べつに子供のように腹をすかして帰ってきたわけではない」
 子供と言った自分の言葉に、友助ははっとしたが、はなえは気づかなかったようである。軽い笑い声を残して、台所にかくれた。はなえの笑い声には、喉の奥で転がる軽いひびきがある。その快活な笑い声をしばらくぶりで聞いたような気がした。二人は二年前に、赤子を病気で失っている。はなえは、もともと明るい性質だったのだが、そのことがよほどこたえたらしく、めったに笑うことのない女になっていた。
 ―――着物で、女は気が紛れるものか。
 それなら、やはり買ってやってよかったのだ、と友助は思った。
 はなえが縫ってるのは、自分の着物だった。生地は羽二重だった。かなり無理をして、友助が買いあたえたものである。十日ほどあとに、はなえの実家に法事があり、そのときに着ていくつもりで、はなえは自分で仕立てているのであった。

 藤沢周平『木綿触れー闇の穴ー』/新潮文庫

今宵のもう一冊は、同著者の短編集『闇の穴』冒頭に収録された『木綿触れ』。

羽二重とは、独特の艶があり、触れてみるとすべすべした少し冷たさを感じる手触りで、縒りをかけない糸で織り上げられた畝やしぼのないしなやかな平織の素材。その滑らかな質感から、現代では薄手のものが胴裏や羽裏、比翼などの裏ものに使われることが多く、かつらを付ける際に本人の髪を覆う生地としても用いられています。

しっかりと厚みのある着尺用としては、男性の第一礼装である黒紋付、また女性の着物であれば黒喪服に使用されることが多いのですが(主に関東において。関西では縮緬)、近年では関東でも縮緬で作られることが多くなっており、生地自体の生産数もかなり減ってしまっているようです。

羽二重で仕立てた黒喪服

映画の撮影用に、羽二重で仕立てた黒喪服。羽二重の質感が少しは伝わるでしょうか……?

かつては婚礼の際に夏冬それぞれの喪服を揃えて持たせることも多かった喪服ですが、そのまま箪笥の肥やしになっていて困っている……という方も多いですね。自分で(もしくは家族の手でも)着られるという大前提がなくなっている現代では、基本的に準備期間がなく突然の着用となる弔事において(喪主など当事者においてはなおさら)着物を選択するということが少なくなってしまうのも致し方のないことかもしれません。洋装の人がほとんどの中、喪主側が和装の喪服を着ていない状況で、そこまで関係が近くない立場で着物を着ていくのが躊躇われる気持ちもよくわかります。

現代では東西の違いもかなり薄れており、レンタルなどでも取り扱われているのは縮緬がほとんど。この喪服は、関東に生まれ育ち、日常的に着物(洋服は着ない)で、こだわりのある上質なものを着こなしている70代女性……と、自分の喪服を持っていないというのは設定上考えられない役柄だったため、羽二重で仕立てました。役の姓で実際に当てはまる家紋を調べ、その中から“主張しすぎず、普通すぎない”デザインの紋を選んで……(仕上がった作品を観たら、正直画面上ではほとんど映ってませんでしたけど……ね。ま、衣裳担当の自己満足みたいなものです笑)。

今日の昼過ぎ、友助たち足軽組の者は、城中の庭先に集められて、そこで藩公の名で出された新しい触れを聞かされた。
触れは、先に郷中に出された倹約令に続く、士分の者に対する倹約令で、祝儀、不祝儀の簡素化、家屋の造作の遠慮、正月五節句の行事の簡素化などを命じ、衣類についても「足軽中間は、布木綿のほか一切着すべからず。襟、帯、袖へりなどにも絹物使うまじく。妻子同前のこと」と言っていた。

 藤沢周平『木綿触れー闇の穴ー』/新潮文庫

年を追うごとに切迫していく藩の経済状況の中で、百姓たちがどれほどに苦しんでいるかを知っており、それを横目に贅沢の限りを尽くしている上役の不正にも憤りを感じていた友助。

せっかく夜な夜な針を進めて仕立て上げた羽二重の着物を、着用前日に出された触れにより着ることができなくなったはなえ。藩令だから仕方ないと、素直に友助の言葉を受け止めるシーンが切なく、またその後の展開には胸が締め付けられます。

もともと慎ましく、贅沢をしたがるわけではなかったはなえが初めて望んだ絹の着物。

はなえは、分不相応な無駄な贅沢をしたかったわけではない。ただ……何か、立ち直るきっかけとして、心の支えになるものがたまたま羽二重の着物であっただけなのに。

その先を共に生きるために無理してでも叶えてやりたかった友助と、それによって深い喪失の悲しみから立ち直れるかに見えたはなえの、束の間の幸福と暗転する運命。

はなえの行動と、それを追う友助の行動がどちらも理解できるだけに苦しく胸に迫ります。

今宵のもう一冊より
〜木綿の着物〜

藤沢周平の作品世界の舞台としてよく登場する、とある北国の架空の藩(映画化された『蝉しぐれ』や『たそがれ清兵衛』、ドラマ化された『三屋清左衛門残日録』などにおける“海坂藩”が有名)は、作者の故郷である山形県鶴岡市や庄内市を投影して描かれていると言われます。

本作もまた、藩名の言及こそないものの、その描写から、著者の生まれ故郷である山形県鶴岡市をモデルにしたとある小藩が舞台。友助とはなえが住むのは、その城下町の外れにある組長屋です。

(東北つながりで)網代格子が織り出された片貝木綿の着物に、作中舞台と同じ米沢市の産である“出羽の織座”が手掛けたぜんまい織の八寸帯を合わせて。

柔らかな薄紫色の無地感覚の片貝木綿は、帯合わせ次第で少しきちんとした雰囲気にも着ることができますし、半巾帯などを合わせて軽やかに楽しむこともできるデニム感覚の着物です。

自宅でのケアができますので、雨の日にも気兼ねなく。気候によって単衣着物の需要が高まる昨今、日常に楽しめる木綿の着物はさらに注目度が高まりそうです。

深まる秋の日のお出かけには、しっとりとした艶のある縮緬の重みが心地よい羽織を重ねて。

ついこの間まで触る気すら起こらなかった、ほっこり暖か素材もようやく出番。別珍の足袋や草履などを足元に合わせても。

織り上げた“ぜんまい織”は、ほっこりとした素朴な風合いが魅力。

スタイリスト私物

真綿や綿花にぜんまいの綿毛の繊維を混ぜて糸を紡ぎ、織り上げた“ぜんまい織”は、ほっこりとした素朴な風合いが魅力。

羽織の吹き寄せ柄からこぼれ出たような、木彫のどんぐりをころりと転がして。

現代においてもほとんどの家が家紋を持っていると言われますが、自分のうちの家紋など見たことがない、というより気にしたことすらないという方も多いですね(着物を着る方なら興味をお持ちの方が多いと思いますので、さすがにそこまでではないでしょうけれど)。

核家族化が進み、仏壇のない家も増え、お墓参りや法事といった親族が多く集まるような行事にも関わることが少なくなっていますから、それも無理ないことかもしれません。

2025.07.04

エッセイ

あなたの家紋、知っていますか? 「きくちいまが、今考えるきもののこと」vol.38

私自身は、家紋を入れた着物もありますが洒落紋も好きなんですよね。背にひとつ紋があると、何となく背後が守られているようで安心感があるし、背筋がすっと伸びていられる気がして。

これまでに、何度もオリジナルのデザインをお受けして手掛けてきましたが、そのオーダーの仕方もいろいろです。

その方のお好きな花(誕生花なども)や植物、モチーフ、干支(裏干支も含め)に絡む意匠。紋を入れる着物の柄や地紋、柄八掛とのリンク。“四君子”や“竹に雀”と言った定番の組み合わせ。お名前の一字にちなんで……というパターンも。さまざまなアプローチが可能です。

洒落紋だと、丸に限らず横長にしたり菱型にしたり、変わりどころでは、背縫いに絡みつくように縦長にしたり。デザインとして少し広げて考えられるので、よりバリエーションが広がります。

裾の模様と合わせてデザインした蔦の丸の洒落紋。

裾の模様に合わせてデザインした蔦の丸の洒落紋。

日本の家紋文化が、海外のハイブランドのロゴなどにも影響を及ぼしていることはよく知られた事実ですが、小さな世界の完成された美意識には本当に驚かされるものがあります。紋付というと、何だか堅苦しくてハードルが高いと感じていらっしゃる方は、ちょっともったいないことをしているかもしれません。

現代においては、平四郎の時代と違ってそこまで家や一族を背負うシーンはそう多くはないから、正式な家紋ではなく(それはそれとして、必要な場ではきちんとしつつ)、個人の楽しみであり、ちょっとしたトレードマークのようなもの。そう、平安時代の公家の紋の起こりに近い感覚なので、あまり大仰に考えず、フレキシブルに楽しんでみても良いのではないでしょうか。

さて次回、第五十三夜は。

そろそろ忠臣蔵の季節なので……殿中と言えば、かみしも。裃と言えば江戸小紋。

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