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鎌倉友禅 坂井教人・三智子さん(神奈川県鎌倉市・友禅)「バイヤー野瀬の、きもの産地巡り」vol.7

鎌倉友禅 坂井教人・三智子さん(神奈川県鎌倉市・友禅)「バイヤー野瀬の、きもの産地巡り」vol.7

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京都きもの市場の名物バイヤー・野瀬のバイイングに密着取材する連載の7回目は鎌倉へ。市内中心部なれど、仙人が棲む蓬莱山に登ってきたかのような鎌倉らしい谷戸に建てられた大きなアトリエを訪ねました。ここは、9月1日に卒寿を迎えられた坂井教人さんのご自宅兼工房。11月に卒寿記念作品展を企画している銀座店店長の菅野も同行です。

2023.09.19

まなぶ

有職組紐 道明(東京都台東区上野・組紐)「バイヤー野瀬の、きもの産地巡り」vol.6

11/16(木)~20(月) 「坂井教人・三智子 坂井教人―卒寿記念―親子展」が開催されます(於:京都きもの市場 銀座店)

野瀬の脳裏に焼き付く美しい作品

「なんてきれいなんだろう。いままで見てきた友禅とはどこか違う……」

坂井教人さんの作品とのファーストコンタクトで新鮮な感動をおぼえたことを、いまでも鮮明に記憶しているバイヤー野瀬。

坂井先生

坂井教人先生

御年90歳という坂井先生が、我々取材陣を前にとうとうと語り出したのは15歳(1949年)の坂井少年が独立するまでの15年間の人生語り

鎌倉友禅の後継者である娘の三智子さんも初めて聞くというような、昭和の徒弟制度の中でのものづくりと、それに抗いながらも修業に励んできた姿がまるで朝ドラを見ているかのよう。

その部分の話は我々だけの役得として、作品制作のお話を(どうしても聞きたい方は銀座店店長の菅野を捕まえてくださいね 笑)。

15歳で机に座って初めて書いた絵。坂井三智子さん(中央)と銀座店店長の菅野(右)

15歳で机に座って初めて書いた絵。坂井三智子さん(中央)と銀座店店長の菅野(右)

坂井さん:日本画家になりたくて昭和24年に石川県の羽咋から東京へ出てきたの。実家を裕福にしたい野心と就職先を日本一にするという野望があった。でも入った工房が染色工房だったことに気づいたのは3年後

しかも戦後は臈纈(ろうけつ、ろうけち)が流行ったので臈纈染めをやっていたんだ。その頃の後輩たちもみんないなくなってしまって、病気して内蔵とったりもしてるけれど、私は生きてる。

90になってね、気がついたんだよ、生かされているってね。やらなければならない使命があるんだろうって

バイヤー野瀬:卒寿おめでとうございます。こうしてお話していてもとても90歳とは思えません。毎日こちらでお仕事されているのですね?

染色作業中の坂井さん

染色作業中の坂井教人先生。お孫さん作の帽子がお気に入り

坂井さん:そう。彩色は一番楽な仕事よ。ちょっと身体の調子が悪くてもここに座っているほうが楽。年をとっても好きなことがあってよかったと思う。

バイヤー野瀬:同色系の染料がこれだけあるのはすごいですね。しかも同じ紫色でも京都では使わない感じの紫です。すごく優しい紫色です。

繊細な紫のトーンは鎌倉友禅らしさのひとつ

繊細な紫のトーンは鎌倉友禅らしさのひとつ

坂井さん:紫は好きな色。ブルーがかった紫がいいね

菅野:京都や加賀にはないトーンで、グレーっぽい感じが鎌倉友禅の特徴ですよね。

三智子さん:墨のグレーではなくて、染料でライトグレーをつくりますね。胡粉(ごふん)の白の上におくライトグレーなのでちょっと都会的な色合いになるのかと。

坂井さん、野瀬、菅野

工房訪問はもう6回目という坂井先生ファンの銀座店店長菅野(中央)と、実は初訪問のバイヤー野瀬(右)

菅野:『色のスケッチ』(1993年刊)という本を出されてますよね。先生の色が満載で楽しいです。

その中で“色は言葉なり”と書いておられて、ちょっとびっくりしたというか、驚きと発見がありました。

『色のスケッチ』(1993年刊)

『色のスケッチ』(1993年刊)

三智子さん:“色は人の心の明暗も左右し、其の人の感性までも表すから、正に「色は言葉」なのである”という部分ですよね。

5色の色でたとえば「鎌倉の春」といった景色を表現した試みでした。もう絶版になっていますが手元において顧みたりしています。

カタクリの花の訪問着

記憶に残るファーストコンタクトだったカタクリの花の訪問着と再会した野瀬

バイヤー野瀬:花には色をつけず、青紫から白茶へのグラデーションの地色がまるで春の空気を色彩で表現したかのような……カタクリの花がいっぱいに描かれた訪問着は本当にきれいで、ちょっとぞくっとするくらい見とれてしまいます

青紫から白茶へのグラデーション

鎌倉で暮らすことで感じる色、景色

バイヤー野瀬:いまから60年前に独立されて、その後この鎌倉の地を選ばれた理由はなんでしょう?

作品スケッチ

坂井さん:東京では落合と大泉に合わせて40年いたの。そのころ結核を患ったこともあって、私の作風を完成させるための街はどこがいいだろうか考えるようになった

世界の先端である東京の風を感じる50kmの範囲内で円を描いてみたら、南に鎌倉があったわけ。あ、ここだとピンときて、昭和63年(1988年)の冬に越してきてすぐ平成になったんだ。

工房

菅野:アトリエとして鎌倉を選んでよかったですか?

坂井さん:いいね。毎日感動があるんだ。創作の原点は感動だから。景色や空気もそうだし、人との出会いもあるし、近所の小学生から声をかけてもらったりするとうれしいね。

三智子さん:OLさんからチョコレートもらって帰ってきたこともありましたね。

菅野:おお!笑。今回の卒寿記念作品展では先生のこれまでの作品スケッチの中から柄を選ばせていただいて、生地も地色も一緒にご相談させていただき、先生と一緒に作り上げたような気分になって、私としてはものすごくありがたく、すばらしい経験をさせていただいてます。

作品5

三智子さん:これまで父が作ってこなかった地色もありますし、父の作品をよく見てくださっている方にとってもとても新鮮な作品が出来上がるのではないかと思います。

作品3
作品4

11/16(木)~20(月) 「坂井教人・三智子 坂井教人―卒寿記念―親子展」が開催されます(於:京都きもの市場 銀座店)

父から受け継ぎ父とは違う表現で、坂井三智子の作品を

バイヤー野瀬:三智子さんの作品は坂井先生とまた作風が違って、たぶん三智子さんと同世代くらいの、きものをファッションとして楽しんでいる人に人気があるように思います。今回は帯を数点お願いしていますよね。

三智子さんの作品

撮影/京都きもの市場

三智子さん:私が工房に入った頃はまだお弟子さんもたくさんいましたから、父から直接手ほどきを受けた記憶はあまりなくて

坂井さん:「横から言われたくない」って言うしね 笑。

坂井さんと三智子さん

日々、すぐ近くで各々の創作を進める三智子さんと坂井教人先生

三智子さん:最初は父の手伝いをしながらでしたけど、やっているうちに自然と身につきましたね。

菅野:三智子さんは正倉院華紋など正統派な模様も得意ですが、動物シリーズの表現がたまらなく微笑ましくて……いちおしです。

三智子さん:いろいろな作風にチャレンジしてきましたが、いまは自分の好きなものを楽しくつくっていきたいと。

動物モチーフの作品

撮影/京都きもの市場

三智子さん:染め帯はカジュアルなお出かけメインですから、この帯を締めると気分がウキウキしたり、着姿を見た周りの人もほっこりと楽しくなるようなものを目指していきたいですね。

ありがたいことにアイデアはたくさん降りてくるので、ほかにない斬新なものを発表していきたいなと思っています。

菅野:今回お願いしているパンダの帯、どんな表情のパンダがいてどんなふうに仕上がるのか、すごく楽しみです!後ろ姿からもきっと、こんな面白い動物の帯をしている方に悪い人はぜったいいないという感じですよ。

パンダの帯

仕上がり後の作品を後日撮影。実物はぜひ銀座店にて 撮影/京都きもの市場

三智子さん:自分が創作した作品を気に入ってくださり纏ってくださる方がいらっしゃる……ほんとうに感謝しています。

菅野:卒寿記念 坂井教人・三智子親子展」、めちゃくちゃ楽しみです!!
どうぞよろしくお願いいたします!

11/16(木)~20(月) 「坂井教人・三智子 坂井教人―卒寿記念―親子展」が開催されます(於:京都きもの市場 銀座店)

坂井教人先生

「90になってね、気がついたんだよ、生かされているってね。やらなければならない使命があるんだろうって」

作品1

麗しく描かれた月下美人

月下美人

坂井教人先生と三智子さん、二人三脚でのものづくり

工房2

しんと静かな工房に、鎌倉の地の澄んだ気配がただよう

撮影/田里弐裸衣 @niraiphotostudio
取材協力/SOLIS&Co.

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