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柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」 東京国立近代美術館 「きものでミュージアム」vol.5

柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」 東京国立近代美術館 「きものでミュージアム」vol.5

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今、「民藝」が熱い!!「ローカルであり、モダンである。」のコピーが気になる柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」が、東京国立近代美術館にて開催されています。まだ行けていなかったわ…という方にぜひ。恒例の招待券プレゼントもございますよ!

柳宗悦の没後60年に開催

今回は、東京国立近代美術館で開催中の、柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」をご紹介します。

※本コラム内の美術作品の写真につきまして、各美術館プレスより撮影および掲載の許諾を得て使用しております。

美術館公式サイトより

ポスタービジュアル (《羽広鉄瓶》 羽前山形 (山形県) 1934年頃 日本民藝館)※広報画像
ポスタービジュアル (《羽広鉄瓶》 羽前山形 (山形県) 1934年頃 日本民藝館)

ローカルであり、モダンである。

今、なぜ「民藝」に注目が集まっているのでしょうか。「暮らし」を豊かにデザインすることに人々の関心が向かっているからなのか。それとも、日本にまだ残されている地方色や伝統的な手仕事に対する興味からなのか。いずれにせよ、およそ100年も前に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎が作り出した新しい美の概念が、今なお人々を触発し続けているのは驚くべきことです。
柳宗悦の没後60年に開催される本展覧会は、各地の民藝のコレクションから選りすぐった陶磁器、染織、木工、蓑、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに出版物、写真、映像などの同時代資料を展示し、総点数450点を超える作品と資料を通して、民藝とその内外に広がる社会、歴史や経済を浮かび上がらせます。

民藝と柳宗悦

ホームスパンを着る柳宗悦 日本民藝館にて 1948年2月 写真提供:日本民藝館 ※広報画像
ホームスパンを着る柳宗悦 日本民藝館にて 1948年2月 写真提供:日本民藝館

柳宗悦(やなぎむねよし・1889-1961)は、思想家にして宗教哲学者。「民藝運動の父」と呼ばれました。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記されます。

東京麻布に生まれ、学習院高等科在学中に武者小路実篤、志賀直哉らと雑誌『白樺』の発刊に参加。東京帝国大学哲学科を卒業後、柳の関心は「美」の世界へと注がれていきます。

民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界―

その価値を人々に紹介しようと、「民藝」という言葉を作ったのは1925年(大正14)のこと。

柳の思想に共鳴する人たちもしだいに増え、各地での民藝品の調査蒐集や展覧会が盛んになるなか、1934年(昭和9)には民藝運動の活動母体となる日本民藝協会が発足。
その2年後に開設された日本民藝館の初代館長に就任し、内外各地への調査蒐集の旅、そして文筆活動や展覧会活動…と、活発な運動を展開します。

(参考:日本民藝協会HP

集合写真、柳宗悦、バーナード・リーチ、柳兼子、富本憲吉、河井寛次郎らと
東京にて 前列左から河井やす子(つね)、バーナード・リーチ、柳兼子、後列左から柳宗悦、ひとりおいて、富本憲吉、河井寬次郎|1935年5月

第1章「民藝」前夜―あつめる、つなぐ
1910年代~1920年代初頭

展示室に入るとまず、三体のロダンの彫刻が目に飛び込みます。

1910年に創刊した『白樺』は、フォーゲラー、ゴッホ、 セザンヌ、ロダンなどの西洋近代美術を積極的に紹介しました。

世界とつながりたい『白樺』同人は、ロダンと書簡で交流を試みます。1911年末にロダンからこの三体の彫刻が届き、同人たちは興奮に包まれました。

『ある小さき影』 1885年 オーギュスト・ロダン
《ある小さき影》1885年 オーギュスト・ロダン 大原美術館(白樺美術館より永久寄託)
オーギュスト・ロダンの彫刻2体と『白樺』
左から
《ロダン夫人》1882年 オーギュスト・ロダン 大原美術館(白樺美術館より永久寄託)
《ゴロツキの首》1885年 オーギュスト・ロダン 大原美術館(白樺美術館より永久寄託)
『白樺』第1巻第8号[ロダン特集]1910年11月 日本民藝館

ロダンは『白樺』のことがよほどお気に召したのでしょうか?三体も届くとはすごいことです。彼らが興奮したのは容易に想像できます。

そして、彫刻家を志していた浅川伯教が、ロダンの彫刻を一目見ようと我孫子の柳邸を訪ねた際、土産に持参したのが《染付秋草文面取壺(瓢形瓶部分)》。

《染付秋 草文面取壺》(部分) 朝鮮半島 朝鮮時代 18世紀前半 日本民藝館 ※広報画像
《染付秋草文面取壺(瓢形瓶(ひょうけいへい)部分)》朝鮮半島 朝鮮時代 18世紀前半 日本民藝館

これは柳が陶磁器の美に開眼する契機となる、運命を変えたお土産でした。

柳らは、ロダンから三体の彫刻が贈られたことで、本物を展示する美術館を設立しようと寄付を募りました。その寄附金を原資に購入したのがセザンヌの《風景》です。

富本憲吉とバーナード・リーチは、陶芸家となっていく過程で柳と出会います。人的ネットワークが数珠つなぎに形成され、民藝運動は胎動を始めたのでしょう。

第2章 移動する身体―「民藝」の発見
1910年代後半~1920年代

民藝運動を推進する力は「旅」にありました。

大正から昭和初期にかけて、鉄道を中心とする交通網の発達とともに旅行ブームが起こりますが、柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎ら創設メンバーは、国内外を精力的に移動し、各地の民藝を発掘・蒐集していきます。

李朝の壺が美しい
李朝の壺が美しく目を奪われる

まず柳は、朝鮮陶磁器の美に目覚めました。
日本と朝鮮の政治的な問題に関する発言と、朝鮮の芸術への思慕が一体になっているところに、柳のスタンスの独自性がありました。

さらに、全国を旅してまわった柳。
関東大震災の混乱を避けて京都に転居したことで河井寬次郎と親しくなり、濱田庄司を含めた三人での付き合いが始まったそうです。

陶器類と丹波布の夜具
展示風景:陶器類と丹波布の夜具
※写真の《丹波布夜具地》は2021年12月19日までの展示。12月21日~は色が違う作品を展示します。(いずれも日本民藝館蔵)
陶器、漆器と東こぎん肩布
展示風景:陶器、漆器と東こぎん肩布

なんとなく昔、どこかで見たことがあるようなものが並んでいますね。
丹波布の夜具や東こぎん肩布は、精巧で手が込んでいて、温かみを感じます。

西欧蒐集紀行

民藝運動の創立メンバーは、1920年代、欧米を周遊する機会を得ます。
濱田がイギリスへ、柳は欧州経由で渡米。イギリスでは家具や陶器類を買い付け、アメリカでは素朴な味わいの聖書の挿絵を蒐集しました。

彼らが蒐集した家具や陶器は、今でも日常的に使いたくなるような素朴な表情をまといつつも、大変手が込んでおりハッとするほどの美しさを持ち合わせているのです。

柳がイギリスで大量に購入したウィンザーチェア
展示風景:柳がイギリスで大量に購入したウィンザーチェア
『スリップウェア鶏文鉢』 イギリス 18世紀後半 日本民藝館 ※広報画像
《スリップウェア鶏文鉢(とりもんはち)》 イギリス 18世紀後半 日本民藝館

第3章 「民」なる趣味―都市/郷土
1920年代~1930年代

「民藝」という言葉が誕生した時代、「民」に注目する動きが盛んになりました。

フォーク・アートが並ぶ
展示風景:大津絵
※写真の《大津絵 長刀弁慶》は2021年12月19日までの展示。
12月21日~は《大津絵 提灯釣鐘》を展示します。(いずれも日本民藝館蔵)
「農民美術」や木鉢のデザイン画が並ぶ
展示風景:『農民美術』や木鉢のデザイン画が並ぶ

版画家・洋画家の山本鼎は、「農民美術建業之趣意書」を起草・配布し、農民に木彫りや刺しゅうなどの手工芸を指導。農閑期の「副業」を育てました。

産地や制作年代を問う陶磁器史学もまた、1930年前後に発生。

焼き物雑誌がいくつも刊行され、とりわけ美濃・唐津、さらにそのツールとしての朝鮮半島は、古窯跡の発掘ブームに沸いていました。

鉄砂竹紋壺と絵唐津葦文壺(重要文化財)
展示風景:《鉄砂竹紋壺》と《絵唐津葦文壺》(重要文化財)(いずれも日本民藝館蔵)
志野の鉄絵は絵唐津によく似ている
展示風景:志野の鉄絵は絵唐津によく似ている
中国の民窯で 作られた赤絵が並ぶ
展示風景:中国の民窯で 作られた赤絵が並ぶ

第4章 民藝は「編集」する
1930年代~1940年代

『月刊民藝』第1巻第9号の「たくみ特集」の表紙に使われた「民藝樹」の前で
『月刊民藝』創刊号(1939年4月) 民藝樹の展示パネルの前で

出版活動は、民藝運動の三本柱のひとつ。柳らは1931年に雑誌『工藝』を創刊し、毎号工夫を凝らしました。

『工藝』の表紙
展示風景:様々な『工藝』の表紙

造本にまでこだわり抜いた私販本を含む単行書が紹介されていました。

雑誌『工藝』特装本
展示風景:雑誌『工藝』帙(ちつ)

装幀は、河井寬次郎や芹沢銈介などが担当。各号とも意匠が素晴らしいです。

柳の書斎を再現したエリア(拭漆机と獅子飾付椅子)

こちらは、柳の書斎を再現したエリア。
「拭漆机」に「獅子飾付椅子」、家具にもこだわりの美学を感じます。

歩くメディア―民藝と衣服

ツイードの三つ揃いのスーツ、帽子にネクタイ、丸眼鏡、ワークウェアとしての作務衣。民藝の人々のファッションはそれ自体が工芸品であり、しかもスタイリッシュです。

彼らはよく集団で旅をしたそうですが、地方の町を彼らが連れ立って歩く姿は一種異様なおしゃれさを放っていたそうです。かなり目立っていたでしょうね。

茶地縞ジャケット(柳宗悦着用)
展示風景:茶地縞ジャケット(柳宗悦着用)と、ホームスパンを着る柳宗悦が写っている展示パネル

柳は、スコットランド・アイルランド原産の手紡ぎ・手織りの毛織物、ホームスパンを好んで着用。

文字を書いた壺や徳利
展示風景:文字を書いた壺や徳利が並ぶ

また柳は、筆書きやヘラ彫りによって文字を書いた壺や徳利にも早くから注目していました。

こちらの革羽織を図版化した際、柳は、網目のみをクローズアップして掲載。

何を美しいと感じているのかがよくわかります。赤と金の鞠紋は入れないところに柳のこだわりと美意識があったのでしょう。

『染付網目文壺』や『白地網文様鞠散し革羽織』
展示風景:《染付網目文壺》や《白地網文様鞠散し革羽織》などが並ぶ
『スリップウェア角皿』(左)と『鉛釉象嵌鉢』(右)
展示風景:《スリップウェア角皿》(左)と河井寬次郎作の《鉛釉象嵌鉢》(右)(いずれも日本民藝館蔵)

柳らが、イギリスのスリップウェアと日本のイッチン描き、流し釉に反応したのは、それらの「曲線が似ている」という直観からでした。

1936年、東京・駒場に開設した日本民藝館。
展示にこだわる柳は、品物の大きさによって4種の棚を自ら設計し、展示品が一番美しく見えるようにしたといいます。

丹波布を表装に用いた『大津絵 塔』
展示風景:《大津絵 塔》丹波布を表装に用い、布の格子と塔の垂直水平の線が視覚的なインパクトを放っています。
※写真の作品は2021年12月19日までの展示。12月21日~は《大津絵 藤娘》を展示します。(いずれも日本民藝館蔵)
柳宗悦 表装裂コレクション
展示風景:柳宗悦 表装裂コレクション

また本展では、エディター、キュレーター、デザイナーとしての柳の創造的な仕事にも注目しています。

大津絵の見せ方を刷新した、柳考案の丹波布を用いた表装。
絵の中の色を表装の布地に用いたり、絵の中の線と格子柄をリンクさせたりと、見事です。

第5章 ローカル/ナショナル/インターナショナル
1930年代~1940年代

「日本」の民藝地図

全国的規模で産地の調査を行ってきた柳ら。
1940年頃よりこれまでの調査を総括する仕事に取り組み始め、そのひとつが、芹沢銈介との協働で作りあげた、全長13メートルを超える巨大な《日本民藝地図(現在之日本民藝)》でした。

『日本民藝地図(現在之日本民藝)』1941年 芹沢銈介
《日本民藝地図(現在之日本民藝)》1941年 芹沢銈介 日本民藝館

和紙、民窯、竹細工、染織など25種類の絵記号を用い、500件を超える産地を登録。

大きさにも驚きますが、型絵染の人間国宝である芹沢銈介が制作していると聞けば、この迫力にも納得します。絵記号のデザイン性や全体の色彩がすばらしいです。

そして普段きものに親しんでいる者にとってはなじみ深い「結城紬」や「花織」など染織品の名前を地図の中に発見してとてもうれしくなります!

(ひとつ気になったのは、北海道がほとんど描かれていないこと。当時北海道は、歴史がごく新しく土着のものを見かけないという理由で、柳らの調査から外されていたそうです。)

沖縄

白地牡丹尾長鳥菖蒲流水文様紅型衣裳琉球王国時代 19世紀
展示風景:《白地牡丹尾長鳥菖蒲流水文様紅型衣裳》琉球(沖縄県) 琉球王国時代 19世紀
日本民芸館 ※写真の作品は2021年12月19日までの展示。12月21日~は《茶地朱入り経縞に絣衣裳》(日本民藝館蔵)を展示します。

民藝運動は琉球の工藝を紹介し、一部衰退していた沖縄の手仕事の復興に寄与しました。

東北

東北の民藝1
展示風景:東北の民藝の数々

雑誌『工藝』は、定期的に東北の民藝に焦点を当てました。

目指したところは、民藝を農閑期の副業として産業化すること。その成果は、1940年に日本橋三越で開催された「東北民藝品展覧会」でした。

それ以外にも、樺細工の伝習会という形で、職人と民藝の同人との共同制作の場を作り出すという活動もしていました。

アイヌ

《木綿衣裳》 北海道アイヌ 19世紀 日本民藝館 前期展示 ※広報画像
《木綿切伏(きりぶせ)衣裳》 北海道アイヌ 19世紀 日本民藝館 前期展示:2021年10月26日~12月19日

1941年9月、柳宗悦は、日本民藝館で「アイヌ工藝文化展」を開催しました。

柳はアイヌの工芸の魅力を発見すると同時に、そこに織り込まれた内地との交渉の歴史にも目を向けたそうです。

民藝と戦争

民藝運動の歴史は、日本の15年に及ぶアジア・太平洋戦争と並走していました。

こちらは、日本民藝協会の機関紙『月刊民藝』。
戦時のスローガンに惑わされることなく、時代の複雑な力学の中での民藝運動の交渉や実践を知ることができます。

『月刊民藝』
展示風景:『月刊民藝』

終戦

「无有好醜」柳書と自然釉甕
展示風景:柳宗悦が書いた《无有好醜》と丹波の《自然釉甕》

1948年夏、柳宗悦は『美の法門』と題したエッセーをまとめます。

仏教思想を援用した柳の美学が、敗戦によって自信を喪失した当時の日本人に、精神的なプライドを回復する契機を与えたことでしょう。

また、柳が戦後集中的に蒐集したのが丹波の古陶、なかでも「灰被(はいかずき)」の丹波焼でした。

第6章 戦後をデザインする―衣食住から景観保存まで
1950年代~1970年代

濱田庄司作「青釉黒流描鉢」
展示風景:濱田庄司作《青釉黒流描鉢》(1956年、日本民藝館蔵)
芹沢銈介作のグリーティングカード
展示風景:芹沢銈介作のグリーティングカード

日本が国際社会に復帰する1952年。柳と濱田庄司と志賀直哉はともに毎日新聞社の文化使節として欧米へ渡航しました。

イギリスやアメリカでの活動は”MINGEI”を国際社会に広く知らしめることになりました。

国立近代美術館を批判する

東京国立近代美術館は、開館(1952年)間もない頃、晩年の柳宗悦から「批判文」を投げかけられています。

『現代の眼 日本美術史から』図録と国立近代美術館を批判した文書
展示風景:『現代の眼 日本美術史から』図録と国立近代美術館を批判した文書

「東京国立近代美術館」の名称は、すべて柳が対抗しようとしたものばかり。

「東京⇔地方」「官⇔民」「近代⇔前近代」「美術⇔工芸」

美術館はまもなく開館70年を迎え、民藝運動と同様に時代とともに変化してきました。
本展は、63年前に柳から投げかけられた辛辣な「お叱り」を、今この現代に、どのように返球するのかというチャレンジでもあるそうです。

民藝とインダストリアル・デザイン

日本の戦後復興にともなって、民藝を取り巻く環境には変化が生じます。
工業製品が生活の隅々にまで浸透したことで手仕事の位置づけも変わり、趣味的なものとみなされるようになりました。
民藝グループの中からも機械の力を活用すべきという声が上がります。

《キセル》(デザイン:河井寬次郎) 金田勝造 島根県 1950-60年代 河井寬次郎記念館 ※広報画像
《キセル》(デザイン:河井寬次郎) 金田勝造 島根県 1950-60年代 河井寬次郎記念館
《黒土瓶》(デザイン:柳宗理) 京都五条坂窯(京都府) 1958年 柳工業デザイン研究会(金沢美術工芸大学寄託)※広報画像
《黒土瓶》(デザイン:柳宗理) 京都五条坂窯(京都府) 1958年 柳工業デザイン研究会(金沢美術工芸大学寄託)

柳宗悦の死とその後の民藝

『柳宗悦像』芹沢銈介作1962年頃
展示風景:《柳宗悦像》芹沢銈介作 1962年頃 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館
※写真の作品は2021年12月19日までの展示。12月21日~は同じ作品名で別の絵柄を展示します。

1961年5月3日の柳宗悦の死は、民藝運動にとって大きな節目になりました。

柳の没後、芹沢銈介によって製作された《柳宗悦像》は、柳へのオマージュであると同時に民藝運動の精神の図解でもありました。

右に原稿を持つ手、左に壺を持つ手。上に日本民藝館、下に東北の蓑。都市に対する地方、ミュージアムに対する社会的実践、などが対比されています。

戦後の高度成長は都市の姿を急速に変えていきましたが、民藝は戦後の新しいライフスタイルの中に浸透していきます。

看板や食器、家具などのインテリアまで。食の空間がトータルにデザインされ、観光の増大にともない、土産物の包装紙やパッケージも民藝の作り手たちの活躍の場となりました。

最後に

こうして柳宗悦の足跡をたどりながら民藝の数々を見て、暮らしの中で実際に使われるものたちの中にある生き生きとした美を感じました。そして、名もなき人々が作った、その土地に根ざすものたちの生命力とすばらしさも感じました。

牛肉専門店ZAKURO(ざくろ) の看板デザイン
展示風景:牛肉専門店ZAKURO(ざくろ) の看板デザイン

柳宗悦は、「美とは何か」「美はどこから生まれてくるか」を生涯問い続けました。
「民藝」という言葉が生まれてから100年の現代でも、その「美」は共通し、共感できるものではないでしょうか。

きものや帯、小物にも民藝と呼べるものがたくさんあります。
それらを身につける中で慈しんだり、作り手の方に思いを寄せたり、作り方を学んだりして大切にしていきたいと、あらためて強く思いました。

また普段何気なく使っている家具や食器などの日用品も、実用性一辺倒ではなく、こだわって選んでいきたいとも…。何気なく生活の中で使うものたちの美しさ、それを愛でながら暮らしていくことこと、心の豊かさをもたらすものではないかと気づかされました。

アフターミュージアムのお楽しみ

ポップアップ・ストア
展覧会特設ショップ内風景。右側はポップアップ・ストア
※写真右側の「諸国民藝 銀座たくみ」は2021年11月7日までの出店。2022年1月12日~23日は「もやい工藝」が出店します。

会期中は、展覧会特設ショップが設けられています。

鑑賞後にそれらを見ると、あれもこれも欲しくなってしまいますね!

また、館内レストラン『ラー・エ・ミクニ』もおすすめです。

オーナーはかの三國清三氏。「芸術と料理」をテーマに、フレンチとイタリアンの融合をアートされています。

ラー・エ・ミクニ
絶好のロケーション

皇居、北の丸公園を望む絶好のロケーション!

お天気が良い日はテラス席が気持ちがいいですよ。

この日の装い

この日の装い_全身
この日の装い_帯回り

今回は、結城紬に知念初子さんの琉球紅型の名古屋帯を合わせました。帯地が牛首紬の珍しいものです。

小物(帯揚げ、二分紐、帯留、羽織紐)は、「きものと」のコラムでもおなじみ、着物スタイリスト秋月洋子さんプロデュース『れん』のもので。

この日の装い_羽織

羽織も、秋月洋子さんの『雨庵』のものです。

銀細工の簪は『アトリエ華e』さんのより。

長襦袢のお洒落

秋月洋子さんのコラムはこちら!
「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」

長襦袢は、スーツで言うシャツに近い感覚。確かに下に着るものではあるけれど、まったく見えないわけではなく、所作のたびに動く手元や、後ろ姿なら袂にこぼれる色柄など、意外と目につきコーディネートの印象をかなり左右します。

展覧会情報

ポスタービジュアル (《羽広鉄瓶》 羽前山形 (山形県) 1934年頃 日本民藝館)※広報画像
ポスタービジュアル (《羽広鉄瓶》 羽前山形 (山形県) 1934年頃 日本民藝館)

柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」

東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー、2Fギャラリー4
https://mingei100.jp

日時:
2021年10月26日(火)~ 2022年2月13日(日)
10:00-17:00(金・土曜日は10:00-20:00)
※入館は閉館の30分前まで

休館日:
月曜日(ただし2022年1月10日(月・祝)は開館)、
年末年始(12月28日(火)~ 2022年1月1日(土・祝))、
1月11日(火)

その他、おすすめの美術展

※日時など変更になる場合があります。おでかけ前に公式サイトなどで最新情報を確認してください。
『聖徳太子 日出づる処の天子』ポスター

サントリー美術館 開館60周年記念展
千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」

サントリー美術館
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2021_4/index.html

会期:
2021年11月17日(水)~2022年1月10日(月・祝)
※会期中に一部展示替えあり
10:00-18:00(金・土は10:00-20:00)
※いずれも入館は閉館の30分前まで
※1月9日(日)は20時まで開館
※1月4日は18時まで開館

休館日:火曜日
※12月28日(火)~1月1日(土・祝)は年末年始のため休館

『Viva Video! 久保田成子展』ポスター

Viva Video! 久保田成子展

東京都現代美術館
https://www.mot-art-museum.jp/

日時:
2021年11月13日(土)~ 2022年2月23日(水・祝)
10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)

休館日:
月曜日(2022年1月10日、2月21日は開館)、
12月28日~2022年1月1日、1月11日

『奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―』ポスター

【開館55周年記念特別展】
奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―

山種美術館
https://www.yamatane-museum.jp/

日 時:
2021年11月13日(土)~2022年1月23日(日)
開館時間 10:00-17:00

休館日:
月曜日(12/27(月)、1/3(月)、1/10(月・祝)は開館、1/11(火)は休館、
12/29~1/2は年末年始休館)

ポスタービジュアル (《スリップウェア鶏文鉢》 イギリス18 世紀後半 日本民藝館)※広報画像
ポスタービジュアル (《スリップウェア鶏文鉢》イギリス 18世紀後半 日本民藝館)

◆ 読者プレゼント ◆

さて、ここでうれしいお知らせです。
柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」の招待券を5組10名の方にプレゼント!
ぜひ、きものでお出かけくださいね!

下記リンクより、お使いのSNS経由にてご応募くださいませ。

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※応募期間:2021年12月27日(月)まで

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