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生かしきる、ということ 〜小説の中の着物〜 中島要『着物始末暦シリーズ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十六夜

生かしきる、ということ 〜小説の中の着物〜 中島要『着物始末暦シリーズ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十六夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『着物始末暦シリーズ』。「きものは着てこそきもの、着なけりゃただの布きれだ」ー着物の命を生かしきる、そのための“始末”をする。主人公 余一のストレートな言葉が刺さります。

2022.07.29

まなぶ

創る悦び、着る悦び 〜小説の中の着物〜 乙川優三郎『夜の小紋』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十五夜

今宵の一冊 『着物始末暦(一)〜(十)』

中島要『着物始末暦(一)〜(十)』ハルキ文庫

中島要『着物始末暦(一)〜(十)』ハルキ文庫

 あえて生真面目さを訴えるなら、新しい結城紬がいいだろう。結城紬は洗い張りを繰り返すことで色がより鮮やかになり、着心地もよくなる。そのため新しいうちは寝巻きにしたり、奉公人に着せる旦那もいると聞く。
 だからこそ、羽織の下に新しい結城の単衣を着れば、遊び人とは思われまい。己の思案を口にすれば、余一が「そういえば」と呟いた。

〜中略〜

「で、月見の趣向はどうしやす」
「そうだねぇ。半衿に雁の柄でも刺繍してもらおうか」
 月に雁は取り合わせだし、雁は縁起のいい鳥だ。何より半衿の刺繍なら四日とかからずできるだろう。
 いい思案だと思ったが、余一は凛々しい眉をひそめる。
「そんな半衿なんぞつけたら、女女しく見えやすぜ」
「じゃあ、どうしろって言うんだい。四日じゃたいした始末はできないと、おまえさんが言ったんだよ」
 目をつり上げて言い返せば、「無紋の黒羽織は持ってやすか」と余一に聞かれた。
「もちろん持っているけど、それをどうしようってんだい」
「そいつの裾にすすきの刺繍を入れたらどうです」

中島要『なでしこ日和ー着物始末暦(七)ー』ハルキ文庫

今宵の一冊は、中島要著『着物始末暦シリーズ』。
“きものの始末”を生業とする職人、余一を主人公とする物語です。

ただの着物の手入れに留まらず、染めや刺繍、果てはデザインの域までひとりで何でもこなしてしまう、通常染めなら染めだけ、刺繍なら刺繍だけ、仕立てなら仕立てだけ、と、それぞれの技術のみに細分化された職人の世界においてはかなり特異な技量の持ち主である余一。

その腕は、幼い頃から過酷なほどに厳しく仕込まれたゆえのものであり、頑ななまでのそのこだわりは、自らの生に対する贖罪(決して彼が負う必要のないものであるのに)でもあるので、読んでいて胸が痛くもありますが、その無骨さがまた彼の魅力でもあります。

きものは着るからきもの、着なけりゃただの布きれだー

そう言い切って、“きものの始末”ーその命を全うさせる作業ーに精魂を傾ける余一を中心に、一膳飯屋の看板娘、古着屋、大店の若旦那(江戸と京、それぞれの癖の強さもまたおもしろい)、裕福な商家の御新造さんにお嬢さん、女中、芸者、花魁…といった、登場人物それぞれの身分や社会的立場における着物とそれにまつわる物語。

着物の構造や生地の特性、染みの質など、始末屋だからこその視点からその裏に潜む背景や託された思いを解きほぐしていく展開には説得力がありますし、最初はちょっとやなヤツ…?と思ったりもするけれど、巻を重ねるごとに少しづつ大人になり互いに影響を受けて変わっていく、どこか憎めない登場人物たち(それぞれ、出来た良い人ばかりではないところがまた)の成長ぶりも微笑ましく、どんどん引き込まれていきます。

『着物始末“暦”』と銘打たれている通り、お正月に始まった物語は第10巻の完結を迎えるまでに何度か四季が巡ります。その間、きちんきちんと繰り返される衣更(ころもがえ)。

4月1日には冬の間着ていた綿入れから綿を抜いて袷(これに由来する“四月一日/わたぬき”さんという姓もありますね)になり、5月5日の端午の節句を境に単衣に変わり、縮や浴衣の夏を経て、9月9日の重陽の節句からはまた袷(現代で9月9日に袷を着るのは拷問に近いものがありますが、もちろん舞台が江戸時代なので旧暦です。現代では10月初旬)。

冒頭で取り上げたのは、その9月の衣更直前、本稿がアップされる、ちょうど今頃のエピソード。

大店(呉服太物問屋)の若旦那である綾太郎が、お月見の夜に江戸商人の中でも最大の重鎮との重要な会合を持つこととなりますが、自身が裏表なく誠実な人物であり、呉服屋の跡継ぎとして申し分ないと認められ助力を得るためにもありきたりな格好はして行けないと、その趣向に悩み余一に相談を持ちかけるシーンです。

旧暦8月15日の月見まであと4日、その日数で果たしてどういう始末ができる?と2人で頭を悩ませるのですが、この感じ、ちょっとわかる気がしました。私の仕事においても、たいてい日数にも予算にも限界なく好きなだけこだわれる、なんていう贅沢な条件はほとんどなく、たいていギリギリに依頼が来たり予算がなかったりということが多いので…。

限られた日数と予算の中で、最大限こだわって何ができるだろう、最大の効果が得られる工夫は、と必死に脳みそを絞る感じ、これしかない!と思いついて手配ができたときの上手くいってくれと祈るような気分、狙い通りに仕上がったときの安堵感。

そんなリアルな感情が蘇ってきて、なんだかちょっと胃が痛いような気分に…。

少々話が逸れましたが、この黒羽織は、季節的に当然単衣(薄物)。

単衣の場合、裏が見えてしまうので、見えても綺麗なように刺繍を仕上げなければいけません。

もちろん余一は“裏表なく”すすきの刺繍を仕上げ、綾太郎は無事面目を施します。

刺繍のある男性の羽織は現代でもあまりないと思いますが、こういった感じなら格好いいでしょうね。
(男性の刺繍は、一歩間違うと、虎とか龍とかを背負ったスカジャンみたいになりがちなので…笑)

後ろ裾に、すっと一筋のすすき。もちろん女性用でも素敵。
今度作ろうかなーと、ちょっと思ってしまいました。

今宵の一冊より
〜月見の趣向〜

月見の趣向

【上州生紬】友禅生紬訪問着 + 博多織紋八寸名古屋帯「変わり鱗格子紋」
※小物はスタイリスト私物

程よい艶のあるひんやりした質感で、しゃりっとした張りがあり軽やかで単衣向きの素材、生紬。

秋の空気に月光の色を溶かしてグラデーションにしたような熨斗目ぼかしに染め、窓の桟を思わせるような格子柄に鱗や唐花が織り出された紋織博多の単衣八寸帯を合わせて。

衿元には、刺繍の絽縮緬の半衿

衿元には、萩や撫子が刺繍された絽縮緬の半衿を。

平絽に比べほっこりした印象の強い絽縮緬は単衣用の素材ですが、秋草モチーフとなるとやはり9月の秋単衣がふさわしい。短い期間に楽しむ、ちょっと贅沢なアイテムです。

月には兎

月には兎、ということで、お月見には欠かせないモチーフ。

多産の兎は子孫繁栄の縁起物ともされていますし、冬には雪兎、干支ならば年中使えます。

ぽちりと赤い目が印象的な象牙の兎は、シンプルなシルエットが可愛くなりすぎず、大人の女性の装いに程よい甘さを添えてくれます。

今宵の一冊より
〜働く着物〜

 一口に「藍染め」と言っても、染める回数と時間によって色合いは異なる。甕覗、水浅葱、浅葱、納戸、縹、紺ー名前が変わるに従って、色がだんだん濃く青くなる。
「衿と背中に屋号を入れても、横から見たら同じじゃないか。いっそ色を変えた方がよほど目立つのにさ」
 小声でケチをつけたところ、古着屋の主人が噴き出した。
「若旦那にとっちゃ、きものは洒落着ですからね。けど、俺らのような貧乏人には身を守るためのもんなんでさ」
 藍染めは染めれば染めるほど、色が濃く、生地が丈夫になる。だから、仕事で使うには紺がいいのだと六助が言った。
「藍染めは切り傷の血止めになるし、まむし除けや虫除けにもなる。丈夫な上に火にも強いから火消しの襦袢も藍染めだが、どれも決まって紺色だ。命と暮らしがかかっていれば、洒落っ気なんざ二の次でさ」

〜中略〜

 ーなるほどお糸は藍染めのきものだ。しかも、糸から染め上げた極上ものの紺色だ。汚れることも傷つくこともこれっぽっちもいとわずに、働く男に寄り添って相手を支えて生きていく。
 そして洗うたびに色が冴え、繕うごとに強くなる。そんな娘に思われて、生粋の職人が惹かれないはずはない。
「職人に藍染めの袢纏は欠かせないからね」」

中島要『なでしこ日和ー着物始末暦(七)ー』ハルキ文庫

余一に想いを寄せる、一膳飯屋の看板娘 お糸が本作中で着ているのは、子持ち菱格子の藍染めの着物。

きっと今でいう半巾のような帯に襷&前掛け姿で、荒っぽい(けれど気の良い)職人たちをあしらいながらくるくると立ち働く様子が目に浮かびます。

分銅繋ぎが織り出された弓浜絣

【弓浜絣】絣織綿着物「流線たすき文」 + 型染名古屋帯「雲取菊花露芝紋」
※小物はスタイリスト私物

深い藍に分銅繋ぎが織り出された弓浜絣。

ひと口に木綿といっても、その厚みや素材感、着心地もさまざまですが、こういった目の詰んだ地厚の木綿は、単衣の時期の単衣の着物というより、袷の時期も含めて単衣で着るのがふさわしい素材。

しっかりしている分、真冬でも単衣のままで大丈夫なくらい保温性も高いので、単衣の時期なら9月も後半になってからの出番になりそう。

着心地も着こなし方も、いろんな意味で洋装でいうデニムのような、そんな着物といえますね。

露芝と菊の名古屋帯

ざっくりとした紬地に、露芝と菊が染められた名古屋帯を合わせて。

こんなナチュラルな普段着の装いなら、枕を使わずゆるっとした小ぶりなお太鼓が似合います。

洋服感覚でモダンな雰囲気

【弓浜絣】絣織綿着物「流線たすき文」 真綿紬八寸名古屋帯

木綿というとナチュラル、素朴なイメージになりがちですが、シャープなアクセントカラーが効いた真綿紬の八寸帯を合わせたら、洋服感覚でモダンな雰囲気に。

本藍染めは、藍の色が必ずといって良いほど落ちて移る(胸元はどうしても汗をかきますしね)ので、帯や帯揚げは移っても気にならないような濃色を選んでおくと安心です。

もし白っぽいものを合わせたいなら、もうこれは藍染の着物専用にする!くらいの覚悟で開き直りましょう(笑)。

コンパクトな角出しで軽快な後ろ姿

小さめに、キュッと尖らせたコンパクトな角出しで軽快な後ろ姿に。

ゆったりとふくらみを持たせた染め帯の角出しとは、同じ結び方でもずいぶん雰囲気が変わります。

これもまた、ひとつの生地の生かし方

※スタイリスト私物

ちなみに、合わせた半衿はどちらもただの端裂。

手前の銀鼠に深い赤の縫い締め絞りは、もとはたぶん小紋の衽(おくみ)部分。

奥のグレンチェックはコットンの洋服生地。110㎝幅などで売っている生地の、10〜20㎝くらいあれば十分半衿になります。手ぬぐいなども使えますね。

これもまた、ひとつの生地の生かし方。

生かしきる、ということ

着なくなった着物を生かす方法のひとつに、染め直しがあります。

しかし、染め直しは白生地を染めるより難しい、と作中で余一は語ります。
「染めてみなけりゃどんな色になるかわからねぇ」と。

実際その通りで、最初に染めた際にどういう染料が使われたか、染め直しの段階では不明なので実際にやってみないとわからない。

染め直しをする際は、いったん解いて洗い張りをし(汚れなどが残っていると、そこがムラになるため)袂の内側や衿の端など、仕立て直す際に影響がない場所の余分の生地を使って染めてみて、どのように染まるかを確認します。

もとの地色と重なって、思っていた色と違うニュアンスの色になったり、赤や黒の染料の部分だけが染まらずに柄として残ったり。実際にやってみないと本当にわからないのですが、その反面、思った以上にいい感じに仕上がる場合も。

ただ、もし試し染めの生地がどこからも取れない場合はいきなり染めることになるので、結構ギャンブル。また、いきなり濃い色で染めてしまうと後戻りは効かないので、薄めの色からだんだん濃度をあげていきますが、何度も重ね染めをするとなると結局その回数分費用がかかります。

染め直して新たな着物にしたり、羽織にしたり。ご相談をいただいて始末(余一と違って、私は仲介するだけですが笑)をお引き受けすることもありますが、やはり、それなりに費用がかかります。

少なくとも、洗い張り代、染め代、仕立て代。羽織ならば羽裏代も、そして刺繍紋を入れたり八掛を柄物にしたりとこだわるならその分も。

リサイクルならば2、3点購入できてしまうくらい、手頃な小紋程度なら反物から新品の仕立てができてしまうくらいはかかるんですよね、実際…。

ですので、これは、それだけの時間と労力と金額をかけるだけの意味がある、思い入れのあるものに限りおすすめする方法と言えるでしょうか。

何よりも、作った人、仕立てた人。誰かへの思いを込めて買った人。袖を通すたびにその人を思い浮かべ、温かく守られていたであろう人。売った人は、それを着ることで幸せになる誰かの手元に届くことを願い、自分自身だけでなく作る職人たちの生活も支えている。そんな関わったすべての人の想いを掬い上げ、余一は着物の“始末”をする。

気難しく無口で人嫌い、一見とっつき難く思える余一ですが、さまざまなやり方で施されるその“始末”には、どれをとってもそんな根底に流れる透徹した優しさが感じられます。

この小説を読むと、自分の手元にある一枚がよりいっそう愛おしく感じられ、また、もし今“始末”を考えていらっしゃる着物がある方には参考になることも多いのではないでしょうか。

もちろん加工の程度にもよりますが、もう少し手軽な“始末”の実例をご紹介。

20年以上前のアンティーク帯

20年以上前のアンティーク帯(スタイリスト私物)

20年以上前に入手したアンティークの染め帯。
入手した時点で刺繍もかなり取れかけていたのですが、何度か締めるうちに残った刺繍もほとんど取れてしまって。

なんとなく気に入っていて手放し難かったので、洗い張りをして微妙に残った刺繍もすべて落としてしまい、刺繍の跡が残った部分には銀線を、お太鼓には虫籠、帯前には鈴虫のシルエットを友禅で描き足してもらいました。

裏には小紋を解いた絽の生地を合わせて、腹合わせ帯に。

結城紬の帯地にパッチワーク

結城紬の帯地にパッチワーク(スタイリスト私物)

米俵の帯を探していたのですが、なかなか思うようなものがなく…(米俵の柄ってモチーフとして結構作られてはいるのですが、いざ探すとなるとこれ!と思うものがなかったりするんですよね)

ようやくこれなら、と思えるアンティークの和更紗の端裂を見つけ、お太鼓部分と帯前に出るのにちょうど良い量の生地だったので、結城紬の帯地にパッチワーク。

気に入った生地が、帯にするには少し弱っていたり、量が足りなかったりといった際にも使える手法です。

悉皆(しっかい)
ーことごとく、みなー

舟橋聖一『悉皆屋康吉』文春文庫

舟橋聖一『悉皆屋康吉』文春文庫

悉皆屋というのは、昔は大阪ではじめた商売だという。大阪で、着ものや羽織の染模様、小紋または無地の色あげ、あるいは染直しもの、などを、請負って、それを京都の染物屋に送り、仲介の労をとって、口銭を儲けたのが、はじまりである。ついでに、しみぬき、洗い張り、ゆのし、湯通しなども引うけるようになった。明治になって、交通の便が開けたから、悉皆屋の存在は、大阪にばかりとどまらなくなった。東京の呉服屋でも、反物を京都に送って染させるこちが、平易になり、それに準じて、必しも京都でなくとも、染物業の仲介をするものを、すべて、悉皆屋と呼び慣れることになったのである。

舟橋聖一『悉皆屋康吉』文春文庫

着物に関わる“ことごと(悉)く、みな(皆)”という意味の“悉皆”。

もともと基本的な洗い張りや仕立て直しなどは、それぞれの家庭内で行われるのが普通でした。先に挙げた『着物始末暦シリーズ』の中で、お糸の幼馴染みのおみつは、お糸から片想いの相手である余一について聞かされた際、着物の始末なんて、そんなの家で女がやることじゃない。大の男が職人と名乗るような仕事?と疑問を持つくらいです。

実際、江戸中期には“悉皆”という言葉はすでに使われていたようですが、この頃はまだ染めの専門業者である紺屋などが兼業として請け負う程度。

“悉皆屋”として顧客からの依頼を請け負い、それぞれの専門職人に仕事を回す仲介業として成立するのは江戸後期以降、ましてや店舗を構え、染色業における一業種として確固たる存在となったのは、明治から昭和初期のことでした。

そして戦後、着物文化の衰退とともに悉皆屋も徐々に姿を消していきます。

現代でも店舗を構え、しっかりした技術できちんと相談を受けてくださる悉皆屋さんも存在はしていますが、社会全体として見るとかなり少なくなってしまったのは事実ですから、その名称を聞いたことがないという方も多いのではないでしょうか。

『悉皆屋康吉』(舟橋聖一著/文春文庫)は、その“悉皆屋”という業種が商売として成立していた時代を描いた小説。

小さな悉皆屋の手代であった康吉が、その才覚を発揮し、自らが美しいと思うものを作り、大衆に受け入れられ流行を生み出すような(本人談によると)芸術家ーどちらかというと、現代でいうプロデューサーのような立場でしょうかーでありたいと奮闘する物語です。

明治末〜大正にかけて、欧米から輸入された化学染料によってそれまでは難しかった鮮やかな発色が可能となり、新橋芸者に好まれて大流行したターコイズブルーは『新橋色』と呼ばれました。

本作では、その史実を思わせるこんなエピソードも。

康吉の考案した若納戸という色気が、震災前の東京で、花柳界はもとより、山の手の家庭にも、大はやりをしたことは、今でもその道の人の語り草である。それは今までにちょっとない、新しい風俗を思わせ、若い女の羽織にも着物にも、よくうつった。コート地まで、若納戸に染めさせるものもいた。有名な歌舞伎役者が、世話物の舞台に、若納戸の着附をするといって、評判になった。お喜多はひいきの康吉の考え出した色が流行ったというので、すっかりいい気持ちになって、何から何まで、若納戸でなくては、気がすまぬという凝りようであった。

舟橋聖一『悉皆屋康吉』文春文庫

染み抜きや染め替えなど、本来の“悉皆屋”の仕事に励みながら、徐々に店を大きく繁盛させ、新たな美しい作品を世に生み出したいと常に考えている康吉。

あくまでも古典に基づいた、いつの日か芸術品、美術工芸品と呼ばれるに足るような美と品格、質を保ったものを作り出したいと、研究にも余念がありません。

しかしながら、景気が良くなるにつれ派手で煌びやかなものが目新しく、一般受けする風潮が生まれるのはいつの世においても同じこと。

そういったものが新感覚として持て囃されるさまに苦々しい思いを抱く康吉でしたが、所用で訪れた先がたまたま競馬場に近く、その折に美しい栗毛色の馬に目を奪われます。

その姿にインスパイアされて生み出されたのが、ビロード地を思わせるような深い色艶の焦茶地にむじな菊を染めた小紋でした。これが業界の第一人者ともいうべき帯の名匠に絶賛を受け、認められた喜びとともに、やはり目指すところは間違っていないと志を新たにするーそんなシーンがあります。

海外からの文化流入により、今までに見たことがなかったものを柄に取り入れたり技術的に不可能だったことが可能になったりと、新たな展開があり得たであろう、この康吉の生きた時代(大正〜昭和初期)ならばともかく、現代においては着物の柄やデザインという分野で新しい何かが出てくる可能性はほぼないに等しいのではないかと、私は考えています。
すべての柄やデザインは、もうすでに出尽くしているといっても過言ではないから。

少し前に流行った鬼滅ブームが良い例で、今新鮮に思えるものも大抵が既出であり、すでに古典といって良いほどに何度も繰り返されている中の何度目かの再来(初めて目にする人にとっては、当然ながら新鮮)だったりすることがほとんど。

思いつくような大概のことは、とっくに先人が手掛けている場合が多く、かつ“残らなかった”から今の世の中にはないだけ、だったりするのです。

では、“新しい”と感じるものがもう生まれないかというと、決してそうではなくて。

何をもって新鮮に感じさせるかというのは、結局その時代の空気感のようなものをどう反映させるか、だけだと思うのです。洗練度、と言い換えても良いかもしれません。色遣いやバランス、その匙加減で洗練度は大きく変わる。

着物や浴衣、帯、和装小物。それぞれにおいて、古典的でありながら常に新しい美しさを感じさせるような作品を作り続けているなと思うメーカーや職人、作家の方々に共通して言えるのは、確かな技術と研ぎ澄まされ完成されたデザイン、知識の蓄積、それを選ぶ目。そして、それらを配置し構成する洗練された配色とバランスの感覚(ひとことで言えばセンス=美意識)を持っている、ということではないかと感じています。

今宵の一冊より
〜糸〜

研究熱心な主人公の康吉が、渡された数本のすべて種類の違う糸屑を手に、考えを巡らせるシーンがあります。

康吉が修行を積み、商売に励んだ大正から昭和初期にかけては、紡績の技術も進み、さまざまな素材や質の糸が開発された時代でもありました。

ぜんまいの繊維が織り込まれた独特の節感が魅力的なぜんまい紬。

少しほっこりした印象もあるので、9〜11月くらいまで長く活用できそうな素材感です。

牛首紬の名古屋帯を合わせて。

ぜんまい紬訪問着「蔦葉模様」 +【白山工房】牛首紗紬名古屋帯「石畳唐草文」
※小物はスタイリスト私物

合わせたのは牛首紬の名古屋帯。

夏素材の牛首紬ですが、透け感がそこまで強くないので単衣の時期にも重宝しそう。
石畳に大きな唐草が染められた帯で、蔦の絡まる初秋の街角のイメージに。

秋草が描かれた扇子を添えて。

雁の群れが刺繍された半衿に色付いた蔦の葉の帯留を合わせ、先取りで秋の深まる気配を。秋草が描かれた扇子を添えて。

くたくたになるまで着て、最後はおむつやぼろ雑巾になるまでー

布としての命を生かしきるのが至極当然であった時代とは違い、現代ではそこまでするのは実際にはとても難しくなっていると思います。

しかし、“生かしきる”ーその方法は、作り替えることばかりではないはず。

例えば、誰かが手放したリサイクルの着物を入手し、存分に楽しんで着倒すこともそうですし、自分が着ないなら、似合う誰かに譲ることも。

代価を払ってでも入手したいと、ちゃんと欲しがってくれる誰かの手元に届かせるためにリサイクルショップに売ることも。

それらもまた、現代においては“生かしきる”ひとつの手段と言えるのではないでしょうか。

作る人、売る人、買う人、そして着る人…必ず誰かの喜びにつながっていく。
着物が、そういうものであって欲しい。そして、微力ながら私自身もその一助であれたらと願いつつ。

さて次回、第十七夜は…

時は平安、まとうは襲の色目。

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