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神無月、まだ見ぬ美を求めて 「現代衣歳時記」vol.9

神無月、まだ見ぬ美を求めて 「現代衣歳時記」vol.9

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京都祇園の禅寺に生まれ、東京でサロン「enso」を主宰する伊藤仁美さんが、着物の楽しみ方や日々を軽やかに生きるヒントを教えてくれるコラム。今回は、伊藤さんの人生が変わったというお師匠さんとの出会いについて。禅語がより深く心に染み入る回想録です。

神無月、文様に想いを寄せて 「現代衣歳時記」vol.3

京都祇園の禅寺に生まれ、東京でサロン「enso」を主宰する伊藤仁美さん。一児の母でありながら着物を日常着として暮らしておられます。移ろいゆく季節の中、着物を纏い五感の美を暮らしに取り入れることで心地よく豊かに過ごすヒントを綴る…美しい禅語とともに語られる連載をお楽しみください。

秋の訪れとともに思い出す、お師匠さんとの出会い

いつの間にやら夏が終わり、すっかり秋らしい季節が訪れました。窓を開けていると外から入ってきた風が、そよそよと頬を撫でます。

こんな時、私にはいつも思い出す光景があります。季節の変わり目に着る単衣に身を包んだある女性の袂が風に揺れ、「いい風ね」と微笑む姿がーー

有松鳴海絞りの訪問着。黒を基調としながらも袖口と帯締めの赤が映える
有松鳴海絞りの訪問着。黒を基調としながらも袖口と帯締めの赤が映える
photo by 水曜寫眞館

彼女に出会ったのは、私がちょうど30代に差し掛かった頃。当時、私は大手の和装学院で4年ほど着付けについて学んでいました。

ただ授業でも疑問は尽きず、もっと着物の奥地に辿り着きたいという思いがあったのです。

そんな時に知人から「それなら、いい人がいるよ」とご紹介していただいたのが、80代の姉妹が二人で営んでいる着付け教室でした。

朝夜と昼の温度差が激しい季節。防寒対策には大判のストールやショールを
朝夜と昼の温度差が激しい季節。防寒対策には大判のストールやショールを
photo by 水曜寫眞館

お二人に出会った時の衝撃は忘れられません。

教室に伺い奥の部屋に通されると、そこに座っていらっしゃったのは着物姿の老婦人。その瞬間、私にはお二人から光がパァ〜ッと放たれているように思えました。

見たこともない、たおやかで美しい着姿と佇まい。でもそれは当時の私が“美しい”と思っていた教科書のようにきちんとした着物の着方ではありませんでした。その人の肌にまるで同化しているような着姿で、お二人の人となりが表現されていたのです。

着物を身にまとうと、自然と指先にまで神経が行き渡る
photo by 水曜寫眞館

ちょうどその頃、自分に足らないものが次々と見えてきて、新しい学びごとをしたいと思っていた私。

このお二人に着付けのことだけではなく、美意識を学びたい。
そうすればきっと人生は変わる、という予感に溢れ、胸の高まりが抑えられなかったことを覚えています。

生涯の師に教わった本当の“美しさ”

私にとって“生涯の師”とも呼べるお二人との運命の出会い。

そこの着付け教室は少し変わっていて、特に曜日は決まっておらず、平日は毎日開放されていました。時間があれば、昼から夜までずっと教室に居ていいんです。

お師匠さんたちは私にまず、靴の脱ぐ場所、挨拶の仕方や声のトーンから教えてくださいました。いつも三つ指をついて「今日もよろしくお願いします」とお二人に挨拶するところからスタートします。

着付ける自分自身も美しくありたい
photo by 水曜寫眞館

すごく印象的だったのは、私が夢中で人に着物を着せていたときにおっしゃられた言葉でした。

「自分の姿を鏡で見てみなさい。お客さんは鏡を見ているのに、あなたは鏡にお尻と足先を向けている。それは本当に美しいのか」

ハッと気づくと、私は一生懸命になるばかり自分の姿にまで気を遣っていなかったことに気づいたんです。着付ける相手にお尻や足を向けていることもそうですが、両足の膝とつま先が空いていました。

お師匠さんたちは自分が誰かに着物を着せる時も足の先まできちんと揃え、美しくあることにこだわっていました。きっとその姿勢が「こんなに丁寧に着せてくれるんだ」というお客さんの満足度を向上させることに繋がるのだと思います。

紐で足を縛り、つま先が開かないよう鍛錬した日々も
紐で足を縛り、つま先が開かないよう鍛錬した日々も
photo by 水曜寫眞館

お食事が終わった後は、私たちに見せないようにコンパクトをパカっと開けて真っ赤な口紅をひく。5時集合のお仕事があるときには、最低でも30分前には待ち合わせ場所に到着する。

お二人は常に美しく、そしてとても厳しい方々でした。

帯紐を渡す動作一つとっても、「その渡し方は相手のことを考えていない。一緒に仕事をするということは相手を思うこと。その人が仕事をやりやすくなるために、できることを全身全霊で考えなさい」と注意されたことがあります。
なので、1日、2日で教室をやめる生徒さんもたくさんいらっしゃいました。

私はなにがなんでも、お師匠さんのようになりたくて食らいつきました。裾合わせだけで、100本ノックくらいさせられたと思います。
今でも、着物の取り方や置き方など、お師匠さんから教わったことを書き綴ったルーズリーフは私の宝物です。

毎日、鏡の前で己の美と向き合う
毎日、鏡の前で己の美と向き合う
photo by 水曜寫眞館

そんなある日留袖を着付ける最終試験があり、お師匠さんから「非の打ち所がない着付けだ」と評価されました。自分で言うのもなんですが、本当に教科書のように整った着付けをすることができたのです。

しかし、お師匠さんからは、「でもつまらない。全然面白くない」と言われてしまいました。

今だったらその言葉の意味がよくわかります。
私は綺麗に着せることばかりにこだわって、着付ける相手のちょっとした癖や内面を表現できていませんでした。

着姿にはその人の内面が現れるように
photo by 水曜寫眞館

「美しい」とは一体どういうことか、それを一言で表現することはできません。何か基準があるわけではなく、一人ひとりが美しくあれる状態は違います。

どうすれば、この着物を身にまとう自分が、そして相手が最も美しく見えるか。答えを探すには、心を尽くさなければいけません。

私は着物を着ることは、自分のいいところを探す作業だと思っています。着物を着ると妙な幸福感があるのは、自分の気づかなかった美しさに気づく瞬間がたくさんあるからではないでしょうか。

着物を通して自分の美しさに出会い、そこからまた可能性が広がっていく。自分の思う美を追い求め、年を重ねていく姿勢を私はお師匠さんに学びました。

岩松無心風来吟(がんしょうむしんかぜきたってぎんず)

「岩に映えた老松が風に吹かれ、無心に音を鳴らしている。」

毎日を心地よく過ごせるように
毎日を心地よく過ごせるように
photo by 水曜寫眞館

風に吹かれて美しい音色を奏でる松には、もちろん意思がありません。ただ岩の上に立ち、吹く風のままに身体を揺らしている。

どしっと構えた老松の、なんと美しいことでしょう。「いい風ね」とあの日、呟いたお師匠さんの横顔が思い起こされます。

自分の内側と外側を繋げてくれる着物を羽織り、大きな世界の一部に溶け込んだ美しい自分と私は今日も鏡の前で出会います。

文章/苫とり子

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