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岡重 OKAJU 四代目 岡島重雄さん

岡重 OKAJU 四代目 岡島重雄さん

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2020年、創業165年を迎えた京友禅の老舗「岡重」。四代目社長・岡島重雄さんは、朗らかな笑顔が印象的な方。息子大策さんと親子二代で挑戦する、現代のライフスタイルに似合ったものづくりの根幹に迫ります。

京都市中京区の木屋町本社を構える京友禅の老舗染め屋、「岡重(おかじゅう)」。
京都の方が親しみ込めて呼ぶ路地(ろおじ)にちなみ「Roji」と名付けられた本社は、鴨川沿いに建てられています。

岡重が手がけた“羽裏柄”を羽織に

「2019年に台風が来て、瓦屋根を全部葺き替えました。一番上の階から見る見晴らしがものすごく良いんですよ」

そう言いながら二階に案内してくれたのは、岡重の四代目・岡島重雄さんです。インタビューに立ち会った弊社商品課・野瀬達郎は釣り仲間の一人。野瀬が遅れて到着すると、岡島さんは大きくにっこり。琵琶湖での釣り話に花が咲きます。

岡重は、安政二年(1855年)創業。初代岡島卯三郎から受け継がれた岡重で、二代目重助は明治〜大正時代に流行した“羽裏”(羽織の裏地)を専門に染めていました。岡重が所蔵する「羽裏染見本帳」には、なんと500点以上の羽裏柄が保存されています。

2020年の東京オリンピック開催を記念し、岡重は過去に手がけた羽裏柄からベルリンオリンピック(1936年)の時に染めたオリンピック柄の図案を基に、オリンピック柄のシャツを制作。応援のユニフォームとなるようなTシャツも作りました。商品はともに、岡重のオンラインショップで販売されています。

岡島さんのこの日の羽織にも、そのオリンピック柄が浮き沈み。
この柄を地模様に織りあげた御召地で、羽織を仕立てられたそうです。

羽裏には鮮やかな赤色の柏の葉

羽裏には、鮮やかな赤色の柏の葉が描かれたものを。

着物においてこだわられているポイントはありますか?の問いにはやはり、

「そらやっぱり羽裏ですね。羽織の裏は何にしようかなっていうのが楽しみで」

また羽織の下の長着(着物)には、京都西陣『秦流舎』の御召を着用されています。
秦流舎の創始者であり西陣の異端児…2017年に急逝された故・野中健二さんの生前の交流のなかでいただかれたものだそう。

「彼が生きてる時に”なんかないの”って言ったら、”これ岡島さんいいよ”って言ってくれて」

笑顔がステキな岡島社長も時にはややコワモテな表情に

年輪が刻まれた深みのある和姿。
笑顔がほころぶなかにも、時に、来し方を想い未来を考える鋭い眼光が冴えます。

修行時代から自身の舞台を築くまで

三姉妹の下に、一人息子として生まれた岡島さん。周囲からは当たり前のように、後継として期待されていました。

「やはり何となく反発心はありましたね。違う道に進みたいという気持ちもあり、一度大学を出た後東京で働いていました」

大学卒業後は、東京で呉服問屋に勤務し松屋銀座の担当に。当時から呉服に強かった松屋銀座には呉服に長けた社員さんが多く、またいわゆる「老舗」と呼ばれる他の呉服問屋も複数入っていたことから「それもいい勉強させてもらった」という岡島さん。3年勤めた後京都に戻り、家業に携わるようになりました。

家業に入ってからは早速営業に。ところが…

「その頃はまだうちの親父がやっていて、店の人もいたんですけども。まわりはじめても、ボロクソだったんですよ。お前のところはひとつも売れないしな、とか言われてね」

当時は、ぼかし染めの無地の着物が流行していた時代。そこで岡島さんは、ろうけつ染めの一種であるダンマルという手法を使った無地感覚の商材を生み出しました。しかしそれを提案すると、あっさりと突き返されてしまいます。

岡島さんは型染めだけに留まらず、手描き染めを独学で始められました

「売れるかそんなものって言われたので、僕も怒っちゃって(笑)。もういいわ、持って帰りますわって言ったら、そこまで言うんならということで、置いてもらえることになったんです」

すると、その商品が大当たり。

「バカ売れしはじめたらやっぱりちょっと変わってくるもので。その当時仕入れ部だった人がずっと上に上がって社長になられたけど、その社長とも今でもものすごい仲良いですよ。いっぺんぶつかると仲良くなるもので、いろんなことも教えてもらって」

業界のあれこれを学んだ岡島さんは型染めだけ留まらず、手描き友禅もスタート。会社の中にアトリエを作り、彩色の舞台に。

「とりあえず見よう見まねでやったものですから、ちょっと特異な商品ができはじめたんです。それが受けたんやろうね。そこから手描きの方向にずっと変わっていって、更紗の商品を軸にずっとやってきたんですけども」

京友禅とバティックの融合

インドネシアのバティックを日本友禅の職人が染色を施した布

常に現代のライフスタイルに似合うものづくりを目指している岡重。
京友禅の技術を使った和装小物やカジュアルバックを扱う「OKAJIMA」と、羽裏文様の商品を販売する「MAJIKAO」のほか、更紗文様を独自にアレンジした和装小物を扱う「唐様三昧」、インドネシア特産品であるバティックと京友禅の技を融合した岡重オリジナルのアート布を用いた商品を販売する「IMAN」といったブランドを展開しています。

岡島さんが更紗染めをはじめたのは、祖父の影響でした。

「祖父は室町時代に渡来した古渡更紗のコレクションを持ってたんです。それを子供の頃からおもしろい柄やなと眺めていたんですよ」

家業を継ぐことへの反発がありながらも、自然と布地に対する興味を抱いていた岡島さん。現在も年に1〜2回はインドネシアのジャワ島に位置する港町ペカロンガンを訪問し、本場のバティックを仕入れています。

岡重の事務所には、インドネシアから蝋が付いたまま持ち帰ったバティックを日本の友禅の職人さんに彩色してもらった生地が展示されています。金糸の縫い取りを入れた生地を織り、インドネシアでろうけつ染めを施したことも。

「だいたいはショールにするんですが、インテリアとしても使えます。以前お寺で展示した時には、後ろの襖(ふすま)を開けると生地から庭が透けて見えてとても綺麗だったんですよ」

“世界はきっと、ひとつになれる。”をテーマに、213の国と地域をイメージした着物と帯を制作するプロジェクト「イマジンワンワールド」にも参加。岡重はインドネシアの着物づくりを担当しました。国旗を赤と白の大胆な染め分けで表現。手描き友禅・刺繍・金加工を用い、ボロブドゥール遺跡や影絵芝居など、インドネシアにまつわる模様が描かれています。

創業165周年、常に進化を遂げてきた岡重の伝統は息子大策さんにも受け継がれています。
「Roji」の3階に事務所を構え、サイクリンググッズや帽子など、あらゆる商品のデザインを手がけている大策さん。

息子大策さんにもお話を伺いました
鯉柄の布を使った帽子は特に外国の観光客からウケが良い商品です

事務所近くの銭湯や、自転車屋さんなどの異業種とも積極的にコラボレーション。
先述のオリンピック柄や鯛の柄の帽子、和柄を先端に巻きつけた自転車のハンドルなどを販売しています。特に外国の観光客からウケが良く、日本のお土産として買って帰られることも。

親子二代、消費者に寄り添ったものづくりは続いていきます。

礼と節、そしてシンプル。次世代の着物とは

丸窓に似合うまんまるの電球は月のようです

常に丁寧な物腰で、いくつもの質問に優しく破顔する岡島さん。

「次世代の着物とは」の問いには、日本文学者のドナルド・キーンや東洋文学研究者のアレックス・カーも語る日本人の美徳のひとつ“礼節”について、また、”シンプルであること”について触れられます。

「礼と節が必要なのと、シンプル。着物もごちゃごちゃしないでシンプルなのが好きですね。これからの着物っていうよりも、これは私の永遠のテーマだけども」

信楽焼の壺は堂々とした佇まいを見せます

岡島さんが、未来の着物のありようについて想いを馳せるきっかけとなったのが、信楽焼を専門とする陶芸家の友人の展示会に招かれたことでした。
「Roji」からほど近く、木屋町押小路の角にある廣誠院(※)で開催された作陶50周年の会では、展示に、樹齢2000年の屋久杉の板や古い船底の断片なども用いられていました。

(※)廣誠院(こうせいいん)
京都市指定有形文化財。明治の建設業の発展を担った旧薩摩藩士・伊集院兼常により建てられた。

会場・作品・展示方法・その場の空気感…
すべてが渾然一体となって高めあっている場の力に、岡島さんは強く心を動かされます。

「結局、そういうロケーションのマッチングやね。景色もいいし、展示の仕方もいいし、使われている花もよかったし。そういうのと陶芸がものすごく合うたんですよ。私らがこれから目指すのはそういうことかなと思ってね」

また最近では、岡重は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)とコラボすることに。

「その時に生徒さんと一緒に先生がおみえになって。その先生が、実は今度私四条のAppleStoreでプレゼンするのでって言われて、見に行ったんですよ。そうしたら、後日すぐに手書きの礼状を届けに来てくださって。お世辞にも綺麗な字とは言えなかったんですが、真心がこもっていた。要は気持ちの問題なんですよね。つくづくそう思いました」

真心がこもった手書きの令状に感銘を受けたと語る岡島社長

「そういうことが今後、ものづくりの根幹になってくる。着物もただ着ればいいということではない。着物を着るシチュエーションと、着る衣装と、本人さんの意識と。空気感とかそれから所作とかね。そこのバランスが合ったらものすごくかっこいい衣類になるんじゃないかなと思いますよ」

コロナ禍を経て(後日取材)

インタビューを行ったのは、ちょうどコロナのニュースが流れはじめた今年の春先のこと。
以降、自粛の必要性により着物ファンの着物でのおでかけの機会は大幅に減少し、呉服状況の危機的状況は今なお続いています。
一連の事態を経てようやく公開させていただくにあたり、あらためまして岡島さんにお話しを伺いました。

「岡重らしい商品をもっと作らなあかんなと。それはね、数をこなす時代じゃなくなってきてるっていうことですね。もっと集中して”自分とこの色”を出すようにせなあかんなと」

岡島さんの、”もの言わぬものに、もの言わすモノづくり”。
コロナ禍を経てなお、エネルギッシュに続きます。

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