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『宮脇賣扇庵』8代目 南忠政さん【YouTube連動・インタビュー編】「元芸妓 紗月が聞く!京都、つなぐ世代」vol.5

『宮脇賣扇庵』8代目 南忠政さん【YouTube連動・インタビュー編】「元芸妓 紗月が聞く!京都、つなぐ世代」vol.5

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夏の風物詩である扇子。200年以上前から京都で扇子を作る『宮脇賣扇庵』を訪れました。8代目・南忠政さんが教えてくれた扇子のルーツに紗月さんも驚くばかり。オフショットとともにご覧ください!

扇子の老舗『宮脇賣扇庵』へ【Youtubeリンク】

宮脇賣扇庵

794年から約1000年に渡り、日本の都として栄えた京都。その間に育まれた独自の文化や伝統は、今も耐えることなく街の中に息づいています。そこには、いつの時代も“伝統文化の担い手”として切磋琢磨してきた人々の姿がありました。

2015年から2021年まで祇園甲部の人気芸妓として活躍した紗月さんがMCを務め、代々家業を受け継ぎ、また次の世代に引き継ぐべく奮闘されている方々に“老舗を守りつなぐお話”を伺います。

今年も、各地で厳しい暑さが続く日本の夏。特に三方を山で囲まれた盆地の京都は、8月になると気温が40度に近づくことも。熱中症などの危険から身を守るため、暑さ対策として欠かせないのが……

扇子を持つ紗月さん

そう、紗月さんが手に持っている“扇子”です!

今回は扇子の老舗『宮脇賣扇庵』で、8代目・南忠政さんにお話を伺います。

まずはインタビュアーである紗月さんの装いをご紹介。

丹後の本麻地に、ひんやりと涼感をただよわせる氷割れ模様を染めあらわした珍しい一枚。麻のざっくりとした素材感あるなかにも、澄んだ薄藤色がしっとりと大人の情緒を漂わせます。

帯にも麻帯を選んで。オレンジシャーベットのような明るいお色の変化がかわいらしく、また秋草や柴垣の意匠が来たる次の季節を予感させてくれます。

帯周りのコーディネートは、さすがの芸舞妓流。細い絽目が繊細な印象のピンク色の帯揚げには、深紅の輪出し絞りがあらわされて。

帯締めにも深みの赤色をあわせることで、遠目にも映える、紗月さんならではの装いが完成しています。

涼しい風を送り、ひと時の心地よさを与えてくれる扇子。それだけではなく、扇子は開いたときの末広がりの形から“縁起物”としてお祝いや記念品としても用いられてきました。

花街では、芸舞妓さんの舞やお座敷遊びの小道具としても重宝されています。

六角通富小路にある『宮脇賣扇庵』京都本店

六角通富小路にある『宮脇賣扇庵』京都本店

「うちも現役時代に大変おせわになりました」

こう語る紗月さんが、『宮脇賣扇庵』の歴史に迫ります!

はじめは、扇ぐ(あおぐ)ものじゃなかった!

紗月さんと、8代目・南忠政さん

紗月さんと、8代目・南忠政さん

「店構えからとても趣きがありますね」とまずは紗月さん。

それに対し、やわらかな笑顔で語られるのが『宮脇賣扇庵』の8代目・南忠政さんです。

「入りにくい雰囲気とよく言われるんですが、どなたでも入っていただければと思います」

笑顔が素敵な南さん

お店に一歩足を踏み入れ、まず目に入るのが……こちらの天井。

『宮脇賣扇庵』に飾られている天井画

屋号の名付け親でもある富岡鉄斎(とみおかてっさい)や、竹内栖鳳(たけうちせいほう)、木島桜谷(このしまおうこく)など…

京都画壇を代表する全48人の画伯による扇の絵柄があしらわれています!

上から時計回りに、竹内栖鳳、神坂雪佳、巨勢小石

上から時計回りに、竹内栖鳳、神坂雪佳、巨勢小石

こちらの天井画は明治35年に完成。京都本店が六角富小路の東側へ移転する際、天井もそのまま移築されました。

『宮脇賣扇庵』のはじまりは、約200年前。京都にあった扇子屋に入った初代が、『宮脇商店』として名を変えて扇子屋を引き継いだところにはじまります。

店内に並ぶ扇子

「扇子は、平安時代に宮中で使われるようになりました。一般の人に広まったのは江戸時代からです」と南さん。

檜扇

檜(ひのき)の板でとじ合わせた「檜扇(ひおうぎ)」が扇子のルーツで、当時は、顔を隠す所作や筆記用具に用いられていたといいます。

もともと、風を扇ぐものとして発明されたものではなかったのですね!

扇子で顔を隠す舞妓さん

2022.02.07

まなぶ

扇子のマニアックなお話し 【扇子のギモンを解決! vol.4】「きくちいまがプロに聞くシリーズ」

紙扇

その後、竹と紙を材料にした私たちのよく知る「紙扇」が誕生。当初は片面にのみ紙が貼り合わされていたそう。

そんな日本の紙扇が中国で進化を遂げ、江戸時代に日本へ逆輸入された際には、紙が両面に貼られた分厚い扇子に変わっていたといいます。

扇子を扇ぐ紗月さん

日本に戻ってきた紙扇は今のようにシュッとした形に。風を扇ぐものとして人々に使われるようになりました。

コロナ禍中に8代目就任。その心境は

京都・五条大橋の西北詰には「扇塚」という扇の形をした石碑が建てられています。

ここが扇発祥の地とされ、ほとんどの扇子が今も京都で作られてるそう。

「宮脇」の暖簾
店内に並ぶ扇子

そんな京都で200年前から扇子一筋でやってきた老舗『宮脇賣扇庵』には、現在も40名ほどの職人さんが所属しています。

扇子づくりは分業制。なんと87もの製造工程に、多数の職人さんが関わっています。

職人さんの思いが込められた扇子に興味津々

京都市内の色んなところに散らばっている職人さんの元に材料を持って行き、ひとつの工程が終わったら、また次の職人さんにお渡しして……というのを繰り返し繰り返し、ようやく一本の扇子が出来上がるのだそう。

一本一本にそれだけたくさんの職人さんの思いが込められているとは。感慨深いです。

南さんは、コロナ真っ只中の2020年4月に8代目に就任されました。当時、初めての緊急事態宣言下にて、京都の街には人が全く歩いていなかったといいます。

就任当時の心境を語る南さん

「扇子は縁起もので、お祝いごとや周年記念で配っていただいていたんです。ですがコロナの影響でそうした行事が軒並み中止になってしまって……その頃は先が見えず怖かったですね」

南さんは当時の心境を語ります。

笑顔でお話を伺う紗月さん

笑顔でお話を伺う紗月さん

実は京都ではなく、大阪生まれの南さん。母方の実家である『宮脇賣扇庵』に勤め始めたのは20年ほど前でした。それまでは今の仕事に就くとは思いもせず、「親戚に扇子屋さんがあるらしい」くらいの認識だったそう。

ですが、実際に仕事をし始めると思った以上にやることが多く、また扇子の歴史や用途についてもっと勉強する必要があると感じたと言います。

「初代から繋いできていただいたお店なので、私も扇子文化や技術を継承していかねばという使命を重く感じています」

新ブランド「BANANA to YELLOW」直営店

新ブランド「BANANA to YELLOW」直営店

後編では、まさに扇子文化を次世代に引き継ぐべく、『宮脇賣扇庵』が設立した新ブランド「BANANA to YELLOW」の直営店を訪れます。

えっ!?と驚く、既成概念に捉われない店舗づくりの様子をぜひお楽しみに!

扇子の制作を体験中

扇子の制作を体験中

また、紗月さんは扇子づくりをちょっぴり体験。さてさてうまくいくのでしょうか?

こちらもどうぞお楽しみに。!

紗月さんファン必見!オフショット

撮影当日も最高気温は30度越え!厳しい暑さでした

撮影当日も最高気温は30度越え!厳しい暑さでした

そんな中でも、変わらず笑顔の紗月さん

そんな中でも、変わらず笑顔の紗月さん

今回も元気よくオープニングを撮影しました

今回も元気よくオープニング撮影!!

ですが、やはり日差しが眩しそうですね……!

ですが、やはり日差しが眩しそう!大きな宮脇さんの看板が絵になります

店内には、数え切れないほどたくさんの扇子が展示されています

店内には、数え切れないほどたくさんの扇子が

なんと、扇子の絵柄が描かれています!

店内の照明にも扇子の細工が施されて

欄間にまで、扇子の透し彫りが。ぜひ来店の際は見つけてみてください

さらには欄間にも扇子の透かし彫りが。ぜひ来店の際はみつけてくださいね

紗月さんにとって扇子は身近な存在でしたが、実際にお話を聞くと知らなかったことがたくさん

紗月さんにとって扇子は身近な存在。でも実際にお話を聞くと知らなかったことがたくさん!

とても丁寧に扇子やお店の歴史を解説してくださいました

とても丁寧に扇子やお店の歴史を解説してくださいました

次週もぜひ、紗月さんの扇子づくりをご覧ください♪

次週もぜひ、紗月さんの扇子づくりをご覧ください♪

文章/苫とり子
撮影/弥武江利子

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