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愛嬌も芸のうち 〜小説の中の着物〜 吉川潮『浮かれ三亀松』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十八夜

愛嬌も芸のうち 〜小説の中の着物〜 吉川潮『浮かれ三亀松』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十八夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、吉川潮著『浮かれ三亀松』。粋で鯔背で、声が良くて、三味線が上手くて都々逸が艶っぽくて。気風が良くて、金遣いが豪快で、愛嬌があって。これでモテないわけがない。男からも女からも惚れられた、大正末から戦後にかけて一世を風靡した天才芸人“初代 柳家三亀松”の物語。

2025.06.04

まなぶ

装いは演出、そして武装〜小説の中の着物〜菊池寛『真珠夫人』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十七夜

今宵の一冊
『浮かれ三亀松』

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

 それから三月ほどたった夏の宵。例によって遊郭へ行くため、木場から汐見橋を渡って洲崎の土手にさしかかった。歌舞伎狂言『網模様燈籠菊桐あみもようとうろのきくきり』、小猿七之助が奥女中の滝川を手込めにする濡れ場の舞台となる場所で、稲妻が走る中、七之助がこんな台詞を吐く。
「いくら泣いても喚いても、町を離れた洲崎の土手。昼でもあるか更ける夜に、往来稀な雨上がり。湿りがちなる汐風に、途切れた雲の星明かり、かすかに聞こえる弁天の、茶屋の端唄や中木場の、木遣りの声を寝耳に聞き、いなご飛蝗ばったと割り床に、霧の情けの草枕。お主としっぽり濡れる気だ。どうで汚れた上からは、ここで器用に抱かれて寝やれ」
 白絣を着て献上博多の角帯を貝の口に締めた亀太郎は、守田勘弥もりたかんやの声色で七之助の台詞を言いながら、川風に吹かれて歩いていた。
「あら、亀太郎さんじゃありませんか」
 女の声で呼び止められたので、誰かと思って振り返ると、宵闇の中に白い顔が浮かび上がった。紺地の浴衣に桶を抱えているところを見ると、湯屋の帰りか。

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

今宵の一冊は、吉川潮著『浮かれ三亀松』。

粋で鯔背いなせで、声が良くて、三味線が上手くて都々逸が艶っぽくて。
気風が良くて、金遣いが豪快で、愛嬌があって。

これでモテないわけがない。
男にも、女にも。

明治34年、水の町深川に生まれ、父をはじめとする川並(手鉤てかぎ一本で材木を扱う職人)衆が唄う「木遣きやり」(川並たちの労働歌)を聞いて育った亀太郎は、川並、幇間、新内流しを経て、三味線の弾き語りと色っぽい都々逸、映画模写で念願の寄席芸人としてデビューを果たす。

その喉の良さと艶な音曲で一世を風靡すると、ちょうどその頃「御寮人ごりょんさん」と呼ばれた吉本せい(つい最近山﨑豊子原作のドラマ『花のれん』もありましたし、ご覧になった方も多いのではないでしょうか)によって、東京進出を果たした東京吉本の大看板として、昭和43年に亡くなるまで芸の世界に君臨した、不世出の天才芸人、初代柳家三亀松。

実在の人物である三亀松の一生を描いた本作ですが、この物語が書かれた平成12年頃はまだ、家族や弟子など彼の身近にいた人たちが存命でもあったことから(著者自身が、もともと邦楽関係の近しい業界で育ったという縁もあり)綿密な取材を経て書かれているので、業界の内情だけでなく、大正から戦後にかけての時代の空気や社会情勢なども含め、かなりノンフィクションに近い物語となっているような気がします。

三亀松が芸人として頭角を表していくのが、時代的にちょうど先月の第四十七夜で取り上げた『真珠夫人』(大正9年)のすぐ後くらいから。描かれている世界が、山の手と下町という違いもあって全く交わらない世界線のようにも思えるけれど、実はしっかり重なっていて。

続く本作の舞台は大正末から昭和初期、そして戦争を経て戦後の高度成長期と、大きく時代が動いた時期でもあるため、なんとなく“歴史”として認識している時代(江戸とか明治とか大正とか)から、今私たちが生きている現代の、本当についこの間(振り返れば、しっかり記憶にあるくらいの……)に至るまでの物語なので、地続きであることが実感として感じられる。そういう意味でも読んでいて面白く、三亀松の豪快エピソードの数々も相まって、ぐいぐいと引き込まれていきます。

 亀太郎は富松から深川っ子の精神を叩き込まれた。
「粋というのは他人ひとさまに対する気遣い、気働きだ。てめえだけ粋がってる野郎ほど野暮天やぼてんはいねえ」
「おいらも小頭みてえな粋で鯔背な男になるよ」
 亀太郎は富松にそう誓った。

〜中略〜

 要領がよくテキパキしているのを江戸言葉で「小取り回しが良い」という。
 江戸っ子は「小」を好み「大」を嫌う。小ざっぱりした髪形に小ぎれいな服装をして、小腹がすくと小体こていな小料理屋の小座敷へ陣取る。日々食するのはいわし沙魚はぜといった小振りな魚である。反対に大仰な振る舞いや大時代な言い方、大げさなこと、大風呂敷を広げること、大味な料理を嫌う。道普請が良くない江戸の町では大雨、大嵐は敵だ。
 そして、正面切った粋よりも、何気ない「小粋」を良しとした。「小取り回し」はいかにも江戸っ子が好みそうな言葉で、亀太郎は小粋で小取り回しが良い若い衆だった。

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

三亀松が芸人として大成してしまってからは、それほど装いについての描写は出てこないので(衣裳がほとんど黒紋付に袴で変化がないから仕方ない笑)、本稿では物語の前半部分からの抜粋が多くなりますが、でもそこが結構、三亀松という人の魅力を知る上で欠かせない部分。

まだまだ何者でもなかった若い頃から、その魅力は健在。たぶん彼の最大の魅力はその“愛嬌(可愛げ)”なんだろうなと思います。抜粋部分の最後で声をかけてきた紺地の浴衣の女しかり、男にも女にもなんだかんだ気にかけてもらって贔屓にされ、愛されて助けてもらえるのは(まぁたまにはやらかすこともあるけれど)、彼が生来持ち合わせている“愛嬌”が、その最大の要因なのではないかと。芸人としての才能があることはもちろん必須なのだけれど、例えそれがあっても愛嬌や可愛げを持ちあわせてなかったら、なかなか成功しないと思うのですよね……どんな業界でも(逆に、愛嬌“だけ”で乗り切って行く強者もたまにはいますけど)。

瞬く間に芸人として名を成し出世街道を爆進していく三亀松は、東京のみならず大阪京都の各花街の名花を手折り、各街ひとりというルールは厳守(笑)しながら粋に遊び、あちこちで借金してでも豪快に散財しまくって(後年、藤山寛美や勝新太郎がそのやり方を見習ったのだとか)、ときどき売られたケンカを買ったりもしつつ、芸も人脈も愛嬌もどんどん磨き上げ広げて行く。

そんな中、寄席を観に来たヅカガール(当時の花組の人気スター高浪喜代子/本名は高子)に舞台上からひと目惚れし、初デートでプロポーズ。悪名高い三亀松の毒牙にかかったと、新聞にまで書き立てられながらも周囲を説得、晴れての結婚式では、なんと花嫁を置いて抜け出し愛人たちの清算に回り、帰ってきたのは数日後(泰然と待っていた高子もすごい)。

時代の流れの中で、当然楽しい話ばかりではないのだけれど、お姫さま育ちの高子なのにお金の苦労もさせ、後年廃人寸前になるまでに陥った重度のヒロポン(覚醒剤)中毒から脱することができたのは、壮絶なまでの高子の献身があってこそ(子どもができなかった高子にとっての、いちばん手がかかる子どものままだったとも言えるけれど)。

女性たちだけでなく、新派の花柳章太郎に信頼され、飛ぶ鳥落とす勢いの石原裕次郎には親父と慕われ、文壇きっての粋人と名高い吉行淳之介さえも、三亀松の洗練された粋な人柄に惚れ込み自分はまだまだだと遊蕩の弟子入りまでしたなど、各界の錚々たる面子から男惚れされた三亀松の豪快エピソードは枚挙に暇がない。

そんな数々の豪快伝説の合間でぽろりとこぼれる、破天荒で、愛されキャラな三亀松の可愛げに、あぁこりゃ当然モテるわな……と妙に納得。

 三亀松は相変わらず東京と大阪を往復する日々である。大阪へ行く時は高子を同行し、他の地方へ一人で行った時は必ず高子に手紙を出した。北陸地方の十日間巡業の際は、金沢で高子に加賀友禅の着物と帯を買ったらたまらなく会いたくなって、「たか子、きものとおびをおくる。それをきてこい。しゅじん」と手紙を書いて呼び出した。

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社/small>

結婚2年目の頃のエピソード。

本当に、なんだか可愛い人なんですよね。三亀松さん。
(“きてこい”ということは、新品ではなく古着を買ったのかなとか、つい余計なことを考えてしまいますが……笑)

この頃までは、浮気もせず高子ひとすじ。

でも結局、この後堰が切れたように次々と愛人を作ってしまうのですが、それでも本妻の高子を疎かにすることはなく、ずっと大切に愛し続けたし、高子も三亀松のことが本当に大好きで、亡くなるまでずっと恋をしていた。

高子がお守り袋に入れて肌身離さず持っていたのは、まともに学校に行っておらずあまり漢字が書けなかった三亀松から、結婚して初めてもらった平仮名だらけの手紙。それは、何度となく読み返したため折り目が破れそうになっていたといいます。

また、結婚式で、三亀松が抜け出したせいでちゃんとした写真がなかったふたりでしたが、その罪滅ぼしに、亡くなる半年前に66歳の花婿と58歳の花嫁として結婚写真を撮っています。ネットで検索すると、絶版となっている自伝に掲載されたらしいその写真を見ることができます(そちらでは昭和39年となっているので、実際は亡くなる数年前、63歳の花婿と55歳の花嫁として、なのかも)。ふたりとも、とても可愛くて良い表情をしているんですよね。

幸せな生だったんだなぁと思います。お互いに。

今宵の一冊より
〜白絣に献上柄〜

冒頭の抜粋部分で、亀太郎が着ている白絣。十字や蚊絣、亀甲などが織り出されたシンプルな上布や木綿の着物の総称として使われますが、男女を問わず、この物語の舞台となる大正〜昭和の頃の夏の装いには欠かせないものでした。

シンプルな白シャツのような、ベーシックであるがゆえに色褪せないその魅力は現代でも変わらず。殊に、さらりと軽やかで、ひんやりと冷気をはらむ麻の着物の涼やかさは、気温が上がり続ける現代の夏においても最適の素材と言えるのではないでしょうか。

そして、筑前福岡藩の初代藩主である黒田長政が、徳川幕府に献上したことに由来すると言われる『献上柄』の博多帯。

煩悩を打ち砕くとされる仏具“独鈷”、仏の供養に際し散布する花を入れる“華皿”、太線と細線を組み合わせた“親子縞(親が子を守る意)”と“孝行縞(子が親を慕う意)”。

この4つの意匠が縞状に並んだものを指す『献上柄』(本数によって「三献上」「五献上」など)は、現代では博多織においても個性的な柄も多く作られているため、なんとなく正統派過ぎてつまらないと思っている方もいらっしゃるかもしれません。

また、芸者さんの衣裳や時代劇などで目にすることも多いため、一般的には使わないものと誤解している方もいらっしゃるかもしれませんね。

細かな蚊絣が織り出された白の越後上布に、涼やかな紗の博多八寸帯を合わせたら、それはまさに“小粋で小取り回しの良い”江戸好みの着こなし

通気性が良く、着用時の涼感もしっかりと保つ濃紺の紗に、くっきりと浮かび上がる、艶やかな銀鼠で織り出された“三献上”の柄。その硬質でマニッシュな魅力がかえって華やかさを醸し出し、いっそ潔いほどのこんな王道の組み合わせが、現代においては逆に新鮮に目に映ります。

それはまるで、男名前と黒羽織姿を代名詞に、その芸と心意気を誇った深川芸者の凛とした艶姿のよう。

すっきりと涼やかに。

小物:スタイリスト私物

夏ものとの相性も良い細みの冠組みの帯締めで、すっきりと涼やかに。片側にだけ入ったカラシ色のぼかしが、江戸紫の麻の帯揚げとの対比でより際立ちます。

布の重なる胸元は、ひとつひとつの素材を吟味することで、より涼感を得られます。麻の帯揚げもそのひとつ。

“絣献上”と名の付いた麻の帯を合わせて。同じ“献上”でも、ずいぶん雰囲気が変わりますね。

ちなみに、ここで言う“献上”は、独鈷や華皿といった献上柄とは関係がなく、博多献上のような柄の配置ー縞と柄を組み合わせたり片側に寄せて配したりーに対して“◯◯献上”と呼ぶことが多いようです。

関東巻きで締めた場合、前は墨色の四つ花絣。

小物:スタイリスト私物

関東巻き(右から左へ巻く)で締めた場合、前は墨色の四つ花絣。ざっくりとした素材感と絣で表された柄の程良い緩さが、ナチュラルなワンピースのような雰囲気に。

関西巻きで締めると、前はこちらのカラフルな縞。

小物:スタイリスト私物

関西巻き(左から右へ巻く)で締めると、前はこちらのカラフルな縞。粋というより、ポップなストライプといった雰囲気です。

普段の閉め方が関東巻きの場合、逆手ぎゃくてに締めるのは、慣れるまではちょっと手間取るかもしれませんが、これだけ雰囲気が違うなら、ぜひともマスターして楽しみたいものですよね。

今宵の一冊より
〜小粋な格子〜

冒頭部分で亀太郎を呼び止めたのは、「色が抜けるように白く、鉄火な感じの中年増ちゅうどしま。芸者ではないようだが堅気には見えない。多分誰かの囲い者、お妾さんに違いない(本文より抜粋)」お花。

湯屋の帰りなら、散々着慣れて何度も水をくぐり、くったりと柔らかくなった平織りの綿か、あるいは、そういう経済的に余裕のある立場の女性なら、もう少し上質な素材感のものー例えば綿縮緬や絞りのようなーだったかもしれません。

もしくはこんな、まるで男ものの反物から仕立てたのかなと思うような小粋な格子もありかも。先程の白絣に続き、男女問わず楽しめそうなマニッシュな雰囲気が魅力的です。

綿コーマ地に注染でくっきりと濃紺の格子が染められた小粋なゆかた。これだけ細かく地が埋まっていたら、白地でもあまり透けを気にせず着られますね。

一枚でゆかたとして、また、半衿を付けて単衣の着物としての着こなしも楽しめそうです。

前帯には、伸びやかに広がる五色の紐。

小物:スタイリスト私物

合わせたのは、手績みの麻糸を用いて織り上げられた独特の素材感が魅力的な麻の九寸名古屋帯。

格子に格子を重ね、グラフィカルでモダンにも、灯りのついた窓のようでクラシックにも思える組み合わせ。氷のカケラのような、クリアなガラスの帯留を添え、帯周りに揺れる光と透け感をプラス。

亀つながりで、亀甲があしらわれた扇子を胸元に忍ばせて。

軽やかでナチュラルな素材感が特徴的な麻の兵児帯を合わせたら、江戸の粋モードから、時代も国も飛び越えて一気にグレンチェックのワンピースのような雰囲気に。

帽子やチョーカーなどのアクセサリー、そして足元にはサンダルやスニーカー、ビニール素材のバッグ……などなど、洋の小物を合わせても自由な着こなしが楽しめそうです。

2023.11.21

まなぶ

浴衣の着こなし 〜半衿とか名古屋帯とか足袋とか〜 「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三夜

シャーリングのようなシワ感が特徴的

巻き方によってもかなり雰囲気が変わります。

シャーリングのようなシワ感が特徴的なこういった兵児帯は、巻き方によってもかなり雰囲気が変わります。

平らに伸ばして巻くと普通の半幅帯のような雰囲気に近くなりますので大人の女性にも似合いますし、くしゃくしゃしたままボリュームを持たせて巻くと甘く可愛らしい雰囲気に(ウエストが細すぎる方は、補正代わりとしても)。

後ろの結び方も、小さくコンパクトにまとめたら大人っぽい雰囲気に、リボンのように長く垂らせば可愛らしくなりますので、母娘で共有、なんて楽しみ方も叶いそう。

2025.02.22

まなぶ

兵児帯(へこおび)とは?特徴や選び方・結び方をご紹介!

今宵の一冊より
〜男もの〜

 大正六年。十六になった亀太郎はすっかり色気づいた。
「いい若えもんってえのは、襟垢の付いてねぇ着物を着て、頭を小ざっぱりしとくもんだ」
「履物には金をかけろ。着物は古くとも下駄は新しくというのが江戸っ子の見栄だ」
 などと富松に言われているから、小まめに床屋へ行って、給金をもらうと惜しみなく履物を買った。柾目の通った桐の駒下駄か八幡黒やはたぐろの鼻緒がすがった畳付きの雪駄である。反対に嫌ったのは、金時計や金鎖、金縁眼鏡といった金っ気の装飾品で、身に付けている奴を「田舎っぺい」と小馬鹿にする。
 また、伊達の薄着というやつで、いくら寒くとも木綿の素袷で、下にメリヤスのシャツなどは絶対着ない。そして、町内のご隠居たちに混じって火傷しそうな熱い朝湯に浸かり、「この熱さがたまらねえ」などとやせ我慢して湯あたりし、気を失うことも度々だ。

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

献上博多の紺角帯は、きりりと粋な正統派の着こなし。

帯:角帯はスタイリスト私物
※着物は女性ものの仕立てですが、色柄のご参考までに。

献上博多の紺角帯は、きりりと粋な正統派の着こなし。季節や着物に関わらずオールマイティに使えます。

作中の亀太郎、きっと雰囲気はこんな感じだったかなと思いますが、江戸の粋にこだわった彼ならたぶん、帯巾はもう少し細いものを好んでいたでしょうね(こんなところにも“小”の美学が)。

現代では約9.5〜11㎝と巾が広めのものが主流ですが、かつては“二寸巾”(約7.5㎝)と言われた江戸好みの細巾のものも作られており、歌舞伎役者や噺家、舞踏や邦楽など芸能関係者に人気だったそうです。現代でも、浅草の帯源さんなど、特注で扱っているお店もまだわずかながらありますね。

ちなみに、献上柄の角帯には一応上下があり、こんなふうに、はっきりと柄のある側と無地っぽい側とに分かれている場合は、白の華皿柄が織り出されている方が上。地色と同色で地紋のような独鈷柄が下になります。

少し短めに着付けて、足元は素足に柾目の桐下駄で軽快に。

シンプルながらぐっとモダンな雰囲気に。

帯: 紳士角帯 斜めストライプ 「モスグリーン」
小物:スタイリスト私物

深いモスグリーンに斜め縞の角帯を合わせたら、シンプルながらぐっとモダンな雰囲気に。

半衿を付けて、麻足袋、雪駄でちょっときちんとした雰囲気にしても良いですね。丈はくるぶしのぐりぐりが隠れるくらい。ほんの少し長めが落ち着いた印象に。

格子に献上、“これぞゆかた”

帯:角帯はスタイリスト私物
※着物は女性ものの仕立てですが、色柄のご参考までに。

格子に献上、“これぞゆかた”といった感のある着こなし。

それでもどこか現代的な洗練された雰囲気があるのは、リズム感のある格子の細かさ(この辺りが、さすが竺仙さんの上手さ)とワントーンの組み合わせだからでしょうか。

足元は、素足に塗りの右近下駄かな。

この芭蕉糸で織られたものや科布、麻、羅など、男性の角帯にも夏ならではの素材があります。

ちょっと嵩張りますし、滑りが良くて締めやすい…とは決して言えないので、慣れないと最初は扱いにくいかもしれませんが、逆にしっかり締めてしまえば緩むことはないので、扱いに慣れてさえしまえば、安定感のある締め心地やナチュラルな素材感を楽しめると思います。

足元には銀鼠の麻足袋を履いて、パナマや麻など夏素材の雪駄でも合わせてみましょうか。

真角と呼ばれる白木の下駄

下駄:スタイリスト私物

角を落としていない、エッジの立った四角い形が印象的な、“真角まっかく”と呼ばれる白木の下駄。鹿革の縞の鼻緒は、もう少し細い方が江戸っ子っぽいけれど、現代っ子のヤワな足の甲(笑)にはそれだとたぶんとても痛いので、当たりが優しい太さにしています。

通常より、前つぼの位置を後ろに下げた“つぼ下がり”と呼ばれる形。

実際に足を入れると爪先より下駄の先が長く出て、また踵もかなりはみ出ます。つっかけるように履くのが粋とされますが、慣れないと最初はちょっとつらいかも(女性のピンヒールと、どっちが大変だろう……?)。

「お洒落は我慢」と良く言われますが、“粋”を貫くのもなかなか大変なのですよね……(亀太郎のように、気絶するまでがんばらなくても……とは思いますが笑)。

2025.06.20

インタビュー

色気を纏う男の浴衣 feat. 高橋大輔「きもの、着てみませんか?」vol.10-1

季節のコーディネート
〜海辺の風景〜

舞い飛ぶ鴎が織り出された夏の白大島に合わせたのは、丸や三角の幾何学柄が染められた科布の帯。

流水の刺繍が施された麻の半衿、帯揚げの白で抜け感を添えて。

夏大島などそれほど透け感が強くない夏紬は、6月から9月まで単衣の時期から夏を通じて着られて重宝します。

とは言え、これは鴎の柄なので、やはり夏の前半……お盆くらいまでにはなるでしょうけれど。お盆を過ぎると、やはり秋の気配が欲しくなってくるでしょうから。

観劇や美術館での芸術鑑賞など、日常の気軽なお出掛けにはもちろん、ちょっと良いホテルやレストランでのお食事などにも。

2022.02.01

よみもの

”着倒しきもの”に大島紬 「きくちいまが、今考えるきもののこと」vol.45

海モチーフを集めた帯周り。

小物:スタイリスト私物

淡い鉄紺の地に散らされた三角は、波間を走るヨットの帆。

アンモナイトの帯留に、銀細工のタツノオトシゴの帯飾りを揺らして、海モチーフを集めた帯周り。

和紙糸表に紋紗の鼻緒の夏草履。

草履:スタイリスト私物

足元は、和紙糸表に紋紗の鼻緒の夏草履。

履物も季節の素材を楽しみたいから、お出かけの際にはゲリラ豪雨の予報が出ていないか……しっかりチェックしておかないと!

戦争が影を落とすのは、どの業界においても同じではあるのですが、三亀松が得意とした都々逸は、別名「情歌じょうか」とも呼ばれ基本的に男女の情愛を歌った色っぽい内容が多いもの。

なので当然ながら、戦局が進むにつれ、その締め付けがどんどん厳しくなっていきます。

戦地に赴いて兵隊たちを慰問する活動では、もちろんそんな内容は禁止され、士気を高めるような「戦時都々逸」や「戦時さのさ」が作られました。

そのうちのひとつをご紹介すると……

  その昔 見立ててもらった帯など締めて
  今日も九段へ逢いに行く 
             ー戦時都々逸ー

吉川潮『浮かれ三亀松』/新潮社

さて次回、第四十七夜は……

“矛盾”するものは、無意識の深層に引っ掛かる。
“わからない”から“知りたくなる“。
その“探求(究)心”は、“欲望“と紙一重。

―――たぶんそれが、“恋”の始まりなのでしょう。

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