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装いは演出、そして武装〜小説の中の着物〜菊池寛『真珠夫人』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十七夜

装いは演出、そして武装〜小説の中の着物〜菊池寛『真珠夫人』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十七夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、菊池寛著『真珠夫人』。艶やかに美しく、その身を飾る錦繍は“鎧”。﨟たけた貴婦人の、その“装い”は“演出”であり、かつ“武装”でもある。白孔雀のような美しさで、サロンに集う男たちの間に君臨し嫣然と微笑んで彼らを弄ぶ、そんな彼女が求めたもの、護りたかったものとは、果たして何だったのだろう―――

2025.05.06

まなぶ

袙扇のうちとそと 〜小説の中の着物〜 阿岐有任『籬の菊』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十六夜

今宵の一冊
『真珠夫人』

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

 そのうちに、ふと気が付くと、正面の炉棚マンテルピースの上の姿見に、自分の顔が映っていた。彼が何気なく自分の顔を見詰めていた時だった。ふと、サラサラという衣擦きぬずれの音がしたかと思うと、背後うしろドアが音もなく開かれた。信一郎が、周章あわてて立ち上ろうとした時だった。正面の姿見に早くも映った白い美しい顔が、鏡の中で信一郎に、嫣然えんぜんたる微笑の会釈を投げたのである。
「お待たせしましたこと。でも、御葬式から帰って、まだ着替えも致してなかったのですもの。」
 長い間の友達にでも云うような、男を男とも思っていないような夫人の声は、媚羞と狎々なれなれしさに充ちていた。しかも、その声は、何という美しい響きと魅力とを持っていただろう。信一郎は、意外な親しさを投げ付けられて最初はドギマギしてしまった。
「いや突然伺いまして……」と、彼は立ち上りながら答えた。声が、妙に上ずッて、少年か何かのように、赤くなってしまった。
 深海色にぼかした模様の錦紗縮緬の着物に、黒と緑の飛燕模様の帯を締めた夫人は、そのスラリと高い身体を、くねらせるように、椅子に落ち着けた。

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

今宵の一冊は、菊池寛著『真珠夫人』。

改めて取り上げるまでもないほどに知られた名作ですし、映画化やドラマ化もされているので既読の方も多いかと思います(あの色んな意味で評判になった昼ドラは何年くらい前だったかなー?と改めて調べてみたら、20年以上も前でしたね……ちょっと衝撃……)。

自動車事故、乗り合わせた青年の死。その最期を看取ることになった信一郎に託された、豪華な腕時計と不可解な遺言。

青年の血に染まったそれらを捨て置けず、謎を追い始める信一郎の前に現れるのは“泰西の名画から抜け出てきたような”美しい貴婦人、瑠璃子。

奸計と金の力で自分の身を手に入れた成金の夫をのらりくらりと躱し続け、その身体に指一本触れさせないまま夫を亡くして未亡人となった彼女は、豪奢な洋館のサロンで女王として君臨し取り巻きの男たちを弄びながら、血のつながらない義理の娘には愛情に溢れた顔を向ける。

稀代の妖婦か、それとも聖女か。
果たして、彼女の真の姿はどちらなのか……?

そんな一般読者の興味を惹き付けるベタな要素満載で、大正9年6〜12月に新聞小説として連載された本作には、当時の世相や上流階級の生活ぶりなどがリアルに織り込まれており、当時の読者は、どれほど続きを心待ちにしていたのだろうと思います。

事故死した青年の葬儀の席。親族女性が白無垢姿で並ぶその席に、遅参しながら悪怯れた容子もなく堂々と参列する、“白孔雀を見るような、ろうたけた”若き夫人、瑠璃子。

彼女の運命を変えた園遊会。その春の日の、“絢爛たる八重桜の美しさにも勝る”ほど“天然真珠の如く”輝く若き瑠璃子の装い。

婚礼の日。“雪のように白い白紋綸子の振袖の上に目も覚むるような唐織錦の裲襠うちかけた瑠璃子”は“戦場に出るような心”でそれを纏いながらも、神々しいほどに美しかった―――

印象的ないくつかのシーンを取り上げただけでも、この煌びやかさですから、瑠璃子のビジュアルの描写と、それらに鎧われ覆い隠されているであろう彼女の真実の姿がどう浮き上がってくるのかというのが、このドラマを盛り上げる最大の要素であることがわかります。

若い男性に囲まれながら、彼らを軽くあしらっている夫人の今日の姿は、またなく鮮やかだった。青磁色の洋装が、そのスラリとした長身に、ピッタリ合っていた。極楽鳥の翼で飾った帽子が、その漆のように匂う黒髪をおおうていた。大粒の真珠の頸飾りが、彼女自身の象徴シンボルのように、その白い滑らかな豊かな胸に、垂れ下がっていた。

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

洋装もまた魅力的な瑠璃子。

ここでも“スラリとした長身”とありますが、幾度も繰り返されるそのフレーズに、当時の一般市民の憧れの有り様をひしひしと感じます。

当時の社会的な道徳観としては、女性としてあり得ない、許されない存在でありながら、そのすらりと美しい長身を最先端ファッションで鎧い、臆せず堂々と自らの決めた道を突き進む瑠璃子の姿は、その取った行動や結果の是非はともかくとして、憧れでもあったのでしょう。

わたくし、男性がしてもよいことは、女性がしてもよいということを、男性に思い知らしてやりたいと思いますの。男性が平気で女性を弄ぶのなら、女性も平気で男性を弄び得ることを示してやりたいと思いますの。妾、一身を賭して男性の暴虐と我儘とをこらしてやりたいと思いますの。男性に弄ばれて、綿々と恨みを懐いている女性の生きた死骸のために復讐をしてやりたいと思いますの。本当に妾だって、生きた死骸のお仲間かもしれませんですもの。」

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

艶やかに美しく、その身を飾る錦繍は“鎧”。

﨟たけた貴婦人 瑠璃子の、その“装い”は“演出”であり、かつ“武装”でもある。白孔雀のような美しさで、サロンに集う男たちの間に君臨し嫣然と微笑んで彼らを弄ぶ、そんな彼女が求めたもの、そして護ろうとしたものは果たして何だったのでしょうか……。

今宵の一冊より
〜大正浪漫〜

抜粋した冒頭のシーン以外でも、瑠璃子がよく身に纏っている“錦紗縮緬”。作中にはその独特な手触りについて触れる描写もありますが、大正〜昭和初期、染めの着物地として大流行したため、その頃を舞台とした小説にはよく登場する素材です。

ごく細い糸を用いて織られた薄手の生地で、そのさらりとした軽さとしなやかさから単衣の着物に用いられることが多かったようです。ここで描かれているのは6月なので、瑠璃子が着ているのもきっと単衣でしょう。

残念ながら、現代では着物用の素材としてはほぼ織られていない(長襦袢地や裏地としての利用が主)ため、着物として見ることがあるのはアンティークと呼ばれるものがほとんど。

単衣としてだけでなく袷に仕立てることも多かったようですが、裏をつけてもふわりと軽いその柔らかさは、現代の袷とは歴然とした違いがあり、松園や深水といった美人画で描かれる身体にまとわりつくような着物の質感は、これがゆえと思わされるものがあります。

“くねらせるように”……このたったひと言で、このシーンにおける瑠璃子の身体を覆うのは、これ・・でなくては成立しない。現代では失われてしまったその特有の風合いは、時代や世界観を象徴する―――そんな力さえ、持っている気がします。

錦紗縮緬とは真逆の素材感ではあるけれど、現代の普段着着物として今頃の季節にいちばん活躍してくれそうなのは、肌あたりの良さと程良いハリ感のある綿麻ではないでしょうか。

夏着物として、また浴衣として。気候や出かける先、気分に合わせた両方の着方ができるので、ちょうど今頃の時期から暑さが去るまで、長く楽しめる素材だと思います。

瑠璃子が締めている帯の飛燕を思わせる黒、深緑、白の配色で、大胆な縞にも見える大きな矢絣が織り出された綿麻の着物に合わせたのは薊が描かれた麻の名古屋帯。

見た目の愛らしさについ手に取ろうとしたら、棘があって痛い目を見ることから、意外なことに驚き呆れるという意味の古語である“あざ(さ)む”や、騙すという意の“欺く”から、その名がついたと言われる薊。白や紫など花色も何色かありますが、その中でも紅の薊が持つのは、“報復・復讐”といった、ちょっと不穏な花言葉。

瑠璃子のイメージにも通じる、そんな紅の薊が描かれた帯で、大正浪漫の薫り漂う夏の装いを。

2021.07.02

よみもの

大正浪漫に想い馳せ…文化のみち二葉館・橦木館へ。「きもので巡る名古屋」vol.2

トータルコーディネートで、その世界観をがらりと変えて楽しめそう。

小物:スタイリスト私物

花の色に通じる柔らかい珊瑚色の帯揚げでほんのり甘さを添え、帯留には白珊瑚の金魚を優雅に泳がせて。

麻の襦袢などを合わせ半衿を付けて夏着物として着るなら、足元には足袋を。そして夏素材の草履ならば、きちんと感のある装いに。下駄を合わせれば、スニーカー感覚で軽やかな着こなしになります。

衿なしで浴衣として着る場合、くるぶしが見えるくらいに少し短めに着付け、素足に下駄なら軽快な印象に。足袋&草履で、裾が足袋の甲に軽くかかるくらい、気持ち長めにすればエレガントな雰囲気。着物と帯が同じ組み合わせでも、着付けで随分イメージが変わります。

前者ならヘアはきりっとタイトにまとめる? 後者なら大正浪漫風に緩いウェーブを残したまとめ髪かな。ショートカットやボブでも素敵だろうな……などなど、ヘアスタイルやメイク、バッグやアクセサリーまで含めたトータルコーディネートで、その世界観をがらりと変えて楽しめそうですね。

今宵の一冊より
〜夏草模様〜

 信一郎は、淡彩に夏草を散らした薄葡萄色の、錦紗縮緬の着物の下に、軽く波打っている彼女の肉体の暖かみをさえ、感じ得るように思った。
 彼女は、演奏が始まると、すぐ独語のように、「雨滴レインドロップスのプレリュウドですわね。」と、軽く小声で云った。それは、いかにもショパンの数多い前奏曲の中、『雨滴の前奏曲』として、知られたる傑作だった。
 彼女は、演奏が進むにつれて、彼女の膝の、夏草模様に、実物剥製の蝶が、群れ飛んでいる辺りを、そこに目に見えぬ鍵盤が、あるかのように、白い細い指先で、軽くしなやかに、打ち続けているのだった。しかも、それと同時に、彼女の美しい横顔プロフイイルは、本当に音楽が解るものの感ずる恍惚たる喜悦で輝いているのだった。そこには日本の普通の女性には見られないような、精神的な美しさがあった。思想的にも、感覚的にも、開発された本当に新しい女性にしか、許されていないような、神々しい美しさがあった。
 信一郎は、時々彼女の横顔を、そのくっきり・・・・と通った襟足を、そっと見詰めずにはいられないほど、彼女独特の美しさに、心を惹かされずにはいられなかった。

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

以前取り上げた泉鏡花作品でもそうでしたが、明治〜昭和初期辺りの時代を舞台にした作品に登場する、特に上流階級の(いわゆる奥様と呼ばれるような)女性の装いにおける紫率の高さはかなりのものがあります。

これは、大正期を中心に藤紫の一大ブーム(そのため色名として『大正藤たいしょうふじ』とも呼ばれるほど)があったことと無関係ではないでしょう(本作中のこのシーンでは“薄葡萄色”なので、もっと赤みよりかなとは思いますが)。

かつては禁色とされたゆえの高貴さと品の良い艶やかさ、優雅さを湛えた“紫”という色が、“貴婦人”の佇まいにふさわしいイメージなのでしょうね。また、この“時代感”を表しやすい、あるいは“演出”がしやすい代表的な色と言っても良いかもしれません。

その人気や憧れは、現代においても健在。

上品で華やか、落ち着きすぎず甘くなりすぎず、程良く洗練されたイメージもあり……と、現代のフォーマルシーンに求められる要素をちょうどバランス良く兼ね備えていると言っても良いかと思いますが、しかしこれは、“着物”ならではの特性かも(紫って、洋装ではあまり一般的とは言えない難しい色だと思いますので)。

ひと口に“紫”と言っても、青み〜赤み、明度や彩度、生地の艶によってもさまざま。もし展示会などで実際に肌に合わせてみる機会があれば、自分にとってもっとも顔映りの良い紫を探してみるのも一興かもしれません。

白藤〜藤紫の美しいグラデーションに、銀糸の刺繍を散らした竪絽の付下げ。レースの洋扇のようにも、アールデコ調の鱗文のようにも思える華紋の刺繍が煌めきを添えています。

6〜9月の単衣〜薄物の時期を通して着られる竪絽は、夏のフォーマルを一枚……と考えている方にはおすすめの素材。縦縞状に絽目が織られているため、着姿がすっきりして見えるという利点も。

さまざまな夏草を降り出した藍鼠地の袋帯を合わせて、オニキスの帯留と黒の扇子でコーディネートをモダンに引き締めて。

華やぎのある着こなし。

小物:スタイリスト私物

藍鼠地に、露草や百合、酢漿かたばみ芙蓉ふようなど、さまざまな夏草が織り出された袋帯。

エレガントな意匠に、本作とちょうど同時代に一世を風靡していた、アールデコデザインが美しいオニキスとオパールの帯留を添えてドレスアップ。

クラシックコンサートやバレエ、オペラといった洋の観劇やホテルでの会食やパーティー、洋館やレストランでのカジュアルウェディングなどにもぴったりの、華やぎのある着こなしに。

2022.07.27

まなぶ

夏の祝言 〜小説の中の着物〜 平岩弓枝『御宿かわせみ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十三夜

今宵の一冊より
〜棒縞〜

 コロネーションに結った黒髪は、夫人の身長にピッタリと似合っていた。黒地に目も醒めるような白い棒縞のお召が、夫人の若々しさを一層引立てていた。白地の仏蘭西縮緬の丸帯に、施された薔薇の刺繍は、匂い入りと見え、人の心を魅するような芳香が、夫人の身辺を包んでいる。

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

縦縞の着物というと、すっきり着痩せして見えるというイメージがあると思いますが、縞の中には意外と着こなしの難しい柄もあります。

それが、ここで瑠璃子が着ている棒縞。“目も醒めるような”という描写からも窺えるように、ほぼ同じ太さの黒と白の縞はかなりインパクトが強く派手な印象になります。特に着物の場合、洋服のようにシャツだけとかスカートだけとかいった具合に分量調節ができず、全身が同柄になってしまいますし、デザインでのフォローも効かないため、より縞自体の強さが前面に出てきてしまって……よほど着る本人にそれを跳ね返すだけの強さがないと、縞の強さに負けてしまう。

そんな棒縞の着物は、この場面で瑠璃子に纏わせる衣裳としては完璧なセレクトと言え、この柄を着せた作者のセンスに唸らされるところ(きっと、その時代リアルにこういう着こなしをしていた貴婦人たちがいたのでしょう)ではあるのですが、瑠璃子のように自前の強さでねじ伏せる(笑)自信がない場合は、選び方や着こなしに少しの工夫が必要です。

棒縞の着こなしが難しいもうひとつの理由として、くっきりはっきりした直線の縞は身体のラインを拾って強調してしまうということが挙げられます。そのせいで、すっきりどころか逆に太って見えることも。

同じ太めの白黒の縞でも、縞が少し揺らぐだけで着こなしのハードルはぐっと下がります。縮織の質感とも相まった視覚効果で、着物の形状や縞による直線と身体の曲線とを、程よく良くグラデーションにしてくれるといえば良いでしょうか。

このくらいの太さの棒縞なら、白黒のように濃淡が極端なものよりは色の差が少ないものの方がより着こなしやすくなります。この麻の着物のように黒→グレーになっただけでも随分違いますので、もっと濃淡の差が少ないものを選ぶと、無地感覚に近くなってより着やすいものに。

また、羽織による分量調節も有効。洋服のように上半身下半身での調節ではなく、羽織による縦方向での調節は、身体の輪郭をカバーすることにもなりますので、すっきりとした着姿に。

モノトーンのシンプルな縞の強さと同じベクトルで引き合う、鮮やかな朱赤の大輪の夏椿が刺繍された羅織の八寸名古屋帯を合わせて、帯と着物の視覚的な強さのバランスを。同時に、鼻緒のツボ(素足ならペディキュアでも)や玉簪など、帯周りから離れたところに小さく紅を散らしても素敵。

羅の透け感や小千谷縮のシャリっと冷たい質感、そして白・黒・朱のきっぱりとした色遣いが相まって、夏の陽射しに映える印象的な着姿に仕上がります。

涼を呼ぶ夏ならではの素材、翡翠の帯留をぽつりと効かせて。

小物:スタイリスト私物

涼を呼ぶ夏ならではの素材、翡翠の帯留をぽつりと効かせて。

夏帯にもさまざまな種類がありますが、芯を入れて仕立てるタイプの九寸名古屋帯や袋帯と比較すると、こういった透け感のある織の八寸帯は、やはり着ていて圧倒的に涼しいです。

芯を入れて仕立ててあると、帯本体の生地や帯芯がいくら夏素材で薄いとは言え、胴に巻く生地の枚数が物理的に増えることは否めないので。

また、染め帯に対して、自然布や羅織などのしっかりとした固めの織り帯は、胴回りで自立してくれる分、体との間に適度な空間ができ通気性も保てて涼しく着ていられるという利点も。

なので、私自身も夏場によく締めるのはこういった八寸帯が多くなるのですが、とは言え夏ならではの柄が描かれた染め帯もやはり捨て難い(うっかり時期を逃すとまた来年、という柄も多いですし)。

ということで、どうしてもそれを締めたいときは、なけなしの気合いをかき集めて痩せ我慢……!ということに(笑)。

2021.09.11

よみもの

千差万別、縞の魅力を味わう。 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.9

本作における瑠璃子のビジュアル描写で特徴的な部分として、髪型や身長とのバランスへの言及があります。

コテを用いて形作るウェーブヘアや、耳隠しに代表される洋風の結い髪の大流行、そしてモガ(モダン・ガール)の象徴でもある断髪の登場にまで至るこの時代ですから、読者の興味も大きく、また新しい女性の姿を印象付ける要素として、主人公の髪型はとても重要だったということなのでしょう。

ただ、抜粋部分の「コロネーションに結った」という表現。それこそ初めて本作を読んだ20年以上前も、再読にあたって今回も、いろいろ調べてみたのですが、明確にこういうヘアスタイルという記述が見つけられないんですよね……。

“コロネーション=戴冠”という意味から、当時の風俗として見かける三つ編みを巻いて頭の上に載せたような結い方(“イギリス上げ巻き”と呼ばれるスタイルの、アレンジヴァージョンのような?)のことかなぁと想像しているのですが、もし読者の方で正確なところをご存じの方いらっしゃったら教えてくださいませ。

今宵の一冊より
〜瑠璃子と美奈子〜

 瑠璃子夫人は、あの太陽に向って、豪然と咲き誇っている向日葵ひまわりたとえたならば、それとは全く反対に、鉢の中の尺寸の地の上に、楚々として慎しやかに花を付けるあの可憐な雛罌粟ひなげしの花のような女性が、夫人の手近にいることを、人々は忘れはしまい。それは云うまでもなく、かの美奈子である。

菊池寛『真珠夫人』/文春文庫

本作において見事に対照的に描かれている、主人公である瑠璃子と、その義理の娘である美奈子のふたりの女性。

結婚前の10代の娘の頃から始まって、印象的なシーンごとに詳細に描かれる瑠璃子の装いに対し、美奈子の装いの描写はせいぜい“明石縮の単衣”程度。ほぼスルーと言っても過言ではないほどに素っ気ない触れ方で、もしかしたら、これはあえてなのかも?と思うほど。

“装い”というものが、ある意味“演出”であり、かつ“武装”であるとするならば……この事実もまた、ひとつの暗喩と言えるのかもしれません。

透け感の強くない紋紗は、単衣〜薄物として6〜9月を通じて着用できるのはもちろん、5月の暑い日にはひと足早く袖を通すこともできて重宝します。逆に、一応袷の時期とされる10月に入っても、しばらくは暑い日が続くのでまだまだ着用機会がありそう。

帯や小物で着る日の気候に合わせて微調整しつつ、長く楽しめそうな一枚です。

合わせたのは、向日葵と菊という珍しい組み合わせの名古屋帯。半分欠けた向日葵、その前に嫋やかに落ちてくるように描かれた菊……もちろん本作とは無関係なのですが、なんだかふたりを暗示するようなドラマティックな雰囲気が漂います。

墨流しという技法によって写し取られた不思議な模様には、いろいろな見立てができそうな面白いニュアンスがありますが、こういう帯を合わせてみると、緩やかな墨の霞が、どことなく不穏な気配を湛えているようにも思えてきます。

本作において大きな意味を持つアイテムである腕時計にちなみ、胸元にパールの根付を付けたアンティークの懐中時計を添えて。

懐中時計
懐中時計横

ぷっくりとした透明な球体に閉じ込められた、裏までが美しいアンティークの懐中時計。

菊の葉に通じる、深みのある千歳緑の帯揚げで帯周りを引き締めて。

小物:スタイリスト私物

胸元には、宵闇にふわりと蛍が飛ぶような墨黒に丸ぼかしの麻半衿。

菊の葉に通じる、深みのある千歳緑の帯揚げで帯周りを引き締めて。

身体の脇にちらりと覗く菊房の紅が、自分からは見えない横や斜め後ろからの着姿を印象的に彩ります。

季節のコーディネート
〜花火〜

先程は本作の世界観を反映して、ちょっと不穏な雰囲気にしてしまったので、長閑に夏らしい季節感を楽しめる先取りコーディネートでリベンジ(?)を。

うっすらと透け感のあるよろけ地紋の黒地に織り出されたのは、夜空を彩る打ち上げ花火。

墨流しの模様は、夜風にたなびく霞か、それとも穏やかに凪いだ夜の海でしょうか。

この帯の柄……ここでは花火と認識しましたけど、なんとなく松のようにも思えるので、夏のお祝いごとの席や観劇の際などに、しれっと松モチーフってことにして使えそう。盛夏だけでなく、単衣や紗袷とも相性が良いと思いますので、季節限定のように見えて実は結構長く使える!重宝なひと筋になってくれそうです。

夏らしいビタミンカラーを拾って散らし、程良い甘さのあるコーディネートに。

小物:スタイリスト私物

半衿には流水の刺繍、帯揚げにはちらりと千鳥、開いた扇面には鬼灯がころり。帯留には、鼈甲のお月さまを添えて。

花火の花芯にあしらわれた淡い橙色。夏らしいビタミンカラーを拾って散らし、程良い甘さのあるコーディネートに。

現代の感覚からすれば、正直瑠璃子の行動は浅はかとしか言えず(いじめられたから誰かをいじめ返すというような。同じ土俵に上がってどうするの?という……)、新しい女性だなんだと言いつつ、結局それは当時の価値観を持つ男性が書いた女性の姿でしかないのだけれど、とりあえずそこはまぁ置いておいたとして。

下手に賢くて下手に意思が強く、下手に戦える武器ー財産だとか権力だとか美しさだとかーをその手に持ってしまっている人間(男女に寄らず)が、こうと決めて徹底的に突っ走ったら、きっと誰もそれを止めることはできない……それは、もしかしたら真実かもしれません。ちょっと哀しいことだけれど。

自分にとっての都合の良い真実だけを抱きしめて、例えばそれが周りを不幸にしようが、翻って自らを焼き尽くす地獄の業火となろうが構いはしない、と開き直って我が道を突き進むタイプの人間は、時によっては傍迷惑でしかない場合が多い。その自己中な炎に巻き込まれたくなかったら、すべてから手を引いて、黙ってそっと離れるしかなかったり(本作で、それをした信一郎は賢明だったと言えるのかも。まぁ彼が中途半端な正義感で余計なことをしたために、最悪の事態に至ったとも言えますが)。現代でも、そういうひといますよね。そして、望んでそこに飛び込むひとも。

瑠璃子が護りたかった唯一のもの、そしてそれをずっと隠していた場所。

なんだかやるせない結末でありますが、実はこの物語の唯一(あくまでも個人的な意見です)にして最大のギフトは、作者が見た当時の世相や、時代の空気感をリアルタイムに近い感覚で追体験できることではないかと。

長い日本の歴史の中でたった14年しかなかったのに、その短い期間にぎゅっと濃縮された“大正浪漫”というコンテンツとしての強さには、常々すごいなーと感心しているのですが、その確固たる“らしさ”は、他では替えが効かない時代の魅力。

散々こき下ろしておいて何なのですが(笑)もともと新聞小説という形態であるため、短いタームの中で起こる起承転結がわかりやすく600ページ弱という分厚さの割に読みやすい作品(そういうところも昼ドラ的)なので、リアル“大正浪漫”を追体験してみたい方はぜひお手に取ってみてください。

それから、この場をお借りして、ひとつお知らせをさせていただきたく……

毎年、ひっそりと開催しております『七夕会たなばたえ』ですが、今年はひと月早く『蝉羽月会(せみのはづきえ)』として
京都にて開催させていただくことになりました。

お近くの方、ぜひ遊びにいらしてくださいませ。

※期間中はずっと在廊の予定ではありますが、もしご予定がわかれば
インスタのDMででもご連絡いただけたらありがたいです。
(もちろん、ご予約無しでふらっと来てくださっても大丈夫です!)

せみのはづきえ
せみのはづきえ

さて次回、第四十八夜は……

粋で鯔背で破天荒、艶な都々逸そのままに生き抜いた天才芸人の物語。

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