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日本舞踊家 YÛKÔ FUJIMA 藤間裕凰さん(前編)「MariⅯaedaが訪ねる、パリで活躍する日本人」vol.7

日本舞踊家 YÛKÔ FUJIMA 藤間裕凰さん(前編)「MariⅯaedaが訪ねる、パリで活躍する日本人」vol.7

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さまざまな分野においてパリで活躍する日本人の方々にスポットを当て、着物姿にてお話しをお伺いいたします。今回は日本舞踊家 YÛKÔ FUJIMA 藤間裕凰さん。ルヴァロワ=ペレ市庁舎撮影協力のもと、麗しくご紹介させていただきます。

2022.09.13

よみもの

『une fleuriste pour Violetta』 佐々木智子さん(前編)「MariMaedaが訪ねる、パリで活躍する日本人」vol.5

アフターコロナのパリの冬

みなさま、ごきげきげんよう。
いかがお過ごしでしょうか。秋を通り過ぎてパリは一気に冬モードです。

今年の冬はみなさま何かとおでかけのご予定も多いのではないでしょうか。観劇、お食事会など、装いを思案しながら着物を出してどれを着ていこうかと鏡の前に立つことも、以前に増して幸せに感じられるひとときですね。

パリもすでにコロナ禍以前のような様子に戻っており、多くの世界中の観光客の方々が美食に舌鼓を打ち美味しいワインを堪能しながら観光やイベントを楽しまれております。

二人の出会いは、ソルボンヌの教室

今回スポットを当てさせていただきました方は、長きに渡りパリで日本舞踊家として活躍しておられます藤間裕凰(ふじまゆうこう)さんです。

藤間裕凰さん

藤間裕凰さん プロフィール

京都府生まれ。
6歳より藤間勢凰に師事、幼少より数多くの舞台経験を持つ。日本大学芸術学部演劇学科日本舞踊コース卒業。15歳、藤間流(勘右衛門)より名取名「裕凰ゆうこう」を頂く。25歳、藤間流師範取得。
1990年、渡仏以来、仏人、在仏日本人に日本舞踊を指導する傍らフランス国内外の種々の催し、 舞台に参加、ヨーロッパにおける日本舞踊伝承活動を続ける。
2000年、日本芸術協会「NIKOKAI」設立。翌年パリ日本文化会館にて日本舞踊公演「二凰会」主催。ユネスコ本部、ローザンヌ夏の祭典、ミラノ音楽祭、Japan Expo等数々の舞台経験を持つ。講演活動等も行う。
2011年より現代ピアノと日本舞踊のコラボレーションOTOMAI を結成、創作活動を始める。2018年太鼓奏者とのコラボレーションIWATO、2019年太鼓と篠笛とのトリオKISARAGIを結成、数々の創作活動も展開。
2020年よりパリ日本文化会館における子供文化事業に参加、子どもから青少年向けの日本舞踊ワークショップを開催中。

裕凰さんと私の出会いは、30年以上前まで遡ります。

当時、ソルボンヌ大学の文明講座「Cours de civilisation française de la Sorbonne」を受講していた裕凰さんと私。現在でも世界中から受講者が集っておりますが、その頃はまだ日本人学生はとても少なく、私のクラスで日本人は裕凰さんと私だけだったのです。

藤間裕凰さんとMariMaeda

そんなこともありすっかり仲よくなった私たちは、授業後によくカフェのテーブルに並び、フランス生活での楽しいこと、苦しいこと、また将来の夢や希望などについて語りあったものでした。

長い年月が過ぎても今なおこうしてお付き合いさせていただいていることを大変うれしく思っております。

ルヴァロワ=ペレの市庁舎にて

Levallois-Perret

裕凰さんのお住まいがルヴァロワ=ペレ(Levallois-Perret)ということもあり、この度は、ルヴァロワ=ペレ市庁舎にて取材をさせていただきました。

ルヴァロワ=ペレは、フランスのパリ北西部に位置する閑静な佇まいの衛星都市。街の誇りでもある市庁舎は美しく雄大な建物であり、今回の取材にとても協力的にご対応いただきました。

市庁舎

夏にはお庭に美しい花々が咲き乱れ、冬には豪華なイルミネーションで建物全体が幻想的な光景になるこの市庁舎は、1845年に、9,500平方メートルもの敷地を用いて建てられました。

ルヴァロワの紋章

ルヴァロワの紋章は、1942年に知事の要請で作成されたもの。赤と金で、右上に香炉、左下には歯車があらわされています。

香炉は、当時ルヴァロワに定住した多くの香水関連会社を想起させるもの。また歯車は、アンドレ・シトロエンなど、ルヴァロワを選んだ新興産業のエンジニアの活動を示唆しているそう。中央にはミツバチのバンドが斜めに走り、ヤシの葉は、平和と希望の象徴を意味します。

パリでの第一歩

MariMaeda(以下、Mari)―――
日本舞踊をはじめられたきっかけは何でしょう。また、プロの日本舞踊家として活動をされるようになった経緯を教えていただけますか?

着物エピソード

藤間裕凰さん(以下、裕凰さん)―――
数えの6歳、厳密には5歳から日本舞踊をはじめました。それは女の子が生まれたら日本舞踊をさせたかった母の希望でもあり、当時小児ぜんそくで虚弱だった私の身体作りがきっかけでした。故・藤間勢凰師匠のお稽古場に通うことに。

その後、現在も親しくしていただいている花柳流の方が日本大学芸術学部の日本舞踊コースに在学されており、その方に憧れて同じ道に進みました。在学中から少しずつ現在の活動を意識しはじめ、縁あってフランスに渡って現在に至ります。

Mari―――
藤間流の名取を襲名され「藤間裕凰」というお名前をいただいた時のことを教えていただけますか。

裕凰さん―――
お名取りをいただいたのは15歳で、恥ずかしながら自覚というものがほとんどありませんでした。

その後しばらくしてから師範試験を受けることになるのですが、亡き師匠から「師範を取るならば、弟子に伝えられる踊りができるようにならなければ受ける意味がない」と言われながら厳しく指導していただき…それが30年以上経った今なお心身に沁み、現在の私があります。

今後の抱負について

Mari―――
フランスで日本舞踊家として活動されていますが、はじめてこの地で踊りをご披露されたのは、どのような場所でだったのでしょうか。

裕凰さん―――
大学生活最後の春にフランスを訪れた際に、パリ4区のポンピドゥセンターの野外広場にて一人で踊ったことが、私のフランスにおける活動の第一歩です。

当時の私は成人式や卒業式というものに反抗的で、それが自分の卒業式だと勝手に思い込んでおりました。今思えば誠に若気の至りですが、あの時の観客の驚きの眼差し、そしてその後の笑顔と拍手は若き日の大切な宝物です。

Mari―――
フランスにて舞踊活動を開始されるにあたり、一番大変だったことは何でしょう。

裕凰さん―――
こちらではお扇子一本もたやすくは手に入りません。長い年月をかけて小道具・着物などを日本から少しずつ運んでまいりました。

また音源も今とは違いパソコンもなく、ダウンロードも編集も、ファイルで送信することすらできない。日本に帰る度に、そういった作業含め根気よく続けてきました。

Mari―――
得意とされている演目や、踊り方などはございますか。

裕凰さん―――
男踊り、女踊り、どちらも好きなのですが、周囲の方には男踊りを踊るイメージが強いと言われますね。もともと小柄なのですが、舞台を降りた時に「こんなに小さな人と思わなかった!」と言われることが最大のお褒めの言葉で、それを目指して日々精進しています。

24歳「団子売り」

24歳「団子売り」(YÛKÔ FUJIMA)

26歳「連獅子」

26歳「連獅子」(YÛKÔ FUJIMA)

フランスで着物を着ること

Mari―――
フランス人にとって、日本の和文化はどのようなものと受け止められているとお考えでしょうか。また着物にまつわるエピソードなどもございましたら。

裕凰さん―――
フランス人は、日本という国とその歴史、そして和文化をことのほか尊重し、またそれらに造詣の深い方も多くいらっしゃいます。

同時に日本の伝統的民族衣装である着物に関しても憧憬を抱かれているようで、着物を着ていたお陰で親善的な空気になり、話題が弾んだことも多くあります。まさに着物が取り持つご縁のように感じています。

こちらの方々は元来思ったことを素直に言葉にされますので、称賛の言葉は普通ですし、みなさんとてもお優しい。時にはありがとうの気持ちを込めて手を合わされてしまい、反対にこちらが戸惑ってしまうということも少なくありません(笑)。

藤間裕凰さんインタビュー

Mari―――
着物を着ている時の美しい立ち振る舞いや所作については日舞に通ずるものがあると思いますが、ご自身で着物をお召しの時に意識されていることや心がけておられることはありますでしょうか。

裕凰さん―――
「根幹を真っ直ぐに保つ」、日頃から常にこれを心掛けています。…というよりは、着物を着ていることで根幹が保たれている、と言った方が正しいかもしれません。

着物を着たときの立ち振る舞いなどは、着物や浴衣で行うお稽古の積み重ねによって知らず知らずのうちに身に付いたように思います。

7歳「羽の禿」

7歳「羽の禿」(YÛKÔ FUJIMA)

22歳「禿」

22歳「禿」(YÛKÔ FUJIMA)

Mari―――
どのような着物がお好きですか。素材感やお色や柄行、産地など…どのような観点からでも。

裕凰さん―――
着物そのものというより、春には桜、秋には萩、春夏秋冬に合わせた色や柄行き、そして季節や訪れる場面に応じての素材を考える瞬間、そういう繊細な心遣いが着物の豊かさで、好きな部分です。

反面、地球温暖化のためか、ここ数年こちらでは一気に春から夏になりますので、袷から単衣を着ることなく夏物になってしまう傾向が残念な現象でもあります。

Mari―――
フランスにいらっしゃる裕凰さんの視点で、日本舞踊について、またご自身の活動についてどのように捉えられていらっしゃいますでしょうか。

裕凰さん―――
日本の長い歴史のなかに存在し育まれた身体表現のひとつが日本舞踊であり、そのほとんどが江戸時代、もしくはそれ以前より存在した情景であったり所作であったりします。

そしてそれらは大切に、お師匠さんからお弟子さんへと手渡しで伝えられてきたもの。

私がそのように日本で学んできたことを、縁あったこの地でこちらの方に噛み砕き、分かりやすくお伝えしていく作業、それが私の役割だと思っております。

IWATO Clichy公演 2022年
IWATO Clichy公演 2022年

Photo: Courtesy Galerie Da-end
IWATO Clichy公演 2022年

日舞の指導にあたり

Mari―――
以前、日本のテレビ番組で拝見しましたが…

とある女優さんがパリ滞在の折に藤間先生に日舞のご指導を受けておられ、パリ再訪の折に裕凰さんと再会する、といった映像でした。ドラマ『JIN-仁』で花魁の役もされていらっしゃる方ですから、私はドラマを観る度に裕凰さんのことを思い浮かべてしまいます。

あの優美な立ち居振る舞いは、日本舞踊のお稽古のたまものではないかと。

女優さんにご指導されるにあたって、何か「ここだけは特に」などと意識されたことはございますか。

日舞の指導について語る裕凰さん

裕凰さん―――
女優さんに限らずどなたかに直接影響を与える、ということは、私自身全く考えたことがありません。お稽古にただただ向き合っているだけで。「学び」の捉え方は人それぞれ、またお稽古自体「一期一会」です。

どの方々にもその時のお稽古に「学び」があったと感じていただければ、それは幸甚なことですし、また教える側の私にもそこには常に「学び」があります。今後も、心通うお稽古をみなさんと続けていければと思います。

Mari―――
お子様方にも日本舞踊を教えておられるとのこと。今までに経験したことや、ご感想を教えて下さい。

裕凰さん―――
フランスに暮らす、日本にルーツのあるお子様方と、日舞を通して遠い日本の歳時記を共有しています。そして同時に、フランス人のお子様方にも日舞を通してはじめての日本文化を楽しんでもらっており、どちらも大切な活動だと思っています。

最近うれしかったこととしては、かつてうちでお稽古をされていた方がフランスを離れていたのですが、またお稽古を再開されたことでしょうか。長い時を経て共有できる思い出があるということを有難く思っています。

お稽古の様子

お稽古の様子

Mari―――
これからの抱負や目標、夢などについてお教え下さい。

オスマン様式の建物

裕凰さん―――
コロナ禍で長い間、対面稽古ができずにおりましたが、昨秋ようやく再開できました。まずはこのことに感謝しかありません。今秋にはささやかながら3年越しのお弟子さんたちの発表会が開催できましたし、12月には、こちらのお子様や若い方を対象とした「日舞アトリエ」も控えております。

それぞれの場面ごとにひとつひとつ、真摯に取り組みたいと思っております。

自身の活動としては、今まで取り組んできた、ピアノや和太鼓、笛の方々との創作コラボレーション活動でしょうか。常に前進し、精力的に続けていきたいと考えております。

ベル・エポック時代の建物と着物

和と洋の融合

今回撮影協力いただきましたしましたルヴァロワ=ペレの市庁舎は、オスマン様式にてベルエポック時代に建てられました。

歴史を感じる建物と日本の伝統衣装である着物がこれほど融合され馴染んでいることに感動してしまいます。

美しいポージングの裕凰さん

大階段の踊り場には雄大なスペースがあり、飾り窓には外からの光に反映されたステンドグラスが。優しく彩られたやわらかな光が、空間をさらに美しく魅せています。また手すり部分にも花や植物の曲線が遊ぶようにあらわされ、実に優美な世界観を放ちます。

裕凰さんのポージングはやはり颯爽としていて美しいですね。つい見とれてしまいます。

たたき染めの訪問着

今回の取材には、たたき染めの訪問着で臨みました。着物にも黒と金が用いられ、図らずも市庁舎の雰囲気とマッチし、和洋融合となりました。

帯には、黒地にゴールドの箔がふんだんに用いられた袋帯を。春秋の草花や彦根城、玄宮園、伊吹山などがメタリック系の色糸で細やかに織りあらわされています。

後編では…

ルヴァロワ=ペレ市庁舎にて日舞ポージングのレッスン!?

どうぞお楽しみにして下さいませ。

撮影/助友利矢子(舞台およびお稽古写真以外)

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