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人生をともにする”楽器の色”が見たい 〜夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界〜 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.6

人生をともにする”楽器の色”が見たい 〜夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界〜 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.6

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『夢訪庵』がきもの愛好家たちを魅了する理由のひとつ、草木染め。彼が最近入手した染料のフェルナンブーコは、さまざまなニュアンスの赤を生み出し、作品にさらなる美しさを宿しています。この染料を使い始めたきっかけは、ある音楽家との出会いでした。

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学生時代に得た知識

初めまして、ビオラ奏者の三原征洋と申します。NHK交響楽団に在籍しておりましたが、2001年12月28日に定年を迎え、現在は日本各地で弦楽器の指導や講演などをしています。

『夢訪庵』の桝蔵さんにフェルナンブーコを紹介したのは、今から4年ほど前になりましょうか。

私がなぜ、このフェルナンブーコを彼に託したのか、不思議ではないですか?

今回はその誕生秘話をお話ししたいと思います。

フェルナンブーコの端材

フェルナンブーコの端材

話は今から63年前、私が東京藝術大学音楽学部で、弦楽器のビオラを専攻していた頃に遡ります。

ビオラの弓の材質について、ふと調べたくなったのです。

弓のスティック部分の木材は、一般的に普及している「ブラジルボク」材の他に、「フェルナンブーコ」という材質があります。弓のスティックとしては最高級の材質で、プロの弦楽器奏者のほとんどがフェルナンブーコで作られた弓を愛用しています。

私にとってもフェルナンブーコは慣れ親しんだ弓であり、学生時代までは憧れでもありました。

最高の音を奏でるフェルナンブーコ。
なぜ、ブラジルの木がフランスの弓職人のもとへ渡ったのでしょう。

学生時代、この疑問を解決するために、さまざまな文献を調べました。すると、弓の材質として使われるよりもっと前に、ポルトガルの商人らによって、赤い染料としてヨーロッパに持ち込まれていたことがわかりました。

最高級の弓が染料だったとは……

フェルナンブーコから生まれる赤とはどんな色をしているのだろう。
いつかその色が見たい。

学生時代に抱いたこの思いが、まさか50年以上の時を経て叶うなんて、当時はつゆも思いませんでした。

フェルナンブーコとは

フェルナンブーコ材を使用した弓が掲載されたカタログ

フェルナンブーコ材を使用した弓が掲載されたカタログ

さらに調べてみると、フェルナンブーコはゴムやコーヒー豆の栽培が始まるよりもっと前からヨーロッパへと渡っていたことがわかりました。

そして、この木を発見したポルトガル人らが、フェルナンブーコを「brace(ブラチェ)」と呼び始めたそうです。

ブラチェとはポルトガル語で「燃えたコークス」とか、「真っ赤な炭火」、「残り火」、「消し炭」という意味。

火が燃え終わるころ、最後まで火種の中心には赤い火が残ります。

一見すると、フェルナンブーコもどこにでもある樹木のような色をしていますが、切ると芯が赤く、それを見て彼らはブラチェと呼ぶようになったのでしょう。

そしてブラチェは「Brasilブラジル」の語源になったと言われています。

芯が赤い木は他国から見て相当珍しかったのでしょう。国名の由来になるほどフェルナンブーコは貴重な木として扱われていたのではないでしょうか。

ところがその後、フェルナンブーコは染料として需要が高まり闇雲に伐採されてしまいます。その結果、2007年にはワシントン条約により絶滅危惧種に認定。「輸出入禁止」になってしまいました。

したがって材料として使えるのは、世界各国でストックされているものだけ。

年々、弓の製作が難しくなっているのが現状です。

幼少期から弦楽器とともに

バイオリンのカタログ。ストラディバリウスと相性がいい弓はフェルナンブーコ

バイオリンのカタログ。ストラディバリウスと相性がいい弓はフェルナンブーコ

ここで私のお話も少し。

初めて弦楽器に触れたのは、小学3年生のころです。通っていた倉敷の小学校に、音楽の指導に熱心な先生がいらっしゃいました。そして「音楽同好会」を立ち上げたのです。

その話を私の両親が聞きつけ、同好会へ入ることに。教えてくださった先生がバイオリンを買い与えてくれたのが、音楽との出会いになりました。

何かひとつでも得意なことをさせてやりたい。

身体の弱かった私を心配した親心だったようです。

海軍の音楽隊にいた方に師事を仰ぎ、バイオリンを学び始めるようになりました。その後コンクールで数々の賞をいただくように。

小学6年生のころでしょうか、両親に先生がおっしゃいました。

「もう私では教えられないから、彼を東京に出すように」

それを聞いた両親は大慌てです。まだ小学生の子どもを倉敷から東京へ出すなんてとんでもない、と。バイオリンは小学校で終わりにさせようと二人で話したそうですが、時すでに遅し。

私は夢中になっていましたから。

結局、東京へは出なかったものの、地元の中学校へ通いながら、管弦楽団で大人に混じって演奏をしていました。

しかし高校生にもなると、先輩たちが東京の藝大へ進学したという話が聞こえてきます。自分は彼らよりも上手いという自負もあったので、それを聞いて悔しくなりました。そこで、自分も藝大に行きたいと両親に頼み込みました。高校3年生の夏休み直前でした。受験勉強を始めるには遅すぎる時期でしたが、諦めきれません。

受験のために月に一度、片道14時間かけて東京へ通い始めました。土曜の夕方に夜行列車に乗って翌日の朝、東京に到着。そのままレッスンを受けて再び夜行列車へ。月曜の朝は倉敷駅からそのまま学校へ行くという日々を送りました。

始めたのが遅かったものですから、誰もが無理だろうと思っていました。
信じていたのは私だけ。
結果は周囲の予想が見事、大ハズレ。

合格したのです。

私にとって大きな人生の転換期でした。
東京での新生活が始まるだけでなく、受験を機にバイオリンからビオラへと転向したのです。

東京でレッスンを受ける前に、先生が私におっしゃいました。

「今からヴァイオリンでの受験は厳しいだろう。でもビオラなら可能性があるかもしれない。どうだ、頑張ってみるか」

以来、ビオラとともに人生を歩んできました。

管楽器の写真集

管楽器の写真集

その後、進路を決める時期がやってきます。私の希望はNHK交響楽団への入団です。毎年、先輩方が入っていたので、当然、試験に挑戦するつもりでした。

しかしその年、ビオラの求人はなかったのです。
けれど、なんとか試験だけは受けさせてもらうことができました。

試験会場に入ってみると、なんとベルリンフィルのコンサートマスター、シュバルべとウィーンフィルの楽団長を務めていたセカンドバイルのリーダー、ヒューブナーのお二人がいるではありませんか。

たまたまN響にコンサートマスターとして来日していたお二人が私のオーディション会場で演奏を聞いてくれたのです。

終わってから二人がN響の人にこう言ったそうです。

「この子はとっておいたほうがいいよ」

無事、採用していただくことができました。

こうしてNHK交響楽団の一員として、国内外のさまざまな場所で演奏し、ビオラとフェルナンブーコの弓と一緒に、多くの出会いや感動を経験させていただきました。

”人生をともにする楽器の色”が見たい

フェルナンブーコ材を使用した弓が掲載されたカタログ

N響を定年退職したばかりのころ、大学時代の想いが再燃しました。

フェルナンブーコから生まれる赤とはどんな色をしているのだろう……
いつかその色が見たい。

誰か、私の夢を実現してくれないだろうか……

草木染めは、日本でも古くから行われている染色方法です。できる人は少ないでしょうが、廃れたわけではありません。

諦めなければ、必ず実現できる。そうだ、きものの世界には染色作家さんがいるはずだ。

そこで、京都きもの市場 銀座店の菅野店長に相談をしてみたのです。

彼のことは、私の教え子であり、仕事のパートナーでもある渡辺由美を通じてよく知っていました。

2023.02.13

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音楽ときもの。私が持っている笑顔の作り方 ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.4

すると菅野店長が即答しました。

「それはもう、桝蔵さんしかいません!絶対にやってくれるはずです」

私は桝蔵さんと面識がありませんでした。けれど、とにかく望みがあるならぜひ話をして欲しいと頼みました。

今から4〜5年ほど前の話です。

私の夢を桝蔵さんへ

しばらくして、菅野店長から連絡がありました。

「三原さん、桝蔵さんがフェルナンブーコに興味を持ってくれました!」

そうと決まれば次に私は、材料であるフェルナンブーコを調達するために、私も懇意にお付き合いをしていた、杉藤楽弓社の社長に連絡を入れました。

ここは日本でも有数のフェルナンブーコを取り扱う弓の製造会社。

「弓の製作中に、節やヒビが入ってしまうと、廃棄するしかなかったのですが、貴重な木材です。有効利用し、大切に扱っていただけるなら、ぜひお譲りさせていただきます」

フェルナンブーコの端材、それで染めた余呉紬

フェルナンブーコの端材、それで染めた余呉紬

こうして、フェルナンブーコは桝蔵さんに繋ぐことができたのです。その後、桝蔵さんはさまざまな手法を凝らして多彩な色の抽出に挑戦してくださいました。相当大変だったのではないでしょうか。

桝蔵さんのもとに渡って一年も経たずに、「フェルナンブーコで染めた着尺が完成したから見てほしい」と連絡をいただきました。

さまざまな赤が目の前に

フェルナンブーコで染められた余呉紬

フェルナンブーコは、紬の着尺を美しいワインレッドに染めていました。

ああ……やはりこの色だったか。

これが私の第一印象。フェルナンブーコの弓の色とよく似ていましたから。

しかし、さらに見せていただいた2反は、濃淡の異なる赤みを帯びた、なんとも言えない複雑な色をしていました。経糸に水色や白、黄色の糸を使って織り上げられていたのです。

経糸に異なる染料で染められた糸も使用し、複雑な表情をもつ余呉紬

経糸に異なる染料で染められた糸も使用し、複雑な表情をもつ余呉紬

「三原さん、おもしろい木ですね。

僕ね、まずいただいた端材を何種類かに色分けしたんです。分けた色ごとに染めてみたら、出てきた色も違いました。

これはいろいろな可能性がありそうです。すばらしい染料をご紹介くださいましてありがとうございます!」(桝蔵さん)

フェルナンブーコの端材

フェルナンブーコは、芯の色によって染まる色が違うように、生まれる音も異なります。

例えばチェロの魅力は深い音です。明るい材料よりも、深い音を生み出す、濃い色のフェルナンブーコ材が適しています。

逆に、明るくて黄みのある材料だと、明るくて甘い音がし、バイオリンに好まれます。

そして、次の展示会ではさらに驚きを隠せませんでした。想像を遥かに超えた色が生まれていたからです。

フェルナンブーコの染料に他の草木の染料を加えてさまざまな色を生み出した花の帯

フェルナンブーコの染料に他の草木の染料を加えてさまざまな色を生み出した花の帯

透明感のある花の帯です。青みを秘めた艶やかなワインレッドの他に、はんなりとした柔らかな薄桃色、朗らかな赤……

桝蔵さんは、他の草木で染めた色を加えることで、フェルナンブーコに新しい可能性を見出したのです。

彼は見事にフェルナンブーコを染料として蘇らせてくれました。いえ、それ以上の色を生み出しました。

フェルナンブーコは美しかった。

いやそれよりも。
その美しさを最大限に引き出した桝蔵さん。

彼に出会い、私の夢を託すことができてよかった。

私よりも、着る人の元へ

フェルナンブーコで染められた丸紋に小花。九寸名古屋帯

フェルナンブーコで染められた丸紋に小花。九寸名古屋帯

私自身は、きものとは縁遠い生活をしてまいりました。

母や祖母が日常で着ていた世代です。祖母の洗い張りをよく手伝った記憶は今でも鮮明に覚えています。

5年前、病気をして痩せてしまい、着るものがなくなった時、きものが好きな教え子に言われました。

「先生、きものなら背丈が変わらなければ、体型の変化にも融通が効きますよ」

なるほど、確かにそれはそうかもしれないと思い、それから時々着るようになりました。

私の和装姿を見た桝蔵さんは、フェルナンブーコのお礼に着尺か帯を誂えたいとおっしゃってくださいましたが、丁重にお断りしました。

これから先、私が着る回数なんてほんのわずかです。

フェルナンブーコの染められた丸紋に小花。九寸名古屋帯(写真は前腹)

フェルナンブーコの染められた丸紋に小花。九寸名古屋帯(前腹部分)

「私にはもったいないです。その代わりと言ってはなんですが……」

だったら、持っているきものを大切にしている教え子や彼女の娘に着てもらったほうが良い。私は彼女たちに作ってほしいとお願いしました。

きものも楽器も、できるだけ相応しい人に、そして大切にしてくれる人に渡ることが一番。

それこそが染めてくださった桝蔵さんや、材料を提供してくれた杉藤さん、そしてきものや帯にとっても幸せなことです。

きものと音楽はとても似ている

きものと音楽には、多くの共通点を感じています。

例えば「きものが楽器」だとすると「帯は弓」です。単体でもすばらしいと思いますが、それだけでは着られませんし、音を出せません。

フェルナンブーコで染められた丸紋に小花。九寸名古屋帯

相方がそろって初めて完成します。

そして相性というものがあり、きものと帯、楽器と弓、それぞれがお互いを引き立て合う組み合わせができたら、そこには唯一無二の美しさや感動が生まれるのです。

音大志望の受験生が、両親と楽器を選ぶ際にお店へ行ったとします。

店主のアドバイスを受けながら、試しに楽器を弾きますよね。聞けばその子に合っているかどうかはわかるはずです。

しかし、お店の人は分かったとしても商売上、高い楽器を勧めてくるかもしれません。そしてご両親もその子も、受かるために必要ならと、勧められたままに楽器を選ぶでしょう。

もし私がその場にいて試し弾きの音に違和感を覚えたら、

「こっちを弾いてごらん」

と、彼に合う楽器を弾かせるでしょう。どちらが楽に弾けたかは、彼自身が感じるはずです。

フェルナンブーコで染められた九寸名古屋帯「藤」

フェルナンブーコで染められた九寸名古屋帯「藤」

「ねえ、こっちのほうが楽に弾けたんじゃない?それに安いよ。安くて君に合うんだったらこっちのほうがいいんじゃないかな」

きものも同じですよね。身長も体型も異なれば、肌の色も年齢も着ていく場所も異なります。似合う色も好みも人それぞれなのは当然のこと。

それが個性になり、その人の美しさにつながるわけです。

だから高いものがベストかというと、必ずしもそうではありません。

すべては相性です。

学生時代の夢を叶え、次なる願いは

ワシントン条約によって、輸出入に制限がかけられているフェルナンブーコ。
桝蔵さんにお渡しできるのも、日本にある在庫だけということになってしまいます。

フェルナンブーコに代わる材はないだろうか……

フェルナンブーコで染められた九寸名古屋帯「藤」

実はアフリカに「ブビンガ」という木があります。同じように赤みを帯びた木で、豆科のフェルナンブーコととてもよく似ているのです。

日本では大太鼓に使われているらしく、これだ!と思って調べてみると、同じようにワシントン条約で規制されていました。

有限だからその美しさが際立つのかもしれません。でも、できる限りこの美しさを見ていたい。そのためにも何か手立てはないだろうかと、いろいろ調べています。

フェルナンブーコで染められた九寸名古屋帯「藤」。写真は前腹

フェルナンブーコで染められた九寸名古屋帯「藤」(前腹部分)

大学も、N響も、そしてフェルナンブーコも、想いを叶えることができたのは、運がよかったのだと思います。そして人との出会いにも恵まれました。

しかし、諦めずに挑戦したからこそ得られたものではないかとも思います。

そして私だけの夢が、桝蔵さんやきもの愛好家のみなさんへの喜びに繋げることができました。それは私にとっても幸せなことです。

諦めなくてよかった。

諦めることはいつだってできますから。

撮影/菅原有希子(http://yukikosugawara.com

2021.08.27

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