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出産当日、夫からのサプライズ ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.3

出産当日、夫からのサプライズ ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.3

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若き日の桝蔵順彦氏との出会い― 第3話は、『夢訪庵(むほうあん)』の作品に魅了された慶子さんと、夫・完ちゃんの物語。息子さんの誕生とともに生まれ育ち、帯も21歳になりました。

2022.11.17

よみもの

ブルゴーニュのワイン畑で結婚パーティ ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.2

“若き”帯作家さんとの出会い

息子の出産当日に、夫からのサプライズ

今から20年以上前のことです。朝刊の折り込み広告に目が留まりました。

(あら、うちの近所だ)

内容は近所にあるN絵本美術館で帯の個展が開催されるというものでした。自宅から近かったその美術館は、少し前から気になっていた場所。私は夫を誘い、次の週末に出かけることにしました。

はじめまして、慶子と申します。職業は着付け講師。

二十代のころは、OLとして会社勤めをする傍ら着付け講師という、二足のわらじ生活を送っていました。しばらくして同じ会社だった完ちゃんとの結婚を機に退職。以来、着付けを生業として励んでいます。

ここから夢訪庵、桝蔵さんとの出会いが始まります。

まさか20年以上ものお付き合いになる出会いが待ち受けていたなんて、この時は想像もしていませんでした。

正統派の図案さえ爆発。夢訪庵初期の作品

夢訪庵の帯を初めて見た時の衝撃は、忘れられません。言葉にならないほどの存在感でした。

1990年代当時は、振袖や訪問着など、フォーマルな古典柄の着物や帯が主流だったかと記憶しています。夢訪庵の作風はそれらとまったく異なっていました。図案にしても技法にしても見たことがないという感じでした。

夢訪庵展のDMは、1回目からすべて大切に保管

夢訪庵展のDMは、1回目からすべて大切に保管

(すごい……)

とくにあの時代から、「糸へのこだわり」は執拗なほど。今でこそ”海外のグランメゾンと同じ最高級の絹糸”などがありますが、当時はそこまでこだわっているところがあったでしょうか。あったとしてもほんのひと握りだったかと。

そしてさまざまな技法から生まれる織の表情。お祖父様やお父様から受け継いだ技法に加え、桝蔵さんご自身が、妙味のある表情を生み出すために果敢に挑戦していました。

若き日の桝蔵さんの第一印象は、研究熱心な青年。

個展には海外で希少な蚕の研究をしている方もいらしていて、熱心に話を伺っていました。熱量の高さは今も昔も変わっていません。そう、パワー全開の面白さも。

ひと目見た瞬間から夢訪庵のファンになった私は、年に一度の個展には必ず行くようになりました。

そして桝蔵さんの一途な情熱は、着物のことをまったく知らない夫までを虜に。

いつの間にか二人はさまざまな話で盛り上がり、意気投合していました。

「あら、予定日は個展期間中だわ」

2001年は初めてのお産という、人生の大イベントを迎えた時期でもありました。

まだ見ぬ子を思いながら編んだファーストシューズ

まだ見ぬ子を思いながら編んだファーストシューズ

臨月に入る少し前のこと、桝蔵さんから個展のご案内が届きます。会期を見ると、ちょうど出産予定日と同じ時期。

(まだお腹にいたら、個展に行けるかな……)

人生の大イベントを迎えるというのに私ったら……

仕方ありません、桝蔵さんにお会いして、新作を拝見することを毎年楽しみにしていたのです。

会期中、体調が良い時に伺うつもりでしたが、臨月を迎えると流石にお腹が張ってくる日が多くなり、歩くのもひと苦労。

結局、個展に行くことがかなわないまま、最終日。

私はN絵本美術館ではなく、分娩台の上にいました。

「お願い完ちゃん。私の代わりに行ってきて」

9月22日、14時40分。無事に出産。

息子がお気に入りだったパペット

息子がお気に入りだったパペット

初めてのお産は大変でしたが、母子ともに問題もなく、大役を果たすことができました。

出産直後はどこにも力が入りません。精魂尽き果てるとはまさにこのこと、もぬけの殻状態でベッドに横たわっていました。

けれど、初めて我が子との対面を果たした感動で、テンションが高くなっていたのでしょう。日も暮れ始める少し前に、思い出したことがありました。

(今日は個展の最終日だ)

美術館は、産院から車で数分の距離。今から行けばギリギリ間に合います。もちろん、私は行けません。

病室の椅子に座っていた夫に顔を向け、ひとこと。

「完ちゃんお願い。私の代わりに行ってきて」

立ち合い出産をしてくれた彼は、私の頼みを受け入れてすぐに美術館へ向かってくれました。到着したころにはすでに撤収作業が始まっていたそうです。

「桝蔵さん!先ほど、無事に我が子が生まれました!母子ともに健康です!」

「えっ、わざわざ報告しに来てくれたんですか!?完さんよかったですね、おめでとうございます」

桝蔵さんは自分のことのように喜んでくれたそうです。

「帯をお願いしてきたよ」

え!?

それは個展から病室に戻ってきた彼の思いもよらない一言でした。無事に出産したと報告してきて、と言っただけ。それだけで満足だったのに。

「記念だから」
「帯はそのまま仕立て屋さんにいくようだよ」

彼は昔からシャイな人。それ以上のことは話してくれませんでした。

夢訪庵展のDMとお礼状

夢訪庵展のDMとお礼状

私の気持ちが落ち着き始め、からだ中の痛みを感じ始めていたこともあって、実はその後のやり取りをあまり覚えていません。

翌日からの赤ちゃん中心の生活は、初めてのことだらけ。新生児のお世話に無我夢中で、帯のことを忘れていた私の元に、仕立て上がりの帯が届きました。

これが彼から見た「私」

優しく甘い色の宿る伊予紬の八寸帯

箱に収められていたのは、黄と桃が配された、よろけの伊予紬の八寸帯でした。今でも桝蔵さんが作り続けているシリーズです。

見た瞬間、なんて優しくて可愛い色なのだろうと思いました。桃色と言っても、黄の温もりを感じる色は、橙桃色と表現したらよいかしら。

夫は贈り物を選んだり、サプライズをすることが苦手な人。こうした贈り物は初めてでした。私も何かをおねだりをしたことがほとんどありません。

でも初めてサプライズで用意してくれたこの帯が届いた時は、やっぱりとてもうれしかった。

優しく甘い色の宿る伊予紬の八寸帯

優しく甘い色の宿る伊予紬の八寸帯

それと……

彼がこんなにも可愛いくて優しいピンク色を私に選んでくれたこともうれしかった。

愛らしい桃色に、優しい黄色を感じるこの色を、私のイメージとして見立ててくれたこと。私と彼の年齢差はひとまわり以上。だから私は「若い奥さん」だったのかもしれません。

これが完ちゃんから見た、私……

この帯を選ぶ時、彼は何を思っていたのでしょう。

分娩台で決死の姿を見た直後だったはず。すごい形相をしていたと思うんです。何か叫んでいたかもしれません。

それなのに。

私たちが息子と初めて対面した日に選んでくれたのは、こんなにも穏やかで美しい色彩と自然な風合いが心地の良い、橙桃色の伊予紬八寸帯だったのです。

お宮参りにはこの帯で

お宮参りの記念写真

お宮参りの記念写真

生まれたばかりの赤ちゃんのお世話は、こちらだって生まれて初めてです。

自分の食事さえままならず、髪を振り乱しながら24時間フル稼働の日々に、着物を着る余裕なんてありませんでした。

けれど……

お宮参りにはあの帯を締めたい。

ただ、ひとつだけ不安に感じていたのは、あの帯が「紬の八寸帯」だということ。着付けの講師をしている立場としては若干の抵抗があったことも否めません。

でも、私たちの息子が生まれたその日。夫が私に選んでくれた帯です。息子の誕生を報告し、これからの成長を祈る儀式に纏う衣裳として、これ以上にふさわしい帯があるでしょうか。

不安がよぎったのもほんの束の間。

私は躊躇いなくこの帯を主役にした装いで、晴れの日を過ごしました。

夢訪庵展へのお出かけは、二人から三人に

私が桝蔵さんの個展に行けなかったのは、この年だけでした。

とにかくママっ子だった頃の息子

とにかくママっ子だった頃の息子

翌年からは息子も加わり、「夢訪庵展」へのお出かけは、私たち家族の恒例行事になりました。

そんな息子も、今年21歳になりました。

大学生に。勉強にアルバイト、友人との時間に大忙し

ちょっとでも私の姿が見えないと泣いてしまうほどママっ子だったのに、今では会話も減り、大学やアルバイト、友人たちとの時間を謳歌しています。

けれど、桝蔵さんの個展だけは「行く」と言い、毎年一緒に出かけています。私たちと同じように、桝蔵さんとのひとときを過ごす、あの空間が楽しいのだと思います。

個展に通い続けて20年余り。私たち家族と桝蔵さんとの思い出は毎年増えています。思い出と同じように、桝蔵さんの帯も少しずつ増えていきました。息子の卒業や入学式、家族の節目には夢訪庵の帯を締めています。

30代の私には少し恥ずかしかった橙桃色

私は夢訪庵の優しい草木染めの帯に包まれ、祝福されながら、人生を歩んできました。

健やかなるときも、病めるときも

最後に、あの帯と私のこれまでのことを。

20代の私に夫が選んでくれた伊予紬の八寸帯。実は30代で、距離をおいた関係になった時期がありました。あの色がどうしても恥ずかしかったのです。ピンクに対する苦手意識が強かったのでしょう。

紺やグレーなど、シックな色を好んでいた私には、どうしても手に取ることができませんでした。

橙桃色の八寸帯は、50代の今、再び私の生活に馴染み始めた

そして箪笥に眠ったままの時を経て、40代。

ある日ふと、あの帯を取り出してみると、ピンクの気配よりも穏やかで明るい、橙の色が浮き上がって見えました。その日に着ようと出しておいた紺地の紬に合わせてみると、私に馴染みそうな気がしたのです。

草木染めが生み出す、複雑な色彩の美しさに気付ける歳に突入した時期だったのかもしれません。

そして50代になった今。

穏やかで美しいこの色が私の肌を艶やかに見せてくれています。

草木が生み出す優しい色

以来、伊予紬は私の生活に溶け込み始めました。

琉球絣と合わせて

琉球絣と合わせて

大島紬とコーディネート

大島紬とコーディネート

そしてこれから訪れる60代、70代……

可愛らしい雰囲気をもったこの帯が、ずっと似合う歳の重ね方ができたらいいなと思っています。

この帯なら、きっと叶えてくれるでしょう。
草木染めと年月を経て、ますます締めやすくなった紬に包まれ、私はチャーミングなおばあちゃんになれるはず。夫が選んでくれた可愛い私のイメージを失うことなく。

これまでの日々、そしてこれからもずっと。
私の生活に寄り添ってくれる帯はまるで、膝の上で眠る愛猫を撫でているあなたのよう。

ありし日の夫と息子

20年前にあなたが私に抱いた、この帯のイメージのままでいたら、喜んでくれますか。
息子も就職活動の話がちらほらと出始めましたね。もしかしたら、この家を出ることになるかもしれないわね。

毎年恒例になっていた夢訪庵展へのお出かけも、カウントダウンが始まっているのかもしれませんね。

お祝いの席にて

お祝いの席にて

そっくりな笑顔で愛猫と

そっくりな笑顔で愛猫と

そしたらまた、次の個展にはふたりで行きましょうね。私は完ちゃんのお隣で、あの帯を締めていくわ。

二人きりだなんて久しぶり。
少し恥ずかしい気もするけれど、それも次第に慣れるはず。

初めは私たちふたり、だったのですものね。

撮影/菅原有希子(http://yukikosugawara.com

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