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⺟の祈りを帯に込めて ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.1

⺟の祈りを帯に込めて ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.1

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草木染と手機の温もり。古典文様から洋のエッセンスを感じる図柄など、他に類を見ない世界観を放つ『夢訪庵(むほうあん)』桝蔵順彦氏の作品と、それを愛してやまない女性たち。両者が出会った瞬間、多くの物語が生まれます。この連載では、無限に広がる「おびとわたし」の物語をお届けします。

「大丈夫。母の祈りを柄に込めて」図案から描いた馬の帯

おびとわたし、のものがたり

受ける光、見る角度によってもさまざまな表情を魅せる草木染めの美しさと、すくい織りを主体に織り上げられる、手機の温もり。

そして古典柄だけでなく、洋のエッセンスを取り入れた図柄など、他に類を見ない世界観を放つ『夢訪庵(むほうあん)』桝蔵順彦(ますくらゆきひこ)氏の作品の数々。

また彼の人柄にも魅了されその熱き想いに共鳴し、『夢訪庵』を愛してやまない女性たち。両者が出会った瞬間、多くの物語が生まれます。

その物語はまさに十人十色で、どれもが温かさに満ちあふれた想い出ばかり。この連載では、両者が出会ったことで生まれた「おびとわたし」のものがたりをお届けします。

一回目は、子どもの門出を祝うために、帯を図案から描いた女性のお話し。

それは一年前の春のこと

今年は息子と娘の卒業と入学という節目の春でした

息子と娘の卒業と入学という、節目の春

私は翌年に控えた子どもたちの卒業式と入学式に気持ちが向いていました。息子と娘、二人同時に門出を迎えることになっていたのです。とくに息子は中学校卒業と高校入学を迎えることになっていました。

親離れ、成人、旅立ち……。そろそろ巣立ちの時期が近づいています。

節目に選んだきものと帯は、私にとって宝ものになるはず

こんなにもお祝いが重なることは、この先、滅多にない気がします。きっと思い出深い時期を過ごすことになるはず。そうであれば、子どもたちの門出に選ぶ、私の装いにもこだわりたい……。だってこの先、着るたびに思い出す大切なものになるでしょうから。

そんな想いもあって、わりと初めのころからお誂えをしようと思っていました。とくに気持ちを込めやすい帯に関しては。

母としての想いを、帯にこめる

普段なら季節を問わずとか、着まわせるとか……。実用性を考えがちな私の帯選び。けれど今回ばかりは別です。

そうと決まれば早速連絡を取らなくては。そう、作るなら桝蔵さんにお願いしようと決めていました。けれど、もらったアドバイスはたったのひとこと。

「好きなの作ったらええよ!」

いつだってシンプルです。そしておおらか。

でも。

そうか、好きなものを作ったら”ええ”んだ。

夢訪庵の帯を図案からお誂え

よく考えたら、手機で一つ一つ織っているのです。すでに完成した帯と、これから作る帯は同じ工程。私はこの時まで、お誂え・フルオーダーは特別なもの、究極の贅沢であり手の届かないもの、というイメージしかありませんでした。

だからしなやかに個に寄り添う日本の文化、手機の世界の発想がとても新鮮で、そして物に対する価値観が変わった瞬間でもありました。

その場で気に入ったものがあればそれを求め、なかったら作ってもらうことができるのです。そして次世代に、そして次々世代にまで受け継ぐことを視野に入れた消費のあり方。
今、世間で叫ばれているSDGsの取り組みは、昔の日本人が当たり前のこととして生活に取り入れていたことなのだとあらためて感じたのです。

結局、図案からフルオーダーでお願いをすることにしました。

母としての想いを込めた柄を帯にしてもらうために。

子どもとの日々を邂逅する旅

図案からとは言ったものの、ゼロをイチにすることの大変さを痛感しました。ただ、漠然とではありますが、息子の名前にある「馬」をモチーフにしたらどうかなとは思っていました。

名前は私たち夫婦が彼に贈った最初のギフトですから。

馬のことを調べてみると、古くから神様が俗世界に降りてくる時に乗っていたと言われていることがわかりました。さらに繁栄や躍進を意味する動物でもあるとのこと。門出をお祝いする柄としても申し分ありません。

それからあとは……。彼が好きなこと、出産した日のこと……。何かモチーフになるヒントはないかしら。

図案を決める作業は、気がつけば子どもとの想い出を振り返るひと時になっていました。

妊娠中に友人からもらったファーストシューズ

そして桝蔵さんにお伝えしやすいと思い、ラフスケッチを書くことに。若いころ絵を学んでいたこともあり、絵は私にとって、伝達ツールのひとつでもあったのです。

描いてみよう

馬具はつけず、何もまとっていない野生の白馬にしよう。自由に、これから好きな場所に向かって、軽やかに何の枷もなく駆けられるように。

それから……。後ろ姿の馬がいいな。

最初の図案は馬の尾を瑞雲にして

最初の図案は馬の尾を瑞雲にして

はじめに尻尾を吉祥柄でもある瑞雲にして、馬の後ろ姿を描きました。けれど数日後にあらためて見直すと、その尻尾が気になりはじめます。

主役の隣に立つ母として、そして街にも浮かない控えた印象にしたいなら、瑞雲は少し主張しすぎているかもしれない、と。

桝蔵さんの作品の中で、頭から離れない図案がありました。

波濤模様の帯です。

すっきりとした流線、そして末端だけがくるりと渦巻くリズミカルな意匠は、洗練されながらも何処か愛らしさも。波のようであり、糸菊のようであり……。個展でも常に、目がいってしまうほど心惹かれる帯でした。

あの流麗な意匠を、馬の尻尾にさせてもらったらどうかな。

背景には何も入れず、色彩も極力抑えて。馬自体も白をベースにし、尻尾だけ金と銀糸を入れてもらったらどうかしら。前柄は、お太鼓柄と親和性があるものの、意外性も欲しいので流線の意匠だけに。

夢訪庵の波濤模様を馬の尾に

夢訪庵の波濤模様を馬の尾に

こうしてラフスケッチが完成しました。

けれど、桝蔵さんにお見せするのが恥ずかしくなって、しばらく見せられずにいたまま、季節は夏が過ぎ、晩秋の一歩手前に。3月まであとわずかです。

図案からお願いするには物理的に難しいかもしれません。よし、間に合わなかったらそれまでと思い、見ていただくことに。

「桝蔵さん、帯はこんな柄がいいなと思っているのですが……」

「どれどれ……。ほうほう。なるほど……。このまま作ってみましょうか」

そして図案は京都へ

私のスケッチを帯にしてもらうことに

スケッチを帯にしてもらうことに

なんと、私が描いた図案をそのまま織っていただくことになったのです。そして次に桝蔵さんとお会いしたとき、デザイン画を持ってきてくださいました。

色の濃淡やお太鼓に収まる配置が絶妙で、薄紙に描かれた馬はより一層躍動的に、帯になる気配が宿っていました。

何度かのやり取りを終え、図案が完成。いよいよ機場へ。あとは完成を待つのみです。

織り出された「母の祈り」

2022年。
新しい年を迎え、1月もそろそろ終わりを告げようという時期に、帯が届きました。

すぐに開けたいという逸る気持ちを抑え、家族全員がそろってから開けることに。

完成した帯

完成した帯

完成した帯はあまりにも美しく、気高い馬の姿にため息がこぼれたことを覚えています。

思っていた通り、いえ、それ以上の理想の帯が目の前にあったのです。

尾は上品な金銀糸のグラデーション

尾は上品な金銀糸のグラデーション

「すっきりとして、かっこいい馬だね」夫。

「ママ、ステキ〜!」娘。

そして半拍遅れ、照れくさそうに、

「……ふーん。ま、いいんじゃない」と、息子。

雪あそびをさせようと、抱っこして向かった冬の公園。なのにあなたは真っ白な地面に怯えてしまった。雪の上に降ろした途端、立ちすくみ涙目で「抱っこ……」とすがってきましたね。

写真を撮られていることに気づき、満面の笑みで私のもとへ

満面の笑みで私のもとへ

サッカー少年になりたての幼き日。リフティングができないことが悔しくて、泣き喚きながらボールに八つ当たりをした夏の夕暮れ。遠くに転がったボールを自ら拾いに行き、また泣きながら練習を再開した姿は、頼もしさを覚えました。

卒業証書

「ママだ〜い好き、結婚しよ〜ね〜」と歌ってくれた君は、遥か遠い思い出に。今では一丁前に文句も言うようになったけれど、優しい瞳はあの頃のまま。

そろそろ準備はいいですか。自分を信じて、こちらは振り返らず、行きたい道を進みなさい。

わたしたちは、後ろから見守っているから、大丈夫。だから安心して、前を向いて駆けなさい。

この馬のように。

美しき生命を謳歌して。
未来は希望で溢れているから。

大切な宝物が増えました

卒業と入学、おめでとう。

撮影/菅原有希子

2021.08.27

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