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幸福学研究者 前野隆司さん(後編)「温故知新ー日本の美と健康を巡るー」vol.4

幸福学研究者 前野隆司さん(後編)「温故知新ー日本の美と健康を巡るー」vol.4

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着物家・伊藤仁美さんと幸福学の第一人者・前野隆司先生の対談企画後編。日本人が考える「幸せ」とは?着物で生活することが私たちの幸せにどう繋がるのかを伺います。

2023.07.15

インタビュー

幸福学研究者 前野隆司さん(前編)「温故知新ー日本の美と健康を巡るー」vol.3

“幸福学の第一人者”が感じた着物の効用とは?

前野隆司教授

前野隆司教授

着物家・伊藤仁美さんが、ゲストと“現代のより良い暮らし”を考える連載「温故知新ー日本の美と健康」

第2弾は、人間の幸福と着物の関係について。私たちは、どうすれば幸せになれるのか。また、「きものと」暮らすことは幸福感にどう作用をもたらすのか

幸福学の第一人者として知られる、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)の前野隆司教授にお話を伺っています。

後編に入る前に、今回は伊藤さんの装いをご紹介します。

伊藤仁美さん

取材撮影は4月に行われました

この度、本企画に衣装協力をしてくださったのは、結城紬の老舗織元として有名な『奥順』さん。結城紬は茨城県結城市周辺を産地とした高級織物で、空気をたくさん含んだあたたかく、柔らかい手触りが特徴です。

なかでも、重要無形文化財技術指定の3要件(手つむぎ糸、絣くくり、地機織り)を満たした本場結城紬は”紬の王様”とも称されるもの。着込めば着込むほどに糸どうしが絡み合い真綿そのもののように軽やかになり、世代を超えて受け継がれる織りの名品です。

今回は稀少な「100亀甲総柄」の作品を衣装協力いただきました。

深みのある常磐色地に、同系色の花模様が亀甲の絣細工にて一面に浮かび上がる風雅な一枚。

着物がシックなお色味なので、春らしさは帯にてプラス。いしげ結城紬の白生地に染めを施した名古屋帯で、淡いターコイズブルーにどことなくエキゾチックな意匠が描かれています。

伊藤仁美さんの後ろ姿

そんな伊藤さんとイベントで対談したことをきっかけに、ご自身の着物を誂えるに至った前野先生。

前野隆司先生の教授室。壁一面の本の前でツーショット

前野隆司先生の教授室。壁一面の本の前でツーショット

後編では、着物との出会いによる心境の変化や、着物でこれから挑戦したいことなどを語っていただきました。

最後に教えていただいた「明日からできる幸せに生きるためのtips」も必読です!

世界に誇れる日本の“調和の精神”

伊藤さんの質問に笑顔で答える前野先生

伊藤仁美(以下、伊藤):前回、先生が幸福学の道に進まれる以前から、海外では幸せについての研究がすでに存在していたとおっしゃっていましたが、やはり幸福のあり方は国によって異なるのでしょうか? ”日本ならではの幸福”というものが存在するのか、気になります。

前野隆司(以下、前野):幸福学の研究はアメリカとイギリスで進んでいて、次いで北欧。そして現在は、日本をはじめとしたアジア圏における幸福学研究が注目され始めているんです。というのも、欧米の価値観では「幸せとは分かりやすくハッピーな状態である」と思われてきた。うれしい!楽しい!幸せ!みたいな。

でも、幸せってそれだけじゃないよね。もっと穏やかで静かな幸せもあるよね、ということで東洋からマインドフルネスにも関連する幸せの研究が広まっていったという経緯があります。

マインドフルネスな幸せを体現する伊藤さんの着物姿

伊藤:それは、禅の心ともどこか通ずるように思います。

前野:そうなんです。前回、幸せの4因子についてお話しましたが、日本的な幸せは「やってみよう」「なんとかなる」「ありのまま」の3つだけで成立するものじゃない。

「ありがとう」の気持ちを持って人と助け合ってこそ、その他3つの気持ちが湧いてくる。それが和の精神ですよね。

調和の精神を大切にしているお二人

伊藤:先日とある場で「日本人女性ならではの美しさはどこにありますか?」というご質問をいただき、「調和の心を持っていることだと思います」とお応えさせていただいたんです。

前野:伊藤さんがおっしゃる調和の心はこれからもっと大切になってきますよね。今って、AIの発達がすごいじゃないですか。これからどんどん性能が高まって、考える力に関しては人間よりAIの方が優れている時代が来る。そうなった時に人間に求められるのは、“感性”なんです。

「人間には調和の精神が大事だ」とAIは言うかもしれないけど、心を持っていないからそこには実感がこもっていない。世界のあちらこちらで戦争が起こっている今、調和や平和を大事にする日本人の感性を広めていく時が来ているんじゃないかな。

真剣な表情で前野先生にお話を伺う伊藤さん

伊藤:そうした日本人の感性が伝統文化にあらわれていますよね。

例えば着物を選ぶときも、私はラブレターのつもりでお会いする方へのメッセージをさり気なく紋様やアイテムに込めたり、場にそぐうような装いを心がけているのですが、周りとの調和を大切にする日本の美意識は世界に誇れるものなのではないかと思っています。

前野:茶道もそう。茶道は“主客合一(しゅかくごういつ)”といってお茶を点てる人がお客さんをもてなすんだけど、お客さん自身も「このお花、素敵ですね」と周りをよく観察して主人をもてなして、お互いに気配りをするじゃないですか。

それって、伊藤さんがおっしゃる着物の精神と同じですよね。最近日本人は元気をなくしてますけど、世界に尊敬される部分はいっぱいある。もっと自信を持っていきたいですよね。

伊藤:そうですね。古きものから学ぶべきことはたくさんあるので、日本の伝統文化が前野先生の幸せの研究を通じて、あらためて見直されるといいなと思います。

慶應大学の銀杏並木で語らう二人

いつか着物で生活したい。その理由は?

前野先生の研究室にて

伊藤:先生は着物をお召しになられてから、何か意識の上で変わられたことはありますか?

前野:着物を着始めたことが直接関係しているかは分からないんですが、最近書道を始めました

着物で書道をやるのっていいですよ。姿勢も自然と正されるし、集中力が高められて筆さばきまで変わってくるんです。本来は着物でやらなきゃいけないんじゃないかと思うくらい。

他にも茶道や仏教に興味を持ち出したり、和のもので外側を作られることで内側まで日本人の心に染まっていくような気がします。

着物の話で盛り上がった一幕

伊藤:以前、先生に「将来は着物生活を送りたい」とおっしゃっていただいて、とてもうれしかったんです。

前野:本当は60歳になったら着物で生活しようと思ってたんだけどね。なんだかんだいつもバタバタして洋服を選んじゃうんだけど、本当はもっと着たいし、明治・大正時代と同じように着物でそこら辺を歩いている人が今より増えたらいいのにと思うんですよ。特に男性は着た方がいい。

伊藤:男性の着物は、女性より着付けの工程が少ないので比較的楽だと思うんですよね。

前野:そうそう。それにぽっこりお腹も洋服だと気になるけど、着物なら少しお腹が出てる方が似合うので「これがいいんだ」って胸を張れるじゃないですか。細身の方は一生懸命タオル巻いてますからね。着物は中年にとって優しい(笑)。

着物をさらりときこなす前野先生

伊藤:年老いていくことが楽しみになるような衣装ですよね。

前野:だから僕も少しずつ意識を変えていって、洋服から着物に移行していきたいですね。

幸せの四因子を小学生向けに分かりやすく説明した前野先生監修の本

幸せの四因子を小学生向けに分かりやすく説明した前野先生監修の本

伊藤:これから着物でされたいことはありますか?

前野何でもやりたいですね。

あ、そういえば来年(2024年)の4月から武蔵野大学にウェルビーイング学部が新設されて学部長を務めることになったんですが、実は武蔵野大学って浄土真宗の学校なんです。それで調べてみると浄土真宗は南無阿弥陀仏を唱えれば、阿弥陀様の救済を受け、誰もが幸せになれるという教えがあって。

そうした仏教の思想と幸福とがどのように関わり合っているのかを研究で明らかにして、海外に発表する際にはぜひ着物で行きたいですね。

タイトなヘアスタイルで横顔もスッキリ

幸せになるには、形から入ることが大事

伊藤:先生が現在取り組まれていることのなかで、特に『JAXURY(ジャクシュアリー)』と呼ばれるプロジェクトに興味を持ったのですが、具体的にどのようなものかお伺いしてよろしいですか?

前野先生と

前野:もちろん。JAXURYは、「Japanʼs Authentic Luxury(日本ならではの本物の心地よさ)」をひと言であらわすために作った言葉で、年に一度、世界に誇る日本ブランドの名品を選出する『JAXURY AWARD』を開催しています。

そこで大賞を受賞された西陣織の『細尾(HOSOO)』さんとGUCCIのコラボ商品を製作したり、伝統的なものと現代的なものをうまく組み合わせて、本当に質の良いものを日本から世界に発信していこうとしているんです。

今僕はもっぱら美やアートに興味があって。というのも、幸せの研究をしていて、日常的に美しいものに触れている人は幸せだということが分かってきたんです。

着物姿で凛としていると心まで凛とするように、美しいものを愛でていると心まで美しくなる。幸せの研究は、美の研究でもあるということに最近気がつきました。

日頃から美しい着物を愛でている美しい伊藤さん

伊藤美しいものを愛でることで心が美しくなって、それがひいては幸福に繋がっていくということですよね。

前野:そうです。実は以前、軽井沢で医師をされている稲葉俊郎先生が「日本では美が医学の役割を果たしてきた」とおっしゃっていたんですね。

例えば、能の歩き方っていうのは腰を少し落としてゆっくり歩くから自然とインナーマッスルが鍛えられるじゃないですか。同じように着物も、着ているだけで姿勢が正されますし、日本で美しいとされるものを追求していくと自ずと健康になれるんですよ。

前野先生が名付けた帯の別名、幸せコルセット

伊藤:前野先生が前に帯を“幸せコルセット”とおっしゃっていたのが印象的だったんですが、本当にその通りで。帯を締めることで自分の軸を意識して、まっすぐ立てているかを気にするようになるんです。自分軸を常に育む瞬間があるというのはとても良いことだなと思います。

前野:自分軸を意識する。まさに「ありのままに」ですね。

伊藤:最後に明日から実践できる、幸せのためのTipsを教えていただけますか?

明日からできる幸せのTipsとは

前野:簡単なところで言うと、口角を上げること。あるいは姿勢を良くすることです。

試しにうちの学生に試してもらったんですが、幸福度だけではなく、倫理感が向上しました。姿勢を悪くした状態で不正に関するアンケートに答えてもらうと回答が甘くなるんですが、姿勢を良くした状態で同じアンケートに答えたら不正に対して厳しい回答が返ってきたんです。

だから口角を上げるとか姿勢を良くするとか、形から入るっていうのは、実はすごく大事なこと。そんなことで?と思うかもしれないけど、幸せになるための秘訣なんですよ。

口角を上げ、笑顔でいることが幸せの近道

口角を上げ、笑顔でいることが一番簡単な幸せへの近道

伊藤:前野先生は絶えずさまざまなことに挑戦されていますが、新しい道を切り開くときの突破口になっているものは何なのでしょうか

前野まずは自分を信じること

伊藤さんも周りに何と言われようと、着物家という今までにない立場で活動されてきたわけじゃないですか。僕もそうで、これまで”宗教っぽい”だの”胡散臭い”だの言われながらも幸せの研究を続けてきたのは、「絶対に世の中に必要だ」という自信があったからなんです。

そうやって根拠のない自信を持っていれば、自ずと結果は出るもの。確実にもっとみんなが着物に注目する時代が来るので、お互い信じてやれることをしましょう!

伊藤:私自身とても励みになる対談でした。前野先生、ありがとうございました!

最後に慶應大学のキャンパスで二人並んで写真撮影

衣装協力/奥順
 伊藤仁美着用分
 ◾️着物 本場結城紬 重要無形文化財指定技術(手つむぎ糸、絣くくり、地機織り)使用 100亀甲総柄
 ◾️帯 いしげ結城紬 染名古屋帯

構成・文/苫とり子
撮影/水曜寫眞館

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