【 仕入れ担当 渡辺より 】
人間国宝【 故:小川善三郎 】氏による
もっとも『博多織』らしい表情の
献上博多織八寸名古屋のご紹介です。
善三郎氏の作品は伝統的な手織にこだわり、
また草木染によるやさしい色使いで、上質で
品格を感じさせる仕上がり。
めったに善三郎氏のお品はお見かけいたしません。
特によき状態のものは中々ございませんので
お目に留まりましたら是非ご検討くださいませ。
【 お色柄 】
上質な博多織の代名詞とも言われるハリは、
ずばぬけて高い密度の経糸(たていと)の生み出す風合い。
その数約6,000本以上。
緯糸(よこいと)は8~10本の細い糸をよりあわせ、
一寸の間に50回往復させて丹念に織り上げます。
しなやかできゅっと締まる帯地。
お色は穏やかな茶色地に、淡い洒落柿と香色などの
色糸使いで、お柄は博多織の源流、最もオーソドックスな
献上独鈷、花皿、独鈷、縞を基本に構成された五献上の
文様が織りだされております。
【 商品の状態 】
やや使用感はございますが、中古品としては
おおむね良好な状態でございます。
お目に留まりましたらお値打ちに御召くださいませ。
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小川善三郎(重要無形文化財保持者)について
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【 生年・認定年 】
1900年(明治33年) 7月15日生。
1971年(昭和46年) 重要無形文化財「献上博多織」の保持者に認定。
1983年(昭和58年) 1月14日心筋梗塞のため死去 享年82歳
博多織職二代目小川熊吉の長男として生まれ、
幼少期から父である小川家二代目・小川熊吉の元で
博多織に触れながら育ち、1913年に尋常小学校卒業と同時に
福岡市内の原竹織工場に住み込みで弟子入り。
6年間の修業した後1919年福岡市内の阿部織工業に
職人として入社。
当時博多織業界一の技術者と言われた工房主の
阿部萬次郎から直々に指導を受け、本格的な
献上博多織の研究と技法の基礎を築き上げて
1925年に工場を退職。
2年後の1927年に松居博多織工場に入社。
1年勤めたのち、1952年に独立した。
独立後も手織りによる献上博多織の研究をつづけ
1971年に重要無形文化財「献上博多織」の技術で
人間国宝の認定を受けた。
献上博多織の第一人者。
【 受賞歴 】
1960年 福岡市長賞受賞、福岡知事賞受賞、高島屋での百選会で優選賞
1962年 福岡市主催の求評会にて同年から三年連続特別賞を授与
1963年 全国織物物産地競技大会賞 受賞
1968年 福岡県無形文化財「博多織」の保持者に認定
1970年 福岡県教育功労者として表彰
1971年 重要無形文化財「献上博多織」の保持者に認定
1973年 勲四等旭日小綬章 受章
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献上柄について
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黒田長政が徳川幕府に献上した博多織の柄名。
仏具の「独鈷」と「華皿」との結合紋様と
中間に縞を配した定格とされた。
献上以前は単に独鈷、華皿浮け柄と呼ばれたが
それ以降献上柄と呼ばれるようになった。
柄の構成は
親子縞:太い縞が細い縞を挟むように配された縞
「親が子を守る」という意味を持つ
独鈷:煩悩を打ち砕くとされる仏具・法器
孝行縞:細い縞が太い縞を挟むように配された縞
「子が親を慕う」という意味を持つ
華皿:仏の供養の際散布する花を入れる皿
を組み合わせる。
絹100%
長さ約3.54m(若干短尺・お仕立て上がり)
柄付け:全通柄
◆最適な着用時期 9月の単衣から翌6月までの単衣、袷(あわせ)の時期
◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません
◆着用シーン 軽い格式のお茶席、お稽古、芸術鑑賞、観劇、ご友人との気軽なお食事、
街歩き など
◆あわせる着物 色無地、小紋、織のお着物 など
※仕立て上がった状態で保管されておりましたので、折りたたみシワがついております。この点をご了解くださいませ。