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八重山ミンサーは、沖縄本島の南西約430キロに位置する、石垣島を中心とした八重山列島で作られている綿織物の帯です。
1989年に、竹富島、小浜島、石垣市で織られているミンサーを総括して、「八重山ミンサー」の名称で、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。通説では、「ミン(木綿)サー(狭い)」が語源で、「木綿で織られた幅の狭い帯」と解釈されています。
沖縄各地で様々なミンサーが作られていますが、八重山ミンサーは、5つと4つの四角を交互に構成した絣模様が特徴です。組織は平織の畔織で、太めの木綿糸を緯糸として織り、横畝が表れた、やや厚手でしっかりした生地になります。
八重山では、昔、男性が女性に求婚すると、女性は返事に木綿の藍染の細帯を贈ったという伝説があり、絣柄には「いつ(五)の世(四)までも末永く」の意味が込められているといわれます。
制作工程は、意匠設計、染色、絣括り、糊張り、巻取りなどの下準備作業を経て、綜絖通し、製織(織り)をして布ができあがります。木綿糸にビニール紐などを使って手で絣を括り、琉球藍や福木などの草木染や化学染料を使って糸を染めます。高機で織り上げます。
歴史
1611年、儀間真常が薩摩から木綿種を持ち帰り、木綿帯を織らせたのが琉球での木綿の始まりといわれます。八重山での木綿の技術導入は、1634年に大城与人安師(池城安師)が、慶良間島で流刑中に木綿栽培や製糸、製織の技術を学んで持ち帰って伝えたと記されています。ミンサーの歴史については現在も不明なことが多く、平民が用いた帯とされるのが一般的ですが、士族も用いたという調査研究もあります。ミンサーは木綿の細帯と解釈されていますが、かつては芭蕉や麻との交織や、デザインも絣のないものや無地や縞、幅や長さも使用する人に合わせて織られるなど、多様であったようです。
時代の推移と共に、戦後は消滅寸前になりましたが、1970年頃から、新(あら)絹枝氏の尽力で復興。ミンサーはもともと細帯だったので、和装用の半幅帯や八寸名古屋帯、袋物などを作って人気となり、現在の普及に至っています。
伝統的な藍染の八重山ミンサーは、畝織で織られた真田紐風の織物で、幅約7センチ、長さ200センチほどの細帯です。現在も祭りの際の奉納芸能の場面や、舞踊のときに芭蕉布の衣装に締める帯などに用いられています。
八重山ミンサーの和装品は、八寸名古屋帯、半幅帯、男性用の角帯などが作られています。多様な色柄があり、浴衣やカジュアルな着物に合わせるのが一般的です。
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