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上田紬は、長野県東部の上田市で作られる紬です。
江戸時代から全国的に知られ、藍染の縞柄が多かったことから、「上田縞」「上田柳条(りゅうじょう)」とも呼ばれていました。また、裏地を3回取り替えられるほど丈夫で長持ちするということから「三裏縞( みうらじま )」の呼び名もありました。
現在は、縞や格子柄の草木染紬など、多様な色柄が作られています。数社ある織元では、現代のニーズに合った製品作りを工夫しています。
上田紬では、制作の各工程に専門職をおく分業体制はとらずに、染色、生地の設計、 織りまで、全工程を個人で行うことが多く見られます。糸には生糸、玉糸、真綿の手紡ぎ糸が使われます。染色は草木染、化学染料、両者の併用など、生産者により異なります。草木染は栗、くるみ、りんご、苅安、桜など、地元で採れる植物がよく使われています。伝統を守りつつ新しい取り組みに挑戦する染色作家も輩出しています。
歴史
上田紬の始まりは戦国時代まで遡ります。真田氏の開祖・真田昌幸(真田幸村の父)が上田の産業振興のために織物を奨励しました。長野での蚕種(蚕の卵)製造の歴史は上田地方が早く、寛文時代 (1661~1673)に始まったといわれます。蚕種の副産物である出殻繭(蚕が蛾になって出た後の繭)は、紬糸の原料になったため、農家の副業として紬織りが盛んになりました。
また上田地方は、長野県内では雨や雪が少なく、日照時間が長く、気候の穏やかな地域で、桑や蚕の生育に適していました。さらに、天然の冷蔵庫ともいえる風穴がたくさんあったため、冷蔵庫が未発達の時代に蚕種を冷蔵保存して孵化する時期を調整することができ、日本一の蚕種製造地域になったのです。現在でも上田には蚕種を専門に扱う会社があります。
江戸時代、上田紬は全国に出荷されて有名になりました。1688年(貞享5年)、井原西鶴が著した『日本永代蔵』の中に、「上田縞」として登場しており、当時の人気がうかがえます。また、真田氏が関ヶ原の合戦で馳せた勇名に掛けて、「真田も強いが上田( 紬 )も強い 」と当時の人々は囃したようです。上田紬の強さは、裏地を3回取り替えられるほど長持ちするという「三裏縞」の別称にも表れています。
昭和の戦後は生産が減少しましたが、1975年に「信州紬」として経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、現在も生産が続けられています。
上田紬の和装品には、着物と帯があります。格式張らないパーティ、お食事会、気軽な外出着、おしゃれ着として広く愛好されています。帯合わせなどのコーディネートも楽しめます。
京都きもの市場では、幅広いラインナップで上田紬を取り扱っております。
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また、イメージに合った上田紬の作品をお探ししてご提案することも可能です。
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