【 仕入れ担当 渡辺より 】
琉球かすりの世界で、
大正3年より50年以上もの長きに渡り研鑽を続けた故大城カメ氏。
その技を継承した大城清栄氏、哲氏。
親子三代にわたって、すばらしい織物を織り上げる―。
それはお三方全員が日本工芸会正会員に選ばれていることでもわかります。
今回ご紹介いたしますのは、
日本工芸会正会員・大城哲氏による、
手紡ぎ糸を用いたハイクラスの琉球かすりの逸品でございます。
琉球に伝わる手紡、手織り、絣の技、草木染め、織の伝統技法を用いた、
現代のお着物シーンに是非とも合わせていただきたいひと品。
天然染料の味わいと、丁寧に織り上げられた、
極上の真綿糸の風合いをご堪能いただけるひと品でございます。
欲しいと思って簡単に手に入る一点ものではございません!
業界最大手といわれる中古問屋さんから
良色柄の逸品を厳選仕入れしてまいりましたので、
お目に留まりましたら是非ともお見逃しなく!
【 お色柄 】
上品な薄枯茶色を基調とした真綿地。
鳶色と刈安の格子模様を重ね、
その中には鳶茶色による細やかな絣模様を込めました。
センス良き配色でシンプルかつ奥深い意匠があらわされております。
熟達した技で時間をかけて手織りした布の凛とした贅沢さ。
身にまとえば、それらを肌で実感していただけることでしょう。
琉球紅型の染め帯や、贅沢な花織の帯などをあわせて、
美しい民族衣装の装いをお楽しみ下さい。
お色柄、地風ともに大変素敵なお品です。
お手元でご愛用いただける一品となりましたら幸いでございます。
【 商品の状態 】
中古品として仕入れて参りましたが良好です。
お手元に届いてすぐにお召しいただける状態でございます。
【 大城織物工場について 】
1879年大城ウシにより沖縄本島南部南風原に設立。
当時の織物は、自分たちの普段着を作る以外わずかな現金を得るための「兼業」。
1919年、3代目の大城清助が初めて織物を「専業」とし、 生活の糧にした。
その後の太平洋戦争(沖縄戦)で、家財や織物の道具はすべて焼失。
一面の焼け野原となり、唯一残ったのは「技術」だけであった。
現在では大城哲氏がその技術を継承して創作を続けている。
【 大城哲について 】
大城織物工場5代目。
大城哲氏は1990年、父である4代目大城清栄の他界を期に、
27歳の若さで家督を継ぎ、初めて織物の世界へ足を踏み入れる。
現在では主に染色・デザインの部門を担当している。
平成9年に日本工芸会正会員に認定。
【 大城清栄について 】
大城織物工場4代目。
大城カメ氏のちからで高い評価を得た琉球かすりは県外販路を広げ、
本土の問屋を販売先とし量産体制となった。
最盛期には織り子さん100名を抱えるほどに工場は成長した。
昭和56年に日本工芸会正会員に認定。
【 大城カメについて 】
3代目・大城清助の妻、大城カメ氏は『琉球絣』と言えば、
この人といわれるほど有名な人物で
山口 百恵さん(元歌手)の「赤い」シリーズの、
沖縄で機を織る場面があり、その指導にあたったのもカメさんである。
彼女は常に新しい琉球絣の制作に力をそそぎ、『卓越技能賞(現代の名工)』、
『勲六等瑞宝章』等、数々の賞を受賞している。
残念ながら平成7年に80年の生涯を終え他界したが、
今でも『カメさんの琉球絣』は高い評価を受けている。
昭和10年に日本工芸会正会員に認定。
表裏:絹100% 縫製:手縫い
背より身丈160cm(適応身長155cm~165cm) (4尺 2寸 2分)
裄丈68cm (1尺 8寸 0分) 袖巾34cm (9寸 0分)
袖丈49cm (1尺 3寸 0分)
前巾22.5cm (6寸 0分) 後巾28.5cm (7寸 5分)
【裄丈のお直しについて】
概算ではございますが、以下の最長裄丈までお出しできるものと思われます。
≪最長裄丈≫ 裄丈70cm (1尺 8寸 5分) 袖巾34.5cm (9寸 1分)
詳細はお気軽にお問い合わせ下さいませ。
◆最適な着用時期 10月~翌年5月の袷頃
◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません
◆着用シーン 観劇、お食事会、お稽古事、街着、ランチなど
◆あわせる帯 洒落袋帯、名古屋帯、半巾帯など
※着姿の画像はイメージ写真です。柄の出方が少々異なる場合がございます。
※仕立てあがった状態で保管されておりますので、たたみシワなどがあることがございます。この点をご了解くださいませ。