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書家/プレゼンテーションクリエーター 前田鎌利さん(前編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.2-1

「書家」であり、かつ「プレゼンテーションクリエーター」と紹介されることが大概であるが、すでにご本人は全ての肩書きから超越し”THE 前田鎌利(まえだかまり)”以外の何者でもない。常に自然体。誰に対しても変わらず接するところが老若男女を問わず好かれる所以だろう。『継未-TUGUMI』の教室にて、お話を伺った。

ハイカロリーな生き様

前田鎌利先生と継未にて

”前田鎌利(まえだかまり)”と聞いて、人によってはひとつもしくは複数の顔を知っているかもしれない。

現在三つの会社の経営者、書家として『継未 -TUGUMI-』書道塾の先生、プレゼンテーションクリエイターの第一人者、ビジネス書の著者、大学の客員教授、それ以外にも様々な肩書きと場を持っている。

書の生徒は全国に700名以上。プレゼンやマネジメントなどの講演・研修・コンサルティングは年間200社以上。著書は10冊を超える。さらに国内外で書の揮毫(きごう)やライブパフォーマンスも行っており、メディアやSNSで目にしない日はない。

様々な肩書をもつ前田鎌利先生

彼の進化はとどまることを知らず、まさしくハイカロリーな生き様である。忙しさは計り知れないが、纏う空気感はゆったりと穏やかで優しい。

この原動力はどこからきているのだろう、エネルギーの源はなんなのだろう。

何度と続く長い緊急事態宣言中においては、新たな試みとして「一日一作品」を作っている。Instagramなどでご存知の方、ご覧になられた方もいらっしゃるだろう。

そんな彼に、「和を想う理由」について尋ねてみた。

いつものオールブラックでも、袴姿でもなく、とても珍しい”着流し”姿での登場だ。

前田鎌利先生は着流しでご登場

書とはこころ

前田鎌利先生の書

緊急事態宣言中、書家として、書で多くの方を勇気づけたいと「一日一作品」を作りはじめた。
(一日一書 https://1nichi1sho.base.shop

鎌利氏の書を拝見すると、文字によって印象が大きく異なる。
あえて書風は定めないようにしているとのこと。

「書家として何か表現するときに使うツールは書です。そのときにその感情を表現するにふさわしい言葉を選びます。そしてそこに筆触が加わり、線の太細、筆の進め方の早遅などの表現が作用していきます。それらによって、作品からの伝わり方が違ってくるのです」

手書き自体が貴重になりつつある昨今、タイプしただけの文字面と比べると相手への伝わり方、相手の受け止め方は全然違うだろう。

一日一書で日々生み出される言葉は、どこから浮かんでくるのだろうか。

「前の日のふとした瞬間に感じたこともあれば、朝起きた時に思ったこともあります。これまでの人生の中で触れた言葉や、本を読んで感銘を受けたことなど、さまざまなところに言葉のスイッチがあるんです。「いい言葉だ」と認識した時はノートに書き留めています。その言葉の引き出しからも一日一書の言葉は出てきますね」

「言葉ってやっぱりその人自身が出てくるよね」

「どういう言葉を選ぶのか、なぜその言葉を選んだのか、その意思決定のプロセスをとても大切にしています。言葉自体が一人歩きするものですから、なぜその言葉が自分に留まったのかを自分と向き合って言語化するようにしています」

前田鎌利先生が紡ぐ言葉
書に命をふきこむ前田鎌利先生

書家の中で、書は表現される前から創作の営みが既に始まっている。

筆が紙の上に触れた瞬間に、書の命が吹き込まれる。

「普段の会話の中で、ポジティブな言葉を選ぶ人もいれば、ネガティブな言葉を選ぶ人もいます。社会に対する不平や不満が伝わってくる言葉を選ぶ人もいれば、多くの人々を幸せにするための言葉を選ぶ人もいます。

どういった言葉を選ぶのか。そこにその人の個性・感性・価値観・哲学みたいなものが大きく影響していると思います」

選ぶワードについて

日々内観することが癖になっているという鎌利氏。

書家だから、書に心をここまで注げるのか。書に心をここまで注げるから、書家なのか。

彼の書から感じる心はもっともっと深い。

海外から書を見ると

前田鎌利先生と海外でのパフォーマンス

国内にとどまらず、海外でも書の揮毫やライブパフォーマンスを行なっている鎌利氏。海外での様子を伺ってみた。

「日本人にとって書家が書を書くことは当たり前ですが、海外では書のパフォーマンスを目の当たりにすることが稀有なためか、もの珍しく見てくれます。特にヨーロッパに行くとそれを痛感しますね。おそらく筆の文化がアジア圏の一部だけ残っていることに起因するんだと思います。筆を立てて黒い線をただ引くことはヨーロッパで書くときの方が圧倒的にインパクトがあるように感じるんです」

「みんな興味を持ってパフォーマンスを見るし、終わった後も色んなことを聞いてきます」

一番印象に残っているのは、スイスのチューリッヒとのこと。

スイスの禅道場でのエピソード

「スイスにある禅道場に呼ばれて、般若心経を壁面に書きました。色んな人が見てくれましたが、その中で書き終わった後に、一人の女の子が僕のところに駆け寄ってきて作品を目の前にして”Amaging”って言ってくれたんです。

その日の夜、その女の子のお母さんからお礼のメールと一枚の写真が送られてきたんです。その子はごはんも食べず部屋にこもって、子供用の小さな黒板に彼女なりの般若心経を見よう見まねで書いてくれていました」

「彼女の書いた作品を見ながら、このとき文化が未来へ繋がったなって思えたんです」

「書を見て、上手とか下手なんていう価値基準ではなくて、これってすごく好きだな!私もやってみたい!作ってみたい!と思って、自分なりに表現してくれたのがすごくうれしくて、僕の中でも印象に残る出来事だったな」

たとえ文字が読めなくても、意味がわからなくても、伝わる何かがある。

書という存在は書家から命を注がれると、何かを強く伝える力が備わるのかもしれない。
もちろん何を感じるかは受け手にすべて委ねられるが―

いずれ『ANOTHER SKY』に出演することになったら、成長したその少女とスイスで再会することになるだろう。

(スイスの少女の作品は、著書『ミニマム・プレゼンテーション』参照)

出会いは5歳

前田鎌利先生と書との出会い

地元の福井県は書道が盛んで、書道教育に力を入れていた。一生懸命やったら成果が出た。ほめられることがうれしくて続けた。

そんな中、小学6年生の時に衝撃の事実を両親から告げられる。

両親は両親ではなく、実父の父母(祖父母)であった。
一歳の時に実父が他界し、養子として引き取り、弟と共に育ててくれていたこと。大正生まれで読み書きがあまりできずに苦労したので、同じ辛い思いをさせたくないからと書を習わせてくれていたこともその時、知った。

当時まだ幼い鎌利少年を想像するだけで、誰しも心が締め付けられるだろう。
真実を受け止め、芽生えた気持ちを活かすことはそうそうできることではない。

前田鎌利先生の帯姿

「自分の中で書と向き合ったときに、ただ単に良い字を書いて賞を取ったりほめられたりすることでなくがうれしいというところから、そういう念い(おもい)を持った両親のもとで書を習わせてもらえていたことを知ってスイッチが入りましたね。

書に対する向き合い方がそれまでとは違っていきました。もっと真剣に書と向き合わなきゃって」

「その一方で両親が高齢なことも、そのときにあらためて気づいたんです。祖父母を働かせて自分だけ書を書いていていいんだろうか?学校に行っていていいんだろうかって。だから書を続けるより、本質的には学校をやめて働こうと思ったんです。まずは新聞配達のバイトをはじめました。
お小遣いもいらない、お年玉もいらない。とにかく仕事しなきゃ、働かなきゃって思ったんですね」

鎌利青年の家族への健気な想いとは裏腹に、何度となく両親に諭され導かれていく。

小学校はちゃんと出なさい、中学校は義務教育だから出なさい。
高校から働こうと思ったら、今は学がないとだめだから進学校へ行きなさい。
大学は出ないと、大学行くなら学校の先生になってほしいと。

「学校の先生は書を教えられるし、書家にもなれる、そして両親の想いにも応えられる。それなら書の先生になりたいなと、書で受けられる大学を片っ端から調べました。
私立に通えるほど裕福ではなかったので、なるべくお金がかからない国立で書道ができるところを探したんです。そして東京学芸大学の書道科を受験することにしました」

両親の深い愛情があり、本人の強い想いと努力があり、無事入学となる。

「両親には感謝しかない」と鎌利氏は語る。

このまま書家になると思いきや、その前にもう一つの道が拓かれる。それがプレゼンテーションクリエーターへの礎となっていく。

書と着物① 鎌利氏にとって

前田鎌利先生に着物について伺う

国内外の揮毫やライブパフォーマンスにおいて、よく袴をお召しになっているようで、着物に関していろいろと伺ってみた。

「海外に行けば行くほど、和装は日本の伝統的な民族衣装だと認識します。わかりやすいアイコンとして皆さん理解されています」

着物はとても身近な存在だったという鎌利氏。それもそのはず母の袖子(そでこ)さんは着付けの先生であった。

また家族と過ごした記憶も鮮明によみがえってくるとのこと。

「地元の福井県鯖江市では夏になると、神社や商店街などで『やっしき祭り』という盆踊りがあって、みんなが踊るんです。
その時は必ず浴衣を着てましたね。お袋と一緒に踊ってました。だから着物に対して全く抵抗がなくて。

お袋は僕が自分で着れるようになるところまで、着付けを覚えることは強いませんでした。着付けをすることはお袋のやりがいだったからあまり教えようとはしなかったのかもしれません。
それよりも、僕は夏祭りの時に着物や浴衣を着て、お袋と一緒に踊って楽しめたことが嬉しかったな。」

ご実家には、懐かしい思い出とともにお母様の着物がいっぱいあるようだ。

お母さまとの思い出

続く後編では、鎌利氏が書家として、またプレゼンテーションクリエーターとして至るまでのストーリー、「書と着物」に関してもさらに伺っていきます。

前田鎌利先生と継未にて

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