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初めての着物はやかんの熱で溶けた。 落語家 三代目 柳亭小痴楽さん (前編)

初めての着物はやかんの熱で溶けた。 落語家 三代目 柳亭小痴楽さん (前編)

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近年の落語ブームを牽引する二ツ目として活躍し、昨年9月に真打昇進した三代目柳亭小痴楽さん。落語家の父を持ち、幼いころから着物姿をみていた影響か、若手真打の中でも名の知れた着物好き。年収の三分の一を着物に使うとの噂も。落語家の着物の流儀、男着物の選び方、粋な着こなしについてうかがいました。

“江戸の粋”を感じさせる落語家

”柳亭小痴楽””浅草””落語家””男着物”

五代目柳亭痴楽の次男として生まれ、16歳で二代目桂平治(現・十一代目桂文治)へ入門し、「桂ち太郎」で初高座。その後、父・五代目柳亭痴楽の門下へ移り「柳亭ち太郎」と名を改めます。
2009年の父・痴楽没後、二ツ目昇進し、「三代目柳亭小痴楽」に。

二ツ目時代は、落語芸術協会所属の落語家、講談師で構成されたユニット「成金」のリーダー格を務め、NHK Eテレのトークバラエティ番組「落語ディーパー!」にはレギュラー出演と、人気落語家の道を歩んできました。

そして昨年の2019年9月、ついに真打へ昇進。
華があり、軽妙な語り口で噺に引き込む実力派として活躍中です。

日本で一番着物を着る職業とは

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『落語家と楽しむ男着物』(矢内裕子著・河出書房新社刊)という本の冒頭に、「日本で一番、着物を着る職業は落語家ではないか」と書かれている。
確かに、その通りかもしれない。衣装係が用意する着物ではなく、舞台である高座に上がるときに着る着物は、基本的に落語家が自分たちで用意するもの。
高座でみせる彼らの着物姿は、芸と一体となり、着こなれていて、また、人によって着こなしも、着物の選び方も違い、個性豊かである。

その中でも、この本に登場する柳亭小痴楽さんは若手真打きっての着物好き。二ツ目時代は年収の三分の一を着物に費やしたという逸話もあるくらいだ。また、彼の落語同様、これぞ“江戸っ子”という粋さが着物に対するスタンスからみえてくるのである。

そんな小痴楽さんに、着物にまつわるお話を、貴重なエピソードを交え聞かせてもらいました。

その日の着物によって噺は変わるのか

10月上旬、浅草演芸ホール前に現れた柳亭小痴楽さん。
この日の着物は、柔らかものの御召の単衣に、光沢感のある羽織。グレーで品よくまとめられたコーディネートは、すっとしたいいとこの若旦那風。

「今日着てるのは、僕の中では派手なほうなんです。光沢込みで、派手に見えるというか。あんまりこれで職人の噺をやったりはしないです。
八つぁんやご隠居とかはやれるけど、職人…大工やるには、ちょっと華やか。その線引きは、絶対ではないので、そこまで頑なではないですけどね。
二ツ目の半ばのときは面白くて、袖をちょっとだけ詰めて仕立てたりして、これは職人の噺用、とか。そういうのをバカみたいにやってたけど、いまはめんどくさくなってやめちゃった」

二ツ目時代のインタビューでは、年収の三分の一は着物に使っていたとお話しされていた。

「その当時は年収が2〜300万円だったんですよ。それだって、直し代とか、僕はシーズン終わったら洗い張りに出すので、ほどいて洗ってっていう、そういうメンテナンス込み、維持費込みの値段だったと思います。毎年着物を買っているわけでもないですし。この話、いろんな人からされるんですよね(笑)」

それだけインパクトがあったというか、落語家のユニフォームとしての着物への覚悟が表れていて、はっとされた方が多かったのでは。
それから、若手真打の中でも「着物といえば、小痴楽さん」というイメージがついた。

「僕だけじゃないんですけど、着物に凝ってる若手の中では上位に絶対に入ると思います」

着物への興味は父親への反発心から

”柳亭小痴楽””落語家””男着物”

小痴楽さんの、もともとの師匠だった桂文治師匠は、普段の生活から着物で過ごすことで有名。文治師匠をみて、着物に凝るようになったのだろうか。

「それも、もちろんあるんですけど、一番の理由は着道楽だった親父への反発心かもしれませんね。家にすごい量の着物があったんですよ。タンス3段、4段っていうのがドンドン。観音開きのやつが3棹くらいあって、それでワンシーズンなんです。
季節外れのものは呉服屋に全部預けていて、シーズン変わると、家に呉服屋が全部入れ替えにやってくるっていう。夏物は夏物で持って帰って、洗って保管しておいてくれるんですけど、もう、本当に尋常じゃない量だったんですよ。

僕自身は、洋服が昔から好きで、洋服だとモード系がどうとか、いろんなシルエットがあってのお洒落なんだけど、着物は形がシンプルじゃないですか。絶対に変わらない、同じシルエット。
じゃあ、なにでお洒落の差別化するかっていうと、着物は生地と色合わせと、あと小物で決まってくる。生地だって、ものによっては同じ絹でも、産地や織りによって光沢が変わってくる、縫い色の問題もあったりする。帯や羽織もできるし、襟もね。ここだけの色合わせで、ずいぶん差がついちゃう。

それで着物って面白いなって思って、僕は前座のときから着物を作ったりしてたんですけど、いい着物着てると、毎回師匠方に「これお父さんの?」って言われるんですよ、それがものすごく癪に障って。
しかも、言ってくる人ほど、着物にお金を使ってない人なんです。だから内心「おめえより使ってんだよ!」って、すごいイライラして(笑)。

それで、親父が遺した着物、だいたい全部あげちゃった。
それはもう「あんたたちとは違う! こっちはちゃんと金かけてるんだ!」っていう意味ですね」

初めての着物はやかんの熱で溶けた

”落語家””男着物”

入門し、着物に興味を持ち始めた小痴楽さんは、さっそく自分で着物を誂えようとする。

「一番最初は化繊でしたね。まだ化繊も何もわからないころです。先輩に自分で着物作りたいって言ったら、「じゃあ呉服屋さん教えてあげる」と。
「お金ないだろ?」って「安いやつがいいだろ?」って連れてかれたんで、「え?」とは、思ったんですよね。実際に出された反物見たら、どうも安っぽい。
でも反物だし、あんまりわかってなかったから、「じゃあこの柄で作ろう」って決めて、作って、できあがってさっそく着ました。

そのときは前座修行中だったので、師匠方へのお茶出しをやっていたんですね、そしたら、着物がやかんにペタってくっついて、溶けたんですよ。
着て10秒で、片袖溶けちゃって。それで、呉服屋に持っていって「なにこれ?」って言ったら、「ポリエステルは熱で溶けるよ、そりゃ」って。
知らなくて「なにそれ!」ってびっくり(笑)。
できあがったばっかりだから、サービスでお金とんないであげる、ってとりあえず直してくれて。

家に持って帰って、親父は当時もう半身不随だったんですけど、意識はあって手も半分動くんで、買ったばかりの着物みせたんですよ。
そしたら「触らせてみろ!」って触った瞬間に、「捨てとけこんなの! 化繊じゃねぇか!」って(笑)。
「え? なにそれ?」「化繊着てんじゃねぇ、バーカ!」って。うちの親父は化繊が嫌いだったんで、「ど素人か!」って言われて。いまでは違いもわかるようになって、化繊は化繊で好きになったけど。
それが初めての着物でしたね。その次に、自分で作ったのが小千谷紬でした」

とっておきの小千谷紬で仕立てを失敗…

”柳亭小痴楽””浅草””落語家””男着物”

化繊から、いきなり小千谷紬へ。

「うちの親父が小千谷の織物屋さんと知り合いで、反物を安く売ってもらったんです。

それで、どこで仕立てたらいいんだろうって言ってたら、ある師匠が呉服屋の仕立て屋さんを紹介してくれたんですね。ただ、そこがちょっと殿様商売的な感じで、僕が行ったら「なんか若いのが来た」みたいな反応で、寸法を適当に測るんですよ。両手ひろげて、パッパッパッて測って「もういいよ、あとは作っとく」って。

歌舞伎役者や、落語家の大御所の師匠が懇意にしてる老舗のところだったんで、ここまですごいお店だと、あんな適当な寸法で作れちゃうんだなって感心してたら、ブカブカのが仕上がってきちゃった。
なぜかというと、反物の幅のままカッティングせずに仕立てたから。僕はガリガリだったので、その幅で作ると身幅が余っちゃう。仕立て屋から、これはしょうがないって言われたんだけど、「しょうがないって言ったって、これダサいじゃん!」って。

仕方なく、またそれを人に相談したら、「うちの呉服屋紹介しようか」っていうことになって、やってもらったんです。できあがったら今度はツンツルテンでブカブカ。
ブカブカは今までの経験でくらってるけど、ツンツルテンってどういうことだ、と。でも、かなりの上の立場の人に教えてもらったものだから、文句言うわけにもいかなくて。僕、上野で泣いちゃって。

この反物、かなり高かったんですよ。給金が前座で、月3万から5万のときに、15万ぐらいしたんです。だから、すごい思い入れがあって、2年間くらいお金貯めて、どこに仕立てようかな、とずっと残しといたやつだったので。ただ、怒っちゃいけない、っていうので、泣いちゃったんです。

師匠のお墨付きで呉服屋へ殴り込み

そしたら、うちの一門のちょっと上の先輩が、たまたま通りかかって「どうしたの?」と。そこは一門で通っているところだったので、説明したら「その紹介してくれた師匠に相談してごらん」と。
僕が喧嘩っ早いって性格を知ってくれてる師匠なので、電話するとすぐ「今、どこ?」「上野」「じゃあ引き返して、怒鳴っていいよ」って言ってくれて。「お前のやりたいように怒っていい。こっちでケツ持つから」って。

「ありがとうございます!」って言って、呉服屋に戻ったら、その師匠が電話してくれていたのか、いきなり「あの、師匠から電話をいただきました。痴楽師匠のご子息だと思わなくて。これから直しますから、今回仕立て代要りませんから」って。「さっきの寸法あってなかったもんね」って言われちゃって。
さっきは「こんなもんよ」みたいな感じだったのに、その態度の変わり方に我慢できなくなって、壁をボーン殴って「殺すぞお前ら!」ってね(笑)。
「二度とここには来ないから!」って言って出て、最後は別の呉服屋さんに行って直したのかな。

でも、やっぱりツンツルテンで仕立てられたので、もう直せなくて。余り切れが貰えるっていう知識もなかったし、呉服屋も渡してこなかったもんで、余り切れがなかったんですよ。
余り切れがあったら足して直せたんだろうけど、何年越しに貰いに行ってもあるわけないし、会いたくもないし。それで、ギリギリまで出せるだけ丈、出すね、ってやってくれて、着られるようにしてくれたんです。

ずっと着てたんですけど、焼けちゃって。白系だから焼けが目立っちゃう。それで羽織に直して、いまは羽織としてたまに着てるんです。
最近は、着物を作って飽きたら、だいたい羽織に直したりしちゃってるので、羽織の数も増えてきましたね」

(取材協力:浅草演芸ホール)

企画・構成/渋谷チカ
撮影/五十川満

ー 後編へつづく ー

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