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未来へ、実現したい夢 「今井茜 着ものがたり」

未来へ、実現したい夢 「今井茜 着ものがたり ―京都・ニューヨーク・東京」 vol.5(最終回)

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着付けレッスン、ヘアレクチャー、着物のデザイン企画と活躍の幅を広げる今井茜さん。 日舞との出会いから京都祇園の人気芸妓としての生活、単身渡米したニューヨークでの着付け教室開講から帰国し現在に至るまで… 「心身ともに美しい女性」になるまでの歩みを紐といてまいります。

「ニューヨークから活動の拠点を東京へ移されたきっかけは何でしたか?」

大好きなニューヨーク

大満喫のアメリカ生活を終え、2014年に家族の仕事の関係で帰国しました。

これも何かのタイミングと思い、ゆっくりしようと帰国してからのことは計画せず、帰国後はたまにNYへ行ったりと仕事をするくらいでした。NYの生活が大変身体に合っていたようで、帰国後の一年間はずっと「戻りたい」と思いながら日々を過ごしていました。

どこのお医者さんに行っても原因が不明だったのですが、引越しや環境の変化が身体にあらわれて全身の湿疹や他の症状に悩まされました。お薬の副作用でムーンフェイスという症状が出ることもあり、本当につらい時期でしたね。

京都やニューヨークへ移住する時は目標が決まっていたので楽しく過ごせたのですが、東京暮らしがはじめての上、仕事の計画を立てていなかったことが原因かと思います。動けない自分に対して挫折感を味わった一年でした。

「帰国後最初の一年は大変だったのですね。今振り返って東京での活動に影響を与えるようなニューヨークでのエピソードはありますか?」

渡米して数か月で、50人くらいの前でのスピーチを急にお願いされたことがありました。
私もよく「やる」と言ったなと思うのですが、もちろん全く話せず、オファーして下さった方がフォローに入る始末でした。今となっては笑えるのですが、アメリカ生活最大のトラウマになりました。これがきっかけで、できるだけ現在も英語にふれるようにしています。

英語を話すトラウマが薄れるきっかけになったのは、アメリカに親戚ができたことでした。結婚して家族ができたことで、英会話に慣れる環境ができたことが大きかったです。サンクスギビング、クリスマス、お正月、それ以外も行事ごとに家族で集まることが多くありました。

私は「いつも挑戦中」という気分だったので、海外で根をおろしている大人といることが大変新鮮でした。家族でアンティークモール巡りに行ってオークションに参加したり…アンティーク好きになったのも、親戚のおかげです。

アンティークといえば、舞妓の時からずっと探し続けているものがあります。ジョージジェンセンのアンティークキーホルダーです。舞妓時代は絵の先生方の写生会に呼んでいただくことが多かったのですが、よく呼んでいただいていたのが三輪良平先生でした。本当に先生が大好きで、自分のおじいちゃんに会えるような感覚でした。

ジョージジェンセンのキーホルダーを探す

ある時、写生の休憩時間に先生がなくしてしまった大切なキーホルダーの話をしてくれました。先生はお孫さんの話以外あまり自分の話をするタイプではなかったので、よっぽどのことだと思って次の日に高島屋さんへ行き聞いてみました。その時もみつからなかったのですが、ニューヨークへ行ってからも他の国へ行っても、アンティークのお店に行けば必ずたずねています。少し英語が話せるようになってからは本店へも電話をしたのですが、その形の資料がないということでした。

三輪良平先生が描いてくださった絵

残念ながら先生は他界されていて、もしみつかっても、もう見てもらうことはできません。写真は先生に描いてもらった絵です。これからも探し続けて、もしいつかみつかったら、お孫さんに見せてあげたい、と思っております。

とても想い出に残っていることのひとつに、日本在住アメリカ人写真家とのエピソードがあります。京都で芸舞妓も撮っている方で、日本では一度も会話をしたことはありませんでしたが、写真を撮るときはいつも忙しい芸舞妓を気遣って下さるような方でした。渡米して数年後、たまたま乗ったニューヨークの地下鉄で「Teruhinaーsan?」と声をかけられて。

その時は私のNY生活の中でも転換期で、大満喫はしていてもいろいろなことに悩んだり、今自分が努力しておくことは何なのかを深く考えている時でした。

そのような時にまさか、ニューヨークで芸舞妓時代の名前を呼ばれるなんて思ってもみなかったことです。アメリカへ行って3年、いつも苦しい時は「何も知らない10代の頃に親元を離れて京都でがんばれたのだから大丈夫だ」と自分に言い聞かせていました。全て自分で選んだ道なのだから、どんなことが起こっても人のせいにしたくなかったですし、いつも行きつく自分への質問は「本当に目一杯やれていたのか?」という問いかけでした。

後に知るのですが、その時のことをその写真家の方はブログに書いてくれていました。実はそのブログを最近になって読んだのですが…感動して涙してしまいました。彼もその時期は大変な時期だったことを書いていました。

「I have only had three encounters with Teruhina, but her kindness touched my life in ways she will probably never know. I will never forget rushing to catch up to her on that Gion Street or seeing her in New York during one of the darkest times in my life. It’s amazing how one person can touch another’s life without even realizing it.」
By John Paul Foster www.johnpaulfoster.com/

「私は照ひなと三回しか会えなかったけれど、彼女は彼女の優しさが私を動かしたころを知る由もないでしょう。私は人生で最もつらい時期に祇園の街で彼女を追い、またNYで彼女を見かけたことを忘れないでしょう。一人の人が知ることなく別の人の人生にふれることができるということは、なんてすばらしいんだ。」 (原文はこちら

ふたりとも苦しい時期に、同じ土地、同じ時間、同じ車両で出会えた偶然を強く覚えています。

私自身も彼のおかげで自分をみつめ直せましたし、京都時代のことを思い出させてくれるできごとでした。私はいつでも誰かの転換期に一緒に感動したり、苦しんだり、一緒に笑えるような人間になりたいと思っていましたし、現在もそれは変わりません。主宰する教室で生徒さんが綺麗に変化していく姿に感動し、その瞬間に立ち会えることが教室をする楽しみです。

そしてもうひとつ、人生における大きな出会いがありました。それは『TATCHA(タッチャ)』というアメリカの化粧品ブランドの創業者・Ms.Vicky Tsai(ビッキー ツァイ)との出会いでした。彼女は起業当初より日本人女性の美を研究し、それを製品のモチーフにしています。彼女に影響を受けたことは、彼女の信念と情熱と一生懸命さです。文字にすると簡単ですが、日本人ではない方が、日本の美の文化を自国アメリカで根付かせようとすることは並大抵のことではなかったと思います。

出会った時にはまだ、あぶら取り紙とその他の商品が少しあるくらいでした。いつもキャリーバックに一杯の資料を詰めて、「私が化粧品にして伝えたい日本の美について、プレゼンに行ってくるわ!」と、キラキラした瞳でアメリカ中を駆け回っていました。誰よりも勉強し、研究し、いつもビジネスの話ではなく、「この人のここがすばらしいから茜もぜひ会ってみて!」と言っていました。彼女から、現地で活躍する人を会わせてあげよう、一緒に成功しよう、という気持ちが伝わってきました。誰かを幸せにすること、また喜ばせることを真剣に考えている、私が心から尊敬する起業家です。

TACHA創業者との出会い

写真は、香港や上海で展開するデパートLaneCrawford(レーンクロフォード)です。私はブランドアンバサダーとして活動させていただきましたが、少しでも関われたことを大変うれしく思っています。

「日本で着付け教室をはじめて、ニューヨークとの違いはありましたか?」

東京では、無理をしないで自然発生的に活動をしていました。ゆっくりと休むことを決めてから10ヵ月ほどたったころ、ニューヨーク時代にお世話になった方とお話しをすることがありました。

ニューヨークのことを発信しているブロガーであり、『RishNY』というアパレルの会社をされている実業家のコモンるみさんに発信していただいたことがきっかけで、2015年の初旬に、着付け教室第一期生の募集をはじめました。

るみさんのおかげで100名近い問い合わせがありました。お茶のお点前の後に説明会を開催するというかたちにして直接お目にかかり、その中の数十人の方が教室に通いはじめてくださいました。今年になり京都で教室を開催した際にも、その時にブログを見て「いつか関西で開催するなら」とお申し込みをして下さった方がいらっしゃいました。5年も前から興味を持って下さり大変にありがたいことです。

畳のすばらしさを実感

ニューヨークではプライベートの教室は自宅で行っていたのですが、畳を取り寄せて床に敷いていました。日本に帰国してからは、身近に畳のある生活になりました。布団を敷けばベッドになる。何かを置けば机になる。毛氈を引いて物を置けば陳列棚になる…日本にいれば当然のことですが、畳のすばらしさを実感しています。

教室をする上でニューヨークとの違いはありません。生徒様はみな「ただ着るだけじゃなく、綺麗に着たい」という目的があって教室にお越しいただいていました。私も、教室を通して「きもの美人になるための近道」をお伝えしています。着姿に自信を持って外に出られるようにお手伝いできればと思っています。

「ニューヨークでは呉服業をされていたとお聞きしましたが、日本ではどのような活動をされていますか?」

現在、ニューヨークの時のような呉服店としての販売や展示会はしていません。日本にはたくさんすばらしい呉服屋さんがありますので、日本で販売をすることは当初から考えていませんでした。

コーディネートやデザイン、着付け教室、レクチャーなど、着物屋さんや問屋さんの潤滑油としての役割を担いたいと思っていました。

『京風きつけ教室』は、ニューヨークで行っていたレクチャーに手を加え、2015年に再開しました。「きものファンを増やす、きもの美人を増やす」という目的で『きもの美人への近道』というシリーズを行っています。着物に関する様々なことをレクチャーにし、シリーズ化したものです。

京都きもの市場・へレクチャーのイベント会場にて
ものづくりにも関わる

その他には、先述の化粧品ブランド『TATCHA(タッチャ)』の関係で、アメリカへ呼んでいただいたりしています。お客様が日本にいらしたときに旅行の企画を提案し、アテンドもさせてていただいています。アメリカ留学する際の目標だった旅行の企画ができ「点は繋がり線になるものだ」と実感しています。

自分がやりたかったことに近づいているのは、ニューヨークでお世話になった奥様から「今まで以上にプロフェッショナルな分野を勉強して実際にプロとして仕事をしてなければいけない」と教えていただき、少しでも着物のビジネスをさせてもらっていたからこそだと思いました。

現在、日本の着物の会社からコーディネートとデザインのお仕事をいただいております。自分のイメージや自分が絵で描いたものが形になることで、新しい目標や研究したいことを発見しました。

これからの活動として、ひとつはメーカーさんと一緒にものづくりを計画しています。生地から制作に関わり、ひとつのブランドラインとしてできあがるまで、今後その様子をおみせできればと考えています。

そしてもうひとつは本の執筆です。お話をいただきましたので、こちらのコラムでは書ききれなかったことや教室の内容、レクチャーの内容、コーディネートの例なども入れる予定です。ただのノウハウ本ではなく、母に読んでもらった絵本のように、何度も何度も読まれるような本を作りたいと思っています。

ニューヨーク時代、紀伊国屋書店の方に「店頭にどんな着物の本を置けばよいでしょう?」と聞かれたことがあります。ニューヨークで「着物のことはこの人に聞けば良い」と思ってもらえたことがとてもうれしかった記憶があります。いつか自分の本が海外の書店に並ぶ日が来るのを楽しみにしています。

「日本で活動を再開されてからの出会いや、エピソードなどを教えてください。」

日本での活動の際にはたくさんの資料を持ち歩く

東京で活動を再開してからも、ニューヨーク時代からお世話になっている方に助けられました。『TATCHA(タッチャ)』のVickyがたくさんの資料を持って必死に駆け回っている姿を目の当たりにしていたので、日本での活動の際には、パワーポイントや自分の資料などをたくさん持参していろいろなところに営業にまわりました。

今思えば様々な大企業にアポイントを取り、よく一人で行ったなぁと思います。恥ずかしい思いもしながら地道に行いました。

ある方に、私が「着付け教室やレクチャーの活動をメインに潤滑油としての役割を念頭に置いている」と話したところ、「京都きもの市場さんの社長を紹介します」とご紹介下さいました。それがきっかけで社長や担当の方とお会いすることができて今があります。担当の方は「最初、元芸妓さんが自分で作ったパワーポイントや資料を持っていたことに驚いた」とおっしゃっていました。

「『美しいキモノ』2019年秋号では教室内容を全公開されていますが、どのような経緯だったのでしょうか?」

ある時期にふと「着付け教室の内容はハンバーグのレシピみたいなものだ」と思い至り、「誰にでもできる内容を着付け教室として行う意味」について考えたことがあります。

実際ハンバーグはレシピを見れば誰でも作れます。そしてレシピの手順自体も、さほど変わることはないと思います。着付けも本を見ればできますし、手順もさほど変わることはありません。

誰にでもできるとはいえ、おいしいハンバーグを作るポイントやなぜそのポイントが大事なのか、食べた時にどう違うのか、などを伝えたいと思いました。

そういった経緯から『美しいキモノ』さんから教室特集のお話をいただいたときに、「私なりのおいしいハンバーグのレシピを公開したい」と全公開に至りました。

料理のレシピ本を手にしても料理教室に通うように、着付け教室の内容を公開しても直接習いたいと思ってもらえるような教室、またそのような人になりたいと思いました。

教室は答え合わせの場としての役割もありますので、教室の内容全公開は、現在の生徒さんやこれからの生徒さんのためにも良いと思いました。

美しいキモノ2019年秋号

とても大事に作り上げてきた内容で、大切に伝えようと思ってやってきました。生徒さんにも「全内容を出すんですか?」と聞かれたことがあります。オープンにすることもできますし、そうしないこともできます。

私には「きものファンを増やす、きもの美人を作る」という目的がありますので、大事な内容だからこそみなさんに知っていただきたいと思いました。

「今後、実現したい夢はありますか?」

たくさんの方が、着物や日本文化の業界で活躍されています。私も、きものファン、きもの美人を探すことや、きもの美人になるためのお手伝いをしていきたいと思います。そしてゆっくりと自分のペースで、今後も勉強と研究を重ねていきたいと思います。

着物の制作と本の出版を実現した後には、さらなる夢があります。京都、NY、東京での経験を生かし「着物と旅行」の切り口で、日本人でも外国人でもどなたでも楽しめる旅行の企画を作り上げて行きたいと思います。

選ばれる人、教室でありたい

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