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京菓子司 俵屋吉富 9代目当主・石原 義清さん「京のつくり手語り」vol.9

京菓子司 俵屋吉富 9代目当主・石原 義清さん「京のつくり手語り」vol.9

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創業1755年の老舗「京菓子司 俵屋吉富」。同店の京銘菓「雲龍」が誕生から100年の節目を迎えた今、9代目当主・石原 義清さんに京都でモノづくりに携わることへの想いを伺いました。

2024.04.02

まなぶ

京菓子司 俵屋吉富 春色に染まる『花の袖』「和菓子のデザインから」vol.8

京都で3店舗、それぞれに特色の異なる店づくりで訪れる人を魅了する「京菓子司 俵屋吉富」。茶の湯の宗家のお膝元という立地柄、着物姿のお客さまも多い店内には、さりげない心配りが随所に光っています。

菓子づくりを経て、現在は店づくりに軸足を置いて邁進する9代目当主の石原 義清さんに、お客さまに寄り添う日々のなかで感じる京都らしいモノづくりについて、話を伺いました。

街と人とともにある店づくり

御所の北側エリアに本店と烏丸店、そして茶の湯文化の息づく小川通に店を構える俵屋吉富は、それぞれに異なる魅力を宿しています。

黒壁が落ち着いた雰囲気の本店はドラマのロケ地にもなったことのある老舗の風情があり、その本店と背中合わせに位置するモダンな烏丸店は大通りに面したアクセスの良さと、併設する京菓子資料館で学ぶ楽しさもある旗艦店

また、表千家・裏千家のお膝元の小川店では、お干菓子を中心に茶菓子に特化。こちらは白壁が印象的です。

「京菓子司 俵屋吉富」小川店

「京菓子司 俵屋吉富」小川店 撮影/かがたにのりこ

「小川店は元々、本店の写しとして造るつもりだったので黒壁の予定だったのですが、お家元がある周囲の街並みにそぐわない気がして白壁にしました」

自店だけが主張しすぎることなく周囲にスッと溶け込ませる、義清さんのこうした「引きの視点」は大学卒業後の経験によるもの

京菓子司 俵屋吉富」9代目当主・石原 義清さん

「京菓子司 俵屋吉富」9代目当主・石原 義清さん

大学卒業後に伊勢の「赤福」に勤め、老舗業の経営についての学びを重ねていた折、「おかげ横丁」の立ち上げ企画に参加。街並みづくりに携わったことが大きいといいます。

小川店のオープンは2006年の社長就任直後の大仕事。

宗家に向かうお茶人の方々が身だしなみを整えることが自然とできるようにと壁面を鏡に。お茶席を終えて立ち寄られた方々が足を楽に伸ばせる広々としたソファ席を設け、お手洗いのスペースもゆったり目にするなど、着物ユーザーに配慮した造りになっています。

「京菓子司 俵屋吉富」小川店の店内風景

「京菓子司 俵屋吉富」小川店の店内風景 撮影/かがたにのりこ

「お着物のお客さまが増えたことで初めて気づいたのですが、うちの山吹色の紙袋はお着物にとてもよく似合うんですね」

米俵の色ともされる山吹色。紙袋のリニューアルを検討したこともありましたが、やはりこのデザインを大切にしたいと感じたそうです。

「京菓子司 俵屋吉富」の紙袋

ここで裏話をひとつ。

山吹色は義清さんの祖父である七代目が好きだった煙草の箱に使われていた色でもあったそう。

「雅っていう京都限定の煙草だったかな。この色は目立つしええやないか、ということで当時は社用車もこの色だったんですよね」

「京菓子司 俵屋吉富」9代目当主・石原 義清さん

2018.11.22

よみもの

俵屋吉富 茶ろん たわらや 見惚れる『クリームあんみつ』 「京都・和の菓子めぐり」vol.3

京都らしさを裏切らない

俵屋吉富 茶室

烏丸店の茶室

京都でモノづくりをするうえで、心がけていることを伺うと、

「京都を愉しみに来られる方はどこかで『やっぱり京都やなぁ』と感じるポイントがあるわけじゃないですか。それが何かというのは、はっきりと言葉にはしにくいのですが、そういう“京都やなぁを裏切らない”ことですかね

そのためには伝統を受け継ぐだけでなく、少しずつ、そして時には大胆に手を入れることも。

「京菓子司 俵屋吉富」小川店のショーケース

小川店のショーケース 撮影/かがたにのりこ

小川店で一際目を惹く桜の木とガラスのショーケース。
引き出しを引いて、お干菓子を一品ずつ選び、自分好みの箱詰めができるのが醍醐味です。

このショーケースのヒントになったのは、海外のショコラティエ。

「ガラスケースの中に並んだ茶色いチョコレートの列を見て、これや!と思いました。
色彩豊かなお干菓子なら、どれほど素敵になるだろうか。お干菓子なら桜の木がいいなと。
当時の和菓子屋にはそんなショーケースはありませんから、設計士を連れてパリに視察にも行きました」

ショコラティエの他にヴァンドーム広場の宝石店にも足を運び、LEDライトが埋め込まれた棚の要素も取り入れることに。

そして、ここに並べるお干菓子ならばもう少しだけ一個一個が主張してもよかろうと、これまでのサイズより少し大きくしたというのだから驚きです。

それすなわち、すべての木型を作り直すということを意味するわけですから。

「京菓子司 俵屋吉富」小川店のショーケース

撮影/かがたにのりこ

「サイズはこれまでより少し大きく、その分、口どけは今まで以上に良くすることを追求しました。それが今の時代に求められているお干菓子のクオリティだと思ったんです。和菓子でも着物でも、やはりクオリティは大事ですよね」

京都という街には、和菓子に限らず、他の土地から集められた良質な素材を匠の技で銘品に仕立ててきた、モノづくりの歴史があります。

お干菓子のショーケースや紙袋の色選びなど、他ジャンルの良いところを咀嚼して独自の表現をつくりあげる俵屋吉富のスタイルは、実に京都的といえるのではないでしょうか。

辰年を雲龍とともに

小豆のおいしさを余すことなく伝える俵屋吉富の銘菓「雲龍」。2024年の辰年に誕生から100年の節目を迎えました。

「京菓子司 俵屋吉富」の銘菓「雲龍」

銘菓「雲龍」

「今年は辰年ということで、年明けからおつかいものとして雲龍をお買い上げいただくお客さまも大変多かったですし、改めて今年一年、うちの銘菓である雲龍をしっかりと皆さまに召し上がっていただきたいなと思います」

創業は260年近くになる俵屋吉富ですが、義清さんが伊勢から京都に戻ってきた35年ほど前は「雲龍さん」と呼ばれることのほうが多かったといいます。

確かに、今でもお店に電話をかけると「『雲龍』の俵屋吉富でございます」と返ってきますね。

「ようやく屋号が世の中に知られだしましたけれど、つい最近までそう呼ばれていたんです。それくらい大きな存在なんです。

もちろんそれだけにはならないよう、茶事のお菓子やホッと一息入れたいときに召し上がっていただけるような商品にも頑張って取り組んで参ります」

「京菓子司 俵屋吉富」9代目当主・石原 義清さん

同志社大学在学中は4年間茶道部に所属し、また、お仕事でも一時は着物が制服のようだった時代もあるとのことですが、「実は着物を自分で誂えたことがないんです」と、やや申し訳なさげに話す義清さん。

というのも、お祖父様もお父様も大変な着道楽だったうえに、体型がほとんど同じなので譲り受けたものをお手入れするだけで事足りるのだとか。このままいけば息子さんまで受け継げそうだと目を細めます。

その際に、息子さんに向けて口にするのが「手入れは自分でしなさいよ」という一言。

伝統と格式あるお店を受け継ぎながら、変えるべきは変え、守るべきは守ってきた義清さんらしい、京のつくり手ならではの本質をついたアドバイスのように思えたのでした。

撮影/スタジオヒサフジ

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