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アーティスト Junko Sophie Kakizaki さん (前編)

アーティスト Junko Sophie Kakizaki さん (前編)

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こしきゆかしき日本女性の和姿でありながら、時に天女のようなミステリアスな気配をまとうアーティスト、Junko Sophie Kakizaki(ソフィー・ジュンコ・カキザキ)さん。この世界観はどこからきているのか。着物への想いから、その根底にあるものについて伺いました。

1100年続く旧家に生まれて

1100年歴史をもつ旧家の生まれ

アーティスト、Junko Sophie Kakizaki(ジュンコ・ソフィー・カキザキ)さんは、1100年前の京都にルーツをもつ秋田県の旧家の生まれ。1900年代初頭、日本に初めてミロのヴィーナスを紹介した西洋美術史家の澤木四方吉は大叔父にあたるなど、芸術を愛する家族の影響で美術品に囲まれた生活を送ってきました。

幼少よりいけばなを学び、茶道をたしなんできたJunkoさんは、いけばな草月流師範を取得したのち、フラワーアレンジメントを学ぶためパリへ2年間留学。フランス国立園芸協会のⅠ級資格などを取得します。

パリへ留学時のJunkoさん
「パリで得たもののひとつに、”混沌のなかのエレガンス”という哲学があります。これはお花をいけるだけではなく、アートを制作するときに大切な指針となりました」
パリの恩師と着物で再会

パリではオートクチュール刺繍の学校へも通い、帰国後は独学でコスチュームジュエリー作りを習得するなど、いけばなとフランス式フラワーアレンジメントの双方から着想を得た作品を作り出す創作活動もはじめます。

自身で制作したヘッドレスをつけて
レッスンで制作したフラワーアレンジメントとヘッドドレスをつけて。
パリでは友人のファッションデザイナーのアパルトマンに滞在。
ファッションや美術談義に花を咲かせるのも楽しみのひとつ。
オートクチュール刺繍を行うJunkoさん
シャネルやクリスチャン・ディオールなどのドレスの刺繍を手がけるエコール・ルサージュ。
「祖母がオートクチュール刺繍の先生だったこともあり、幼い頃から身近でしたが、本場で学び祖母の思いを引き継いだようでうれしかったです」
伝統工芸を取り入れたヘッドドレス
漆や真田紐など、日本の伝統工芸品にフラワーアレンジメントのメソッドを融合させたジュエリーやヘッドドレスのデザインを行う。
(本品は昭和レトロ風の着物に合わせるイメージで制作)
小紋をリメイクしたドレスを着て。

また世界を広く旅することで日本の伝統工芸の美しさに目覚め、両祖母から譲り受けた着物をまとい、ヨーロッパ各地で日本の伝統文化や美についての講演や、着付けや茶道など
のデモンストレーションを行うように。

「着物の美」の講演にて
友人のアルベルト・モロさんが会長を務める在イタリア日本文化協会(Associazione culturale Giappone in Itaia)とのコラボで「着物の美」の講演と着付け、日本舞踊のデモンストレーションを行う。在ミラノ日本総領事夫妻も出席されるイベントに。
写真展のポスターに起用
同じく、アルベルト・モロさんがミラノで開催した日本文化を紹介する写真展のポスター。
写真集の表紙にも掲載される。
台湾でのワークショップ
毎月通っていた台湾でも、講演や茶道のデモンストレーションを行う。
台湾の友人からは台湾茶芸を教えてもらうなど、文化芸術の交流も意欲的に。
現地語で話すために中国語を学び、ゆくゆくは台湾にて京風礼法とプロトコールを合わせたサロンを開催予定。
またベトナムでのトータルビューティープロジェクトにて、日本伝統の作法や美容法のレクチャーやディレクションを行うコラボも進行中。
アメリカのテレビ局NBCのオリンピック特集番組
米テレビ局NBCの2020年オリンピック特集番組『日本の伝統文化を現代において実践する日本女性』出演

その着姿に芸術性を感じると、世界のアーティストたちが注目。彼らのインスピレーションの源となっています。2017年には、写真家のEverett Kennedy Brown(エバレット・ケネディ・ブラウン)氏と着物の文様のルーツとなる国々を訪れ、想像豊かな着物姿を撮影。ニューヨークのギャラリーをはじめ、アメリカ各地で展示されました。

NYの着物写真展示にて
ニューヨークのギャラリーにて(着物写真の展示)
NYにて生花を
ニューヨークまで赴き、展示会場にお花を活ける。
「世界各国で着物を着ていると現地の方の反応が興味深いのですが、ニューヨークではとても多くの方が、ステキ!と気さくに声をかけて下さいます」
友人のギリシャ人アーティストが制作した和紙の着物を着て京都で撮影。
(小泉八雲生誕170周年記念事業のひとつ)
ギリシャ、テッサロニキの美術館で展示。

今秋、南フランス、ギリシャでJunkoさんがディレクションし、着姿を撮影した作品が展示され、今後、イタリア、パリ、イスタンブール、台湾と、世界各地での展覧が続く予定。

現在はイタリアで出版される着物の書籍を制作中であり、和の美しさを体現するアーティストとして、日本の伝統文化や芸術を再解釈し、その魅力を精力的に世界へ発信しています。

祖母たちの遺した着物を着こなす姿は、まさにこしきゆかしき日本女性の姿。
それでいていつもどこかミステリアスなのは、ひとことでは言いあらわせないほどの経歴と活動がそうみせるのか。
この世界観はどこからきているのか…
着物への想いから、Junkoさんの根底にあるものについてうかがってみました。

ギリシャのアーティストが制作した和紙の着物
元来日本には和紙の着物が多く作られ文化人などに好まれていた。
ギリシャからの視点にて再発見するに至る。

祖母から受け継いだもの、使命感のはじまり

京都白龍園にて
京都で最も好きな庭のひとつ、白龍園。

お話をうかがった日にお召しになっていたのは、着物の帯もJunkoさんの祖母のもの。

「着物のほうですが、色合いがすばらしいんですよ。あとぱっと見ただけではわからないのですが、ところどころに沢瀉(おもだか)がいて、でもほかに入っている黒の文様は何の柄かわからず、ずっと調べているんです。染めなんですけれど、吊すとさらに織りで透かしの文様みたいなものも確認できて」

一般的なものしか作られなくなってきた昨今では珍しい、素材も染めも凝ったもの。経年のものとは思えないほど良い状態に整えられています。

「祖母は大変な着道楽で。誂えるだけ誂えて、しつけ糸がついたままというものも少なくありません。私が何十年ぶりにその糸を解いて着ています。この帯はたぶん、帯屋捨松さんのものじゃないかしら。ペルシャ唐花文のモダンなすくい織りです」

愛おしそうに受け継いだ着物について話すJunkoさんだが、一度はその着物をすべて手放そうとしたことがあった。

「私の先祖は、さかのぼると京都から1100年以上続く旧家なのですが、400〜500年前に本家が移り住んだ秋田県で私は生まれました。一人っ子だったこともあり、伝統ある淑女とはこうあるべきだと、母にとても厳しく育てられました。友達からも「Junkoちゃんのおうち、特殊だったよね」と言われるくらいで、母親に甘えた記憶がありません。師匠と弟子のような関係だったんです」

「とはいえ着物を着る機会は、いけばなやお茶のお稽古ごとで着る程度で。フランスへ留学してからは海外で過ごすことも多くなり、祖母から代々の相続品、桐箪笥ふた竿分も相続することになったのですが、受け取ったものの手つかずのままでした」

ほぼ開けることもなく世界を旅するうちに、台湾に惚れ込み移住を決意。ちょうど生まれ育った環境を重荷に感じていたこともあり、これをきっかけに新しい人生を、と思った。

「ただ、台湾は高温多湿なところですから、あれだけの量の着物を持って行くのは保管も含め、いろいろな面で困難で。人生をやり直すという意味もあって、すべて売り払ってしまおうとしたんです。
それで、引き取り業者に見積もりをお願いするにあたり、箪笥を開けてみたら、小さな漆の箱がでてきまして、その中に祖母が私宛に書いた手紙が入っていたんですね。

箱からは、当時祖母が愛用していたクリスチャンディオールの香水の香りがふわっと漂ってきて…さらには、海外在住だった祖父から日本の祖母へ宛てた手紙や、昔の写真もたくさんあって、完全に時が止まりました。

そして初めて、その着物たちをゆっくりみたんです。そうしたらめくるめく着物と帯の世界に圧倒されてしまいました。また、祖母の字で、誂えの家紋入りの畳紙にこの中にどういうものが入っているか、一枚一枚、全部丁寧に書いてあって。
着物は、職人さんが数ヶ月または1年、2年とかけて作るもので、それを祖母が1人で誂えていったのかと思うと涙があふれ、これは手放すものじゃない、と悟りました。

昭和初期、奈良公園での祖父母。
祖父は17年もの間海外駐在だったため、実はあまり着物を着ていなかったそう。

繊細な刺繍、手間暇かけた織り、八掛の色あわせの妙、色無地の染めの完璧な美しさ…息を飲むような職人の粋。祖母の実家は呉服商もしていて、三井越後屋呉服を源流にはじまった三井財閥とも深い関わりがありましたので、それだけの着物があったのだと思います」

それでも実際に複数の業者にみてもらったところ、伝統工芸の粋を尽くした着物たちに二束三文の値段しかつかなかったことにも驚いた。

「こんなにもすばらしい日本の文化なのに、まったく光が当たっていないことに愕然としました。と同時に、このすばらしさを人に伝えていかなくては、と使命感も湧いてきたのです」

Everettさんとの出会い、そしてミューズへ

着物から広がり世界へ

そんな折、ヨーロッパに散在する日本の伝統工芸品を修復するプロジェクトチームの一員として、フランスのアルザスへ施設の見学へ行くことに。そこで出会ったのが、同じプロジェクトチームのアメリカ人写真家、そして作家でもあるEverett Kennedy Brownさんでした。

「私が託された着物の話をすると、彼は「君がそのときに着物を残そうとしたのは、きっとお導き。お祖母さまが着ていた着物、誂えてくれた着物を君が着て、僕たちの作品を残していこう」と提案してくださいました。

「これは君の先祖の歴史。君もその歴史の一部を作っているんだよ。着物の美を後世に伝えていくという意味もある」とも。

それで、その着物を着て、いろいろな日本や世界の美しいところへ行き、作品を残していこうということになりました。四季折々、日本や世界の各地で写真を撮っています。
毎回、それぞれの場所から湧き上がる物語をつくり、それにあわせて着物を支度することは、私にとってこれまでにない創造の世界でした。着物や帯の格あわせや文様、季節を意識すること、それはあらためて、日本の伝統文化を学びなおす機会になったのですね」

祖母の着物を使った作品
日本の風情あるところを選び、作品を撮影する。
ろうけつ染めで洋花(バラ)をあしらった着物を着て。
「おしゃれな祖母が西洋に憧れ誂えたのでしょう」
祖母の着物を使った作品
東洋文化研究家、アレックス・カーさんの邸宅にて

Everettさんにとって、Junkoさんはミューズ。
2人は、日本のみならず世界中の都市で着物をまとい、作品を作っていく。
イタリアの出版社から出版予定の着物の本『The World of Junko Sophie Kakizaki』(仮題)の写真はすべてEverettさんの撮影によるもの。

旅しながら作品を作っていくなかで、Junkoさんに変化が生まれる。

「祖母や、ときには曽祖母の着物をまとうようになって、先祖とのつながりを意識するようになりました。これを着ていた祖母はいくつで、どういう気持ちだったのかと。自然と祖母の面影と対話するようになっていたんです。そしたら、代々受け継ぐものは重荷だけではなく、優しい思いも多分にあるのだと祖母の愛情も感じるようになりました」

着物で引き出される日本人女性の優美さ

小泉八雲の旧居にて
松江にある小泉八雲の旧居。
ギリシャ人でありながら日本の面影を追求しつづけた八雲の佇まいを感じる。

海外からみる着物のイメージは、ときにエキセントリックだったり、エロチシズムに傾いて捉えられたりすることもある。Junkoさんが伝えたい着物のイメージとは。

「外国のセレブリティの方が、着物の羽織をドレスにあわせたりジーンズにあわせたりする、それもすごくおしゃれで素敵です。それは完全に着物を超えてひとつのファッションになっている。
ただ逆に最近は、オーセンティックな古きよき着物のイメージが少ないな、と感じています。おそらく祖母の代くらいまでは「日本人女性の優美さ」が真に体現されていたと思うので、それを私なりに継承して作品にも残していきたい。そういうこしきゆかしき日本女性の着物姿というものも知ってもらうことで、日本文化を学びたい、嗜みたい、と感じるきっかけになったらいいな、と思っています」

現在のメインの活動は、自身の文化・芸術活動のほか、海外に日本文化を紹介すること。
Everettさんとの出会いをきっかけとしてさらに強まった「使命感」ですが、日本女性にとくに伝えたいことがあるとのこと。Junkoさんのなかには、海外での生活で体感した確信があります。

「私がパリに住んでいたときに思い知ったことですが、日本人女性にとって着物という装いが、一番美しくみえるのです。
洋服は西洋人のあらゆる条件に合わせて作られたものであり、着物は日本人のために、日本人のいろいろな条件に合わせて長い間ためして、日本人が美しく見えるように出来上がったものだということを思い知らされました。それに、着物を着ることで日本人の伝統的な身体感覚が自然と整えられ、優雅な物腰になるのです。とても美人な友人が洋服では普通に美しいなという感じだったのが、パリで着物を着たら、フランス人が全員かすむくらい際立っていました。それはそれは魅力的で」

友人で、パリのミシュラン2つ星レストランのジェローム・バンクテルシェフと
パリで会うたびに日本の伝統食材を紹介。
シェフからは新しいお料理やデザートをいただいて意見交換。
「祖父母ともに美食家で母は料理研究家。DNAなのか、食には自分なりのこだわりがあります」

着物をまとうことで起きるミラクル

「また、着物を着ているだけでいろいろなミラクルもあります。とてもいいことが起きますので、着物に興味をお持ちの方にはぜひとも経験していただきたいです。

私の場合ですが、ちょうど1年前くらいに、世界の美術館や博物館の館長が集まる国際博物館会議が京都で初めて行われました。
そのレセプションパーティーの帰りに、お蕎麦屋に行きましたら、たまたまそこに出席されていたスウェーデンの美術館の館長さんたちがいらっしゃっていて。着物を着ているということで、思わず話しかけてくださいました。
それをきっかけに、「来年スウェーデンの美術館で着物展をやるのよ。ぜひ、あなたそれに関わってほしい」とオファーをいただいたりということがありました。

とくに海外では、着物を美しく纏い、エレガントな振る舞いをする日本女性には、特別な出来事や待遇が待っています。

ドバイの友人の紹介で、イスタンブールの映画制作会社の会長、社長と会ったときには、私の着物姿をみて、着物を着た日本女性とフランス男性とのイスタンブールを舞台にした恋物語の映画を作りたい、というお話しもいただきました。着物は、ベールをかぶるとイスラムの街にもすごくマッチするので、実現するのを楽しみにしています」

イスタンブールで宝相華文の着物を
イスタンブールで映画の舞台にと考えている場所。宝相華文の着物にて。

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