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千五郎家における縁の下の山の神 「大蔵流狂言師・茂山千五郎家の365日」vol.8

千五郎家における縁の下の山の神 「大蔵流狂言師・茂山千五郎家の365日」vol.8

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室町時代からの歴史を誇る伝統芸能・狂言を生業とする大蔵流狂言師・茂山千五郎家の行事に密着するなかで、狂言師の仕事を陰で支える奥様方の存在がいかに重要かを知りました。今回お届けするのは、ご当主・千五郎さんの御母堂である恵津子さんと、その義妹である七五三夫人・紀世江さんの愉快な対談です。

2025.02.04

まなぶ

福はうち~!良き鬼からの厄除け豆 「大蔵流狂言師・茂山千五郎家の365日」vol.7

「昔は一年中、手紙を書いてましたね」

桃の節句がある3月は、千五郎家の奥様方に注目する特別回をお送りします。

お越しくださったのは、茂山千五郎家当主である茂山千五郎さんと茂さん兄弟の母・恵津子さんと、その義妹であり、茂山宗彦さんと逸平さん兄弟の母・紀世江きよえさん。

恵津子さんが茂山千五郎家に嫁ぐことになったのは、いまから53年前のこと。その2年後に、紀世江さんがまだ銀行員との二足の草鞋を履いていた茂山七五三しめさんと結婚しました。

対談風景

茂山恵津子さん(左)と茂山紀世江さん(右)は50年にわたって茂山千五郎家を支えてきた義姉妹

――梨園や角界同様、狂言師の家に嫁ぐ=大変そうというイメージがありますが……

恵津子さん:そうですねぇ。お仕事相手への案内状やお世話になっている方々への礼状などをお送りするのは我々の務めでした。昭和のアナログ時代ですからもちろん全部手書きです。

紀世江さん:学校狂言の案内だけでも、多いときで3000通くらい宛名書きしてましたね。

恵津子さん:義母と先代の千之丞の奥さんと紀世江さんと私で、一年中、手紙書いてましたね(苦笑)。年賀状だけでも毎年800~1000枚くらいお送りしていました。その後、時代と共に段々便利になって、ワープロができて、パソコンが導入されて。事務所も構えて、事務的な作業はスタッフさんが担ってくれていますので、いまでは手が痛くなるほど書くこともなくなりました。

床の間に飾られた雛人形

床の間に飾られた雛人形

紀世江さん:いつだったか、印刷したものをお送りしたらお客様からクレームがきたこともあって

恵津子さん:いまではプリンターを使っても何にも問題ないですが、その頃はまだ手書きが丁寧という時代でしたから……

紀世江さん:えらい権幕で怒られて。ドキドキしましたよ。それを思ったら、いい時代になったね。

掛け軸もお雛様で

掛け軸もお雛様で

「全部ひっくるめていい時代でした」

――茂山千五郎家のみなさんは仲がいいようにお見受けしますが、奥様方の関係性はいかがですか?

紀世江さん:オイルショックの頃に新居となるマンションが建たず、しばらく本家に居候させてもらってたことがあったんです。いま思えば楽しかったですね。食事の支度をお義姉さんがして、料理が得意でなかった私は片付け担当でした。子どもを寝かしつけて、夫たちが帰ってくるまでのつかの間に、トランプや花札に興じたりして。

恵津子さん:私は台所仕事をしていました。本来なら家のことは全部ひとりでやらなあかんなか、祖母・義母・義妹と分担制にできたのは助かりました。それはいまでも同じで、それぞれに自分のやることを心得て、役目を果たしています。

紀世江さん:お嫁ちゃんらもみな、仲良しやね。調和が取れてると思います。

――得手不得手でお互いにカバーできるのは素敵ですね。

恵津子さん

夫である五世千作さんの素顔について訊けば、「板(=舞台)を降りたらふつうのおじさん」と笑う恵津子さん

恵津子さん:唐相撲公演のときは大変でした。生地を集めてきて装束を縫ったり、息子たちの代になって丈の合わない装束を直したり。

紀世江さん:アイロンを当てて、破れたところを縫いつけて。よくやったよね。

恵津子さん:市民狂言会のときは2升もの米を炊いてちらし寿司つくるのも恒例でした。

紀世江さん:みんな集まって、わいわい言いながら手動かして、合間におばあちゃんが昔話してくれたり。笑いながら楽しくやってました。ええことも悪いこともひっくるめて、いい時代でしたねぇ。

「ちらし寿司の担当は玉子焼きだった」と、紀世江さん

春告げる、おふたりのコーディネート

――狂言会などで、奥様方が着物をお召しになることも多いのでは?

紀世江さん:私は成人式くらいしか着物を着る機会がなく、畳み方も知らずに嫁いできました。当時、和裁の先生が来られて、本家の2階で教えてくださっていたんですが、それが嫌で嫌で(苦笑)。肌襦袢を何十枚と縫いました。

随分後になって夫(=茂山七五三しめさん)が「愉しそうに縫ってたから趣味やと思ってた」って。そんなふうに思てたん?!と衝撃でした。

恵津子さん:私は、幼い頃から母の手しごとを見て覚えていたので、裁縫は苦ではなかったです。自然と装束のお手入れ担当になってましたね。

着姿

この日のおふたりの着物は、それぞれに春めいた色目のやわらかものでした。

恵津子さんは箔散らしと蛍ぼかしの飛び柄の小紋、紀世江さんが花うさぎの刺繍を施した付け下げです。

こちらは恵津子さんの帯まわり。

帯回り

薄い黄緑色の着物に黒地の染め帯を合わせ、柳色に朱橙と金糸を組み合わせた帯締めがお節句ムードを高めます。ちらりと覗く帯揚げも朱橙でリンク。

着物アップ
後ろ

桜の花びらが舞い、開花の知らせを心待ちにするうきうきする気持ちに寄り添うコーディネートです。

そしてこちらは、紀世江さんの帯まわり。

帯回り

着物の淡い地色に馴染む袋帯には、煌めく七宝柄が浮き沈み。白から白金へのグラデーションが美しい、桝屋高尾のねん金綴れ錦です。差し色は帯締めのグリーンに託して。道明の「奈良組」をチョイス。

着物アップ
後ろ

息子ふたりの母である恵津子さんと紀世江さん。

おふたりの着物は自ずと、息子たちの妻へと譲られ、伝統芸能を支える役目と共に、大切に受け継がれていくのです。

対談風景

今月の狂言師

茂山茂

茂山茂しげやましげる

兄である千五郎を筆頭に、宗彦・逸平・千之丞と様々な会の企画運営を行い、自らの技芸を磨き、狂言の魅力を伝える活動に注力し続けている。

2015年より千五郎と共に「傅之会」を発足。その初回の記者会見の場での「ぼくは千五郎家の保険と思っている」という言葉通り、茂山狂言会の公式サイトや装束・小道具の管理など、裏方の一切を引き受けている。「茂山家の玉三郎」との異名をもち、女性役に定評あり。文科系揃いの千五郎家にあって、唯一の理数頭脳の持ち主。

茂山千五郎家家系図

「例年であれば3月は『茂山狂言会』のある月で、気忙しくしています。暖かくなってくる3月から4月にかけて、昔は忙しかったんですが、近年は2月末の予算が通らないと物事が動かないので、公演数は減りました。時季がいいだけに少し残念です。個人的には、3月上旬はひたすらに確定申告の準備に追われています(笑)」

公演告知

茂山狂言会 春~四世千作十三回忌 五世千作七回忌追善~

2025年3月30日(日)
金剛能楽堂(京都)

春恒例の茂山狂言会、今年は四世千作・五世千作ゆかりの狂言が上演される。

なかなか観ることの叶わない『楽阿弥』は「能様式狂言」です。跡弔いを頼む筋書きで、追善会に相応しい番組。竜正が小舞『蛸』、虎真が小舞『鵜飼』を舞うのも見どころのひとつ。

古典と遊ぶ 春爛漫 茂山狂言会 みんなで楽しく狂言会

2025年4月6日(日)
兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール(兵庫)

会場となる兵庫県立芸術文化センターの開館以来毎年開催されている春の恒例行事。今年は、芸術文化センターの20周年を記念して、お祝いムード満点のラインナップ!

13:00回は「みんなで楽しく狂言会」と銘打ち、『雁礫がんつぶて』『神鳴』で0歳から家族みんなで楽しめる公演内容に。解説付きで、狂言デビューにもってこいです。また、15:30回は、人間国宝・茂山七五三の『末広がり』、『柑子』『業平餅』の3番。

撮影/スタジオヒサフジ

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